26. 魔獣の群れ
ネル氏族がリエルへ移り住んでから、二週間あまりが過ぎていた。
村はずれに並んでいた仮住まいはほとんどなくなり、代わりに簡素な木造の家が何軒も建っている。新たに切り拓かれた畑には畝が伸び、その向こうでは、スケルトンたちが掘り出した石を運んでいた。最初のころこそ遠巻きに眺めていた村人たちも、今ではすっかり慣れたものだ。
「そっちは畑の端に積んどいてくれ」
「分カッタ」
ヘインに言われたスケルトンが、大きな石を抱えて歩いていく。イリアはその横を通り、新しく拓いた畑へ目を向けた。
芽を出したばかりの作物が、畝に沿って並んでいる。ヘインが一本のそばにしゃがみ込み、根もとの土を指で確かめた。
「こっちも悪くないな。新しい畑だから、もう少しかかると思ってたんだが」
「よく育っておるのか」
「今のところは、そうですね。ネル氏族の人たちが土を随分いじってくれたし、そのおかげかもしれません」
そう言って立ち上がると、ヘインは隣の畝へ移っていく。イリアもほかの畑の様子を見ようとした、そのときだった。
森の上から、白い影がまっすぐこちらへ向かってくる。バンシーだ。いつもの巡回から戻ったにしては、速い。地面近くまで降りてきたバンシーが、イリアを見つけるなり声を上げた。
「王。森ノ奥デ、多クノ者ニ死ガ迫ッテイマス」
イリアが足を止める。
「何があった」
「魔獣ノ群レガ、村ヲ襲ッテイマス。怪我人モ多数、確認イタシマシタ」
近くで話を聞いていた村人たちの顔つきが変わった。ちょうど薬草の入った籠を抱えて通りかかったエマも、足を止めている。
「どこの村?」
「森ノ奥。エルフ族ノ村デス」
エマが眉を寄せた。
「もしかして、フィルローデン……?」
籠を近くの台に置く。
「フィルローデン村なら知ってる。この辺りからだとかなり遠いけど、森の奥にエルフ族だけで暮らしてる村があるの」
そう言いながら、もう治療道具を置いてある建物へ向かおうとしている。
「怪我人が大勢いるんでしょ。行くわ」
迷いはなかった。イリアは少しだけ考え、近くのバンシーへ顔を向ける。
「ルグナードを呼んでくれ。それと、近くを巡回しているデュラハンも二人ほど」
「カシコマリマシタ」
バンシーが飛び上がる。エマが戻ってくるころには、ルグナードも姿を見せていた。黒い鎧に身を包み、黒馬に跨っている。その後ろから、同じく馬と一体となった二人のデュラハンが続いていた。
「いかがなさいましたか、イリア様」
「フィルローデンという村が、魔獣に襲われておる。手を貸してくれ。案内はバンシーに任せる」
「かしこまりました。お任せください」
イリアはひとりのデュラハンの馬上へ乗り、もうひとりにはエマが乗せてもらう。ルグナードが先頭に立った。
「よし、急ぐぞ」
三頭の黒馬が、一斉に駆け出す。森の上では、先ほどのバンシーが進む方向を示していた。細い獣道に入り、浅い沢を越え、さらに森の奥へ。普通に歩けば半日近くかかっただろう。デュラハンたちは、ほとんど速度を落とさずに森の中を駆け抜けていく。
やがて、木々の向こうから獣の唸り声が聞こえてきた。続いて、何かが激しくぶつかる音。
「近いな」
「アノ先デス」
バンシーが速度を上げる。森を抜けた先に、木造の家々が現れた。
フィルローデン村。長く尖った耳を持つエルフ族だけで暮らす、森の集落だった。その村はずれは、すでに戦場になっていた。
柵の一部が壊れ、そこへ何頭もの灰狼が押し寄せている。灰狼は普通の狼よりひと回り大きく、魔力で脚力を強化する魔獣だ。飛び込む瞬間の速さは、森に棲む獣の中でも際立っている。さらにその間を、鉄猪が駆け回っていた。太い首と肩を魔力で強化し、正面から柵へ突っ込んでくる。
エルフ族の者たちは弓や槍を手に応戦しながら、負傷者を村の奥へ下がらせていた。その中で、壮年のエルフ族の男が声を張っている。
「下がれ! 怪我人を先に中へ!」
エーヴァルト・フィルローデン。フィルローデン村をまとめる男だった。その指示に従い、エルフ族の者たちが少しずつ後退していく。
だが、そのさらに外側で、なお戦い続けている者たちがいた。
鬼人族。額やこめかみから角を生やした、大柄な魔族だ。人族よりひと回り大きな体格を持つ者が多く、鍛えた身体そのものを武器にして戦う者も珍しくない。その鬼人族の一団が、撤退するエルフ族の最後尾に立っていた。
先頭にいるのは、バルガスという男。四十ほどで、左腕からかなりの血を流している。それでも退かず、飛びかかってきた灰狼を右腕で殴り落とした。
「ヴァルディナ! そっち抜けるぞ!」
「分かってる!」
少し離れたところでは、ヴァルディナと呼ばれた女の鬼人族が、鉄猪の前へ回り込んでいる。三十ほどで、こちらも肩を深く裂かれていた。鉄猪の突進をぎりぎりまで引きつけ、横へかわす。その背後を、負傷したエルフ族の若者が、二人に支えられながら村へ下がっていった。
エマが息を呑む。
「……鬼人族? なぜエルフ族が、魔族と一緒に……」
ルグナードが槍を構えた。
「王よ、人間たちを助ければよいのですね」
「ああ。任せたぞ」
黒馬が地を蹴り、ルグナードが一気に戦場へ飛び込む。後退するエルフ族へ襲いかかろうとしていた灰狼の身体を、黒い槍が横から薙ぎ払った。突然現れたデュラハンに、エルフ族の何人かがぎょっとする。
「デュ、デュラハン……!?」
「其方たちを助けに来たのだ。怪我人を早く運べ!」
ルグナードの声に我に返ったエルフ族が、すぐに負傷者の退避へ動く。イリアも馬上から地面へ降りた。
「エマは怪我人を頼む」
「分かった!」
エマを乗せていたデュラハンが、そのまま彼女を村の内側へ運んでいく。イリアは魔獣たちへ目を向けた。灰狼が三頭、ルグナードの左右から飛びかかる。イリアの足もとから影が伸び、二頭の身体を絡め取って、地面へ叩きつけた。残る一頭は、ルグナードの槍が斬り伏せる。
その横では、鉄猪がバルガスへ向かって突進していた。バルガスが構えるが、傷を負った左腕が上がりきらない。
「バルガス!」
ヴァルディナが叫ぶ。鉄猪が目前まで迫ったところで、その前脚が、ふいに沈んだ。地を這った影が脚に絡みつき、勢いのまま、巨体が横倒しになる。バルガスは数歩下がり、イリアを見た。
「……すまない、助かった」
「まだ来るぞ」
その言葉に、バルガスはすぐ前へ向き直る。森から飛び出してきた灰狼へ、拳を振るった。その脇を抜けようとした一頭を、イリアの影が止める。さらに後ろから、ルグナードが駆け抜けた。
リエルからの救援が加わったことで、崩れかけていた前線が押し返されていく。エルフ族も態勢を立て直した。矢が灰狼の進路を塞ぎ、槍を持った者たちが鉄猪を村から遠ざける。鬼人族も、まだ動ける者はその場に残って戦った。
やがて、森から新たに出てくる魔獣が途切れる。一頭の灰狼が身を翻し、それを追うように、残っていた灰狼たちも次々と森へ逃げ込んでいった。鉄猪も低く唸りながら背を向ける。
「もうよい。わざわざ追う必要はないだろう」
辺りに残ったのは、荒い息遣いと、負傷者の呻き声だった。エルフ族たちが武器を下ろしはじめる。その途端、バルガスの身体が大きく揺れた。
「バルガス!」
駆け寄ったのは、淡い金髪を背中まで伸ばした、若いエルフ族の女だった。リーゼロッテ・フィルローデン。二十代ほどで、騒然とした周囲とは対照的に、声は落ち着いている。
「もう戦いは終わりました。座ってください」
すぐ近くでは、ヴァルディナも傷口を押さえながら腰を下ろしていた。エマが治療道具を抱えて駆けてくる。リーゼロッテは場所を空け、バルガスの左腕を示した。
「こちらの方を、先に診ていただけますか」
エマの視線がバルガスへ向く。一瞬だけ、その角を確かめるように目が動いた。
「……分かりました。腕を見せてください」
血で濡れた布を外し、傷を確かめる。少し離れたところでは、エルフ族の老人を鬼人族の若者が背負って運んでいた。別の場所では、エルフ族の者がヴァルディナの傷に布を押し当てている。
イリアは、壊れた柵の向こうへ目を向けた。森は、もう静かになっている。村の周囲には、灰狼や鉄猪の死骸がいくつも残っていた。その合間に、傷ついて倒れた鬼人族やエルフ族の姿もある。
「……いったい、何があったのだ」
イリアは、ひとり小さく呟いた。




