36. エルフの訪問
イルネアとネフィラグがリエルへやって来てから、数日が経った。
二人がずっと村に留まっているわけではない。正気を取り戻したレイスやグールたちが古戦原を離れ、それぞれ本来の役目へ戻っていくのを見届けると、イルネアも時折どこかへ姿を消すようになった。ネフィラグも同じで、気が向けばリエルへ戻ってくるものの、朝から姿を見ない日もある。
イリアはそれを特に咎めていなかった。彼らには彼らの役目がある。それを取り戻したのなら、好きにすればよい。
そんな日の昼前だった。村はずれが、いつもより少し騒がしくなる。
「イリアさん!」
呼ばれて振り返ると、カイルがこちらへ駆けてくる。その後ろでは、畑仕事をしていた何人かも、森の方角を見ていた。
「どうした?」
「森のほうから、人が来てる。たぶん、前に会ったエルフたちだ」
「ほう」
イリアもそちらへ顔を向ける。やがて木々のあいだから、数人の人影が現れた。先頭を歩いているのはエーヴァルト。その隣にはリーゼロッテがいる。後ろにはフィルローデンのエルフが数人続き、それぞれ籠や包みを抱えていた。以前会ったときとは違い、誰も武器を構えてはいない。
村へ入る手前でイリアを見つけると、エーヴァルトは少し歩みを速めた。
「イリア殿」
「久しいな、エーヴァルト」
「ええ。先日は、本当にありがとうございました」
エーヴァルトは深く頭を下げ、リーゼロッテたちもそれに続く。
「わざわざ、礼を言いに来たのか?」
エーヴァルトが後ろを振り返った。持ってきた籠の中には、乾燥させた薬草や木の実、森で採れた茸のほか、丁寧に編まれた籠や木工品も入っている。
「大したものではありませんが、村の者たちからです」
「随分と持ってきたものだな」
「皆、助けていただいたことに感謝しておりますので」
リーゼロッテが苦笑する。
「本当は、もう少し持たされそうだったんですよ。さすがに運べませんので、止めましたけれど」
「これでも、十分に多いぞ」
イリアが笑うと、張りつめていたものが少し解けたのか、エルフたちの表情も和らいだ。そこへ、エマやセシアたちも集まってくる。
「エーヴァルトさん、お久しぶりです」
「エマ殿。先日はありがとうございました。おかげで、負傷した者たちもかなり良くなりました」
「それなら、よかったです」
エマは穏やかに笑う。森で何があったのか、それ以上のことを口にする者はいない。エーヴァルトもリーゼロッテも、あの日一緒に戦っていた者たちについては触れようとしなかった。エマたちも同じだった。
「立ち話もなんでしょう。中へどうぞ」
セシアに促され、エルフたちが村の中へ足を踏み入れる。そこで初めて、何人かの足が止まった。畑の向こうを、一体のスケルトンが農具を担いで歩いている。少し離れたところでは、シアネリスが村の子供と何か話していた。そしてその先には、褐色の肌と長い耳を持つ者たちの姿もある。
リーゼロッテが目を見開いた。
「……ダークエルフ?」
声に気づいたのか、向こうにいたネル氏族の族長オルフェが振り返る。その傍らには、アーシャとトアドもいた。しばらく、双方が互いを見つめる。イリアは特に口を挟まず、その様子を眺めていた。先に動いたのは、オルフェだった。
「お客ですか?」
「ああ。森の奥にあるフィルローデンから来た者たちだ」
「フィルローデン……エルフの村だったのですね」
オルフェが歩いてくる。エーヴァルトも何か考えるように彼を見ていたが、やがて軽く頭を下げた。
「初めまして、エーヴァルト・フィルローデンです」
「ネル氏族のオルフェだ」
短い挨拶だった。険悪な空気になることもなければ、互いに武器へ手を伸ばすこともない。リーゼロッテが、少し不思議そうにオルフェたちを見る。
「こちらに住んでいるのですか?」
「ああ。しばらく前からな」
「人族の方々と、一緒に?」
「……そうですな。やはり、ダークエルフが人族と一緒に暮らしていることが気になりますかな?」
オルフェが問い返すと、リーゼロッテは首を振った。
「いえ、少し驚いただけです。私たちは、ダークエルフの方と話す機会がほとんどありませんから」
「そうか、こっちも似たようなものだ」
アーシャが笑う。
「エルフを見るのだって、久しぶりよ」
「そうなのですか?」
「わざわざ森を越えて会いに行く理由もないもの」
あまりにも普通の返事だったからか、リーゼロッテもつられるように笑った。
「それもそうですね」
横で見ていたエマが、小さく息をつく。心配していたわけではないのだろうが、少しだけ肩から力が抜けたようだった。
その後、持ってきた荷物を共有建物へ運ぶことになった。薬草の籠を見つけたアーシャが、ふと足を止める。
「これ、フィルローデンで採れるの?」
「ええ。私たちの集落の辺りでは、珍しくありませんけれど」
「こっちの森だと、少し北へ行かないと見つからないのよ」
リーゼロッテが、籠の中を覗き込んだ。
「そちらでは、どのように使われてました?」
「薬として使ってたわ。煮出すと苦いけど、熱を下げるのには便利だから」
「同じですね。私たちも、薬に使います」
話しながら、二人はそのまま歩いていく。少し後ろで、トアドも別のエルフが持ってきた木工品を眺めていた。
「これ、お前が作ったのか?」
「いえ、村の職人です」
「面白い削り方するな」
「分かりますか?」
「ああ、俺も多少は木を弄るからな」
いつの間にか、そこでも話が始まっていた。イリアはその様子を眺め、少しだけ目を細める。
「思ったより、あっさりしたものだな」
隣にいたカイルが苦笑した。
「何か起きると思ってたんですか?」
「いや。だが、其方らはエルフとダークエルフを、随分と分けて考えておるからな」
「俺たちが、っていうより……世の中が、ですけどね」
「同じことであろう」
カイルは少し考えてから、否定せずに肩をすくめた。
*
昼を過ぎても、エルフたちはすぐには帰らなかった。セシアが用意した軽い食事を囲みながら、フィルローデンのことやリエルの暮らしについて話が続く。エーヴァルトは、村を行き交うスケルトンを何度か目で追っていた。
「以前にも見ましたが……本当に、普通に暮らしているのですね」
「スケルトンは本来墓守だが、村のことを手伝ってくれておるのだ」
「……怖がる者はいないのですか?」
「もちろん、最初はいたぞ」
イリアが答えるより先に、カイルが笑った。
「俺も最初は、夜に見かけただけで心臓が止まるかと思いましたよ。今じゃ、畑で隣にいても気にならないですけどね」
ちょうど外を通りかかったスケルトンが、こちらへ顔を向ける。カイルが片手を上げると、スケルトンも同じように手を上げ、そのまま歩いていった。エーヴァルトはその光景を見て、しばらく何も言わなかった。
「……不思議な村ですね」
「ふふ、同じことをよく言われる」
イリアが答えると、リーゼロッテが笑う。
「少なくとも、私の知っている村とはかなり違います」
その言葉に、アーシャが少し離れたところから口を挟んだ。
「住んでると慣れるわよ」
「そういうものなのでしょうか」
「そういうものよ」
二人はすでに随分と話したらしい。先ほどよりも、互いへの遠慮が薄れていた。やがてエーヴァルトが、卓の端に置かれていた空の籠へ目を向ける。
「そういえば、ひとつ相談してもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「ここまで来る道についてです」
イリアが首を傾げる。
「道?」
「はい。フィルローデンからここまでは、ほとんど森の中を進むことになります。私たちは慣れていますから歩けますが、荷物を運ぶとなると少々厳しい」
リーゼロッテもうなずいた。
「今日も何度か、籠を木に引っかけましたから」
「確かに、あれだけ持って歩くのは面倒そうだったな」
「今後も交流を続けるのであれば、ある程度通りやすい道があれば助かると思いまして」
エーヴァルトは、そこで一度言葉を切る。
「もちろん、こちらからも人を出します。リエルの皆さんだけにお願いするつもりはありません」
イリアは少し考えた。フィルローデンまでの道ができれば、今日のような行き来もしやすくなる。リエルにとっても、悪い話ではない。
「よいのではないか?」
あっさり答えると、エーヴァルトが少し驚いた顔をする。
「そんなに簡単に決めてしまって、よろしいのですか?」
「嫌なのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「ならばよかろう」
イリアが笑う。ただ、実際に道を作るとなれば、自分ひとりで決めることでもない。
「詳しいことは、皆とも話してみよう。森については、其方らのほうが詳しいのであろう?」
「ええ。それはこちらで案内できます」
「なら、どこを通すか一度見て回るところからだな」
話を聞いていたオルフェが、近づいてくる。
「道を作るなら、俺たちも見に行こうか」
エーヴァルトが彼を見た。
「よろしいのですか?」
「ああ。リエルから森へ入る辺りなら、俺たちもそれなりに分かる」
少し間を置いて、アーシャも笑う。
「フィルローデンにも、行ってみたいしね」
「歓迎しますよ」
リーゼロッテが答えた。あまりにも自然なやり取りだった。エルフとダークエルフ。今の世では別の側に分けられている者たちが、森を通る道について、同じ卓で話している。けれど、イリアにはやはり、その区別のほうがよく分からない。
「では、決まりだな」
そう言って、残っていた茶へ手を伸ばす。
森の向こうにある村が、今までより少しだけ近くなる。




