不謹慎なことを思うけれど
この日、僕らは下校時刻より早く学校を出た。本間さんを家に送っていくためだ。
本間さんは遠慮したけれど、僕は頑として譲らなかった。遠慮する本間さんに朝のことを持ち出すと、本間さんは困った顔をして、それからしおしおとうなずいて了承した。
何度も不謹慎なことを思うけれど、帰りも本間さんと一緒にいられたのは、嬉しかった。
本間さんの家にはお母さんとお兄さんがいた。
本間さんが鍵を開けると、待ち構えていたようにドアが開かれた。ドアの向こうに立っていたのは本間さんのお兄さんだ。腕だけで僕の足ほどの太さがある、筋骨隆々という言葉を体現したような人だった。その体格にふさわしい厳めしい顔にある太い眉がひそめられる。鋭い目に射竦められ、僕は萎縮しながら本間さんのクラスメイトであると自己紹介した。本間さんのお兄さんは、ふんと鼻を鳴らした。
「日向子。何でこんな奴がお前と帰ってきた」
「えっと……あの、学校の前で、変な人に……から、まれて……」
お兄さんの目がくわっと開いた。お兄さんの目が目を吊り上がる。
「だから送ってやると言ったのに、何を思ったか一人で行くと言って飛び出して……もしこのモヤシが学校に来てなかったらと思うとゾッとする。迎えもいらんと言うお前の言葉を真に受けた俺も悪いが、お前も思慮が足らなかったぞ、日向子」
なるほど。本間さんが無事に学校と家を往復できていたのは、このお兄さんのお陰か。確かに、暴徒といえどこの筋肉を相手にするのは躊躇うだろう。
お兄さんに叱られた本間さんは僕の後ろに隠れながら「でも」と反論した。
「お兄ちゃんが私と家を出たら、今度はお母さんが一人になっちゃう。お兄ちゃんだって、お母さんを一人にするのは心配だったでしょ」
本間さんの反論に、お兄さんはむぅと唸った。後ろの本間さんを振り返ると、本間さんは「あ」と気まずそうに目を伏せた。
小さな声がぽつりぽつりと本間家の現状を僕に教える。
数日前に会社に行ったきり、本間さんのお父さんは帰ってきていない。僕の家と同じだ。違うのは、本間さんのお父さんは家族に会えないかも知れないという覚悟で家を出たという点だ。家を出るお父さんに、お兄さんは家族を託された。
「日向子を送り届けたことには礼を言おう。だが俺は、父が不在の間この家の主として母と妹を守る義務がある」
本間さんのお兄さんは僕にずいと指を突きつけた。
「日向子に恩を売ったからと不埒な行為に及んだら、地獄の果てまで追いかけて八つ裂きにしてやる。心得ておけ」
「渡部君はそんなことしないよ!! 何てこと言うのお兄ちゃん! お兄ちゃんのばか!!」
本間さんは僕の後ろから飛び出すと、僕を隠すように僕とお兄さんの間に立った。頭一つ分小さい本間さんに庇われ、なんともくすぐったい気持ちになる。背を向けてる本間さんの表情は見えないけれど、お兄さんの表情を見る限り、彼女に似つかわしくない険しい顔をしているようだ。
もごもごと口の中で言葉を転がすお兄さんに、本間さんは「謝って!」と怒る。お兄さんは腕組みをして「謝る理由がない」と言い張ったけど、本間さんが再度「謝って」と低い声で言うと、渋々僕に謝った。別に気にしてなかったけど、本間さんが元気になったならお兄さんに凄まれた甲斐があった。
無事家族の元に送り届けられたし、本間さんは多少なりとも元気を取り戻した。別れがたいけれど、僕も家に帰らないと母が心配する。
家に入るお兄さんたちに退去の挨拶を告げて本間家の敷地を出ると、本間さんが「待って!」と追いかけてきてくれた。
「渡部君っ。あ……あの。お兄ちゃんが言ったこと、気にしないでねっ!」
さっき、お兄さんが僕に凄んだことを気にしてるみたいだ。それなら本間さんが庇ってくれたし、気にしてない。「気にしてないよ」と首を振ると、本間さんは「また明日っ」とキラキラ光る目で僕を見上げた。
「ま、また明日、明日また、学校で会おうねっ」
明日。明日も本間さんは、学校へ来るのか。不審者に襲われかけたというのに、本間さんは本当に真面目だ。気づけば僕は、本間さんのボディガードを申し出ていた。
「……明日の朝、迎えに来るよ。本間さんがまたああいうのに襲われたら大変だ」
本間さんがまたあんな目に遭うのは見過ごせない。モヤシと呼ばれるような僕じゃ暴徒への威嚇にならないだろうけど、今日みたいに武器があれば、追い払うくらいはできるかもしれない。少なくとも、本間さんを逃がす時間くらいは稼げるはずだ。本間さんと過ごす時間も増えるし、本間さんの安全も確保できる。
いいアイディアだと思ったんだけど、本間さんは「えっ」と目を丸くすると顔を赤くして「でも」とオロオロしだした。
「で、でも、渡部君、うちまで遠いのに……悪いよ、いいよ、大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないよ。僕の心配ならしなくていい。ヘルメットもあるし、今朝拾ったこの鉄パイプもあるから」
僕も本間さんも、互いの安全が心配だからと譲らなかった。話すのも討論するのも得意ではない僕だけど、こればかりは譲れない。普段の僕なら絶対にできないことだけど、本間さんの両手を取り、眼鏡の向こうにあるアーモンド型の瞳を見つめ、「絶対にきみを守るから」と終末前の僕なら口が裂けても言えない台詞を以て本間さんの心を動かすことができた。
本間さんの頬がぽっと赤くなる。
僕の頬も熱を持った。
握っていた本間さんの手を離す。
気恥ずかしさに目を逸らし、ぼそぼそ「明日迎えに来るよ」と言い残すと僕は自宅まで走った。心臓が今にも爆発しそうだったのは、家に着くまで一度も立ち止まらなかったせいか、それとも。
翌朝、僕は約束通り本間さんを迎えに行った。
学校を通り過ぎて、角を曲がって本間さんの家に向かう。授業がないのだからいつも通りの時間に出る必要はないけれど、本間さんを待たせては悪いからと昨日よりさらに早く家を出た。幸い、僕の道中を邪魔する暴徒は現れなかった。
本間さんは家の前で待っていた。隣には腕組みをし難しい顔をしたお兄さんが立っている。僕が来たのを認めると、さらに難しい顔をした。腕組みを解かず「来たか」と低い声で僕に念を押す。
「貴様の顔は覚えたぞ。日向子に手を出してみろ。この世が終わろうとも貴様の骨を砕き四肢を引き裂き犬の餌にしてやるからな」
「お兄ちゃん犬苦手でしょ。そんなことできないでしょ! できないこと言わないの!」
本間さんに叱られ、お兄さんはむぅとへの字口になった。本間さんはまるで母親のように「失礼なこと言わないの!」と叱り、眉を下げながら僕の隣に駆けてきた。
「あの、ごめんね渡部君っ。それじゃ、えっと……い、行こっ」
それから、二人で登下校をする日々が始まった。
本間さんの家から二人で登校し、奇行に走る教師たちが現れればそれを躱して、教室に入ると本を読んで過ごす。下校のチャイムが鳴れば二人並んで廊下に出て、本間さんの家まで読んだ本の感想を話し合った。何度か不審者や暴徒に襲われそうになったこともあったけど、本間さんには指一本触れさせないと必死で鉄パイプを振り回し撃退した。
「僕には鉄パイプがあるから」と、本間さんにヘルメットを被せた。最初は遠慮されたけど、本間さんは鉄パイプなんて振り回せないのだからこれくらいと説得したらうなずいてもらえた。ヘルメットを被った本間さんは頭の丸さが強調されて、可愛かった。
暴徒に見つからないよう道を選んで帰っても、暴徒がやたらと多く本間さんを家に送るのがやっとの日があった。家まで無事にたどり着けるだろうかとヘルメットを被り直す僕に、お兄さんが渋々といった様子で「泊まっていけ」と言ってくれた。
「外での日向子を守ってもらってる礼があるからな。お前の体格では武器があっても徒党を組んだ暴徒は追い払えん。泊まっていけ」
母に連絡を入れられないのは心配だったけれど、本間家で過ごした一晩は楽しかった。〝客〟を迎えることが久々だからか、本間さんのお母さんもずっとにこにこしながら僕を受け入れてくれた。笑った顔が、本間さんとそっくりだった。




