6. 夜の村
日が沈むころには、墓地の話が村中に広まっていた。
宿へ戻ったイリアが食堂に入ると、いつもより多くの人が集まっている。卓には大皿が並び、昼のうちに運び込まれた狼の肉も、いくつかの料理に姿を変えていた。
「イリア様、こっち空いてますよ」
セシアに呼ばれ、イリアは窓際の席へ向かう。ほどなく、温かいスープと焼いた肉が運ばれてきた。
「ずいぶん豪勢だな」
「せっかくのお肉ですからね。皆で食べないと、もったいないですよ」
セシアは空いた皿を重ねながら笑う。
「これもイリア様のおかげです」
「最初に獲物を追い、弱らせていたのはカイルだぞ」
「そのカイルなら、さっきまで自慢してましたよ。『俺の矢もちゃんと刺さってたんだからな』って」
イリアは話を聞きながら、肉をひと切れ口へ運んだ。
食堂には、墓地の話も飛び交っている。本当に襲ってこないのか。スケルトンが喋るというのは本当なのか。さっそく墓地へ向かおうとする者もいれば、まだ危ないと首を振る者もいる。無理もない。つい先ほどまで剣を向けてきた相手を、今日から信じろと言われても難しいだろう。
食事を終えるころには、外もすっかり暗くなっていた。
「お部屋、用意してありますよ」
セシアに案内されて二階へ上がる。寝台と小さな机があり、窓際には古い椅子が一脚置かれていた。
「狭くて申し訳ないですけど」
「十分だ。感謝する」
「何か要り用のものがあったら、呼んでくださいね」
セシアが部屋を出ていくと、イリアは窓を開けた。夜の空気が、ゆるやかに室内へ流れ込んでくる。
村の灯りは少ない。窓から見える家々も、一軒、また一軒と闇に沈んでいく。昼間は人の声が絶えなかった道からも、今はほとんど音が聞こえない。
イリアは窓辺の椅子に腰を下ろした。
「……静かだな」
悪くない。昼の賑やかさも嫌いではないが、やはりこちらのほうが落ち着く。
しばらく外を眺めてから、イリアは立ち上がり、部屋を出た。
一階では、セシアが最後の卓を拭いている。
「イリア様?」
「少し出てくる」
「今からですか?」
「ああ。すぐ戻る、心配はいらぬ」
セシアは窓の外へ目をやった。
「でも、もう真っ暗ですよ」
「……私は、夜のほうが好きでな」
外へ出るイリアを、セシアは不思議そうな顔のまま見送った。
月明かりの下に、家々の屋根が並んでいる。昼とはまるで違う場所のように見えた。家畜小屋から時おり物音が聞こえるほかは、静かなものだ。
井戸のそばを通り、そのまま村はずれまで歩く。少し高くなった場所から振り返ると、リエル村がひとつに見渡せた。向こうには畑が広がり、墓地のある丘の影も見える。
イリアはしばらくそこに立っていた。
「イリア様?」
背後から声がする。振り返ると、籠を提げたエマが立っていた。
「エマか」
「こんなところで、何してるんです?」
「ただの散歩だ」
「……こんな時間に?」
「夜に歩くのは、珍しいか」
「村の中ならともかく、わざわざ外まで来る人はあまりいませんよ」
エマが隣に並ぶ。
「お前こそ、何をしていた」
「怪我を診てほしいって呼ばれてたんです。ちょうど終わって、帰るところで」
「そうか。ご苦労だったな」
二人は並んで、村へ戻りはじめる。道すがら、エマが横目でイリアをうかがった。
「そういえば、イリア様は寝ないんですか?」
「普段は眠らぬな」
エマが足を止める。
「千年寝てたって、聞いたんですけど」
「ふふ、痛いところを突かれた」
イリアは笑いながら歩く。
「あれは、退屈で眠りについただけなのだ。普段は眠らずとも、困りはせぬ」
「千年ですよ。退屈で、千年も……」
「そこまで長くなるとは、思っておらなんだ」
エマは何か言いたげに、イリアを見つめた。
「では、毎晩ずっと起きてるんですか?」
「大抵はな。気が向けば眠ることもある」
「一晩中、何をしてるんです?」
「特に決めてはおらぬ。外を歩いたり、星を眺めたり、考え事をしたりだ」
「……夜って、暗くて不安になりませんか?」
イリアは目を細め、ゆっくりと口を開く。
「夜を恐れる必要はない。世界が休息をとる時間のようなものだ」
エマは少し考えてから、空を見上げた。やがて、おそるおそる問いかける。
「……イリア様って、人間ではないのですか?」
イリアはエマの瞳を、ゆっくりと覗き込んだ。
「さあな。其方には、どう見える?」
笑みを含んだ答えに、エマは少し戸惑う。
「……私たちのこと、取って食わないでくださいね」
「ふふ、そんなことをするものか。安心せい」
村の中へ戻る途中、イリアは畑のほうへ目を向けた。月明かりの下でも、作物の葉が力なく垂れているのが分かる。
「昼間も思ったが、あの畑は元気がないな」
「ああ……今年は育ちが悪いみたいで」
エマも畑を見やる。
「ヘインさんたちが色々試してますけど、なかなか育ってくれなくて。このままだと収穫がかなり減るそうで、困ってるんです」
イリアは畑を眺めたまま、足を止めた。
「気になるんですか?」
「まあ、少しな」
「ヘインさんに聞けば、明日にでも見せてくれると思いますよ」
「ならば、聞いてみるとしよう」
そんな話をするうちに、宿の前へ着いた。
「ではな、エマ」
「はい。おやすみなさい、イリア様」
自宅へ戻るエマの背を見送り、イリアは空を仰ぐ。星が瞬き、村は静寂に包まれていた。
イリアはそのまま、ひとり夜の村を歩きはじめた。
*
夜が明けはじめるころ、村にぽつりぽつりと音が戻ってくる。
家々の扉が開き、井戸へ水を汲みに行く者が現れる。家畜の鳴き声も増え、畑へ向かう者たちが道を歩きだした。
イリアが畑の近くまで来ると、昨日の狼の解体に加わっていたヘインが、腰を屈めて作物を見ている。
「朝から大変だな」
声をかけると、ヘインが振り返った。
「イリア様。おはようございます。イリア様こそ、こんな朝早くにどうされたんです?」
「畑を見に来た。エマから、今年は育ちが悪いと聞いてな」
「ああ、そうでしたか」
ヘインは立ち上がり、畑へ目を向ける。
「見てもらっても構いませんよ。まあ、面白いもんでもないでしょうが」
イリアは畑の様子を確かめた。葉は薄く、ところどころ黄色く変わっている。まだ小さいままの作物も多い。
一枚の葉に、指を触れる。
「ほかの作物も、こんな具合なのか」
「物によって多少違いますけど、だいたい似たようなもんです。前より育ちが悪いですね」
「原因は分かっておるのか」
「色々と試してはいるんですが、さっぱり分からないんですよ……」
ヘインが困ったように笑う。
「病気って感じでもないし、水が足りないわけでもないと思うんですが。今できることはやってるつもりなんですけど、どうにも上手くいかなくて」
イリアはしゃがみ込み、根元の土へ手を触れた。
目を閉じる。
土の中には、小さな命がある。作物の根も、弱ってはいるが、まだ途切れてはいなかった。
「……まだ大丈夫だな」
「何か分かるんですか?」
イリアは目を開けた。指先で土を軽く崩し、その指先をしばらく見つめる。やがて立ち上がり、畑全体を見渡して、小さく呟いた。
「……まあ、今回くらいは力を貸してやるか」
朝日が昇りはじめ、弱った作物の上へ、光がゆっくりと差し込んでいく。




