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現実感

ウェイトに付いて地上と地下を行き来する日々は新鮮味もあって楽しかった。祭りが近いせいか、地上はどこか皆明るく青果店ではフルーツを割り引いてくれたり、大道芸人が祭りに向けて小さなショーを開いたりしていた。一人の大道芸人の前で止まる。彼は首輪をつけており、そばには主人なのか帽子を裏返しておひねりを求めるように座っている。大道芸の内容は鋭く研がれているナイフをお手玉のように投げまわすもので、その手は傷やかさぶたが多くあり、彼がつい最近まではまともにナイフを扱えなかったであろうことを意味していた。ピエロのような恰好とは合わないぐらいの真剣な表情で、手元に集中していた。そこに通りがかった男が声を上げた。

「ピエロなんだから、こっちを見て笑えよ。」

主人が彼の方を向くと、彼は必死に笑顔を作った。ぎこちない笑顔で目線はナイフに集中している。

「だからこっちを見てもっと面白おかしく笑えよ。」

彼は手を止めて男に向かって笑いかけた。しかし、手を止めたことで男の機嫌を損ねたのか、怒鳴り声をあげられてしまう。

「何手を止めて笑ってんだよ!奴隷なんだから手にナイフを刺しながら笑ってろよ!」

その言葉を聞いて、主人がそばにあった鞭を持つ。彼は一瞬だけ表情をひきつらせた後、作り笑顔を張り付けた。鞭が腰に飛ぶ。倒れ込んだピエロは、それでも卑屈な笑いを続ける。次第に人が集まって来る。鞭打ちショーは、観衆を熱狂させた。さっきまでほとんど誰も見向きもしなかった曲芸は忘れ去られ、怒声を上げた男は結局のところ奴隷をいたぶりたかっただけで去って行ってしまった。俺は思わず手を伸ばしていた。それをウェイトが掴む。

「もう行くぞ。」

それだけ言って、俺を引っ張っていった。力の強いウェイトにはかなわない。俺の目は、哀れなピエロに釘付けのまま、暫く彼が見えなくなっても、目を離せずにいた。

思っていた以上にショックは大きかった。マウスバロウに来て、地上を歩き回って元奴隷という身分はそこに住む人とほとんど変わりのない扱いを受けた。しかし、奴隷の場合は違う。人前で蔑まれ、いたぶられる様はウェイストホールの時と変わらない。首の皮一枚で世界はつながっていて、奴隷から奇跡的に逃げられた俺は地上は平和なものだと勘違いしていた。しかし実際には、奴隷市があるのは地上だし、奴隷という身分を作った教会もそこにあった。そんなところが、真に平和なわけがない。マウスバロウとの関係も、きっと不安定の上に成り立っているのだろう。いつ我々が再び蔑まれ、脅かされるかはわかったものではない。ヒヤリと冷たいものを腹の内に感じた。そんな様子を察してか、ウェイトに公園に連れ出され近くを流れる川のそばまで連れられさっき買ったリンゴを一つ手渡された。かぶりついたリンゴは、じゅわりと酸味があり、香りが鼻を抜けた。ウェイトも一つかぶりつき、良い音をさせながら川の方を眺めた。

「ごみ回収所に捨てられたとき、川の音が聞こえてきたんだ。」

ウェイトは静かに語り出す。

「今思うと、それは地下の下水の音で。」

ウェイトはリンゴの芯を川に向かって投げ捨てた。

「それで生を実感していた。あれでもまだ、扱いはいい方なんだ。」

俺は食べ終わったリンゴの芯を地面に埋めた。

「祭りでは、奴隷市は何かしたりするのか?」

「普段通りに奴隷を売りさばく。ただ、いつもよりも皆景気がいいからな、買っていく人が増える傾向にあるみたいだ。」

「ショーをやったりはしないんだな。」

「そんなの・・・定期的に鞭は飛んでくるからな。さっきみたいのはここらじゃ稀だ。確かに奴隷の大道芸人はたまに見るが、あんな扱い稀な話だ。」

「普段からってわけじゃないのか・・・。」

そこに安堵を覚えていいのかはわからなかった。でも、観衆が集まって来るのを見て、ここの人たちが奴隷を人ではないものとして扱うことに抵抗がないのがよくわかった。それどころか喜んで見に来ていたものだから、彼らに取って奴隷とは娯楽を提供するものであるということは確かなのだろう。俺は心に何処か薄暗い気持ちを抱えたままだった。ウェイトの慰めのような気持ちも受け取れず、ただ静かに川を眺めていた。川の流れは純粋で、邪なものはない。透き通った水が何ものにも染められずにただ、流れに沿って流れていくだけ。人はそれほど純粋じゃないし、簡単に染まる。道を簡単に外れては不純物を持ち込んでくる。川のようにはいかない。それでも、上手くやっていくしかないのだ。

「帰ろう。」

ウェイトのその言葉で地下に帰った。エレノアが迎え入れると俺の機微に気づいたらしい。

「地上は馴れないでしょう。」

「・・・そうかもしれない。」

「私たちはあくまで地下の人だから。マウスバロウは、地上に馴染めない人の集まり。」

「元奴隷だから?」

「主義の違い。奴隷を許容する者とそうじゃない者の違い。」

「俺はもっと、自分のことを人らしいんだと思っていた。でも、そうではないのかもしれない。俺は、あそこまで醜悪にはなれない。」

「人間の本質って、立場で変わるものよ。あなたはたまたま元奴隷の反奴隷主義で正義感があって、でも、地上の民だったら普通市民の奴隷推奨主義で臆病者だったかもしれない。」

「正義感があるわけじゃない。当たり前の不快感だ。」

「今の立場だからこそ感じているだけよ。あなたは他の人が他の立ち位置でいることを忘れてはいけないわ。否定は苦しいものでしょ。その人たちにだって正しさがあって、それに従っているだけ。許容はするべきよ。スタンスを崩せというわけではないの。ただ、そうしないと苦しくなるのは自分よ。」

「エレノアは今の地上を許容できるのか?」

「ええ。だって、マウスバロウと地上はルールが違うもの。」

俺はそれ以上の言葉を飲み込んだ。エレノアの言うことはきっと正しい。ここで生きていく上では。

「それでいいのよ。ここはマウスバロウ。地下の楽園都市に必要なのは今を受け入れられるだけの精神なのだから。ブラウンラットとして地上に出る上では、見て見ぬ振りも必要なのだから。」

そうだ。俺はウェイストホールで死んでいった奴隷仲間だって見殺しに出来た。やることは大差ない。今の安寧を死守していればいい。特別な力も、立場もない以上それは俺のできる精いっぱいなのだから。

「いいリンゴを買ってきてくれたね。」

そこにリザルがやってきて、リンゴの箱を覗き込んだ。

「ウェイトが選んだんだ。まだまだ真似できそうにないよ。」

「焦らなくていいんだ。荷運びも立派な仕事だからね。仕入れの方はユースもいるしね。ヴァンはやれそうなことをゆっくりとやってくれたらいいよ。」

ここの人たちは優しい。その人たちが傷つかない場所にいるだけでも、きっと運がいいんだ。そう思うと、あのピエロの引きつった顔が薄らいだ。

「リンゴは何にするんだ?」

「すりおろして、シードルと合わせようかな。ジンジャエールを入れてカクテルにして・・・今日のおすすめはこれで行こうか。」

リンゴの酒の味は気になったが、ウェイトに呼ばれて今日の酒の運搬を手伝うことにした。ワインを運んでいるとユースが手に瓶を抱えて寄ってきた。

「ヴァンさん、夕飯一緒に食べませんか?」

「構わないが、教会に行くのか?」

「うーん。せっかくならもっと美味いもの食べましょう。商店街で買って来るんで、バーのソファ席で食べましょう。」

「ここって、食べ物の持ち込みいいのか?」

「本当はだめですけど、職員特権ってことで。」

「それは?」

「ウイスキーっす。シングルモルトってやつです。もらったんで飲みましょうね。」

「初めて飲むよ。楽しみにしてる。」


夜。バーのカウンター席が客で埋まり、ソファ席には既にユースが食事を広げていた。見たことはないが、知っている。焼き鳥。串に様々な野菜と鶏肉が刺さっており、ほんのりと炭の匂いが漂ってきた。席に着くと、ユースが瓶を開けてウイスキーを注いでくれた。

「ピート臭がいいでしょう。スモーキーで美味しいはず!」

「ピートって?」

「えっとぉ、燻した匂い?泥炭とかを燃やした匂いがするんです。臭いぐらいが美味いと思ってるんですけどどうでしょう?」

「確かにいい匂いかも。」

「おっ。いいですね。ウイスキー、口に合うかも。ささ、どうぞ。」

一口飲むと、確かにスモーキーだ。薬っぽい?

「薬っぽい味がする。といっても、薬なんて飲んだことないけど。」

「この酒の特徴の一つですね。薬酒とかヴァンさんには合うかも。苦味が合うなら、ビールとかも好きそうですね。」

「呼び捨てで構わない。ビールは美味かったよ。」

「じゃあ、ヴァンはアースクエイクも好きかもしれないっすね。癖が強いから僕は苦手なんすけどね。」

「これって焼き鳥?どうやって食えばいい?」

「そのままかぶりついてでも、フォークで外して食べるのでも。ここの炭、良いのを使ってるから美味いですよ。」

串から肉をフォークで外して食べる。鶏肉は淡白で食べやすい。タラといい勝負だ。

「ウェイストホールって、規律厳しいんですか?」

「どうなんだろうな。少なくとも、管理者の視線から外に出るような真似はしてはいけなかったな。」

「僕、デッサン人形だったんですよ。」

「デッサンって絵のか?」

「はい。デッサン人形している間は一歩も動けないんですけど、それ以外はゆるゆるでした。服と食事がない以外は。だから、規律があるようなとこって辛そうだなって。」

「馴れてたし、当たり前だったから辛いとかはなかったな。」

「でも、穴を掘り続けるんでしょ?」

「放射性廃棄物と危険物だけは辛かった。薬も無いしな。目も手もそれで痛めたから。まあ、手に関しては問題なく使えているが。食事は毎日もらえなかったのか?」

「はい。死なないぎりぎりを見極められて与えられていました。なんでも、骨ばった人間の肉体美を描きたかったそうで。」

「はー。描いた絵は売るのか?」

「マニアが買い取ってましたよ。結構な値段がついていて、家自体は豪奢で、娯楽に本がいっぱいあって、その当時は暇さえあればずっと本を読んでいて。今の不満は本が読めないことぐらいなものです。」

「ここにはどうして?」

「たまたまなんです。主人に外に連れ出されて、時々散歩に連れて行ってくれてて。たまたま、大きな川に落ちて、そのまま下水に流れ着いて、必死に上に上がったらマウスバロウの入り口が近くて。リザルが助けてくれてそのままここの人間になったんです。」

「主人の元に帰りたいとか思うか?」

「うーん。どうなんでしょう。ヴァンは戻りたいですか?」

「戻りたくはないかな。今戻れば間違いなく、鞭打ち処分に食肉コースだ。」

「うん、僕もいいかな。不満は、食べれないことぐらいだったけど、今は飢えた生活なんて考えられないし。」

食事を存分に堪能して片付けが終わるとユースを見送った。ソファで横になり、まどろみ始めているとエレノアが酒を手に持ってそばに座る。俺は起き上がりエレノアの横顔を眺めた。

「アップルジンジャーカクテル。飲んでみる?」

エレノアから酒を受け取り、飲む。リンゴのさわやかさとショウガのほのかな辛さが、のどを潤した。

「これもうまいよ。」

「そうよね。でも、あんまり評判は良くなかったのよね。皆ショウガが辛いって。」

「酸味のあるものがとにかく人気なんだな。」

「そうね。レモンとかの方が人気でるかしら?」

「レモンってやっぱり酸っぱいのか?」

「そうだよ。ものによっては苦みもあるよ。」

「苦味か。美味そうだな。」

「レモンだけだと酸っぱすぎるから、付け合わせはあった方がいいよ。」

「例えば?」

「食事なら、肉にかけるとか。酒なら砂糖があってもいいかも。」

「甘くするのか?」

「酸味が中和されるよ。飲みやすくなる。そう言えば、初めてレモン食べた時、はちみつ漬けにしてあって美味しかったな。」

「ふあーあ。眠い。レモンはまた今度で。」

「うん。そのうち持ってきてあげる。」

今度こそ、ソファに横になり眠りについた。エレノアはしばらく眺めた後、静かに去って行った。

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