俺も現金な男だ
弓道場が入った建物は、俺らがいた建物のすぐ脇に立っている。そこへ共に2年生である仲間の2人と一緒に向かう。
建物に入ると既に大半の他校の生徒が整列していて、俺らがその中に溶け込むのと同時に点呼が行われた。そして全員がいることが確認された後、俺らが立っていた脇に置かれていた丸椅子に座らされた。
言葉一つ交わされず、重い沈黙が辺りを包む。そこからヒシヒシと伝わってくるのは、目の前が真っ暗になるような緊張だ。
その空気に飲まれ、落ち着いてたはずの緊張が再発する。だが先程みたいに不安定な緊張ではない。集中力を研ぎ澄ませ、余計な思考を一切振り払おうとする緊張である。
それが暴走しないよう深呼吸で自我をコントロールしながら、呼ばれるその時を待つ。
5分ほど待たされただろうか。大会を仕切る先生から立ち上がって移動するよう指示された。それに従い、一列になって弓道場に向かう。
弓道場と廊下を隔てる、僅かな段差。選手たちは一歩踏み入れてから一回揖をしつつ、次々と奥へ向かっていく。
列の真ん中ほどにいた俺は、前で先に弓道場に入った先輩につられるように一歩踏み入れ、一気に鋭くなった空気に肌がビリビリするのを感じつつ、腰を軽く折った。
そして頭を上げ、すり足で移動して自分に与えられた的へと向かう。
選手が全員一列に並び的と対峙すると、部屋の端で目を光らせている審査員の爺さんが「始め!」と鋭い一声を上げた。
ここからは普段の練習と同じ手順だ。全ての動作ひとつひとつに細かい気配りをしながら流れるように、そして優雅に動作を行うことを心がける。
的の方へと目をやりながら、脚を肩幅ほどに開く。そして視線を戻そうとした時──
右手側で壁となっている、金網。そこから一般人が観戦することができるようになっており、数十人くらいの観客がいるのだが、その中に──令美がいた。
ちょっとラフな私服に身を包み、髪の寝癖は整えられており、メガネの代わりにコンタクト。俺にしか見せない姿だ。
彼女は俺と目が合ったことに気づくと、少し恥ずかしそうに小さく手を振った。
思わず振り替えしそうになるが、ぐっと我慢。代わりに少し頷いてみせた。
令美が、見に来ている。
湧き上がる喜びを感じながら全ての準備を整え弓を構えると、俺はフーッと息を吐き出して全ての感情を押し流す。
そしてそれを持ち上げ、第三の姿勢をとり、そして弓を左右に大きく引き分け始めた。
余計なことはするな、いつも通りにやれ。
そう考えながら矢を頬に当て、しばらく的を睨んだまま静止する。そして呼吸の波動と体の動きが完全に同調した時──
俺は矢をその手から勢いよく離した。
矢は完璧な軌道を描き、的に突き刺さるはず……だった。
しかし、矢が的に突き刺さる音の代わりに聞こえてきたのは──
ジョリッ。
深々と矢が土に突き刺さる音だった。
──外した。
なぜだ? 完璧な動き、軌道のはずだったのに。
そんな疑問が頭の中を埋め尽くす。だがまた大きく深呼吸をして、その疑問を追い出す。
今そのことに構っていては、集中が乱れて他の矢も外してしまう。次に当てればそれでいいのだ。悔やんだところでこの射で外したと言う事実は変わらない。
そう考えて思考を切り替え、俺は次の矢を番えて放つ。だが結果は──外れ。
焦る気持ちを抑えながら残りの2本に手をかけ、番える。結果は──外れ、外れ。
結果、俺は一本も的に当たることなく退場することになった。
俺は目の前が真っ暗になりそうな心境で弓道場を後にした。
**
「お前、全部外れたからって落ち込んでじゃねーぞ。初めてなんだから当たり前のことだろ」
「そう、ですか……」
待合室に戻った後。
俺と同じブロックに出場していた先輩が俺のことを励ましてくれていく。幸いなことに先輩2人が4本全て当てたことで準決勝には進めるのだが、そこに何の貢献もできなかったことが恥ずかしい。
そして何より気にかかるのが──見ていてくれた令美に、カッコいいところを一切見せれなかったことだ。せっかく見に来てくれた彼女の目に映ったのは、情けない無様な彼氏の姿。
俺のこと、どう思ったかな。
そう考え、俺はさらに気をどよんと重くする。そんな感じで明らかに意気消沈している俺を見かねたのだろう、先輩は俺にある提言をしてくれた。
「いつまでもそんな感じでうずくまってるのもなんだし……気分転換にそこらへん歩いてきたらどうだ? 次の試合まではまだ時間もあるしな」
「あ、分かりました……」
特に断る理由もないのでその助言に素直に従い、建物内を散策することにした。ついでに自販機で飲み物でも買おうと財布を手に持ち、俺は廊下へと繰り出した。
特に行くあてがあるわけではないが、なんとなく心が惹かれたので一階に向かう。
ここは観光施設でもなんでもないので、見ていて楽しいものはない。スポーツのために必要最低限のものを取り揃えている感じだ。だがその素朴な雰囲気がむしゃくしゃとした心を平穏なものへと変えていく。
さすが先輩、いいアドバイスをするな。
内心で先輩を称えつつ、俺は特になんの考えもなしに目に付いたカフェを覗き込み──
心中の静寂の海に、さざ波が立ち始めるのを感じた。
店の端で窓と向かい合うように設置されている、カウンター席。そこにコーヒーを啜っているレミの姿があった。彼女は窓外に広がるのどかな秋の風景を眺めながらカップを口元へと運んでいる。
その大人な雰囲気に俺は胸をどきりとさせつつ、彼女の元へと移動して「よっ」と背後から声をかけた。
「ふえっ!?」
咄嗟の俺の声に反応できず彼女は小さくコーヒーを吹き出しながら俺の方へと振り返った。
「りゅ、流星くん?」
「来てくれてありがとな。嬉しいよ」
とりあえず素直に感謝の言葉を告げる。令美は「ぜ、全然大丈夫だよ!」と首を振りながら、
「袴姿、か、かっこいいね」
「ありがと、俺も結構気に入ってんだよな……いや、今日はあんまりかっこいい姿見せれなくてごめんな」
俺がぺこりと頭を下げると、彼女はその大きな目で俺のことを「え?」と言わんばかりに見上げると、
「そ、そんなことないよ! すっごい、かっこよかった……」
「そ、そうか?」
花巻のテンション度数は、ぐぅんとはねあがった!
いやいや、待て待て。明らかに凹んでいる俺のことを気遣っての発言かもしれない。令美は優しい子だから、ありえないことはないだろう。
「いやいや、全然ダメダメ。一本も当たらなかったし」
「え、ほんと?」
「うん、先輩方のおかげでなんとか準決勝には出れたんだけどな。準決勝はレベルが跳ね上がるし、今回みたいに一本も当てられなかったら決勝にはいけないだろうな」
「た、たいへんだね」
「ほんとだよ。まじプレッシャーがやばい」
俺は頭を掻きながら言う。令美は「そっかー……」と少し視線を彷徨わせたのちに、ふと何かを思いついたように俺をまた見上げながら言った。
「流星くんさ」
「ん? どしたん」
「こ、これが叶うんだったら、ぜ、絶対に大会は上手くいく! ……っていう望み、ある?」
望み?
改まって問われると意外と何も思い浮かばない。俺は欲深い罪な漢なので、何もないはずがないのだが……。
俺が「うーん、なんだろ」と悩んでいる脇で彼女はスッと椅子から立ちあがると、俺のことをチラチラと上目遣いで見上げながら少し顔を赤くして言った。
「じゃ、じゃあさ。もし決勝まで進めたら……」
そして令美は俺との身長差をカバーしようとするようにつま先立ちをして背伸びをすると、俺の耳元で少し声をうわずらせながら囁いた。
「……き、き、キス、してあげる」
俺の意識が宇宙に放り出されたのはいうまでもない。
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