「渡部君と話すきっかけ作りのためだけの大嘘だったら、良かったのにね」
世界が確実に終わりへと近づく中、自宅と学校、本間家を往復する日々は続いた。
今までの僕らは本を読んで学校での時間を過ごしていたけれど、そのうち教室でもぽつぽつと話すようになって、気分転換に校舎をうろつくようになった。
誰もいない廊下を歩く。
ピアノも聞こえない。
スリッパを鳴らして歩く音も聞こえない。学校には、僕ら二人しかいないようだ。
奇跡的に割られていない窓から日光が差し込む。青い影が廊下に広がり、僕らは忍び笑いで廊下を歩いた。青い影の中、隣を歩く本間さんは人懐っこい笑顔を惜しみなく僕に向ける。
「こんな世界なのに、外はすっごくいい天気だね」
「本当に。雲一つないよ」
小惑星が近づき夜が来なくなって以来、空はいつでも快晴だ。白く見えるほど明るい空を窓越しに見ながら、先生たちに会わないよう気をつけながら廊下を歩く。
今までフェンスが古くて危ないという理由で近づくことすらしなかった屋上にも行った。巻かれていたはずのチェーンは落ちていて、鍵は壊されていた。ドア近くの掃除用具入れもボコボコに凹まされ、用具入れの体を成していない。
終末が現実として発表された頃、静かだったようでこの学校も荒れたんだなぁと声には出さず考えながら屋上へのドアを開けた。
「わぁ、見て見て渡部君! 裏山の神社も見えるよ!」
本間さんのはしゃいだ声に「どれ?」とフェンスへ近づく。フェンスの向こうに広がる緑に朱を探し、本間さんに「あれ!」と指を差してもらってようやく見つけた。破壊の限りを尽くす暴徒たちも、山に登ってまでは暴れようと思わないのだろう。鳥居のてっぺんしか見えないけれど、神社が無事である証が見えた。
二年に進級したら、課外授業で登る予定だった。僕らは進級できないまま一生を終えなければならない。考えてもしょうがないことだ。
僕は迫り来る死から目を逸らし、隣の本間さんを「誰も山に行ってないのかな」と振り向いた。
本間さんは裏山よりもさらに高いところ――空を見上げていた。
「太陽が、二つあるみたい……」
手で庇を作って空を見上げ、本間さんは眩しそうに呟いた。本間さんが言う通り、空には二つの恒星が輝いている。いや、一つは恒星じゃない。太陽に負けない輝きを放っているのは地球を滅ぼす小惑星だ。
本間さんに倣って手で影を作り、太陽と小惑星を見上げる。「ほんとだね」と返す僕の隣で、本間さんは声の調子を落とした。
「あれさえなければ……もっといろんなことができたのになぁ」
空を見るのをやめ、本間さんを見る。本間さんはまだ空を見ていた。その横顔に涙を見た気がして、僕は思わず「戻ろう」と本間さんの手を取っていた。手庇をやめた本間さんは「うん」と力なくうなずき、歩き出した僕の後ろをついてきた。
握った手は、振り払われなかった。
屋上から四階へ下りると、外から騒ぎ出した暴徒たちの声が聞こえた。学校に入って来ないかヒヤヒヤしたが、騒ぐ声はゆっくり近づいてくる。できるだけ身を屈めて窓から外を覗き見た。
ボロボロの布を掲げた集団が、学校前を通ってどこかへ向かう。学校に乗り込んでくる気はないようで、ホッとした。
喧噪が遠のき、校舎に嘘のような静寂が戻った。今日はピアノも聞こえない。
窓からそろりそろりと離れた僕らは、そのまま階段に座った。窓から差し込む日差しは決して柔らかくない。なのに穏やかだと感じるのは、本間さんが隣に座ったからだろうか。僕を見て笑ってるからだろうか。
僕らは話した。今日は読み終えた本のことじゃなく、互いのことを話した。
本間さんの友達のこと、本間さんの家族のこと。
僕の幼馴染みのこと、僕の家族のこと。
最終回を迎えられなかったドラマのこと。
公開が迫っていた映画のこと。
翻訳が始まっていた海外文学のこと。
来年行くはずだった修学旅行のこと。
話せなかった数ヶ月を埋めるように、心残りがないように、僕らは話した。けれど僕が一番伝えたいことは、本間さんに何も伝えられていない。
僕らはのどがカラカラになるほど話した。本間さんはけほんけほんと空咳をしながら楽しそうに笑った。
「地球が終わっちゃうって、嘘みたい」
「嘘かもしれないね。僕らに仕掛けられた大嘘だ。隕石まで用意して、派手だね」
「渡部君と話すきっかけ作りのためだけの大嘘だったら、良かったのにね」
ほんとに地球はなくなっちゃうのかなぁ。
ぽつりとこぼした本間さんの声には、抑えきれない寂しさがにじんでいた。
大丈夫だよと励ませたらどれだけ良かっただろう。だけど、小惑星の衝突で地球は滅びるのは事実だ。夜が来ない世界がその証拠だ。なのに、どうしてそんな無責任なことが言える?
ほんの少し指を動かすだけで本間さんの手と僕の手は触れ合う。そのくらいの距離にいるのに、僕は本間さんの手にもう一度触れることができなかった。




