第11話 前提
収束。
一度その名前を知ってしまうと、リョウタには今までの全部がそれに見えた。
道を変えた。
時間を変えた。
学校に残った。
外へ出ても、
店に入っても、
離れても、
一緒にいても。
何をしても。
最後には。
「違うわよ」
ミオの声で、リョウタは顔を上げた。
「何が?」
「今、全部説明できたって顔してた」
「顔でそこまで分かる?」
「分かる」
「怖っ」
「怖いのはあなたの方」
放課後の図書室で、四人掛けの机にリョウタ、タクミ、ミオの三人が座っていた。アカリはいない。友人と買い物へ行ったのだ。
リョウタは最初、それすら止めようとした。
でも今日は火曜日で、金曜日ではない。そう自分に言い聞かせて、何とか送り出した。
窓の外では、部活へ向かう生徒たちの声が遠く響いていた。
リョウタはそのたび顔を上げそうになり、やめる。ここにはいないアカリの位置を、音だけで探そうとする自分に気づくたび、胸の奥が狭くなった。
「ミオ」
「何よ?」
「収束なんだろ」
「そういう仮説がある、と言ったの」
「同じだろ」
「全然違うわ」
ミオは即答した。
「名前をつけたら証明になるわけじゃないの」
「でも今までの結果は」
「結果は結果」
「何十回やっても同じだぞ」
「タクミ」
ミオが横を見る。
「なんだ?」
「何か言って」
「オレ?」
「あなたも納得してないでしょ」
タクミはノートを開いていた。
今日も火曜へ戻ってから、すべてを書き直している。もう細かい死因はほとんど書いていない。
道×時間×屋内×別行動×同行×?
その一番下に、小さく書いてある。
収束?
「気に入らねえ」
タクミが言った。
「何が?」
リョウタが聞く。
「その言葉だ」
「なんでだよ」
「便利すぎる」
「便利?」
「何やっても失敗しました。はい収束です、で全部終わるだろ」
「実際そうなってる」
「だからって、それが原因だって証明にはならねえんだろ」
「じゃあ何なんだよ!」
声が大きくなった。
図書委員がこちらを見る。三人とも少し声を落とした。
「……悪い」
リョウタが言う。
「別に」
ミオが答える。
タクミはノートを閉じた。
「リョウタ」
「なんだよ」
「お前、もう事故探してねえだろ」
「……」
「前は違った」
タクミが続ける。
「西日が嫌だ。じゃあ道を変える。駅が嫌だ。じゃあ別の場所へ行く」
「うん」
「一個ずつだった」
「だから?」
「今のお前」
タクミはリョウタを見る。
「金曜日そのものを嫌がってる」
リョウタは何も言わなかった。否定できなかった。
「だったら」
しばらくして、リョウタが言った。
「事故を避けるの、やめる」
タクミの眉が上がる。
「は?」
「事故が原因じゃないなら」
「待て」
「死ぬ方が決まってるなら」
「リョウタ」
ミオの声が強くなる。
「仮説」
「分かってるよ」
「分かってない顔してる」
「分かってる!」
また声が大きくなる。
リョウタは目を閉じた。
「……悪い」
「何をする気?」
ミオが聞く。
リョウタは少し考えた。
「全部避ける」
「全部?」
「道路も。窓も。高いところも。知らない人も」
タクミが顔をしかめる。
「人まで?」
「アカリが助けに行くから」
「それ」
ミオが言った。
「アカリに人助けするなって言うの?」
「俺が代わりに行く」
二人が黙った。
「困ってる奴がいたら俺が行く」
「おまえが危ねえだろ」
「俺は死んでも戻らないだろ」
「そういう問題じゃねえ!」
タクミが机を叩きそうになって、直前で止めた。
「……おまえさ」
「なんだよ」
「自分ならいいと思ってんの?」
「いいとは言ってない」
「同じだろ」
「じゃあどうしろってんだよ!」
今度は、誰も答えなかった。
「俺は覚えてない」
小さな声だった。
「……」
「何回アカリが死んだかも」
「うん」
「どんな顔だったかも」
「……うん」
「でも」
胸を押さえる。
「ここだけ全部覚えてるみたいなんだよ」
ミオが目を伏せた。
「もう」
リョウタが言う。
「一個ずつ試すの、無理だ」
口にした途端、肩から力が抜けた。
諦めたかったわけではない。むしろ逆だった。
全部を自分で塞ごうとすればするほど、世界中が危険な場所に変わっていく。
そのことを、ようやく認めただけだった。
~
翌日の昼休み。
「アカリ」
「なに?」
「金曜日」
「うん」
「俺と一緒にいて」
アカリが箸を止めた。
「……急だね」
「朝から」
「朝から?」
「学校でも」
「同じクラスじゃん」
「放課後も」
「それはまあ」
「帰るまで」
「リョウタ」
「なんだよ」
「デートのお誘いなら、もうちょっと言い方あると思う」
「違う!」
「違うんだ」
「いや、違うっていうか」
「どっち?」
「今そういう話じゃねえ!」
アカリが笑った。
「じゃあ、何の話?」
リョウタは言葉を失った。アカリは、いつもの顔で笑っている。
この子に金曜日に死ぬから、なんて言えるわけがなかった。
「頼む」
笑顔が消えた。
「……どうしたの?」
「金曜だけでいい」
「何かあるの?」
「たぶん」
「たぶん?」
「危ない」
「何が?」
「分かんない」
アカリがじっと見る。
「またそれ?」
「ああ」
「わたしが?」
「……うん」
「何かした?」
「してない」
即答した。そこだけは、絶対に間違えたくなかった。
「アカリは何も悪くない」
「じゃあ、なんで?」
「俺の問題」
「リョウタの問題なのに、わたしが一日ずっと一緒にいるの?」
「そう」
「変じゃない?」
「変だよ」
「自覚あるんだ」
「ある」
リョウタは机の下で、靴を少し引いた。椅子を寄せた分だけ、アカリの弁当箱が近い。
食べかけのところで話を止めてしまった。
短く頼めば、短く返事をもらえると思っていたのかもしれない。
何か聞かれるたびに、言えることだけが減っていく。
彼女の顔を見ていたいのに、見られている方は苦しかった。
アカリは箸を置いた。
「具体的には?」
「え?」
「金曜日、何したらいいの?」
「……俺から離れない」
「うん」
「危ないと思ったら、俺が先に行く」
「うん?」
「困ってる人がいても……」
言葉が詰まる。
「アカリは行かないで」
アカリの顔が少し曇った。
「それは」
「俺が行く」
「でも」
「頼む」
「……」
「一日だけ」
アカリはしばらく黙っていた。
「リョウタ」
「なんだよ」
「怖いの?」
「……」
答えられない。
「そっか」
アカリは小さく笑った。
「じゃあ、いいよ」
「え?」
「金曜日」
「いいの?」
「リョウタの言う通りにする」
「アカリ」
「ただし」
指を一本立てる。
「無茶は禁止」
「俺が?」
「リョウタが」
「なんで俺」
「今の話聞いて、一番無茶しそうなのリョウタだから」
「……」
「あと」
二本目の指が立った。
「誰か困ってたら、本当にリョウタが行くこと」
「ああ」
「見捨てるのは嫌だから」
「分かった」
「それならいいよ」
リョウタは息を吐いた。弁当を囲む周囲の声が、急に近くなる。
アカリは置いていた箸を手にして、また食べ始めた。もう一口くらい、自分も食べられそうだった。
嬉しかった。一緒にいてくれる。それだけでこんなに楽になるとは思わなかった。
けれど、アカリが金曜にしたかったことを、自分はまだ聞いていない。
リョウタは礼を言って箸を取った。
口へ運んだご飯は冷めていた。
~
木曜日の二時間目、窓の外に雪が降り始めた。
「降ってきた!」
アカリが笑う。同じ雪だった。タクミは窓を見てからノートへ書いた。
木・2限 雪
もう確認のためだけの記録だった。
変わらないものと、変わるもの。その境目を、いつか見つけるために。
「タクミ」
「なんだ?」
ミオだった。
斜め後ろから、ノートを覗き込んでいる。
「まだ疑問符つけてるの?」
「何が」
「収束」
「ああ」
「リョウタはもう信じてる」
「知ってる」
「止めないの?」
「止めて止まる顔に見えるか?」
ミオはリョウタを見た。
振り返ったアカリと、何か話している。
「見えないわね」
「だろ」
「あなたは?」
「オレ?」
「信じてない?」
タクミは窓の外を見た。
降っているのは、何度も見た雪だった。
「信じたくねえ」
「それ、答えになってない」
「いいんだよ」
「なんで?」
「信じたら」
タクミが笑う。
「余白探す理由なくなるだろ」
~
金曜日の朝。
「おはよ」
校門の前で、アカリが手を上げた。
「遅い」
リョウタが言う。
「まだ予鈴まで十五分あるよ?」
「今日は早く来てって言っただろ」
「五分だけじゃん」
「五分が――」
言いかけて、止まった。
五分。数秒。今までは、それだけで何かが変わった。
「……ごめん」
「なに?」
「なんでもない」
「また?」
「今日は許して」
アカリが笑う。
「しょうがないなあ」
一緒に校舎へ入る。
廊下でも階段でも教室でも、リョウタは全部を見ていた。
人が走っていないか、
床が濡れていないか、
窓が開いていないか、
何か落ちそうなものがないか。
「リョウタ」
「なんだよ」
「わたし、要人警護されてる?」
「今日はそう思って」
「SP?」
「そう」
「じゃあサングラスしてよ」
「持ってねえよ」
「片耳押さえながら『対象、教室へ移動』って」
「それタクミの担当だろ」
後ろから声がした。
「対象二名、予定地点への進入を確認」
「いた!」
「なんだ?」
「なんで本当にやるの!?」
「呼ばれた気がした」
「呼んでない!」
アカリが笑う。
リョウタも少しだけ笑った。
~
放課後、四人は図書室にいた。
窓から離れていて、出入口も見える中央の机だ。
タクミは扉の近く、
ミオは向かい、
アカリはリョウタの隣に座った。
閉館前の図書室は、昼休みよりさらに静かだった。
暖房の低い送風音と、司書が本を揃える小さな音。
窓の外が青灰色へ変わるにつれ、机の上の白い紙だけが照明に浮いた。
「何時までいるの?」
「……」
「リョウタ?」
「ちょっと」
「ちょっとって?」
「金曜が終わるまで」
「え?」
「冗談」
「顔が冗談じゃないよ」
リョウタは時計を見た。
16時53分、何もない。
16時54分、何もない。
17時になっても、何もない。
「……」
息が少し楽になる。
17時10分、図書室を利用していた生徒が一人帰った。
17時20分、司書が本を棚へ戻している。
17時22分、アカリが小さく言った。
「ねえ」
「なんだよ」
「わたし」
「……」
「何から逃げてるの?」
リョウタは答えられない。
「道路?」
「違う」
「事故?」
「分かんない」
「人?」
「違う」
「じゃあ」
アカリが困ったように笑う。
「分かんないものから逃げるって」
時計を見る。17時23分。
「どこまで逃げればいいの?」
「……」
リョウタはアカリの手を握った。
驚いた顔をされたが、離さなかった。
「分かんない」
「うん」
「だから」
握る手に力が入る。
「今日はここにいて」
アカリは手を見て、それからリョウタを見た。
「分かった」
アカリは拒まなかった。
「でもね」
「なんだよ」
「明日になったら」
アカリが笑う。
「ちゃんと教えてよ」
「……うん」
「約束」
「ああ」
リョウタは頷いた。
明日、という言葉を聞くだけで胸が痛んだ。
でも、
今度こそ明日へ行く。
そう思った。




