17. 千年の番人
長槍を握る太い骨の指が、わずかに震えた。
巨大な骸骨は、石段の上から動かない。眼窩の奥に灯った淡い光だけが、まっすぐイリアへ向けられている。イリアもその場から、しばらく見上げていた。
「久しいな、ガルディム」
名を呼ばれた瞬間、眼窩の光が大きく揺れた。長槍の石突が、石段を擦る。
「いつまで寝ぼけておるのだ」
一歩ずつ、イリアが巨大な骸骨へ近づいていく。
「千年もの間、お前は役目を守り、墓を守ってくれたのだ。よくやったな」
『……墓……ヲ……』
イリアは骸骨の目の前まで来た。三メートル近い巨体を前にすると、イリアの頭はその胸元にも届かない。それでも構わず、古びた鎧に手を置く。
「戻ってこい、ガルディム」
眼窩の光が強まった。大きな身体が、わずかに揺れる。やがて、持ち上がっていた槍が静かに下ろされた。ガルディムは盾を脇へ置き、その場で片膝をつく。それでもなお、イリアと目線の高さはさほど変わらなかった。
『……王ヨ』
「うむ」
『長ク……オ待チシテオリマシタ』
「どうやら、随分と待たせてしまったようだな」
淡々とした声だった。だが、俯いたままの頭は、なかなか上がらない。やがて、ゆっくりと骸骨が顔を上げる。
『オ戻リニ、ナラレタノデスネ』
「ああ。私も少し、寝すぎてしまったようだ」
シアネリスが、わずかに笑った。
『シアネリス……ソレニ、ルグナードカ……久シイナ』
「元気そうでなによりだ、ガルディムよ」
ルグナードが、軽く手を上げる。
ガルディムは、周囲へゆっくりと顔を向けた。崩れた霊廟。木々に呑まれた墓地。遠くまで続く、古い墓標。
『……コノ墓ヲ守リ始メ、ドレ程ノ年月ガ経ッタノデショウカ』
「なんだ、覚えておらぬのか」
『時ヲ数エル必要ガ、アリマセンデシタ』
イリアは、少し眉を上げた。
「……まさか、一度もここから離れなかったのか」
ガルディムは、背後の霊廟へ顔を向ける。
『……ココニハ、多クノ死者ガ眠ッテオリマスノデ』
石段の下から大墓所を見回していたカイルが、ぽつりと言った。
「千年も、墓を守ってたんですか……」
ガルディムの眼窩が、カイルへ向く。突然見下ろされ、カイルがわずかに姿勢を正した。
『墓守ガ去レバ、誰ガ彼ラノ眠リヲ守ルノカ』
「……お、おっしゃる通りです」
カイルは、それ以上何も言えなくなった。
『……ルグナードヨ』
「ん? どうした」
『其方ガ守ルベキ道ハ、ドウシタノダ』
「……相変わらず、いきなりだな」
ルグナードが、少しだけ苦笑する。
「私が守っていた街道は、この千年でほとんど使われなくなったらしい。今は新たな守るべき道を探すために、イリア様のもとへ戻ったのだ」
『……ソウカ。千年モ経テバ、道モ変ワルノダナ』
シアネリスも石段を上がってきた。
「ガルディムは、これからどうするのですか?」
『……コレカラ?』
「イリア様がお戻りになりました。私もルグナードも、今はリエルという村におります」
ガルディムが、イリアを見る。
『イリア様ハ、ノクティアヲ離レラレルノデスカ』
「ああ。今はリエルで世話になっておる」
『……ソウデスカ』
「其方も来るか」
イリアが尋ねたが、答えはすぐには返ってこなかった。ガルディムは背後を振り返る。大霊廟の扉。その向こうにも、多くの死者が眠っている。
『……申シ訳アリマセン。私ハ、ココニ残リマス』
その言葉に、イリアは特に驚かなかった。
『ココニ眠ル者タチヲ置イテハ、行ケマセン』
イリアは、大霊廟へ目を向ける。
「……其方らしいな」
『……オ許シ、イタダケマスカ』
「何故、私の許しがいるのだ」
ガルディムが、わずかに顔を上げた。
「其方は墓守であろう。死者を放り出して私についてきたなら、私は其方に失望するぞ」
『…………』
「これからも、ここの墓を守ってくれるか」
眼窩の淡い光が、静かに揺れる。
『……承リマシタ。御心遣イ、感謝イタシマス』
「礼を言われるほどのことはしておらん。気にするな」
そのとき、石段の下にいたスケルトンの一体が、近づいてきた。
「ガルディム様」
先ほどまでより、声がはっきりしている。
「御無事デ……何ヨリデス」
『……オ前タチモ、戻ッタカ』
「ハイ」
後ろにも、何体かのスケルトンが集まっていた。ガルディムは彼らを見渡す。
『墓所ノ様子ハ』
「大キナ異常ハアリマセン。西側ノ壁ガ、一部崩レテオリマス」
『ソウカ、後デ確認スル』
ガルディムは立ち上がり、巨大な盾を再び持ち上げた。
「ガルディムよ」
『……如何シマシタカ』
「別に、今すぐ仕事へ戻らずともよいのではないか」
『……?』
イリアが、わずかに呆れた顔をする。
「千年ぶりに会ったのだぞ。少しくらい話をしようとは思わぬのか」
ガルディムは、しばらく黙り込んだ。シアネリスが、耐えきれずに笑い出す。ルグナードも顔こそ分からないが、肩がわずかに揺れていた。ガルディムだけが、なぜ笑われているのか分からぬ様子で、三人を見ている。
イリアは、大霊廟の脇にある石へ腰を下ろした。
「少し付き合ってくれるか」
『承知イタシマシタ』
ガルディムも立ったままではあるが、盾を地面に置いた。
それからしばらく、イリアたちは大霊廟の前で話をした。もっとも、ガルディムは断片的にしか覚えていないようだった。イリアが姿を消したあとも、墓所を守り続けたこと。しばらくは、ほかの墓守たちとも言葉を交わしていたこと。いつからか意識が少しずつ遠のき、考えることが難しくなっていったこと。
それでも、墓を守るという役目だけは、忘れなかった。
『名前ヲ、思イ出セナクナッタ者モ、オリマシタ』
ガルディムが、近くの墓標を見る。
『墓ニ眠ル者ノ名モ、風化シテ読メナクナリマシタ』
「……それでも、守り続けたのか」
『守ルベキ墓デアルコトハ、変ワリアリマセン』
イリアは何も言わず、墓標を見つめた。削れた文字は、今では彼女にも読めない。
『……イリア様』
「なんだ」
『私ハ、役目ヲ果タセテイタデショウカ』
初めて、ガルディムの声に迷いが混じった。イリアは、巨大な骸骨を見上げる。
「この墓所を見れば分かるではないか」
ガルディムも、周囲へ顔を向けた。
「千年という長い年月が経ってこれなら、十分すぎるほどだ。よく守ったな」
『…………』
ガルディムは、深く頭を下げた。
『有難キ、御言葉』
それ以上、ガルディムは何も語らなかった。
*
日が傾きはじめる前に、イリアたちは帰ることにした。大墓所の石門まで、ガルディムも一緒についてくる。森に覆われた外の景色を前に、巨大な骸骨が足を止めた。
「ここまででよいぞ」
『承知イタシマシタ』
「また顔を出すから、待っておれ」
『イツデモ、オ待チシテオリマス』
イリアが笑う。
『イリア様』
「なんだ」
ガルディムは一度、言葉を探すように黙った。
『……オ戻リニナラレテ、本当ニ、良カッタ』
イリアの表情が、少しだけ柔らかくなる。
「ああ。ただいま、ガルディム」
その言葉を聞き、ガルディムは深く頭を下げた。シアネリスとルグナードも別れを告げ、カイルもそれに続く。
「また来ます、ガルディムさん」
『……待ッテイル』
イリアが影を広げる。カイルがそれを見て、少しだけ顔を引きつらせた。
「今度は、もう少し慎重にやる。心配するな」
「……お願いします」
四人を、影が包み込む。黒に沈む直前、イリアはもう一度ガルディムを見た。三メートル近い巨体が、崩れた石門の前に立っている。ぼろぼろのローブが、風にかすかに揺れていた。
次の瞬間、墓所の景色が視界から消えた。




