21. 夜の主
「あなたは……夜の主と、どのような関係にある方なのですか」
オルフェの問いに、イリアは少し目を細めた。
「夜の主、か」
その呼び名を、確かめるように口にする。
「其方らの言う夜の主が、夜の民の仕えていた者を指すのであれば……おそらく、私のことだな」
「…………」
オルフェの表情が止まった。隣では、トアドが何を言われたのか理解できないように、イリアを見つめている。
幼いころから聞いてきた「宵の教え」。名も姿も失われ、今では本当に存在したのかすら分からなくなった、夜の主。その本人が、いま目の前に立っている。
オルフェが、ゆっくりとルグナードを見た。
「……本当、なのですか」
「ああ。イリア様は、我ら夜の民の王だ」
迷いのない答えだった。その声を聞いた途端、近くにいた年配の女が口もとを押さえる。
「そんな……本当に、おられたのですね」
女は震える手を胸もとへ当て、そのまま頭を下げようとした。それを見て、イリアが手を上げる。
「頭を下げるでない」
「ですが……」
「そんなことをされては、顔を見て話せぬではないか」
女は戸惑いながらも、顔を上げた。その様子を見ていたトアドが、小さく息を吐く。
「じゃあ……昨日のデュラハンが教えのとおりだったのも……」
「ああ。私が目を覚ましてから、夜の民も少しずつ本来の姿へ戻っている」
アーシャが聞き返しかけたが、隣のオルフェが先に口を開いた。
「夜の民が長いあいだあのような状態だったことも、夜の主と関わりがあったのですね」
「まあ、そうなるな」
イリアは、周囲を見渡した。話を聞いていたネル氏族の者たちが、いつの間にか増えている。誰も近づいてはこないが、皆がこちらを見ていた。
「詳しい話は、聞きたければいずれ話そう。私も、其方らの言う宵の教えがどのようなものか気になる」
「我々の話でよければ、いくらでも」
「うむ」
イリアは満足そうにうなずき、野営地に積まれた食料へ目を向ける。
「話はひとまず置いて、先に今日食べる物を何とかせねばな」
オルフェが、わずかに目を見開いた。つい先ほどまで伝承の中にしかいなかった存在を前にしていたというのに、当の本人は、もう食料の話に戻っている。
「カイル、リエルへ戻ろう」
「分かりました」
「ルグナードは、ここに残ってくれるか。追手が来るやもしれぬ、しばらく頼む」
「承知しました」
オルフェが口を開く。
「イリア様。我々のために、そこまでしていただかなくとも――」
「昨日も言ったであろう。腹を空かせている者を放っておくつもりはない」
「……ありがとうございます」
「礼はまだよい。食料が足りるかも分からぬからな」
イリアはカイルとともに、野営地を離れた。
*
リエルへ戻ると、村ではすでに朝の仕事が始まっていた。カイルは村へ入るなり、そのままオズワルドの家へ向かう。事情を聞いたオズワルドは、腕を組んでしばらく考え込んだ。
「五十人ほどか……」
「はい。子供と老人も、かなりいます」
「……今日明日の分なら、何とかなるかもしれんな」
オズワルドが立ち上がる。
「皆にも聞いてみよう」
話は、すぐに村へ広がった。ヘインも、畑仕事の手を止めてやってくる。
「ダークエルフが五十人?」
「ああ。奴隷狩りから逃げてきたそうだ。食料もほとんど残っていないらしい」
ヘインは畑のほうへ目をやった。
「うちは、芋と豆なら出せるな」
近くで聞いていたセシアも、口を開く。
「うちにも干し肉が残ってるよ。少しならパンも焼けるかも」
「うちは根菜を持ってこよう」
「卵なら少しあるぞ」
次々に声が上がる。イリアは少し驚いて、周囲を見回した。
「……よいのか」
ヘインが、イリアを見る。
「イリア様のおかげで、今年は畑も持ち直しましたからね」
少し間を置いて、村の者たちへ目を向けた。
「俺たちだけ助けてもらって、よそで腹を空かせてる奴がいるのに知らん顔ってのも、な」
何人かが、うなずく。誰が何を持ってくるかが決まり、それぞれが家や畑へ散っていった。
「イリア様」
声をかけられて振り返ると、エマが立っていた。
「怪我人もいるんですよね?」
「ああ。ひとり、逃げる途中で足を痛めた者がいるそうだ」
「なら、私も行きます。薬も少し持っていきますね」
「助かる」
エマも、準備のために歩いていく。その後ろ姿を眺めていると、カイルが隣へ来た。
「思ったより集まりそうですね」
「……そうだな」
イリアは、村を見渡す。
「皆、快く分けてくれるのだな」
「……今度は自分たちが助ける番だって、思ってるんじゃないですか」
イリアは、少しだけ目を細めた。
「……そうか」
その声は、ごく小さかった。
*
昼を過ぎるころには、食料がいくつもの籠や袋にまとめられていた。パン。豆。芋や根菜。少量の干し肉。卵。それに、鍋や薪まで用意されている。
「こんなに、よいのか」
イリアが確かめると、セシアがうなずいた。
「多少、日持ちするものを多めにしましたよ」
「明日の朝くらいまでは、何とかなるはずだ」
オズワルドも荷物を見やる。
「その先のことは、また考えましょう」
「……分かった。ありがたく頂戴するぞ」
荷物を運ぶため、村にいたスケルトンたちも呼ばれた。籠や袋を抱えたスケルトンが列を作り、その後ろから、カイルとエマ、それに何人かの村人が続く。イリアも一緒に、森へ向かった。
*
ネル氏族の野営地へ戻るころには、昼を大きく過ぎていた。最初に気づいたのは、見張りの者だった。
「族長!」
声を聞いて、オルフェたちが森の端に集まってくる。イリアたちの姿を見つけたアーシャが、目を見開いた。列の後ろに、人族がいる。さらに、スケルトンたちが大量の荷を抱えて歩いてくるのが見えた。
「……あれ、全部」
トアドも、言葉を失っている。オルフェが、イリアを迎えた。
「イリア様」
「待たせたな。思っていたより集まった」
スケルトンたちが、荷を下ろしていく。籠の中を見たオルフェの表情が変わった。
「こんなに……」
「リエルの者たちが出してくれた」
「村の方々が?」
「そうだ」
オルフェは、並べられていく食料と、その向こうにいる村人たちを交互に見る。
「……我々のことを知った上で、ですか」
今度は、セシアが答えた。
「子供やお年寄りまで五日も森を歩いて、食べる物までないって聞いたらねえ」
オルフェは、返す言葉を失う。セシアはそう言って、持ってきた大きな鍋を地面に置いた。エマも荷から、薬や布を取り出す。
「足を痛めた方がいると聞きました。診てもいいですか?」
「……はい。こちらです」
オルフェが案内しようとすると、アーシャが先に動いた。
「私が案内します」
「お願いします」
二人が野営地の奥へ向かう。その間にも、リエルの村人たちはネル氏族の者たちと一緒に、食事の支度を始めていた。最初は距離を取っていたダークエルフたちも、鍋を置く場所を作り、薪を運び、水を汲みに走る。
トアドも、パンの入った籠を運びながら、カイルに尋ねた。
「……どうして、そこまでしてくれるんだ」
カイルは少し考えて、イリアのほうを見る。
「俺たちも、少し前まで助けてもらう側だったからじゃないですかね」
「……助けてもらう?」
「作物が駄目になりかけて、村の食べ物が足りなくなりそうだったんです。そのとき、イリアさんが助けてくれたんですよ」
トアドも、イリアへ視線を向けた。
「夜の主が……人族の村を?」
並べられた食料を見る。向こうでは、リエルから来た男がネル氏族の老人と一緒に薪を割っていた。スケルトンも、黙々と鍋や水桶を運んでいる。昨日まで、こんな光景を目にすることになるとは、考えもしなかった。
やがて、オルフェがイリアのもとへ歩み寄る。
「イリア様」
「ん? どうした」
「……ありがとうございます」
「私は何もしておらぬ。食べ物を分け与えたのも、運んできたのも、すべてリエル村の者たちと夜の民だ」
オルフェは、少しだけ振り返った。人族。ダークエルフ。夜の民。その三者が、同じ目的のために動いている。
「……不思議な村ですね」
イリアも、リエルの者たちを見やる。
「……ああ、そうだな」
その顔に、ほんの少しだけ笑みが浮かんだ。




