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第5話 減っていくもの

 三回目の火曜日。


 タクミは教師の声を聞きながら、さっき書いたページを見下ろした。

前回、今回という呼び方では、次の火曜日にどれがどれだか分からなくなる。どうせそのときには、書いた文字も引いた線も全部消えている。


 タクミは隣のページに、数字で書き直した。


一回目 詳細不明。金曜。アカリ死亡?

二回目 駅前。アカリ死亡。


 そこまで書いて、ペンを止める。

死んだ人間が目の前で笑っているのに、自分だけがその死を書き戻している。


「……趣味悪すぎんだろ」


 小さく呟いた。


「何が?」


 アカリが振り返る。


「世界」

「急に大きいね」

「オレくらいになると敵も世界規模だからな」

「はいはい」


 アカリは前を向いた。


 タクミは三つ目の欄を作った。斜め前では、リョウタが窓の外を見ている。


「……嫌だな」


 まただ。アカリが振り返る。


「何が?」

「分かんない」

「今日それ何回目?」

「まだ二回目だろ」

「顔は十回くらい言ってる」


 リョウタが少し考える。

「……そんなに?」

「そんなに」

「じゃあ十二回目」


 アカリが笑った。

 タクミは笑えなかった。今日の分だけではない。前の世界の分もだ。

 リョウタは覚えていないのに、残っている。


 いつもの帰り道、駅前、夕方、西日。聞けば「嫌だ」と言うのに、理由は一つも言えない。

まるで答えだけを丸暗記して、問題文を全部忘れてしまったみたいだった。


                ~


 翌日の昼休み。


 タクミはリョウタの机へ椅子を持ってきた。机の上には食べ終えたパンの袋と紙パックがまだ残っていた。タクミはノートを置く場所を作ろうと、袋を端へ寄せた。


 かさりと鳴っただけでリョウタが顔を上げる。


 周囲では昨日のテレビや部活の話が続き、窓側の机から笑い声が弾けた。

話へ入りたい気もしたが、誰が何を言ったのか聞き取る前に、またノートへ目が戻ってしまう。


 リョウタの椅子だけが、こちらへ向けて引き直された。


「実験するぞ」

「嫌だ」

「まだ内容言ってねえだろ」

「お前が実験って言った時点で嫌だ」

「人類の未来がかかっている」

「俺を巻き込むな」


 アカリがパンを食べながら割り込む。


「何の実験?」

「リョウタに未来予知能力があるか」

「ない」


 リョウタが即答した。


「じゃあ問題。今日の帰り、いつもの道」

「嫌」

「駅前」

「嫌」

「商店街」


 少し間が空いた。


「……別に」


 タクミはノートに丸を書く。


「河川敷」

「寒そう」

「それは普通の感想だな。学校に残る」

「もっと嫌」

「それも普通だ」

「おい」


 アカリが吹き出す。


「占いみたい」

「遊びじゃない」

「十分遊んでるように見えるけど」


 タクミは続けた。


「バス」

「別に」

「電車」

「別に」

「タクシー」

「金もったいない」

「ヘリ」

「帰宅手段に入れるな」

「地下秘密通路」

「機関に聞け」

「よし、正常」

「何の確認だよ!」


 アカリが笑っている。リョウタも笑っていて、タクミも少しだけ笑った。


 笑いながら、商店街の横の丸を二重にした。


                ~


 金曜日、三人は商店街を歩いた。


 何も起きなかった。


 十六時五十三分、何もない。

 十七時、何もない。


 十七時十分、アカリがたい焼きを買った。


「半分いる?」

「いる」

「オレは?」

「タクミもいる?」

「いる」

「じゃあ三等分ね」

「たい焼きを三等分する奴初めて見た」

「平等でしょ」

「頭と尻尾と胴体で絶対揉めるだろ」


 揉めた。結局アカリが頭、リョウタが胴体、タクミが尻尾になった。


「オレ、あんこ少なくない?」

「運命」

「運命で済ますな!」


 薄い皮の欠片が、タクミの指に貼りついていた。店から漏れる油とあんこの匂い。

買い物を終えた人たちが、三人の横をすり抜けていく。


 尻尾をかじると、少しだけ残ったあんこがまだ熱かった。


 アカリは胴体の大きさまで比べ始め、リョウタが笑っている。

タクミも文句を重ねかけた。もう少しだけ、この話をしていたい。


 笑い声を聞きながら、空いた手がポケットのスマートフォンへ動いた。


 十七時二十二分。まだ何もない。


 タクミはスマートフォンを見て、今日は行けると思った。

 たぶんリョウタも同じだった。さっきから表情が明るい。

 アカリなんて最初から何も知らない。


「ねえ、見て」


 アカリが商店街の外を指差した。

横断歩道の向こうで、老婦人が、落とした買い物袋から転がったミカンを追っている。一個だけが道路へ転がっていく。


「あ」


 アカリが足を止めた。

リョウタの顔から、笑顔が消えた。


「行くな」

「え?」

「……いや」


 リョウタ自身が戸惑っている。


「でも」


 老婦人は困っている。ミカンは車道の端で止まった。


「ちょっと拾ってくるだけだよ」

「俺が行く」

「なんで?」

「分かんないけど」


 リョウタはアカリより先に横断歩道へ向かった。

その背中を見て、タクミの胸に嫌なものが落ちた。


 前回とも、前々回とも違う。それなのに。


 また、リョウタが先に動いた。


                ○


「――では、続きを」


 四回目の火曜日。


 タクミはもう一度、最初から書いた。

一回目、二回目、三回目、そして四回目。


 前の周に存在していたノートは、もうない。残っているのは自分だけだ。


 五回目もまた書いた。

 六回目も、また。

 七回目には、前半の文章を省いた。

 八回目には、場所と時刻だけになった。


道×時間×待機×早帰り×


 短くなるほど、その文字の向こうにあるものだけが増えていった。


                ○


「なあ」


 九回目の火曜日、階段の踊り場で、リョウタが壁にもたれていた。


「俺、最近おかしくない?」


 タクミは一瞬、答えを失った。


「元からだろ」

「お前に言われたくない」

「じゃあ正常」

「そういう意味じゃねえよ」


 リョウタは自分の両手を見る。


「行きたくない場所が増えてる」


 タクミは黙った。


「いつもの道、嫌だろ」

「ああ」

「駅前も」

「ああ」

「商店街も」

「……ああ」

「学校に残るのも、早く帰るのも嫌だ」

「うん」

「なんでだ?」


 いつもなら、リョウタは知らないと答えるはずだった。


 でも今日は違った。


「夢」

「夢?」

「たぶん」


 リョウタが眉を寄せる。


「変な夢を見てる気がする」

「覚えてるのか?」

「全然」

「じゃあなんで夢だって」

「朝起きたときみたいな感じ」

「どんな?」

「内容は忘れてるのに」


 リョウタは胸に手を置いた。


「怖かったことだけ分かる」


 タクミは何も言えなかった。


 リョウタが笑う。


「バカみたいだろ」

「……いや」

「タクミ?」

「バカはオレの専門だ」

「張り合うところそこ?」

「おまえまでそれ取ったらオレに何が残る」

「中二病」

「まだあったわ」


 二人で笑った。

でも、リョウタの笑顔はすぐに消えた。


「なあ、タクミ」

「ん?」

「俺、何か忘れてる?」


 心臓を掴まれた気がした。

タクミはリョウタを見る。


 言える。全部。金曜日のことも、アカリのことも、それが何度も起きたことも。

でも、言ったらどうなる。リョウタは今でも、理由の分からない恐怖に押されている。


 そこへ、お前は何度もアカリを死なせている、という記憶を、自分が代わりに渡していいのか。


「……忘れてるよ」


 リョウタの目が動いた。


「何を?」

「数学の課題」

「殺すぞ」

「あと英単語」

「真面目に聞いてんだよ!」

「オレも真面目だ。今日提出だぞ」

「マジ!?」


 リョウタがスマートフォンを出す。


「うわ、マジじゃん!」

「だろ」

「先に言えよ!」


 走って教室へ戻っていく。

タクミはその背中を見送った。


 笑えなかった。


「言えるかよ……」


 小さく呟く。

                ○


 十回目、十一回目、十二回目と、火曜日になるたびにタクミはまっさらなページへ書き戻した。


 数えなくなったわけではない。書かなくても分かるようになっただけだ。十回を越えた頃には、数行の記号で頭の中から全部を呼び戻せるようになっていた。


 同じ文字を書く指の動きだけは速くなった。

けれど、ペンを持つたびに、指の方が先に疲れを思い出した。紙は毎回新品なのに、書く側だけが少しずつ擦り減っていく。


 リョウタも変わっていった。

金曜の下駄箱で、片足だけ靴を履いたまま動かなくなった。アカリが先に出ると、慌ててもう片方へ足を入れる。


 タクミが帰り道を聞いても、靴のかかとを踏んだまま首を振るだけだった。


「こっちは?」

「嫌」

「じゃあ向こう」

「なんか嫌」

「ここで待つ?」

「それも嫌だ」


 嫌。嫌。嫌。最初は二つだった。

それが三つになり、五つになり、七つになった。


 リョウタの中で、世界から道が消えていく。


 でも、不思議なことが一つあった。


「アカリと帰らないのは?」


 タクミがそう聞いたときだけは、リョウタは一度も迷わなかった。


「それは嫌だ」


 ただ即答した。


                ○


「それ、何?」


 十何回目かの火曜日、斜め後ろから覗き込まれて、タクミはノートを閉じた。


 ミオだった。


「国家機密」

「そう」


 いつもならそれで終わるはずだった。ミオは身を引かなかった。


「あなた、それ……前にも書いてなかった?」


 タクミの指が止まる。


「いつ?」

「いつって……」


 ミオも止まって、眉を寄せた。


「……あれ?」


 タクミは何も言わない。


「今日、よね」

「何が」

「あなたが、それを書いてるのを見たの」


 ミオはノートを見る。


「でも……」


 言葉が続かない。今日、このノートへ書き始めたのはついさっきだ。

タクミは知っている。前の周でも、その前の周でも、同じように書いた。


 そして全部、消えた。


「デジャヴかな」


 ミオが笑う。

タクミは笑えなかった。


「……かもな」


 初めて、自分以外の誰かが、消えた未来へ指をかけた。

ミオは椅子に座り直し、机の上のいつもの本を開いて、一ページ読む。


 そして、すぐに顔を上げた。


 タクミと目が合う。


「……何?」


「いや」


「見ないで」


「先に見たのはミオだろ」


 ミオは本へ戻った。

でも、ページはめくられなかった。


 タクミはノートを開いて、新しい欄を作った。

今までとは違う。道でも時間でも、アカリの死因でもない。


 そこへ一つだけ、ミオ、と書いた。


 丸もバツも、まだつけなかった。


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