3. アンデッド
「……アンデッド?」
イリアが聞き返すと、カイルは匙を持ったまま首を傾げた。
「知らないんですか?」
「ああ。聞いたことのない名だ」
「動く死体のことですよ。骨だけになって歩いてたり、腐った死体が襲ってきたり」
イリアの手が止まる。鍋の蓋を閉じていたセシアも、こちらへ顔を向けた。
「近づかなければ平気なんですけど、墓地に入ると襲ってくるんです。おかげで、最近はお墓参りにも行けなくて」
「そいつらは、墓を守っているのではないか?」
セシアとカイルが顔を見合わせる。
「守ってる……んですかね?」
「少なくとも、俺たちは襲われますけど」
イリアは再び匙を取った。
「いつから出る」
「姿を見るようになったのは、何年か前からですね。最初は一体か二体だったのが、今は十体くらいいます」
「話してみたことは」
「いやいやいや、無理ですよ。近づいたら剣を持って向かってくるんですから」
カイルが苦い顔をする。
「話す前に襲われるのか」
「まあ、そうなりますね……。そもそも、話そうと思ったこともなかったですけど」
イリアは残りの煮込みを口に運び、しばらく考えるように器の底を見つめていた。
「見に行くか」
「はい?」
カイルの表情が固まる。
「そのアンデッドとやらを、見てみたい」
「今からですか?」
「近くにあるのだろう」
「まあ、そうですけど……」
窓の外へ目をやると、日はまだ沈みきっていないものの、空には赤みが滲みはじめていた。
「夜になる前に戻れるなら、まあ……いや、でも危ないですよ」
「先ほどの獣よりもか」
「それを言われると、何も言えないんですけど」
カイルが頭を掻いて困り果てていると、入口の扉が開いた。
「墓地へ行かれると聞こえましたが」
オズワルドだった。
「随分と耳が早いな」
「村が小さいもので」
そう答えて、オズワルドはカイルの隣に立つ。
「本当に行かれるおつもりですか。アンデッドは人を襲います。イリア様のお力を疑うわけではありませんが、無理に近づくのは危険です」
「私が勝手に行くだけだ。お前たちに迷惑はかけぬ」
オズワルドは何か言いかけて、結局その言葉を飲み込んだ。
「……分かりました。止めても行かれるのでしょうな。カイル、ご案内して差し上げろ」
「え、俺ですか? 今日、怪我したばかりなんですけど」
「走って逃げるだけなら問題なかろう」
「……まあ、そうですけど」
肩を落としながら立ち上がったカイルの顔には、腹を括った者の諦めが浮かんでいる。食事を終えたイリアも、静かに席を立った。
「セシア。美味かった」
「ありがとうございます。ぜひ、また食べにいらしてくださいね」
「ああ、そうさせてもらおう」
店を出ると、外の空気はいくぶん冷えていた。
二人は村の外へ続く細い道に入る。墓地まではそう遠くない。畑を抜けて緩やかな坂を上っていくと、道の両側には背の高い草が伸び、その間にところどころ、古い石が転がっていた。
「昔は、もっと頻繁に墓参りに来てたんですけどね」
前を歩くカイルが口を開く。
「今は来ないのか」
「アンデッドが出るようになってからは、あまり。埋葬のときも、昼間に何人かで来て、終わったらすぐ戻るようにしてます」
坂を上りきると、木々のあいだに石積みの低い柵が見えてきた。その向こうに、大小さまざまな墓石が並んでいる。
イリアは入口の前で足を止めた。
「……古いな」
「昔からある墓地らしいです。それで――」
言いかけたカイルが、墓地の奥へ目を向けた。
「いました。あれです」
墓石のあいだで、何かが動いた。
白い骨が、ゆっくりと身を起こす。人の骸骨そのものだった。右手には錆びた剣を握っている。骸骨が二人のほうへ顔を向けると、それに呼応するように、別の墓石の陰からも次々と、同じ姿が現れた。
イリアは黙ってそれを眺めている。
「イリアさん、ここから先は入らないほうがいいです」
「少し待っていろ」
イリアは柵をくぐり、墓地へ足を踏み入れた。
「ちょっ――」
剣を持った一体が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。その動きに合わせて、奥に控えていた者たちも墓石のあいだから姿を見せた。
「イリアさん、戻って!」
カイルが腰の短剣に手を伸ばす。イリアは歩みを止めない。
近づいてくる骨を見据える。頭蓋の奥には、闇のほかに何もない。眼球すらないのに、それでも確かに、自分へ向けられた何かを感じる。
骨が剣を持ち上げた。
「ココハ……死者ノ……眠ル地……」
声が、墓地に響く。
「アンデッドが喋った……?」
「立チ……去レ……」
剣先がイリアへ向けられる。けれど、それを握る骸骨の腕は小刻みに震えていた。
「立チ……去……」
言葉が途中でほどけるように途切れ、骨の身体が動きを止める。剣を握る手が、ゆっくりと下がっていく。
イリアは青い瞳を細めた。
骨がもう一歩、近づく。今度は剣を構えない。その背後で、ほかの骨たちも次々とこちらへ顔を向けた。誰も動かず、風が抜けて木々の葉が擦れる音だけが、墓石のあいだを渡っていく。
イリアは目の前の骨へ手を伸ばし、その指先を額に触れさせた。暗闇の奥で、細く途切れていた何かが、こちらへ向かって伸びてくる。
「……そうか」
小さな呟きが、夕暮れの空気に溶けた。
「お前たち、夜の民ではないか」
骨の身体が震える。握っていた剣が、乾いた音を立てて地面に落ちた。
骸骨たちは、そのまま膝をつく。ひとり、またひとりと武器を手放し、墓石のあいだで頭を垂れていった。
「な……」
背後で、カイルの声が漏れる。
最初に跪いた骨が、ゆっくりと顔を上げた。さっきまで途切れていた声が、今度ははっきりと響く。
「……我ガ、王ヨ」




