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第8話 嫌じゃない場所

「私たちは入らないから」


 校門を出て五分ほどしたところで、ミオが突然言った。


「どこに?」


 タクミが振り返る。


「カフェ」

「なんでだよ」

「四人で入ったら、条件が変わりすぎるでしょ」

「もうオレたちが一緒に歩いてる時点で変わってるじゃねえか」

「だから、これ以上増やさないの」

「何を?」

「余計なもの」

「オレを余計なもの扱いした?」

「した」

「即答!?」


 アカリが笑った。


「じゃあ、タクミだけ入らなければいいんじゃない?」

「お前まで!?」

「だってわたし、カフェ行きたいし」

「オレだけ追放されるのおかしいだろ!」

「じゃあミオと二人でデートしてろよ」リョウタが言う。

「おまえそれ絶対仕返しだろ!」

「告白された仲だからな」

「してねえよ!」

「何の話?」


 ミオが眉を寄せる。


「知らなくていい」

「そう」


 興味を失うのが早い。

タクミが何か言い返そうとして、やめた。


「……まあいい」

「いいんだ」

「外から見る」


 急に声が真面目になる。ミオが横目で見る。


「それなら私も」

「読むだけじゃなかったのか?」

「見るのも読むうちでしょ」

「便利な定義だな」

「あなたに言われたくない」


                ~

 店は学校から十分ほど歩いたところにあった。

一階がカフェで、上はオフィスらしい。大きな窓から中が見える。リョウタは入口の前で立ち止まった。


 扉が開くたび、コーヒーと焼いた生地の甘い匂いが外へ流れ、カップの触れ合う乾いた音が聞こえた。あまりに平凡な放課後の匂いだった。


 外の冷気で強張っていた指先が、入口から漏れる暖気に触れる。

普通なら、それだけで入りたくなる場所だった。その「普通」が、今のリョウタにはいちばん信用できなかった。


「どうしたの?」


 アカリが覗き込む。


「……確認」

「何を?」

「嫌かどうか」

「お店ってそうやって選ぶものだっけ?」

「今はそうなんだよ」


 リョウタは建物を見た。

入口、歩道、窓、店内。胸の奥を探る。西日を見たときのような嫌悪感はない。


 駅前を思い浮かべたときのような息苦しさもない。商店街でも学校でも、道路でもない。


「……大丈夫」

「ほんと?」

「ああ」

「じゃあ入ろ」


 アカリが扉を開ける。リョウタはその背中を追った。


                ◇


 少し離れた歩道には、タクミとミオが立っている。

タクミが右手を上げた。通信機でも持っているような仕草で、


「対象二名、セーフハウスへの侵入を確認」と呟く。

「ただのカフェでしょ」

「コードネームだ」

「誰と通信してるの?」

「機関」

「そう」

「もうちょっと付き合えよ!」


 ミオは返事をせず、本を開いた。


「読むのかよ」

「待ち時間だから」

「お前、ほんとブレねえな」


 ミオはページをめくる。


「でも」

「何だよ」

「たぶん、今日は読めない」


 視線は文字ではなく、ガラスの向こうへ向いていた。


                ◇


「窓際でいい?」アカリが言った。

「なんで?」

「外見えるから」


 リョウタの足が一瞬止まる。


「……嫌?」

「いや」


 窓際は、嫌ではない。


「そこなら大丈夫」

「また判定入った」

「しょうがないだろ」

「はいはい」


 アカリが窓際の席に座った。

リョウタは向かいに鞄を置いて座った。


 そして、すぐ立った。


「どうしたの?」

「トイレ」

「早っ」

「学校出る前から行きたかったんだよ」

「行ってくればよかったじゃん」

「早くここまで来たかったんだよ」


 アカリが少し笑った。


「じゃあ行ってきなよ」

「……」

「なに?」


 リョウタはアカリを見た。

ここにいる。窓際の、店の中だ。道路ではないし、嫌な感じもしない。


 大丈夫だ。


「ここにいて」


 アカリが目を丸くした。


「え?」

「俺が戻るまで」

「……トイレについてこいって言われるよりはいいけど」

「言わねえよ!」

「最近のリョウタなら、ちょっとありそう」

「ない!」

「はいはい。ここにいます」


 アカリが両手を机の上に置いた。


「動きません」

「そこまでしなくていい」

「では私はこの席から一歩も動かず、リョウタ様のお帰りを――」

「やめろ恥ずかしい」

「早く行ってきなよ」

「……うん」


 リョウタは歩き出し、三歩目で振り返った。


 アカリが手を振る。


「いるよ」

「分かってる」

「早く」

「ああ」


 今度こそ、リョウタは店の奥へ消えた。


                ◇


 アカリは窓の外を見た。

向かいの歩道で、タクミが意味もなく電柱の陰に隠れている。


 身体の半分は普通に見えていた。


「何してんだろ」


 思わず笑う。

少し離れたところで、ミオは本を開いている。こちらは普通だった。


 いや、本を開いているだけで、視線は何度もこちらへ向いている。


 アカリは机に肘をつきかけ、やめた。

ガラスに近づくと、暖かい店内にも外の冷たさが少しだけ届く。


 向こうの二人へ手を振れば、どんな顔をするだろう。

先にリョウタが戻ってきて、それを見つけるかもしれない。


 そう考えるとおかしくて、口元を指で隠した。

三人そろって変だった理由を、帰りには聞き出せるといい。


「読んでないじゃん」


 アカリが小さく呟いた。

そのとき、ミオの視線が上へ動いた。


「……?」


 アカリもつられて顔を上げた。

最初は何も分からなかった。ビルと、空と、窓。


 そして、そのずっと上。


 何かが傾いている。


「え……」


 窓清掃用のゴンドラだった。

水平ではなく、片側が大きく下がっている。


 その下に、窓よりせり出した外壁の縁が見えた。

人影が一つ、ゴンドラの外へ身体を出している。


「うそ」


 アカリが立ち上がった。


                ◇


「タクミ」


 ミオの声が変わった。


「なんだ?」

「上」


 タクミが顔を上げる。


「……は?」


 壁際のコーンとロープの外で、歩道にいる人たちも気づき始めていた。

一人、二人、三人と足が止まり、スマートフォンを構える人までいる。


「おい」


 タクミの顔から表情が消えた。


「これ、前にあったか?」

「私に聞かないで」

「見覚えは?」

「ない」

「オレもない」


 ゴンドラがわずかに揺れる。


 誰かが悲鳴を上げた。


「やべえだろ」


 タクミがスマートフォンを取り出す。その瞬間、カフェの扉が開いた。


「……え?」


 アカリだった。


「おい!」


 タクミが声を上げたが、その声は道路の音に消えた。

アカリは外へ出ると上を見て、それから周囲を見回した。


「消防、呼びました!?」


 誰も答えない。


「誰かが呼んでるんじゃない?」


 近くの男が言った。


「たぶん」


 別の誰かが答える。


 アカリの顔が変わった。


「たぶんじゃ駄目でしょ」


 アカリがスマートフォンを出す。

タクミが走り出し、ミオも本を持ったまま後を追った。


「アカリ!」


                ◇


 トイレの鏡の前で、リョウタは手を洗っていた。

水を止めて顔を上げると、鏡に自分の顔が映っている。


「……」


 扉の向こうで、椅子を引く音が重なった。誰かの短い叫び声がした。


 何か、嫌な感じがした。

さっきまではなかったものが、胸の奥にある。


 小さいけれど、確かにある。


「……なんだよ」


 理由はない。いつもそうだった。理由が分かったときには、もう。


 リョウタは手を拭かずに扉を開け、廊下を走った。


「すみません!」


 店員を避けて客席を抜け、窓際へ。


「アカリ!」


 席が見えた。


 鞄も椅子も、そこにある。


 アカリだけが、いなかった。


 椅子は机から少し引かれたままだった。鞄の肩紐が座面から垂れている。


「…………」


 血の気が引いた。


 窓の向こうに人が集まっていて、


 全員が上を見ている。


 リョウタはゆっくりと、


 その視線を追った。


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