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ロボコンガールズ  作者: 蒼原悠
Ⅵ章 ──我、十有四にして惑はず
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Epilogue







「……もう、十年も前の事になるんだね」



 腕にはめた小型端末を見つめながら、女性は誰にともなく呟いた。

 肩くらいまで伸ばした黒髪の両脇からは、しっぽのように髪の束が下ろされている。さわり、と女性がそれに触れると、隣に座る別の女性も頷いた。彼女はショートカットだ。

「なんか正直、実感に欠けるけどなぁ。大学受験とか就職活動とか、印象深い出来事ならいくつもあったはずなのに」

「それだけ私たち、あの頃は夢中だったんだね」

 うんうん、と周囲に居並ぶ女性たちも首を縦に振る。丸い形のテーブルを囲むように座っているのは、全部で五人だ。

 全員が同じものを注文しているようで、中身の変わらない五個のコップが仲良く並べられている。ここは、東京都心の商業ビルの一階に入居する、やや小洒落た雰囲気のいいカフェの一角。五人の女性たちはつい数分前に、わいわい話しながら着席したばかりである。

 なのに椅子に座ったら、五人は五人ともすっかり黙り込んでしまったのだった。


「なんか……うん」

 再び広がった沈黙の中、最初に発言した女性が言った。恥ずかしそうに照れ笑いしながら。

「ちょっと安心したよ、私」

「安心?」

「だってほら、このメンバーが顔を合わせるの、久しぶりじゃない。みんな元気かなーって心配で。安心したら気が抜けちゃった」

 特にアイちゃんなんか、ねえ?女性はすがるような目付きで向かいの女性を見、彼女は曖昧ながらも首肯する。滑らかなストレートヘアが、腰近くまで伸ばされている。

「私は確かにそうかも。なんせずっと、海外だったしさ」

「いいですねぇ、パリにいたんでしょ? さぞや毎日が観光旅行のようで……」

「そんな事ないよ」

 ストレートの女性は本気の表情で否定した。「毎日毎日、すっごい遅くまでピアノに向かい合ってなきゃいけないんだよ? あれは馴れるまでは、本当にきつい……」

「…………」

 他の全員も、彼女の語った光景を思い浮かべたのだろう。ふわりとした静けさが、カフェの一角を包み込んだ。

「……ま、まあ。アイちゃんは今やプロのピアニストさんだもんね。きついのは仕方ないよ」

 焦ったように取り成すツインテールの女性。

 と、今度はショートカットの女性が口を開いた。

「海外と言えばさ、レイはどうなの? 外務省に入庁して、もう三年経つでしょ?」

 問われたのは、ブロンドの髪をリボンで後頭部にまとめた女性だ。彼女は一瞬狼狽え、えっと、と一拍置く。

「私はまだ、海外には研修にしか行ってないの。赴任するなら東南アジアがいいなとは、思ってるけど」

「えー、じゃあいつ外交官になるの?」

「いつなる、とか決まってる訳じゃないから……」

 つまんないなぁ、とこぼしたツインテール女性。

「ドバイ国際空港とかのコンコースを颯爽と歩くレイちゃんの姿しか、頭になかったのに」

「そんな、映画じゃあるまいし……」

 しかもなぜにドバイ、とショートカット女性が呆れた声を上げたが、ツインテール女性はそれを無理やり遮った。

「海外と言えばヨーコの会社もだよね?」

「あ、うん。うちも一応、国際展開してる商社ではあるけど。研修旅行も海外だったし」

「聞かせてよー、研修とかの話! 私まだあんまり海外に出た事がないから、経験なくてさー」

「そ、そんな期待されたって、ふつうの旅行だった──」

「……いいなぁ、みんな」


 黒いオーラの展開を感じて、全員が振り向いた。

 青い縁のメガネをかけた女性が、嘆息している。ここに来てから今までずっと黙っていたのだ。

「ヨーコとレイは実地での研修があったし、ハルカだって大学の友達と行ってきたんでしょ? 私なんて、私なんて……」

「だ、大丈夫だってば」

 突っ伏したメガネ女性を、ツインテール女性が慌てて慰めにかかった。「ナツミの起こした会社だって、もう割と経営も軌道に乗ってるんじゃない? 安定してきたら自由な時間くらい簡単に作れるようになるし、そしたらいっしょに行こうよ」

「ハルカは前向きだねぇ、相変わらず」

 倒した腕から顔をあげ、メガネ女性はツインテール女性を羨ましそうに見つめる。てへ、と彼女は笑った。その横から、すかさずショートカット女性の突っ込みが入った。

「ハルカはその前に、きちんとインターンを終える事ね。いくら小児科医が人材不足だからって、今みたいに調子乗って遊び回ってるようなハルカみたいな新米インターン、病院は雇ってくれないわよ」

 はーい、と小さくなるツインテール女性であった。

 くすくす笑いが、丸型テーブルの周りに穏やかに広がった。




 少し気だるくて甘い、午後の東京の温度。

 おかげでコップの中に浮かんでいたいくつもの氷も、今はすっかり姿が見えなくなってしまった。そのコップを手に取り、中身のアイスコーヒーを喉に流し込んだら、ふやけていた空気がちょっとだけ締まったように感じられた。

 ツインテール──否、玉川悠香は、ふーっと溜め息をもらしながら残りの四人を見回した。最寄りの駅で合流してから、ここまで来る間。それと、ついさっき。まだ二十分も会話をしていないが、昔ながらの懐かしい空気感が健在なのを確認できただけでも今日の成果は十分だ。

 二十五歳になった彼女たちには、与えられる夏休みはまだまだ短い。総合商社勤めの陽子と外務省員の麗は明日には仕事に戻らねばならず、マルウェア対策を行う会社を自力で立ち上げた菜摘は明日は他社との大切な会議があるのだという。海外で修業を積みプロのピアニストになった亜衣に至っては、数日後にオーストリアで国際コンクールに出場するのだそうだ。

 かく言う悠香自身だって、つい一年前に大学を出たばかりの研修医(インターン)。小児科医になるための勉強中の立場だ。自分だけ楽な顔を出来た立場ではない。


 小児科医を──医者を目指そうと思ったのは、ほんの些細な興味だった。

 ロボコンの熱が覚めやらぬまま、色々なロボットの情報に触れていた頃。ふと、人型ロボットの世界に足を踏み入れてみた。よくある空想世界のような人型ロボットの実現は、いまだほど遠い。そうした話を見聞きするうちに、興味が湧いたのだ。それだけ複雑な構造をしている人体とは、どうなっているのだろう……と。

 たったそれだけのことで、悠香は頑張った。いや、違う。頑張れてしまった。


「……結局あたしたち、大学もバラバラだったし忙しかったりで、五人とも集まれたのは高校卒業の直前以来だよなー」

 椅子をギシギシ言わせながら、陽子は笑う。「まだはっきり覚えてるよー。ハルカが医科大に合格したって聞いた時の衝撃と、拍子抜けするような学部選びの理由を聞かされた時のさらなる衝撃」

「どうせお医者さんになるなら、子どもとのんびり話してられる小児科医がいいな──とか言ってたっけ」

 うん、と悠香は頷いた。その気持ちに今も変わりはない。

「子どもと話してるとね、楽しいんだ。子どもには深い裏はないし、難解な読み取りだって必要ないもん。あと、可愛いし!」

「……そんな動機で志望を医学に変更して、しかもトップの国立大学にあっさり受かっちゃうハルカ、怖いよ」

 そう言った菜摘は、実は受験に失敗して一度浪人しているから、余計に皮肉に聞こえた。いつか聞いたような言葉で陽子が付け加える。

「でもまぁ、ハルカは昔からそういう子だったもんね」


 そう。

 悠香は、これと決めた道を決して外さない。多少強引だとしても、あるいは無茶だとしても、それを承知で無理やり突破してしまうのが悠香という少女だった。

 らしさを伸ばして今があるのは、悠香だけではない。陽子は人を動かす技術や交渉能力、そして真面目な性分を商社という難解な仕事に向け、順調に好成績を叩きだして昇進しているそうだ。前からピアノに興味があったという亜衣の器用さは、高校に入ってふと思い立って始めたというキャリアにも関わらず留学先で彼女を最優秀生徒に押し上げた。麗は日常に国際色が溢れていた分、外務省独特のそういった空気感に既に馴れているし、語学で苦労をすることもない。得意分野がそのまま仕事と化した菜摘に関しては、指摘の必要もあるまい。

 みんながみんな、頑張っている。強みを力に変えて、楽しみながら。


 その経験の発端が、かつてのあのロボコンへの参加経験にあった事を、今は誰もが疑わない。




 だからこそ、悠香は今日という日の計画を思い付き、こうしてみんなを呼んだのではないか。

 悠香は、そう思っている。


「あのね」

 悠香は全員に向かって、語りかけた。「ちょっと、相談があるんだけど」

 ストローをくわえた亜衣が尋ね返す。

「何の相談?」

「やりたい事があるの」

 麗以外の三人の顔が、察したように変じた。また何かを思い付いたな──、そんな風にでも思ったのだろう。

 実際、それは事実なのだが。悠香は口元に、指を一本立てた。

「今すぐって訳じゃないし、まだ詳しくは話せないんだけどね。みんなの協力を得たくて、……願わくは、みんな自身にも参加してほしいなって」

「?」

「レイちゃんの外交の伝手とヨーコの会社の企画・調達能力。それに、ナツミの技術。それがみんな、きっと役に立つはずだから」

 私は、と言いたげな亜衣にも、悠香は告げる。「アイちゃん癒し能力高いし、器用だから私と一緒に先頭に立ってほしいかなぁ」

 確かに、その説明だけでは何をしたいのか誰にも分からなかったが、四人は曖昧に頷いた。亜衣など照れている、特別扱いが嬉しかったのだろうか。

「……何か知らないけど、ちゃんとビジョンはあるんでしょうね?」

 陽子は不安げに尋ねたが、悠香は大きく首を振ってそれを断ち切った。

「大丈夫!」




 中学から高校になり、大学に上がり、そして今は社会人。

 その間、世間は目まぐるしく変化を続け、そのたびに悠香たちの周りのセカイは拡大を続けてきた。

 見える範囲は変わっても、心に変わりはない。必要なのは目標を見つける事と、どうにかできるように頑張ること。それでどうにかならないのは恋愛くらいのものだ。

 その事を、ロボコンの経験を通して悠香たちは深く深く、学んでいた。



「……ま、ハルカの事だもんね」

 髪を掻き上げた陽子は、やがて諦めたように苦笑をもらした。

「いいよ、あたしは。協力する」

 麗も無言で手を上げた。セカイが広がっても、シャイな性格は変わっていないようだった。

「面白そうだから私も参加ねー」

 忙しくて海外に行けないと悩んでいた割には、あっさりと菜摘も手を上げた。

 そして最後に、亜衣がおそるおそる手を上げた。

「……私にできる事なら、やってみるよ」

 そう来なくちゃ。うんうんと頷きながら、悠香はもう一つの安堵に胸を撫で下ろしていた。ふたたびこの五人で集まれた事が、悠香には誰より嬉しかったから。

 ふたたび『リーダー』となった悠香は、ずいと身を乗り出した。

「じゃあ説明するとね……」

「ハルカ危ない、コップ倒れそう!」

「もうすっかり温くなっちゃったなぁ。新しいの頼もうかな」

「私、次はアイスティーにする。パリのピアノの先生がアイスティー大好きでねー」

「私のお父さんは最近、お抹茶に……」

「──みんな聞いてよーっ!!」







 幾つになっても忘れてはいけない、夢。希望。

 そして何より、楽しもうという気概。


 それさえあれば、人間に不可能などない。十年前にそれを証明してみせた少女たちは、ほら、今もこうして笑いあっている。






 不死鳥(フェニックス)の炎は、時を越えて。

 『ロボコンガールズ』の新たな挑戦が、始まろうとしている。
















『ロボコンガールズ』



(完)








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