14. 古い街道
朝日が昇るころ、リエル村の門がゆっくりと開いた。
「昨夜ハ異常ナシ」
夜通し門に立っていたスケルトンが、畑へ向かう男にそう告げる。
「そうか。今夜も頼むな」
「承知シタ」
男は短く答え、鍬を担いで門を出ていった。しばらくして、村の上空を巡っていたバンシーも戻ってくる。
「森ノ北側ニ獣ガ数頭イマシタガ、村ヘ近ヅク様子ハアリマセンデシタ」
「分かった。ありがとう」
声をかけられたバンシーは小さく頭を下げ、そのまま墓地のほうへ飛び去った。
数日前までなら、それだけで村じゅうが大騒ぎになっていただろう。今では、朝になると夜の見張りから報告を受けるのが、当たり前になりつつあった。
*
「……やはり、大きくないか」
イリアは、建築途中の建物を見上げた。
村はずれでは、今日もスケルトンたちが材木や石を運んでいる。土台はすでにほぼ出来上がり、何本もの太い柱が立っていた。イリアが当初思い描いていたものより、どう見ても大きい。
「そうでしょうか」
隣に浮かぶシアネリスが、首を傾げる。
「イリア様がお過ごしになる部屋だけというわけにはまいりませんので」
「……どういうことだ?」
「夜の民が集まる場所も必要ですし、お客様をお迎えする部屋もございます」
「客など来るのか」
「いずれは」
「……いつ来るとも知れぬ日のために、これほど大きくしておるのか」
イリアが呆れたように建物を眺めていると、材木を担いだドーガンが通りかかった。
「俺も最初は、ちょっとでかい家を一軒建てるだけだと思ってたんですけどね」
「ほら見ろ」
「必要なものを、追加しただけでございます」
シアネリスはまったく悪びれない。
「其方の言う最低限は、もう信用せぬことにする」
「それは困りましたね」
「困っておるようには見えぬぞ」
シアネリスが、小さく笑った。
そのとき、村の向こうから一体のバンシーが飛んできた。普段よりずっと速い。シアネリスがそちらへ顔を向ける。
「どうしました」
「シアネリス様。少シ離レタ場所デ、夜ノ民ヲ見ツケマシタ」
「夜の民を?」
イリアも振り返った。
「どのような者だ」
「首ノ無イ騎士デス」
近くにいたカイルが、作業の手を止める。
「首のない騎士……デュラハンですか?」
「ああ、おそらくな」
イリアはうなずく。
「どこにいた」
「森ノ向コウニアル、古イ道デス。同ジ場所ヲ、何度モ行キ来シテイマシタ」
「襲われたのか」
カイルが尋ねる。
「イイエ。私ヲ見テモ、何ノ反応モアリマセンデシタ」
シアネリスが、少し考え込む。
「……巡回を、続けているのでしょうか」
「ああ、恐らくな」
「巡回?」
カイルが二人を見た。
「デュラハンは、元々そういう夜の民なのです」
シアネリスが答える。
「道や境界を巡り、そこに異変がないかを見て回ります」
「じゃあ、そのデュラハンは今も、仕事をしてるってことですか?」
「おそらくな。ただ、理性まで残っているかは分からぬ」
墓守だったスケルトンたちも、役目だけを残して生者に襲いかかっていた。同じことが起きていても、不思議ではない。
「古い道って、どこのことだ?」
カイルがバンシーに尋ね、説明を聞くうちに、その表情が変わっていった。
「ああ……あそこか」
「知っておるのか」
「俺も行ったことはないですけど、話なら聞いたことあります。今の街道ができる前に使ってた道が、森の向こうに残ってるって」
カイルは少し考えてから続ける。
「昔から、夜になると首のない騎士が出るって話も、あったような……」
「まさに、そのままだな」
「本当にいたんですね……」
イリアはバンシーに向き直った。
「ここから遠いのか」
「今カラ向カエバ、日ガ落チル頃ニハ着ケルカト」
「ならば、見に行くか」
あっさり決めたイリアに、カイルが弓を手に取る。
「俺も行きます」
「私も参ります」
「……好きにせよ」
シアネリスも、当然のようについてくる。イリアは建築途中の屋敷へ一度だけ目を向け、そのまま村を出た。
*
森を抜けるころには、太陽がかなり傾いていた。バンシーの案内で進んでいくと、やがて木々のあいだに、古い石畳が姿を現す。
ほとんどは土に埋もれ、隙間から草が伸びていた。道の両側には崩れた石柱が残り、かつては今よりずっと人の往来があったことをうかがわせる。
「これが古い街道か。全然使われてないな」
「このあたりのようです」
シアネリスが周囲を見回した。案内役のバンシーも、あたりを探るようにさらに高く舞い上がる。
「先程ハ、コノ道ヲ行キ来シテイマシタ」
「今は、どのあたりにいる」
「……近クニハ、見エマセン」
イリアは街道の先へ目を向けた。森の中は、すでに薄暗い。風が枝葉を揺らす音だけが聞こえる。しばらく待っても、何も現れなかった。
「もう、別の場所へ行ったんですかね」
カイルがそう言った、そのときだった。
遠くから、音がする。カイルが口を閉じた。硬いものが石を打つ規則正しい音が、次第に近づいてくる。
「……馬?」
カイルが弓に手を伸ばす。シアネリスも、街道の先を見つめた。
暗い木々のあいだに、小さな青白い光が見える。ゆらゆらと揺れながら、こちらへ近づいてくる。やがて、その輪郭がはっきりとした。
黒い馬だった。夜に溶け込むような黒い体。鬣と尾には、青白い火が音もなく燃えている。
その背に、騎士がいた。
全身を覆う、黒い重甲冑。長い槍。背には、擦り切れた暗赤色の外套が揺れている。
だが、鎧の上にあるべきものが、そこになかった。
「……頭が……」
カイルが呟く。
騎士には、首から上が存在しなかった。代わりに、鎧の首元から青白い鬼火が、静かに立ちのぼっている。黒馬の蹄が石畳を打つたび、その火が夜風に揺れた。
「……あれが、デュラハン?」
「ああ」
イリアが、騎士を見つめる。
首なしの騎士は、街道の途中で止まった。わずかな間、互いに動かない。やがて黒馬が、ゆっくりとこちらへ向きを変えた。
その瞬間、イリアの目がわずかに細められる。
「……ん?」
どこか、覚えのある気配がする。だが、それを確かめるより早く、黒馬が地を蹴った。
青白い鬣が、大きくなびく。首なしの騎士は長槍を構え、三人のいるほうへ、まっすぐに駆けてきた。




