ブラウンラット
目が覚めると、布団をかけられていた。起き上がって周りを見ると誰もいない。一人になって心細さを感じた。思えば、一人になるようなことなんて生まれてから一度もなかったから違和感がすごかった。昨日もらった酒の名前が書かれた紙を見ると、「お疲れ様」の文字が書き足されていた。ウェイストホールを出て、マウスバロウに来たという自覚が、今頃になって芽生えてきた。首を触っても、首輪はもうない。自由になったのだ。縛り付けるものなんてない。それと同時に、意図せず置いてきてしまった奴隷仲間のことを思い出す。特別仲の良いやつがいたわけじゃない。仲の良かった奴隷は皆死んでしまっていたから。最後の一人が死んだとき、孤独を感じた。それと共に、人に縛られることはもうないとも思った。同じ作業をするチームでも会話はなかったし、隣に寝ていたやつとは、話したことすらなかった。ウェイストホールでの出来事を共有できる仲間は、エレノアが言っていた一人ぐらいのものになった。俺が二人目だと言っていたから。仕事は制服が届いてからすればいいと言われた。三日ほど猶予がある。マウスバロウを練り歩いてその人を探してもいいかもしれないと思った。あの場所での苦しみは、同じ場所にいた者にしかわからないだろう。俺は立ち上がり、紙をその場に置いて商店街の方へ向かうべく扉を開いた。酒の名前を覚えるのはどちらにせよ時間がかかる。少しくらいの息抜きはいるだろう。
商店街は開いていた。朝早いと思うのだが、既にたくさんの人が行きかっている。露店をボーっと見て回った。売られているものは食品類が大半で、すぐに食べることができるのを売りにしていた。腹が鳴った。しかし、ここでの通貨は持っていない。昨日の労働分はエレノアが持って行ってしまった。どうしようか悩んでいると、目の前にウェイトが表れた。彼は、片眉を大きく上げて俺を見た。俺は、ただ彼を見つめるばかりで何も言えない。あまり歓迎されている感じが昨日の時点でもなかったから委縮してしまったのもあると思う。彼は数秒俺を見つめた後、あからさまなため息をついて、俺の腕を引っ張って商店街から出した。喧騒が遠のいて二人きりになると、彼がやっと口を開く。
「食事なら教会だ。あそこなら金も要らない。」
そう言って、相変わらず俺の腕を引っ張って教会へと連れていく。教会に着くと、扉の一つを開けた。奥に遠慮なく進む。食卓のようで、長椅子と机が隙間を埋めるように並んでいた。点々と人が食べていた。ウェイトは適当な席に俺を座らせ、食事を取りに行ったようだった。持ってきたのは、粥だった。礼を言って受け取って食べ始める。粥は塩が効いているのかほんのりしょっぱく、逆に言うとそれぐらいしか味がなかった。完全栄養食の複雑な味とも違うが、温まるような感覚に襲われた。少ない量でも、満足感が完全栄養食の時とは違った。先に食べ終わってしまったため、ウェイトがゆっくり食べているのを眺めた。
「ウェイストホールでの奴隷の扱いはどうだった?」
ウェイトが口を開く。気遣われている感じがした。
「道具だった。でも、道具は道具でも元は人だからか、緩まないように締め付けがあった。」
「鞭打ちか?」
「うん。それに処分も。毎月一人はそれで死んだ。その後に食人もやらされる。」
淡々と語っていると、食人と聞いてウェイトが不快そうな顔をした。
「趣味がずいぶん悪いんだな。こっちでは食人なんてやらせない。闘技なんかはあったけどな。といっても、生き残ったやつは殺処分だが。」
「闘技って?奴隷同士で戦うのか?」
「そうだ。素手での戦いだから、大抵長引く。知り合い同士でやらせることも多い。俺は、元はエレノアと同じところの出身だが、闘技場に買われて死にぞこなってここに流れ着いてきた。」
「殺されなかったのか?」
「死ぬ寸前だったからな。ごみ回収場に放置されているところを逃げてきた。運が良かった。リザルが見つけてくれたから今も生きてる。」
「町の奴隷はごみ処理されるのか?」
「いや。大半は殺されたら家畜小屋行きだ。家畜やら犬の餌にされる。俺の場合は、違法放置だ。そのままごみとして処理されることはない。ま、そのおかげで助かったが。」
何とも反応に困り、じっとウェイトを見つめた。彼はそんなことを気にせず食べ終わると、片付けてから、俺の手を引いた。
「町でも散策してみるか?」
「地上は危険じゃないのか?」
「確かめてみろ。」
そう言って彼は自分の着ていたフード付きの上着を俺に着せ、顔を隠させた。
「これなら、通報リスクは下げられる。」
「傷を見られたらヤバいってこと?」
「大半は気にされないが、たまに騒がれるときがある。」
バーはもう開店しており、リザルがカウンターにいた。エレノアが俺に手を振る。
「頑張ってね。」
「うん。」
マンホールから出て路地裏。そこから表の通りに出た。心拍が上がる。人が普通に行きかっている中を堂々とウェイトは歩いた。俺は縮こまりながら彼の後ろをただついていく。彼の足が止まり、背にぶつかる。見ると、青果店らしく、リンゴや桃などのフルーツが売られていた。ウェイトがオレンジを手に取って、店主に値切る。傷があるだとか、この時期のものはだとか理由を付けて言葉巧みに値切ったオレンジを一箱買い取って俺に渡す。ずしりとオレンジの重みが来た。
「もう一軒行くぞ。」
その言葉に後ろをただついていく。着いたのは町から外れた古い酒場。扉を開け中に入る。カウンター席に座り、ビールを二杯頼んだ。オレンジの箱を下に置いておくように言われカウンターに座らされる。齢六十ぐらいのおじさんがビールを二杯俺たちの目の前に置き、ウェイトに話しかける。
「景気の方はどうだい?」
「人が増えるばかりだからな。いい方さ。ワインがよく売れてな。」
「カクテルは?」
「一部では熱烈に愛している人がいるんだがな。今は下火だな。何か目新しい噂は?」
「アースクエイクが飛ぶように売れたのは感動ものだったんだがな。噂ね。最近のユートピアは平和なものだよ。」
「ウェイストホールでもか?」
「だと思うぞ。特に何も聞かないからな。ああ、違法奴隷でしょっ引かれたのが数名いたらしいな。」
「違法奴隷って?」
俺が小声で聞くとウェイトは丁寧に説明してくれた。遺伝子組み換え人間にも基準はあるらしい。大抵、理想的な人間が生まれるようにある程度の範囲内で調整するらしい。(例えば、身長体重が平均的だとか顔のパーツが標準的な位置だとか。)その基準をはるかにオーバーして明らかな人外を作っていたチームがあったらしい。奴隷は用途によって分けられ、特に力が強い傾向にある者は危険視されながらも肉体労働に使われる。(見た目的にも、筋力が発達していて目立つ。)肉体労働者は需要があるタイプの奴隷だ。意図的に企画をオーバーして通常の三倍の握力や、二倍の載積力を持たせていたらしい。
「彼らはどうなった?」
「殺処分だろうよ。危険な存在だからな。メリットがあればデメリットもあるだろうしな。」
おじさんが哀愁を持って答えた。一般的な遺伝子組み換え人間、俺みたいな者は人よりも知力や身体能力が高く作られていることが多い。それは、新たな人類が今いる人類よりも優れたものを生み出すために考えられた安直な増強。生まれてくる人間の大半は何かしらの特徴を抱えると同時に、デメリットを抱える。それは、体力の低下が一般的だが、中には知能や身体力の著しい低下、見た目が人間らしくない又は逸脱した見た目であることなどがあげられる。その中でも、増強を正確に受け、デメリットが生まれなかった者が上位人間としてユートピアの支配に回れる。その割合は一割にも満たないであろう。逆に言うと、奴隷となる者は九割以上もいるのだ。その大半はウェイストホールに流れ、回転よく死んでいく。鞭打ち処分で月に一人が必ず死ぬが、それ以外にも、放射性廃棄物がもとで数十人が死に、体力が尽きて数百人が死んでいっていた。
それにしても、ウェイストホールで何も聞かないということは、奴隷の逃亡を許したことを上に報告していないということなのだろうか。
「ウェイストホールで二人逃げてきたんだ。そのうちの一人がこいつ。」
ウェイトがおじさんにそう知らせるのを聞いて驚いた。しかし、二人とも雑談でもしているかのように顔色の変化がない。
「そうか。そりゃ、アースクエイクを飲んでみろ。刺激に中毒になれるぞ。」
おじさんが俺の方を向いてそう言った。俺は、戸惑いながらウェイトの方を見る。
「ここの人間の大半はマウスバロウの住人を黙認して、取引してる。一蓮托生だからな、情報交換したりもするのさ。」
「奴隷にあんな扱いを敷いているのに?」
「それとこれとは話が別だよ、ボウズ。今の中流層は支配される側で、奴隷とはちょっとの身分差だからな。鞭が振るわれず首輪の義務がないだけ。上流階級に支配されて、奴らが指示すれば首が飛ぶ。ここはとっくの昔にディストピアだ。元奴隷とはお互い甘い汁をすすれる関係なのさ。大っぴらには言えっこないけどな。」
おじさんが何かを見せつける。分厚い本?
「これはルールブックだよ。ついこの間までは薄かったんだが、ほんの数年でこの厚ささ。」
「本来酒も規制品としてビール以外は売れないからな。他の酒は全部マウスバロウ向け。今までウォッカとかを作っていた職人はマウスバロウのおかげで食いつないでいる。表向きには医薬品として教会に納めていることになってるからな。」
「教会があるのか?」
「倫理委員会みたいなものだ。教会に提出する医薬品は管理外だからな。上は何個納めたとか数も把握していないし、賄賂さえ渡せば、マウスバロウとのつながりは黙秘してくれるからな。酒職人は、教会のおかげで生きられることになってる。急に締め付けが強くなって、実際には教会もそこまで抱えられないからな。マウスバロウは町のインフラの一つってわけだ。」
ビールを一気飲みしたウェイトが俺の背を叩く。
「案外地上でも、問題なくは暮らせるんだ。でもまぁ、他の奴隷からの嫉妬の目や神経質な人間もいるからな。」
「奴隷が通報することもあり得るってこと?」
「一応は。取り合ってもらえることは少ないだろうがな。何せ巡回員も、黙認者だからな。」
俺はビールには手を付けずにオレンジの入った箱を持つ。マウスバロウへの帰り際、俺の提案から高台に寄って奴隷市場を見下ろした。大量の奴隷が商人に管理され鞭が飛び交う。
「彼らは解放できないのか?」
「逃げ出せた者だけなら。安易に干渉すれば、今のマウスバロウの立ち位置すら危うくなる。」
ウェイトは神妙な面持ちで奴隷市場を眺めていた。
「家族がいたことはあるか?」
「家族って程は・・・仲間ならいた。」
「奴らは、わざと家族単位で売るんだ。」
「なぜ?」
「格差を付けさせて、憎しみ合わせるために。闘技でもそうだったが、一般家庭内でもそういうのはあるらしい。」
「君は家族と戦わせられた?」
「昔の話さ。」
バー、ブラウンラット。リザルがオレンジを眺めながら、俺の方を見た。
「交渉術は見てきたかい?」
「まぁ・・・。」
「真似するのはまだ早いかな?ま、そのうち出来るようになるさ。マウスバロウ出身だからと行って下に見る馬鹿な連中ばかりではないからね。」
「下に見られることもあると・・・。」
「君の努力次第だよ。今日はスクリュードライバーでも、おすすめしようか。」
店の裏に連れていかれ、オレンジをひたすら絞るのを手伝った。ボトル二本ぐらいになったオレンジはウォッカと混ぜられた。
「あなたに心を奪われた。」
「?」
「カクテル言葉。これも覚えないとね。」
エレノアがオレンジのスライスの入った容器をそばに置いた。
「花言葉みたいなものか?」
「そうね。来る人皆がってわけじゃないけど、カクテル言葉を気にする人は一定数いるのよ。奢ったりするときとかね。」
「そういえば、ウェイストホールから来たもう一人はどこに居るんだ?探そうと思って見つからなかった。」
「会いたいの?まあ、伝えなきゃいけないこともあるもんね。」
「何処にいる?」
「明日連れてきてあげるよ。」
「エレノアも奴隷市の奴隷だったのか?」
「ウェイトから聞いた?」
「特には。彼が闘技場に居たことは聞いたけど。」
「私とほかに数人、家族みたいなものだったの。奴隷市で酒場に売られたのよ。裏で仕事をしてた。酒の名前を覚えたのはそこだった。」
「兄ちゃんも一緒だった?」
「もう、覚えていたのね!あなたと重ねたわけじゃないから。」
「大事な人だったんだな。」
「そりゃね。昔の話よ。」
(同じセリフ・・・。)
はぐらかし方の似ている二人に家族を感じてほほえましく思うところもあった。今日もソファ席で店の様子をうかがいながら紙を眺めた。ウェイトが仁王立ちするだけで声を荒げていた客が静かになる。リザルはすました顔で注文された酒を出す。エレノアはどたばたと忙しそうだ。
(馴染めるだろうか。)
そう思ったのは、彼らのつながりが自分が思っている以上に強そうだと感じたから。喧騒の中眠気が来た。そのまま眠気に身をゆだねる。
(時間が解決してくれる。)
そう思ったのは、ウェイトが今日歩み寄ってくれたからだ。俺を見つけて、面倒を見てくれた彼はきっと悪い人ではないだろう。この空間にほんのりの安心感を感じて眠りについた。




