15. 夜を守る騎士たち
黒馬が石畳を蹴る。青白い鬣を大きくなびかせ、首なしの騎士が一直線に迫ってきた。構えられた長槍の切っ先は、まっすぐイリアへ向いている。
「イリア様!」
シアネリスが声を上げた。隣では、カイルも咄嗟に弓を構える。
「手を出すな」
「でも――」
「構わぬ」
黒馬が目前まで迫る。突き出された槍を、イリアは半歩だけ身体をずらしてかわした。穂先が、銀の髪のすぐ脇を抜けていく。
黒馬はそのまま三人の横を駆け抜け、少し先で大きく旋回した。
「随分と乱暴な挨拶だな」
街道の先で、騎士が再び槍を構える。黒馬が地を蹴った。
イリアの足もとから、影が伸びる。石畳の上を滑るように走り、迫る黒馬の脚へ絡みつこうとした。その直後、黒馬の身体が青白い火となって崩れる。
「えっ?」
馬上にいた騎士だけが、勢いを残したまま石畳に降り立った。そのまま一歩踏み込み、長槍を横薙ぎに振るう。イリアの前で影が立ち上がり、穂先と激しくぶつかり合った。鈍い音とともに、槍が止まる。
「馬が消えた……?」
カイルが目を見開いた。
騎士は槍を引き、石突で影を弾くと、穂先を返してイリアへ突き込む。イリアが軽く身体を逸らすと、外れた槍が石畳を削った。
「正気を失っても、その腕は変わらぬか」
騎士は答えない。素早く距離を取ると、その足もとに青白い火が広がった。炎が四本の脚を形作り、続いて黒い馬体へと変わっていく。瞬く間に黒馬が姿を取り戻し、騎士はその背へ跨った。
「……あの馬、普通の馬じゃないんですね」
「ええ。騎士と馬、合わせてひとりのデュラハンなのです」
シアネリスが答えるあいだに、黒馬が再び走り出す。長槍が、イリアへ迫った。
「まったく……」
イリアの影が、一気に広がる。黒馬の脚を捉えた。騎士はすぐさま馬を消して地面へ降りたが、そこへ別の影が伸びる。足へ。腕へ。槍へ。次々と黒い影が絡みつき、騎士の動きを封じていった。
それでもなお、騎士は力任せに抜け出そうとする。鎧の首元から漏れる青白い鬼火が、激しく揺れた。
イリアはその正面まで歩み寄り、しばらく騎士を見上げてから、小さく息を吐く。
「……いい加減、目を覚ませ。ルグナードよ」
騎士の動きが止まった。首元の鬼火が、大きく揺らめく。
「…………」
「ルグナード」
もう一度、名を呼ぶ。握られていた槍から、少しずつ力が抜けていった。
「……イ…………」
掠れた声が、鎧の奥から漏れる。青白い火が、次第に静まっていく。
ルグナードと呼ばれたデュラハンは、しばらく動かなかった。やがて槍の石突を地につくと、そのまま片膝を折る。
「……イリア様」
イリアは影を解いた。
「久しいな」
「本当に……お戻りになられたのですね」
「ああ」
ルグナードは片手を胸に添えた。
「申し訳ございません。私は、イリア様に槍を――」
「そのくらい、気にするな」
イリアが途中で遮る。
「シアも墓守たちも、同じようなものだった。其方だけではない」
「……そうでしたか」
「戻ってこられたのなら、それでよい」
首元の鬼火が、静かに揺れた。少し離れたところで様子を見ていたカイルも、ようやく弓を下ろす。ルグナードが、そちらへ身体を向けた。
「先ほどは、申し訳ない」
「……いえ、俺は何もされてませんし、大丈夫ですよ」
ルグナードはゆっくりと立ち上がり、周囲を見回した。草に埋もれた石畳。崩れた石柱。道のすぐ近くまで迫った木々。
「……随分、景色も変わりましたね」
「其方がここを巡りはじめてから、千年ほど経っておるからな」
ルグナードの動きが止まる。
「……千年?」
「ああ」
「そのように長い間……」
視線が、街道へ落ちた。
「どこまで覚えておる」
「はっきりとは。ただ……夜になれば、この道を巡らなければならない。それだけは残っておりました」
カイルが辺りを見回す。
「ここ、今はほとんど誰も通らないですよ」
「……そうなのか」
「全くってわけじゃないでしょうけど。今は新しい街道がありますから。俺も、ここまで来たのは今日が初めてです」
ルグナードは黙り込んだ。長い間、自分が歩き続けてきた道を、改めて見つめている。
「では……今、人々が使っている道は」
「リエルからルーデンへ行く道なら、村の近くを通ってますよ」
「夜にも、生者は通るのか」
「たまには。村の人も使いますし、旅人が来ることもあります」
「……そうか」
それきり口を閉ざしたルグナードは、やがて森の奥へ身体を向けた。
「イリア様。少々お待ちいただけますか」
「構わぬ」
しばらくすると、遠くから蹄の音が聞こえてきた。街道の向こうに、いくつもの青白い火が現れる。
「こんなにいたのか……」
カイルが思わず弓へ手を伸ばしたが、今度はシアネリスが首を横に振った。
首のない騎士たちが、次々とこちらへやってくる。先頭の一体がルグナードの前で止まると、黒馬が青白い火となって消え、騎士が地面へ降り立った。
「ルグナード様……」
「お前たちも、正気に戻ったか」
後ろの騎士たちも馬を消し、静かに並ぶ。ルグナードはひとりずつ見渡してから、草に覆われた街道へ目を向けた。
「この街道は、其方らに任せる。夜にここを通る生者がいれば守れ。獣や賊が現れれば退け、道に危険があれば知らせるのだ」
「承知イタシマシタ、ルグナード様」
ルグナードはしばらく黙っていた。
「……頼んだ」
「オ任セクダサイ」
騎士たちは再び青白い火から黒馬を形作り、それぞれ街道の先へ散っていく。蹄の音が遠ざかるのを、ルグナードは最後まで見送っていた。
「もうよいのか」
イリアが尋ねる。
「はい」
そう答えたものの、すぐには動かない。
「……私は、この道を守っていたつもりでした」
「ああ」
「ですが、今やほとんど使われていないのであれば……いつまでもここだけを巡る意味はありません」
カイルが、少し笑った。
「だったら、新しい街道も見に来ます?」
「……よいのか」
「見るだけなら、誰も困りませんよ」
ルグナードがイリアを見る。
「イリア様。現在使われている街道を、一度この目で確認したいのですが」
「好きにせよ」
「ありがとうございます」
その足もとに青白い火が集まり、再び黒馬が姿を現した。ルグナードが、その首へ手を置く。
「では、私もご一緒させていただきます」
カイルは黒馬を見上げた。
「……その馬、かっこいいですね」
「そうか。生者にそのように褒められたのは、初めてだ」
馬の首を撫でながら、ルグナードが言う。
「せっかくなら、乗るか?」
「え?」
予想していなかったのか、カイルが固まった。
「二人程度ならば問題ない」
「いや……今日は、歩きます」
「そうか。ではイリア様、どうぞお乗りください」
「よい、自分で歩く」
「しかし……森の中を、王に歩かせるわけには」
「ここまでも自分で歩いてきたのだ。気にするでない」
そんなやり取りをしながら、一行は村へと戻りはじめた。ルグナードは黒馬から降り、イリアたちの隣を歩いている。
しばらくして、イリアがふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、ルグナード」
「いかがなさいましたか」
「ほかの者について、何か覚えておらぬか」
「……ほかの原初ですか」
「ああ。シアは分からぬそうでな」
ルグナードは少し考える。
「全員は分かりませんが……ガルディムならば、最後に見た場所を覚えております」
「どこだ」
「ノクティア大墓所です」
イリアの足が止まった。
「……ノクティアか」
久しく聞いていなかった名だった。
「ノクティアって、何です?」
カイルが尋ねる。
「昔、私が住んでいた土地の名だ」
「この間まで眠っていた場所のことですか?」
「いや、別の場所だ。もっとも、今も同じ名で呼ばれているかは知らぬがな」
ルグナードが続ける。
「私が最後にガルディムを見たときも、あの者は大墓所を守っておりました」
「まだ、あそこにいると思うか」
「……ガルディムですから」
短い答えだった。シアネリスも、小さくうなずく。
「私も、まだいると思います」
「其方らが揃ってそう言うのなら、まだ守っていそうだな」
カイルだけが、よく分からない顔をしている。
「ノクティア大墓所なら、場所も覚えておる」
「ここから遠いんですか?」
「ああ、相当遠いぞ」
「じゃあ、だいぶ時間がかかりそうですね」
「……いや、そうでもない」
カイルが首を傾げた。
「……どういうことですか?」
「まあ、明日になれば分かる」
それ以上は教えず、イリアはそのまま、リエルへ向かって歩いていった。




