表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
稲田峰望病院――あなたには、誰が見えていますか  作者: ハイエント


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/13

第8話 非常階段

 二階へ戻った瞬間、俺はようやく息を吐いた。


「はあ……」


「悠希、疲れすぎじゃない?」


 後ろから上がってきた美咲が笑う。


「一階全部歩いたんだから疲れるだろ」


「でも面白かったよね」


「俺は別に」


「私は面白かったです」


 水野さんまで楽しそうに言う。


 勘弁してほしい。


 俺としては、もう自分の部屋に戻りたい。


 一階を歩き回っただけで十分だった。


 暗い廊下。


 割れたガラス。


 崩れた天井。


 開かない扉。


 それに、正面玄関以外の出口まで全部使えないことも分かった。


 今日はもう何も見なくていい。


「じゃあ」


 美咲が階段の上を見た。


「次、三階行ってみる?」


「行かない」


 即答した。


「早いなあ」


「まず二階だろ」


「二階?」


「俺たちが泊まる場所だぞ。ここだってちゃんと見てないじゃん」


「ああ」


 美咲が周囲を見回す。


「確かに」


「一階をあれだけ見たんだから、先にこっち確認したほうがいいだろ」


「悠希、自分から探検するようになってる」


「探検じゃない。確認」


「またそれ?」


「寝る場所なんだから、一階より重要だろ」


 階段を上がったところから、すぐ左へ曲がる。


 そこから西側へ、一本の廊下が伸びていた。


 俺たちが使っているのも、この区画だ。


 廊下の両側に病室が並んでいる。


 昼間の説明では、全部で十室ほどあると言っていた。


 そのうち六室が、今回の参加者用に用意されている。


 古い病室を簡単に掃除し、ベッドに新しいシーツと枕を入れた部屋だ。


「こっちは?」


 水野さんが階段の正面側へライトを向けた。


 廊下らしきものはある。


 だが、その入口は大きな防火扉で完全に塞がれていた。


 上から下まで閉じたままになっている。


 脇には、


 ――立入禁止。


 と書かれた札。


「東側は最初から行けないみたいですね」


 水野さんが言う。


「ああ」


 俺はスマートフォンを取り出す。


「もうメモするの?」


 美咲が笑う。


「するよ。あとで分からなくなるから」


 東側通路。


 防火扉。


 通行不可。


 それだけ打ち込んだ。


 もう一方。


 南側へ続いていたらしい通路も同じだった。


 こちらも大きな防火扉が完全に閉じている。


 隙間はない。


 そもそも、宿泊者が入ることを想定していないらしい。


「つまり」


 俺は周囲を見る。


「今使えるの、西側だけってことか」


「みたいだね」


「思ってたより二階小さいんですね」


 水野さんが言う。


「使えるところだけならな」


 西側の廊下へ入る。


 すぐに、俺たちが宿泊に使っている病室が並んでいた。


「ここ、悠希の部屋」


 美咲が指差す。


「知ってるよ」


「その隣が私」


「それも知ってる」


「確認」


「それはメモしなくていい」


 水野さんが笑った。


 六人が使っている病室は、どれも似たような状態だった。


 古いベッド。


 小さな棚。


 窓。


 最低限の掃除。


 そして新しいシーツ。


 そこはすでに知っている。


 問題は、残っている四室だった。


「こっち、使ってない部屋だよね」


 美咲が一つの扉を開けた。


「うわ」


 中を照らして、すぐに声を漏らす。


 ベッド。


 外されたマットレス。


 古い椅子。


 小さな棚。


 それらが部屋の奥へ押し込まれている。


「物置みたい」


 水野さんが言った。


「たぶん、使う六部屋からどけた物を入れてるんじゃないか?」


 俺は入口からライトを向ける。


 人が入れないわけではない。


 だが、わざわざ奥まで進めるような状態でもない。


 床の大半が物で埋まっている。


「ここ入る?」


 美咲が聞く。


「入らない」


「やっぱり」


「見る場所ないだろ。入口から十分見える」


「まあ、そうだね」


 スマートフォンを取り出す。


 未使用病室。


 物置状態。


 奥まで入れない。


 次の部屋も似たようなものだった。


 古いベッドフレームが二台。


 外された棚。


 壊れた椅子。


 丸めたカーテン。


 不要になったものが適当に押し込まれている。


 三室目にはマットレスが壁へ立てかけられていた。


 四室目はさらに物が多く、扉を半分ほど開けただけで中の棚に当たった。


「これは無理だね」


 美咲が扉を押しながら言う。


「だから言っただろ」


「悠希、ちょっと嬉しそう」


「何でだよ」


「入らなくて済むから」


「……そういうわけじゃない」


 少しはそういうわけだった。


 四つとも、確認だけして先へ進む。


 二階は一階ほど複雑ではなかった。


 ほとんど病室しかない。


 その途中に洗面所。


 隣にトイレ。


 ここは昼間にも説明を受けている。


 洗面所の蛇口をひねる。


 水が出た。


「ちゃんと出る」


 美咲が手を濡らす。


「飲むなよ」


「分かってるって」


「一階は出なかったのに」


 水野さんが言う。


「使う場所だけ水を通してるんじゃないですかね」


「たぶん」


 そこもメモ。


 その先には食堂がある。


 食堂へ近づいたときだった。


「だから、これは普通に駄目だろ」


 中から佐伯さんの声が聞こえた。


「佐伯さん?」


 美咲が足を止める。


 声の調子が、いつもより強い。


 三人で食堂へ入った。


 佐伯さんがテーブルの前に立っていた。


 森川さんと藤田もいる。


「どうしたんですか?」


 俺が聞く。


 佐伯さんがこちらを見る。


「お前ら、どこ行ってたんだ?」


「一階」


 美咲が答えた。


「ちょっと探検してました」


「一階を?」


「だいたい全部」


 水野さんが言う。


「危ないところには入ってないです」


「……元気だな、お前ら」


 佐伯さんが呆れたように言った。


「佐伯さんは何で怒ってるんです?」


 俺が聞く。


 すると佐伯さんが廊下の奥を指した。


「非常階段」


「非常階段?」


「この西側の一番奥にある」


 佐伯さんが椅子へ座る。


「気になったから見てきたんだよ。正面玄関、外から南京錠かけられてるだろ」


「ああ」


「何かあったとき、非常階段から出られるのかと思ってな」


「使えなかったんですか?」


「使える状態じゃない!」


 佐伯さんの声がまた強くなる。


「このイベント会社、本当に何考えてんだよ!」


 森川さんが困ったような顔をした。


「さっきからずっと怒ってるんです」


「当たり前だろ」


 佐伯さんが言う。


「玄関を外から閉める。非常階段は使えない。じゃあ、途中で帰りたくなったらどうするんだ!」


「緊急連絡先はありますけど」


 水野さんが言う。


「それだけじゃ足りないだろ」


 佐伯さんは首を振った。


「体調悪くなるかもしれない。火事が起きるかもしれない。何か事故が起きるかもしれない」


 確かに。


 佐伯さんは一階を見ていない。


 それでも非常階段を確認しただけで、そこまで思ったらしい。


「一階も全部駄目でしたよ」


 俺が言った。


「何?」


「ほかの出口、見てきたんです」


 スマートフォンを出す。


「東に職員通用口、西に非常口、南に搬入口があるんですけど、全部そこまで行けません」


「どういうことだ?」


「東は天井が崩れてる。西は床が抜けてる。南は防火扉の向こうが塞がってました」


 佐伯さんの表情がさらに険しくなった。


「全部か?」


「少なくとも俺たちが見た限りは」


「ますます駄目じゃねえか」


 佐伯さんが吐き捨てる。


「緊急電話一本用意したから安全です、じゃ済まないだろ。最低でも非常階段くらいは使えるようにしておけよ」


「まあ、モニターツアーですし」


 藤田が苦笑する。


「こういうところも報告してくださいってことなんじゃないですか?」


「安全確認を客にやらせるなよ」


「それは確かに」


「報告書には絶対書く」


 佐伯さんは本気だった。


 むしろ当然だと思う。


「非常階段って、どんな状態だったんですか?」


 美咲が聞く。


「見れば分かる」


「行ってみようよ」


 やっぱり言った。


 俺は美咲を見る。


「……行くの?」


「気になるじゃん」


「俺は気にならない」


「でも出口なんでしょ?」


 言われると弱い。


 一階の出口を全部確認した以上、二階の非常階段だけ見ないというのも気持ちが悪い。


「……まあ、そこだけなら」


「決まり」


「そこだけだからな」


「はいはい」


 水野さんが笑う。


 また三人で食堂を出た。


 *


 西側の廊下を一番奥まで進む。


 途中。


 廊下に面したところに一つだけ、病室ではない区画があった。


「ここ何?」


 美咲がライトを向ける。


 窓口のように廊下へ開いた部分。


 内側には古い机。


 壁に薄れたプレートが残っている。


 ――ナースステーション。


「ナースステーションか」


 俺は入口から中へライトを向けた。


 古い机や棚が見える。


 それ以外には、特に何かあるようには見えなかった。


「入ってみる?」


 美咲が聞く。


「入らない」


「即答」


「何もなさそうだろ」


「まあね」


「だったらいいだろ」


 俺は中へ入らず、そのまま先へ進んだ。


 スマートフォンには、


 ナースステーション。


 とだけ追加しておく。


 そこを通り過ぎて、さらに奥へ進む。


 やがて廊下の突き当たりに扉が見えた。


 上に古い表示。


 ――非常階段。


「あれだね」


 美咲が言う。


「ああ」


 扉の前まで行く。


 外から鍵はかかっていない。


 俺が取っ手へ手をかけた。


「開けるぞ」


「うん」


 押す。


 ギィィ、と金属音を立てて扉が開いた。


 冷たい外気が入ってくる。


 俺は懐中電灯を向けた。


「……うわ」


 美咲が小さく声を漏らした。


 扉の外には、小さな踊り場があった。


 その先。


 本来なら下へ続いているはずの階段が、大きく崩れている。


 コンクリートの一部が剥がれ落ち、残った段にも無数のひびが走っていた。


 崩れた断面からは、錆びた鉄筋が何本もむき出しになっている。


 階段の縁も欠けていた。


 手すりも途中で折れている。


「これ……かなり崩れてますね」


 水野さんが言う。


「ああ」


 俺は入口から下へライトを向けた。


 崩れ落ちたコンクリートの塊。


 折れ曲がった鉄筋。


 その間に、まだ残っている階段の一部が見える。


 普通に歩いて降りられる状態ではない。


 だが、完全に下へ行けないわけでもなさそうだった。


「これ、無理すれば降りられるのかな」


 美咲が言った。


「降りられるかもしれないけど……普通に大怪我するだろ」


「ロープとかあれば?」


「それなら、もしかしたら」


 ただ、そこまでして外へ出る意味があるとも思えない。


「でも、降りたところでどうするんだよ」


「どうするって?」


「もうすぐ暗くなるし、この辺、民家も何もないだろ」


「ああ……」


 美咲が外を見る。


 病院の周囲にあるのは山ばかりだ。


 ここへ来る途中も、近くに家らしい家はほとんど見なかった。


 日が落ちてから山道を歩くなんて、俺なら絶対にやりたくない。


「ロープがあったとしても、私は嫌ですね」


 水野さんが言う。


「だよな」


 素手で無理に降りようとすれば、途中で足を滑らせるか、崩れたコンクリートで怪我をする可能性が高い。


 何か道具を使って慎重に降りるなら別かもしれない。


 少なくとも、非常階段として使える状態ではなかった。


「こんなの、非常階段じゃないじゃん」


 美咲が言った。


「佐伯さんが怒るのも分かるな」


「扉は普通に開くのに」


「せめて危険って分かるようにしとけよ」


 間違って外へ出れば、それだけで事故になりかねない。


 俺は踊り場へは出ず、その場から確認した。


 スマートフォンを取り出す。


「またメモ?」


「これは書くだろ」


 二階。


 非常階段。


 コンクリート剥落。


 階段一部崩落。


 鉄筋むき出し。


 通常使用不可。


 そう打ち込んだ。


「これで二階も全部かな」


 美咲が言う。


「使えるところはな」


「病室も見たし」


「四つとも物置みたいだったけどな」


「ナースステーションもあったし」


 水野さんが指折り数える。


「東と南は最初から行けないし」


「ああ」


 俺はメモアプリを開いた。


 一階と同じように、二階で確認したことを見直す。


 やっぱり、自分用なのでかなり雑だ。


【二階】


 ・西側通路 通行可


 ・宿泊用病室 6室


 ・未使用病室 4室。ほぼ物置。古いベッド、棚、マットレスなど


 ・ナースステーション あり


 ・食堂 確認


 ・洗面所 水出る


 ・トイレ 使用可


 ・東側通路 防火扉。最初から通行不可


 ・南側通路 防火扉。最初から通行不可


 ・非常階段 扉は開く


 ・非常階段 コンクリート剥落。階段一部崩落。鉄筋むき出し。通常使用不可


「こんなもんか」


 俺が言う。


「二階は一階より分かりやすいね」


 美咲が画面を覗き込む。


「西側しか使えないからな」


「これなら迷うこともなさそうですね」


 水野さんも言った。


「そうだな」


 俺は一覧の下のほうを見る。


 東は行けない。


 南も行けない。


 西側の一番奥にある非常階段も、普通には使えない。


 一階からも外へ出られない。


 正面玄関は、外から南京錠をかけられている。


「……やっぱり逃げ道ないんだな」


 俺が呟く。


「またそれ?」


 美咲が言う。


「仕方ないだろ。確認したらそうなってるんだから」


「でも、今は逃げる必要ないじゃん」


「まあ……そうだけど」


「何かあったら電話」


 美咲が指を一本立てる。


「日曜には迎えが来る」


 二本目。


「あと二日」


「分かったよ」


「だから大丈夫」


 その言葉。


 いつもは俺が美咲に言っていた。


 今度は逆だった。


「……そうだな」


 俺はスマートフォンをしまった。


 もう一度、非常階段の向こうを見る。


 剥がれ落ちたコンクリート。


 むき出しになった鉄筋。


 崩れて、ところどころ途切れた階段。


 無理をすれば、下まで降りられるのかもしれない。


 ただ古くなって、壊れただけだ。


 それだけのはずなのに。


 閉める直前まで、


 俺は何となく、その暗い下のほうから目を離せなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ