うまくいっちゃったよ
……あれからどうやって戻ったのかは分からないが、とにかくふと気づいた時、俺はいつの間にやら控え室に戻って椅子に放心したように座っていた。
ボケーっと天井を見上げる。頭の中で何回も繰り返されるのは、先程の囁きだ。
「えへへ……」
思い出すたび、無意識のうちに変な下卑た笑いが込み上がる。
「どうした? キモい笑い方しちまって……」
仲間が怪訝そうに訊ねてくる。
そりゃ、つい数十分前までズーンと肩を落としていた男が、散歩から戻ってきたら何故か汚い笑いを浮かべていたのだ。気にもなるだろう。
「ま、いいことがあったというかなんというか」
「それはそれでいいが、その笑い方どうにかしろ。今にも女子に飛びかかりそうな顔してんぞ」
うーむ、やはり顔に出るものなのか。
「そ、そんなにキモいか? 俺の笑い方」
「キショい」
グサッ。
ま、まさかそんなストレートに言われるとは。大会中に気を緩めていると思われるわけにはいかないので、流石に表情筋を引き締めねばなるまい。
そう考え、俺は大きく息を吸って顔の筋肉をキュッと引き締めた。ニヤニヤ笑いはなんとか抑え込めたがそれでも完全ではなく、頬の筋肉がピクピクと震えてなんだか奇妙な顔になってしまった。
その顔付きが滑稽だったのか、その部員は笑いを堪えようと肩を震わせながら少し声を上ずらせて訊ねた。
「な、なんだよそれ、変顔か?」
「ちげぇよ!」
俺がムキになって反抗した、その時。
「準決勝に出場するAからDグループのチームは移動を開始してください」
運営の先生が少し遠いところで声を張り上げた。
「……お? もしかしてお前か?」
「そうだ、ちょっくら頑張ってくるわ」
「俺の分まで頑張ってきてくれ」
「任せとけ」
一瞬で気持ちを切り替えると、俺は一回戦で敗退した仲間の期待を背負いながら弓と矢を手に持ち、弓道場へと向かった。
**
出場するグループが減ったからか、ほとんど待たされずに弓道場へと通された。
再び肺に侵入する鉛のような空気。先程はこの空気に気圧されてしまったが、2回目ともなると流石に少し慣れた。
的を睨んだまま足を開き、そして視線を前方に戻そうとする時──俺は再び金網の方へとチラリと目をやった。
やはり、いた。先程と同じ場所に。
前はここで色々と思考が乱されたが、今は少し嬉しさを感じるだけでそれ以上気持ちを乱されることはなかった。
何故か。
ここで集中力を乱しては、ご褒美にはありつけないからだ。俺の意識は今、空前絶後の鋭さとなっている。うっかりすれば意識で人を斬りつけられそうだ。
所作を整え、弓を持ち上げ、引き分ける。その時の意識は空っぽだ。ただ一点、的の先に待っている目標を見据えている。
矢を頬に当て、静止。しばし訪れる静寂のひと時。外界の音は完全にシャットアウトされ、聞こえる声は内側の自分のみとなる。
微かな秋のそよ風が産毛を波打たせ、体の内側を酸素をたっぷりと含んだヘモグロビンが駆け抜けていくのが分かる。
視界が段々と狭まっていって的以外のものが見えなくなり、世界の登場人物は俺と的だけとなる。
今この瞬間は誰にも邪魔されない。
自分は世界の中心にいるんだ。
そんな快感が湧き上がってくる。
そして空気流れと体の流れが一瞬和音を生み出したとき──
俺は矢を放った。
**
結局俺の4本の矢は全て当たり、チームは決勝に進出。その後俺たちは快調な成績を維持し、見事全道大会への進出権を獲得した。
そういえば、バレているかもしれませんがこの作品の舞台は札幌です。作者自身が住んでいるので……。
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