第11話「偽聖女の崩壊、断たれた王国の未来」
大広間に満ちていた緑色の光の粒子が、ゆっくりと空気の中に溶けていく。
新しく咲き誇った花々の芳醇な香りが、部屋の隅々にまで行き渡っていた。
貴族たちの静かな興奮は、やがて地鳴りのような賞賛の声へと変わっていく。
その光の余韻の中で、レナードは未だに大理石の床に両手をついたまま、小刻みに身震いを繰り返していた。
彼の目には、先ほどまで見下していた元婚約者が、まるで別世界の住人であるかのように神々しく映っている。
「エレニア、お前、その力は……」
レナードの声は、情けなく震えていた。
彼の喉は完全に干からびており、言葉を絞り出すだけで精一杯だった。
その彼の隣で、マリアは床に這いつくばったまま、自らの爪を絨毯に引っかけ、狂ったように頭を振っている。
「違う、違うわ。これはあの女の仕掛けた呪いよ。私の聖なる力を奪うための、汚らわしい罠だわ。レナード様、騙されないで。私が本物の聖女なのです。あの女はただの悪女よ」
マリアの声は、大広間の美しい響きを汚すように、甲高く、見苦しく響き渡った。
彼女の美しいはずの顔は、恐怖と焦燥によって醜く歪んでいる。
しかし、その言葉に耳を傾ける者は、もうこの場には誰一人としていなかった。
周囲の貴族たちの視線には、明確な軽蔑と冷ややかな侮蔑の色が混ざり合っている。
アルフレートは、ひざまずく二人を冷徹な目で見下ろしながら、懐から一通の厳封された書状を取り出した。
その書状には、帝国の最高魔導機関による厳重な紋章が刻印されている。
「ベルン王国の王子よ、お前たちが何を叫ぼうとも、現実は変わらない。我が帝国の魔術師たちが、ベルン王国から密かに入手した過去の魔力結晶と、アールスト公爵邸の地下室に残されていた魔力の残滓を完全に解析した。その結果、これまで聖女の奇跡と謳われていた結晶のすべてが、エレニアの固有魔力と完全に一致した。お前たちが聖女と崇めるその女は、他人の功績を盗み、国を欺き続けた希代の詐欺師だ」
アルフレートの淡々とした、しかし確固たる事実を告げる声が、広間に重く響いた。
その言葉は、レナードの頭上に落とされた最大の鉄槌だった。
『そんな、マリアがエレニアの結晶を盗んでいたというのか。私が信じていた聖女の奇跡は、すべてエレニアが一人で作り出していたものだったのか』
レナードの脳裏に、過去の光景が走馬灯のように蘇ってきた。
深夜、疲れ果てた姿で部屋に戻っていくエレニアの背中。
その翌朝、なぜか手元に届けられていた、目も眩むような高純度の結晶。
マリアはそれを自分が祈りで生み出したと言い張り、レナードはその甘い言葉にただ溺れていたのだ。
自らの愚政によって、国を支える真の至宝を泥の中へと放り込んでしまった。
その事実の重さが、彼の細い背中に容赦なくのしかかる。
「マリア、貴様、私を騙していたのか」
レナードは、隣にいるマリアに向けて、血走った目を向けた。
彼の顔は怒りで赤黒く染まり、その手を彼女の細い肩へと伸ばした。
「レナード様こそ、私を利用して王位に就こうとしていたのではないですか。私が結晶を持ってきた時、中身も確かめずに喜んでいたのはあなたよ。今更被害者ぶるなんて、本当に最低の男ね」
マリアは、彼の手を激しく振り払い、立ち上がろうとした。
しかし、彼女のドレスの裾は自らの足に絡まり、再び無様に床へと転がった。
二人の醜い罵り合いは、世界中の貴族たちの前で、これ以上ないほどの生き恥として晒されている。
エレニアは、その様子を静かに見つめていた。
かつて自分を奈落の底へと突き落とした二人が、今や互いの傷口を抉り合うようにして自滅していく。
胸の奥に溢れてくるのは、彼らへの怒りではなく、ただただ深い虚しさだった。
自分を縛り付けていた過去の呪縛が、この瞬間に完全に解き放たれたのだと、彼女は確信した。
「これ以上の見苦しい茶番は不要だ。衛兵、この詐欺師の女を連れて行け。我が帝国の神聖な場を汚した罪で、然るべき処罰を与える」
アルフレートの手招きに応じ、周囲に控えていた屈強な帝国兵たちが進み出た。
彼らはマリアの両腕を掴み、問答無用で大広間の外へと引きずり出していった。
「放して、私は聖女よ。ベルン王国の王妃になる女よ。レナード様、助けて、レナード様」
マリアの叫び声は、黄金の扉が閉まる音と共に、完全に遮断された。
残されたレナードは、ただ一人、広い床の上で呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
彼に向けて、アルフレートは最後の一撃を言い渡した。
「レナード王子。我がオルティス帝国は、今この瞬間をもって、ベルン王国へのすべての経済的支援、および結界維持のための魔力補給を完全に打ち切る。自国の至宝を理解できぬ愚鈍な国家に、これ以上の慈悲をかけるつもりはない。今すぐ我が国から立ち去るがいい」
その宣告は、ベルン王国の完全なる破滅を意味していた。
帝国からの支援を失い、さらに大地の息吹を失ったあの国が、どのような未来を辿るかは明白だった。
レナードは、もはや反論する気力すら残っていなかった。
彼はふらふらとした足取りで立ち上がり、誰の目も見ることができずに、ただ頭を垂れて大広間を去っていった。
背後から沸き起こる、圧倒的なカタルシスを含んだ貴族たちの歓声を聞きながら、エレニアは自らの隣に立つアルフレートを見上げた。
彼は彼女の視線に気づくと、その冷徹な仮面を外し、世界で最も優しい微笑みを彼女へと向けたのだった。




