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偽聖女に全てを奪われ追放された無能令嬢ですが、隣国の冷徹王太子に拾われ、真の奇跡を開花させて溺愛されています  作者: 黒崎隼人


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第6話「傾き始める天秤、枯渇する王国の結界」

 ベルン王国の王宮、その一角にある第一王子の執務室には、重苦しい空気が停滞していた。

 豪華な装飾が施されたマホガニーの机の上には、山積みにされた報告書が乱雑に散らばっている。

 レナードは、その中の一枚を荒々しく掴み取ると、眉間に深いしわを寄せた。


「どういうことだ。国境の魔力防壁の出力が、先週の半分以下に落ちているだと? 魔導省の連中は何をやっている」


 彼の怒声は、広い室内に虚しく響いた。

 机の前に立つ魔導省の長官は、青ざめた顔で額の汗を何度も拭っている。

 彼の持つ杖の先端にある魔石は、以前のような輝きを失い、くすんだ灰色に変色しつつあった。


「申し訳ございません、レナード殿下。防壁の核となる魔力炉に供給するための、高純度魔力結晶が完全に底を突いたのです。これまでは定期的に十分な量が納品されていたのですが、ここ数日、パタリと供給が途絶えてしまいまして……」


「供給だと? それはマリアが聖女の祈りによって捧げていたものではないのか。マリアはどうした」


 レナードがそう叫んだ瞬間、部屋の扉が開き、マリアが入ってきた。

 彼女は相変わらず、ひらひらとした純白のドレスを身にまとっていたが、その表情にはかつての余裕はなかった。

 頬は少しこけ、大きな瞳の周りには薄い隈が浮き出ている。

 彼女の手には、小さな魔力結晶が一つ握られていたが、その輝きは濁り、大きさも以前の十分の一にも満たなかった。


「レナード様、そんなに怒鳴らないでください。私も、毎日一生懸命お祈りを捧げているのです。ですが、最近は神々のご機嫌が斜めのようで、どうしても大きな結晶が作れなくて……」


 マリアは涙目でレナードの腕にしがみつこうとしたが、レナードはその手を少々乱暴に振り払った。

 彼の心の中には、これまでにない焦燥感が芽生え始めていた。

 これまではマリアが持ってきていた結晶を魔力炉に投入するだけで、国の結界は完全に維持されていた。

 しかし、エレニアを追放したその日から、マリアがもたらす結晶の質と量は目に見えて低下していったのだ。


「お前の祈りが足りないのではないか! これでは次の満月の夜に行われる、結界の儀式が維持できないぞ。隣国のオルティス帝国が、我が国の弱体化を察知したらどうするつもりだ」


「そんなこと言われても……お祈りなんて、ただ座っているだけじゃないんですからね」


 マリアは思わず声を荒らげ、すぐにハッとして口を噤んだ。

 彼女の脳裏には、エレニアの公爵邸の地下室から盗み出していた、あの輝かしい結晶の姿が浮かんでいた。

 エレニアがいなくなれば、自分がこの国の唯一の聖女として君臨できるはずだった。

 しかし、実際にエレニアを追い出してみると、結晶のストックはすぐに尽き、自分にはそれを新しく作り出す技術も魔力もないという冷酷な現実だけが残されたのだ。

 二人の間には、かつての甘い雰囲気など微塵もなく、ただ互いへの不信感と責任の押し付け合いだけが始まろうとしていた。


◆ ◆ ◆


 ベルン王国の王都から離れた農村地帯では、事態はさらに深刻だった。

 かつては青々と茂っていた麦畑は、今や土がひび割れ、葉の先端から茶色く枯れ始めている。

 農民たちはクワやスキを地面に突き立て、力なくため息を吐いていた。


「結界の魔力が薄れているせいで、大地の恵みが届かなくなっちまった」


「今年の収穫は絶望的だぞ。これじゃあ、王家に納める税はおろか、自分たちの食べる分すら残らない」


 彼らの手にするカマは、乾いた茎を刈るたびに、不快な鈍い音を立てた。

 王国の全土で、魔力の枯渇にともなう災厄が、確実に、そして急速に広がりつつあった。


◆ ◆ ◆


 同じ頃、オルティス帝国のアルフレートの執務室には、ベルン王国の混乱を示す緻密な報告書が届けられていた。

 アルフレートは革製の椅子に深く腰掛け、机の上の書類を冷ややかな視線で見下ろしている。

 彼の傍らには、帝国の密偵の長が控えていた。


「報告通りだな。ベルン王国の魔力炉はすでに瀕死の状態だ。農作物の不作も始まっている。あの愚かな王子は、いまだに原因がエレニアの追放にあることすら気づいていないようだ」


 アルフレートはため息を一つ吐くと、書類をパタンと閉じた。

 彼の口元には、残酷なまでに美しい笑みが浮かんでいる。

 自業自得、という言葉すら生ぬるいほどの自滅劇だった。

 エレニアを害し、その功績を奪い取った代償は、あの国全体が支払うことになるだろう。


「殿下、ベルン王国への経済的、軍事的な圧力を強めますか」


「いや、まだ早い。彼らには、自分たちがどれほど大きな存在を失ったのかを、骨の髄まで理解させねばならないからな。帝国主催の建国記念大舞踏会が近い。そこに、あの哀れな王子たちも招待しよう」


 アルフレートは立ち上がり、大きな窓から見える美しい庭園へと視線を向けた。

 そこでは、エレニアが侍女たちに囲まれながら、楽しそうに談笑している姿が見えた。

 彼女が歩く足元からは、次々と小さな白い花が咲き乱れ、庭園全体がまるで祝福されているかのように光り輝いている。

 彼女のまとう穏やかな空気は、帝国の冷たい宮殿を、確かに変えつつあった。

 アルフレートは執務室を出ると、まっすぐに庭園へと向かった。

 彼の足音が近づくと、エレニアは気づいて振り返り、その美しい顔を綻ばせた。


「アルフレート殿下」


「エレニア、今日も美しいな。大地の精霊たちもお前を慕っているようだ」


 アルフレートは彼女の傍らに立つと、周囲の視線も構わず、彼女の細い腰を引き寄せた。

 エレニアは驚いて小さく声を上げたが、彼の胸の温もりに包まれると、そのまま彼に身体を預けた。

 アルフレートは彼女の柔らかな髪に顔を埋め、その甘い香りを深く吸い込む。


『お前を傷つけた国が、どのように滅びゆくか。その特等席をお前に用意しよう』


 彼の胸の奥で、冷徹な復讐の炎が静かに、しかし激しく燃え盛っていた。

 エレニアは彼の腕の中で、彼が自分に向ける揺るぎない愛の深さを感じ、ただ心地よい安心感に身を委ねていた。

 傾き始めた天秤は、もはや誰にも止めることはできない。

 完全なる崩壊の足音が、静かにベルン王国へと近づいていた。

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