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傷を背負って

円卓の前には、エレノアと、横たわるリザルがいた。広場で見かけた男も一緒で、円卓には数人の人間が腰かけていた。リザルは上の服を脱がされ、切り傷だらけになっていた。それを見るエレノアの悲痛そうな表情に、俺は胸を痛めた。男の手には、ナイフが握られ、リザルをそれで傷つけたのは明らかだった。俺はズカズカと男のそばに寄った。

「おやおや、とんだサプライズだ。見本は二匹もいらないのですが。」

俺は、男からナイフをひったくると、矛先を向けた。

「マウスバロウに関わるな。」

静かな怒りを向ける。それのどこがおかしかったのか、俺には理解できないが、男が顔をゆがめ大笑いすると、円卓の人々も笑った。

「自己再生の次は、イきり男じゃ、演目としてはちょっと弱いかな。」

俺が男を切り裂こうとナイフを薙ぐと、男は軽々躱してから、俺の腕をつかんで、ナイフを叩き落として、そのまま体を地面にたたきつけた。痛みで一瞬息が出来なくなると、男はナイフを拾って、俺の腹を思いっきり踏みつぶした。呼吸が止まる。

「やめて!」

エレノアが叫ぶ。苦しくてせき込むと、男はエレノアを引っ張って、俺の目の前でその腕を切り裂いた。エレノアの叫び声が響く。血が滴る。怒りでどうにかなりそうなところを、もう一度腹を蹴られ、男はエレノアの腕を布でふき取った。一瞬幻覚を見たのだと思った。エレノアの腕からは血が滴らず、傷の一つもなかった。

「気づいていたかは知らんが、お前たちの隠していたものだ。」

自己再生。それは、ユートピアが永遠になるために必要なパーツの一つ。エレノアが持っていたもの。上位市民はそれを手にしてしまった。エレノアが奪い去られる。約束。

「何処にもいかないで。」

彼女の声が頭に響く。

「返せ。」

声を絞り出した。男はニヤつくばかりで、エレノアはその小さな体を震わせている。俺は足を払いのけ、立ち上がった。円卓からヤジが飛ぶ。それを気にせず男につかみかかる。男は、エレノアを離して俺にナイフを振るった。男の振るったナイフをつかみ取り、強い力を込めた。血が出た。ナイフがわずかに歪んだのを感じた。男は口角を下げ、俺の頭めがけて拳を振り下ろした。それを受け止めると、目の前がわずかに歪んだ。それでも負けじと、男の首をつかむ。片方の腕が、男の首を捕らえ、ナイフをつかんだ方の手で、男からナイフを奪い取り投げ捨て、もう一方の腕も首に吸い付く。両手に力を込めると、男の表情がひどく崩れた。男が俺の体に手を伸ばし爪をひっかけるのも気にせず両手の力を強めた。男の顔が赤くなっていく。そのまま力を込め切ると、ボキりと言った。両手を離すと、男は力なく崩れ落ちた。それを機に円卓の様子が変わる。皆、口を閉ざして怯えたような顔をした。俺は、ナイフを拾いあげ、円卓に向かって歩みだす。

(やめておけ。)

そんな言葉が、頭に強く響いた。あまりの痛みにナイフを落として、しゃがみ込み、頭を押さえる。周りが少し騒がしくなった。見ると、奥から人が歩いてきていた。

「聖人様・・・。」

誰かがそうつぶやいた。男が、白い服を着た少女を傍らに抱いてこちらに歩み寄って来る。

「君は・・・。」

少女はいつか見た子で、白い首輪をつけていた。

「マウスバロウはこれよりその存在を認め、中で暮らす奴隷たちにも、中流層と同程度の権限を与えましょう。」

男はそう言って、こちらをまっすぐに見た。

「奴隷制はもうじき廃止される。皆、ウェイストホールに送られるが、君たちは特例としよう。人並を知ってしまっているようだからね。君たちは人だ。まぎれもなく人。」

「信用できない。」

俺の返事に、男は特に反応を示さない。

「彼女も連れて帰るといい。」

俺は再び口を開こうとして、頭痛に苛まれた。

(ネズミ共よ、去れ。)

少女の方を見た。少女は大口を開けた。舌がなかった。

(わずかな楽園を享受しなさい。これは慈悲。)

俺は頭を振った。

「今までのことがなかったことになるとでも?」

「いずれ、忘れ去られることだ。君たちには繁殖力がない。いずれ奴隷はなかったことになる。」

男が静かに語る。

「君たちは本来無きものとされるべきなのだ。しかし、私の良心がそれを止めた。本来彼女も回収されるべきだが、これは情けなのだ。君たちをいたぶり続けた我々の贖罪。」

(マウスバロウは、その一人が朽ち果てるまで安全でしょう。)

頭に声が響く。

(喜びなさい。ユートピアはまた一歩前進しました。奴隷は過去のものとなり、隔たりは少しずつ消えてゆくでしょう。)

「ズルい。」

俺は泣いた。そばにエレノアが寄ってきて俺の肩を抱いた。

「わかってはいますとも。都合が良すぎることも、こちらの我がままであることも。」

(だが、罪を犯さねば、人は前進できない。)

「ただ、傷を背負って行けと?」

「すまない。」

(いつかは癒えるでしょう。その傷はふさがる。)

俺は何とも言えなくて泣いた。エレノアがそっと頭を撫でてくれた。

「さあ、もう帰りなさい。誰もあなた達を傷つけることは無いのですから。」

俺は、リザルを背負って、エレノアの手を引いた。

(ユートピアに安寧を。)

扉を出ると、ベヒーモスが立っていた。

「聞こえた。帰ろう。」

そうつぶやくと、先に階段を降りていく。俺たちは途中の階まで降りてユースたちと合流した。ウェイトも外に出てきており俺たちを見留めると、駆け寄って抱きしめた。

「無事でよかった。」

絞り出すようにそう言って、一緒にマウスバロウへの道を歩く。ユースの話だと連れてこられた住民は数百人で、そのうち残ったのは数十人だった。帰路はさみしいものだった。誰もしゃべることなく、傷を抱えて歩いた。それは、体の傷を持つ者であり、心の傷を持つ者もいた。マンホールの下、ブラウンラットに入ると、リザルをソファに降ろした俺は、どっかりと隣に座った。金属製だった奥の扉は爆破されたらしく、木っ端みじんになり、バーも荒れていた。数人の人が、様子に気付いたのか我々を迎え入れた。奥からボスがよたよたしながら杖を突き歩いてきては、俺たちに声をかけた。

「すまないな。何もしてやれなくて。逃げおおせたのか?」

ユースが上の人間たちにマウスバロウが認められたことを告げるとボスは静かに涙を流した。墓を建ててやろうとは、ウェイトの言葉である。ボスはそれを認めると、奥へと戻っていった。エレノアが奥の教会からもらってきた包帯や薬やらをリザルに使う。幸い、命に別状はないようでリザルは穏やかな顔で眠りについていた。




バー、ブラウンラットはしばらくの休みを経て再開した。地上との交流も再開し、ウェイトとユースと俺で、相変わらず仕入れを行った。エレノアは変わらず看板娘だし、リザルは傷もよくなってバーテンダーとして常連にカクテルをふるまう。ロクバの方は生きてはいたが、気まずいのか何も言わずに仕事をやめてしまった。エレノアは、そういう人だからで済ませていたがウェイトは少し怒っていた。俺としては、あの時の惨劇を招いたものとしてロクバには何もかける言葉がなかった。しばらくして、奴隷市を見に行ったりしたが、確かにもぬけの殻でそんなことが行われていたとはみじんも思わないほどきれいな広場に変わっていた。今頃は皆ウェイストホールかと思うと、心が痛んだ。

快気祝いと称してリザルがパーティーを開いた。アースクエイク。地震とも呼ばれるそれは、確かに強い衝撃を持っていた。喉を焼く刺激感に思わずむせたほどだ。飲んでいるところを見て、ウェイトが爆笑していた。笑い事じゃないと窘めるとウェイトもアースクエイクを飲んでむせたから思いっきり笑ってやった。エレノアが大人げないよと二人を注意してそれがまた笑いの輪になった。皆が酒を飲みすぎて寝静まったころ、俺は夜風を浴びていた。塔での出来事を思い出し、本当に俺がここにいていいのかが悩ましかった。俺がマウスバロウに戻らなければ、あれほどの犠牲は出なかった。今でも、踏み歩いた人々の顔が夢に出てきた。俺の罪はここでは問われなかった。マウスバロウはただ温かく受け入れて何も言わない。俺を知っている人も知らない人も、俺を攻めるような真似はしない。それどころか、あの時の惨劇はないものとして扱われ、皆早々に日常を取り戻した。

「お兄ちゃん。」

声をかけられ振り向くと、エレノアがいた。隣に立って風に髪をなびかせるエレノアは可愛らしく見えた。

「俺はここに居てもいいのかな。」

そんな言葉が口を突いて出た。

「お兄ちゃんの居場所は、ブラウンラットだよ。」

「本当に?あれだけの人を傷つけることになったのに?」

「それでも、ここで生きていくしかないんだよ。ヴァンは、私たちのお兄ちゃんで、そうやって生きていくって決めたでしょ。」

お兄ちゃん。それは確かに俺に仮面を与えた。エレノアたちの兄貴、優しい人。その仮面をかぶっていられる間は、ここに居られる。

「お兄ちゃんはどんな人だった?」

「優しいよ。めったに怒らないんだけど、私が瓶を割って落としたときは大きな声を上げてた。危ないからって。」

「俺は、そこまで優しくないかもしれない。」

「構わないよ。それでも。ずっとお兄ちゃんでいてくれるなら。少しぐらい違うのは目をつぶっててあげる。」

「辛くなる時が来るかもしれない。」

「その時は・・・一緒に死んじゃおうか。」

「本気?」

「うん。本気。皆で心中しちゃお。」

「まあ、・・・ありなのかもな。」

ウェイトの声が聞こえた。呼びに来たらしい。それで思い出す。ウェイトに言われたことを。

「俺は俺か。」

「どうかした?」

「いや。」

案外自分を失う必要はないのかもしれない。俺は、皆のそばにいることに固執しすぎていたのかもしれない。

「旅に出るよ。」

「え?」

「辛くなったら、旅に出る。だから、生きて待っていてくれ。」

「・・・それでもいいよ。」

俺はエレノアの頭を撫でた。

「抱っこ。」

その一言でエレノアを抱き上げて地下の方に戻る。北風が後ろ髪を引くように背を撫でた。

「冬が来るな。」



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