新しい日
リザルに言われてカウンターを磨いていると、昼のバーに彼女は来た。スタティスと呼ばれた女性はつい最近までウェイストホールにいたとは思えないほど小奇麗な身なりをしており、まだボロ布をまとっている俺とは対照的だった。
「彼の最後を見たの?」
彼女の口を真っ先について出た言葉はそんな言葉だった。
「管理者に担がれていた。逃げ出せたとは思えないけど、彼が暴れてくれたおかげで俺は生き延びれられた。」
「それは・・・運が良かったわね。」
その言葉には含みがあった。何ともとげとげとした雰囲気があった。
「どうして、あの夜にあんな真似を?」
「準備は完璧だった。彼、あなたを巻き込んだんじゃないかと気にしてたから・・・。」
「実際テーザーガンを撃たれて、縛り上げられたよ。」
その言葉に彼女は、
「あら、そう。」
とだけ返した。腹は立たなかったが、彼女が俺に興味がないことだけはよくわかった。
「マウスバロウのことを誰かから聞いてたのか?」
「あなたは?」
「・・・捕まった後に、ドア越しに教えてくれた者がいた。」
「二人だけが、柵越しに声を聞いたの。マウスバロウは楽園だって。」
「それで?」
「柵を超える必要があった。扉をどうにかする必要も。あなたが近づいてこなければ、あのまま寝ていてくれたら・・・。」
彼女はどこか遠くを見た。俺は返す言葉もなかった。
「ここでの暮らしはどうだい?」
「そうね・・・彼はいないけど、面倒を見てくれる人が表れたから、幾分か楽よ。工房の管理者をやっている人なの。」
「そうか。」
「地上は見てきたの?」
「昨日。」
「どうだった?」
「俺らが普通に紛れ込めることに驚いたよ。奴隷市も遠くに見た。」
「そう、あなたも問題なさそうね。まぁ、悪かったわよ。巻き込んで。」
「結果的には感謝してるよ。あのままあそこにいれば、いつ死ぬかわからなかったし。」
「そうね。」
彼女はそっけなく答えて、ブラウンラットを出ていった。箒を持ったエレノアが俺の隣に立った。
「冷たい人ね。」
「君が助けたんじゃないの?」
「リザルが見つけたのよ。でも、工房の管理者に取られちゃった。」
「きれいな人だった。」
「そうね。きれいなバラには棘があるってやつかしら?」
バーの仕事を点々と手伝いながら、紙を読み込んだ。蒸留酒の違いはなんとなく覚えてきた。ウェイトに呼ばれ下水道の方に出ると、十代後半くらいの少年が明るく挨拶をしてきた。
「ヴァンさんですよね!ユースです!ウェイトのお手伝いをしています。ウェイストホールから、来たんですよね。すごいな。あそこって、囲われていて簡単には出入りできないんでしょう?管理者ですら、出入りを簡単には許されていないって・・・。」
「挨拶は済んだろ。仕事をするぞ。」
ウェイトが制してユースが口を閉じる。
「後でまた聞かせてください!」
ユースが元気よく地上に出ていく。
「今日は何を?」
「ランニングでもしに行こう。自然公園があるんだ。体づくりには最適だぞ。」
地上に出ると、そこは緑で囲まれていた。こういう場所もあるのかと感心していると、ウェイトに肩を叩かれ走り出す。
「ユース君は何をしに行ったんだ?」
「米の買い付けを。貯蔵量では足りなくなって。教会に持ってってやる代わりにいくらか手数料がもらえる。」
「そんなことまでするんだな。」
「持ちつ持たれつだからな。そもそも、教会がないと困ることが多いからな。」
なるほどと頷いた。自然の中を駆けまわるのは何とも気持ちが良かった。ウェイストホールで穴掘りをしていた時とは大違いだ。あそこではよく息が詰まったが、ここは開放的で肺の奥まで届くように深呼吸を繰り返した。ほとんど人がおらず、見かけるのは小鳥ぐらいだったのも居心地の良さを増させていた。おかげで、ボロボロの身なりでも気にせず走り回れた。
「どうしてバーで働いているんだ?」
「奴隷時代も酒場で働いていたからな。」
「どんなことを?」
「裏で酒の管理をしてた。バイヤーとして働くようになったのはこっちに来てからだ。」
「交渉するのって怖くなかったか?相手は元奴隷だってわかってるわけだろう?」
「最初はそうだな。ロクバは俺よりも経験が長いんだが、交渉がへたくそでな、良いようにされてるのを見て、俺はそうならないって思って。堂々としてたら案外対等に扱ってくれた。そういう意識は大事なのかもしれん。」
「堂々とか・・・。俺にもできるだろうか?」
「まずは下積みからだ。まだ交渉の事なんて考えている暇はないぞ。」
「それもそうか。今日は連れ出してくれてありがとう。」
「礼を言われるようなことはやっていない。ところで、ウェイストホールのお仲間とはどうだったんだ?」
「あまり良くは・・・仲良くやれそうにはないな。」
「まあ、お前にはエレノアがいるし、心配はいらない。」
「ウェイトさんも?」
「よせ、変な呼び方はするな。俺は、お前とは対等な立場になりたいと思っている。失望させてくれるなよ。」
「わかった。ウェイト。」
「そろそろ戻ろう。俺も仕事をせねば。」
二人でブラウンラットに戻るとエレノアがニコニコと近づいて来る。
「なあにウェイト?ヴァンの事気に入っちゃったの?」
「仲間になるのなら、責任を持ってやろうというだけだ。」
「ふーん。相変わらず素直じゃないんだから。ユースが入ってきたときも素っ気無いくせして一番に面倒を見ていたのよ。」
「あれは・・・ほかに相手ができる奴がいなかったからで・・・。リザルが忙しすぎるから。」
「はいはい。いいわけは十分。ほら、仕事行くんでしょ?」
「はぁ。行ってくるよ。」
「行ってらっしゃーい。」
午後はウェイトの買ってきた酒をひたすら裏に運ぶ作業をした。ブラウンラットでは、ワインが流行っているらしくしまっている最中にも飛ぶように売れた。ワインカクテルなんかもあるが、売れるのはそのままのワイン。食事と合わせて好まれやすく、リザルは新作の料理に悩んでいるようであった。カクテルはアースクエイクがよく好まれた。刺激が強いらしく、奴隷時代の低刺激な食事に、今では安定した生活をしてきた者にとってちょうどよい刺激らしい。ただ、アルコール度数が高いためにそのまま寝落ちてしまう人や、吐く人も多発するらしい。リザル曰く、初めて出したときはお祭り騒ぎだったらしい。作業を終えるころにはすっかり深夜だ。バーに唯一付いた時計からそれがわかる。ソファで紙を眺めていると、リザルが話しかけてくる。
「今日もそこで寝るかい?」
「迷惑かな?なんだか居心地が良くて。」
「構わないよ。寝坊さえしなければね。」
「リザルはどこで酒の作り方を覚えたんだ?」
「奴隷時代、酒場で裏方をしていた時に。細々とマスターの作っているところを盗み見て覚えた。」
「見て覚えられるものなのか?」
「そっちの方が優れていたらしくてね。案外簡単に真似できた。」
「ここにきて長いのか?」
「それなりにはね。エレノアと一緒に来たんだ。彼女はこ・・・いや、これはあの子から話すべきかな。」
「まあ、いろいろあるよな。」
「そうだね、いろいろあった。おやすみヴァン。」
軽く手を上げて答えて横になる。まどろみはすぐに来た。照明が消される中、眠りへとついた。
朝起きてすぐにエレノアにタオルを渡された。今日は制服が完成する日だからシャワーを浴びてくるように言われた。下水の匂いを嗅ぎながら、ちょろちょろと出る生ぬるい水で体を洗い流す。指先について固まった泥がきれいに流れ落ちる。白くなった指先を相当久しぶりに見た。垢とかフケとかが、きれいに落ちていくのが気持ちよかった。タオルでふき取っていると、ウェイトが出来た制服を持ってきてくれた。白いシャツにグレーのベスト、黒のスラックスに茶色の革靴、黒い眼帯に、茶色の手袋。サイズはピッタリでウェイトが髪を整えてくれた。ウェイトに地上に連れ出される。
「ここらで一番大きな仕入れ先に行く。」
連れてこられた場所は大きな工房で、たくさんの人が行きかっていた。
「ここで酒が造られているのか?」
「そうだ。ここらの酒場で卸されているビールはほとんどがここで作られている。特に禁酒法でビールしか作れない今となってはここ一強だな。」
「何を買うんだ?」
「酵母を。リザルがクラフトビールを作ってみたいらしい。」
「何故?ワインの方が売れているんだろう?」
「料理を増やすのは厳しそうだからな。ワイン瓶が売れていくのはいいが、店で飲んでもらわないと意味がないと。そこで、新たな酒を開拓していくらしい。」
「へぇ。」
「ついてきて荷物を運んでくれ。ここが終わったら、スパイスを仕入れに行く。」
工房の主に直接交渉して、酵母は手に入れた。主は穏やかな人で、ここ最近の禁酒法の厳しさを嘆くとともにリザルのクラフトビールが出来たらぜひ、飲ませてほしいと言った。瓶を詰めた保冷バックを持って、ウェイトについていくと今度は林の中に入っていった。
「こんなところに店があるのか?」
「店じゃないんだ。個人でハーブやスパイスを作ってる。さっきの工房の主人からの紹介でな。俺も初めて行く。」
まるで、魔女でも住んでいそうなたたずまいをした家の裏には、広大な畑が見えた。ウェイトが家の戸を叩くと、家主が出てきて、好きにもっていくように言った。家の裏に回り、畑の中に入っていくと、ウェイトが適当に葉を摘みだす。それを俺が受取り、持ってきた袋の中にしまうと、目的は達された。
「とっとと帰るか。リザルが楽しみに待っているしな。」
俺は頷いてウェイトの後を付いていく。
バー、ブラウンラットでは昼間だというのに既に数人の客が来ていた。カウンター席の半分が埋まり、リザルがワインやカクテルを提供する。裏に今日もらってきたものを持っていくとリザルが来た。
「客の相手はいいのか?」
「皆常連ばっかりだからね。提供は済んだし、少しでも早く作っておきたいからね。」
「手伝おうか?」
「農地に行って麦芽とホップをもらってきてもらえると助かるよ。」
農地に行くと柔らかな光が降り注いでいた。近くで畑仕事をしている人に話しかけるとホップを幾らか摘み取ってくれた。麦芽の場所を聞くと工房に行くように言われる。
工房では職人たちが集合して看板やのぼりを作っていた。何をしているのかと問うと、近々祭りが開かれることを教えてもらった。地上で作り足りない分をマウスバロウで作り足し、その日ばかりはマウスバロウの住民が地上に出入りできる日だと教えてもらった。今も普通に出入りできることを問うと、ブラウンラットと教会の仕入れが特別なだけだと教わった。商店街や工房のものは地下のもので済ませるか、下水に捨てられたもので賄っているらしい。ブラウンラットにある酒だけは地上を介さないと手に入らないようなものも多いため皆で相談して特別に仕入れをしているらしい。教会の方は、地上の教会と提携しているらしい。医療品が多く手に入るのも、ボスがその昔、教会に助けを求めたことが始まりらしい。教会がマウスバロウを作るように勧め、その関係は今も続いている。教会だけはユートピアにおいても特別な意味を持ち上流市民に意見することができるらしい。ではと、教会に言えば、奴隷制を廃止してくれるのではと口走った。工房は一瞬静まり返り、誰かが笑い飛ばしたことでいつもの空気が戻った。奴隷制は教会が作ったものらしい。倫理。その範囲内で許される制度として。
麦芽を受け取ってバーに戻るとエレノアがひょっこりと顔を出した。
「わぉ。決まってるね。よく似合ってるよヴァン。これなら傷に目がいくことも無いね。」
「ありがとうエレノア。ちなみに今まで何をしてたんだ?」
「工房でお祭り用に瓶のデザインを考えていたの。職人の手作りでキャップに人形を付けようと思って。そう言えば、ヴァンは地上のお祭りの事まだ知らないよね。」
「さっき、工房で聞いたよ。普通はその日にしか皆出入りしないんだな。」
「そうだよ。ブラウンラットは特別だからね。今年はクラフトビールを作って店の看板商品にしようって作戦をリザルとも立てたの。ビールなら、地上ともやり取りできるしね。買取だけだとお金がそこを尽きちゃうし、ワインだけ売れるのもつまらないでしょ。」
そこにリザルが顔を出す。
「もらってきてくれたかい?」
「ん。ああ。麦芽とホップだ。」
「ありがとうヴァン。楽しみにしていてくれ。お礼にタダで飲ませてやるからな!」
「じゃあその前に、普通のビールの味を知っておかないとだね。私が奢ってあげるよ。」
「いいのか?」
「お祭りも近いしね。当日になったら、飲み比べもしてほしいしね。制服も届いたことだし、新入り記念ってことで。」
「教会の粥の味にも慣れてきたところだけど、新しいものが食べられるのは嬉しいよ。いや、この場合は飲めるのはか。」
「フィッシュアンドチップスも奢ってあげる。ビールと合うよ。エレノア特製!評判良いんだから。」
夜。カウンターいっぱいに客が並び今日もワインが売れていた。エレノアがフィッシュアンドチップスを作る間にソファ席にビールと共に持ってきてくれた。
「シューストリングポテトに、培養魚肉はタラで塩胡椒をかけて揚げてあるの。ポテトは外はカリッと中はホクホクだよ。培養魚肉だけど、本物のタラと味も触感も変わらないよ。ビールの方はラガーでさらに言うとピルスナー。黄金色で、飲みやすいよ。ちょっと苦めだけどすっきりしているの。まずは一杯。泡が、まろやかな口どけをくれるから。試してみて!」
エレノアのアドバイス通りに、ビールを一飲みしてみる。苦味が口の中に広がる。炭酸が口の中で弾ける初めての感覚。後味がすっきりとしている。
「不思議な味だ。刺激的な感じ。」
「ふふ。お酒って面白いでしょ。まずはフィッシュからどうぞ。」
タラの揚げ物に手を出す。淡白な味わいで酒の苦みを中和する感じだ。
「お次はポテト。」
カリッと口の中で鳴った。ほのかな甘みとほろほろとしたポテトの触感がおいしい。
「美味しいよエレノア。食事って楽しいものなんだな。」
「その言葉を待っていたわ!食事ってね、作業じゃないのよ。味蕾でいろいろな味を楽しめて、触感を感じて、胃の中をずっしりと満たしてくれるのよ!体のあらゆる部分を使って楽しめるものなの。」
エレノアはご機嫌そうにポテトをつまんだ。
「うん。ちょうどいい揚がり具合。ブラウンラットでは、フィッシュアンドチップスが一日に三十食は売れるのよ。まあ、ワインはもっと売れるんだけどね。少し前までなら、カクテルのアースクエイクとフィッシュアンドチップスの組み合わせが鉄板で、仕事の後の一杯として飛ぶように売れたのよ。今の二倍は出てたかな?」
「ビールは売れないのか?」
「地上での方が人気があるみたい。地下のみんなはどちらかというと酸味のあるワインの方が好みみたい。苦味はあまり好まれなくて。アースクエイクを飲んだ時は、その独特な刺激に皆虜になったんだけどね。奴隷では味わえない味って。」
「へぇー。アースクエイクもいつか飲んでみたいな。」
「その内ね。クラフトビールも飲んでみてほしいし、人気のワインも。アースクエイクは、刺激が強すぎるから最後がいいわね。」
エレノアが客に呼ばれてフィッシュアンドチップスを作りに戻った。俺は酒を堪能しながら、食事を楽しんだ。ここにブラウンラットがある意味が分かった気がする。食事とは最高の娯楽で、ブラウンラットはそんな食事を酒という潤滑剤と共に楽しめる場所なのだ。酒は食事を楽しくさせる。ワインを買って、食事を商店街で買ってくる意味が分かる気がする。食べ合わせの良いものを探したくなるのだ。アルコールが入って食事で腹が満たされれば、眠たくなるのは必然。俺は今日は誰も来なかったソファ席に横になった。店の様子を見ていると、ワイン瓶を買って帰るものが多く、カウンター席は込み合っていたがそれでも、酒を飲んで早々と帰るものが多かったから回転率は良かった。祭りが近いから、皆金を貯めているのかもしれないと思った。後は、家で飲むものが多いのかもしれないと。そう思うとちょっぴり残念な気持ちになった。エレノアやリザルに酒の話を聞きながら飲むのは面白いのに。酒の知識はまだまだだが、楽しみ方を知ってしまった。それは俺に過酷な過去を忘れさせるきっかけを与えた。眠りにつく中、柔らかな感覚に包まれていた。それは酒が与えてくれた安らぎだった。




