第4話 あの人、何歳でした?
コンダクターが帰ってから、俺たちは二階の食堂へ集まった。
時刻は午後五時を少し回ったところだった。
山の中だからなのか、窓の外はすでに薄暗くなり始めている。
まだ懐中電灯が必要なほどではないが、あと一時間もしないうちに、この建物の中は真っ暗になるだろう。
「とりあえず、お茶でも飲みません?」
美咲の一言で、全員が食堂へ集まることになった。
それぞれ部屋へ荷物を置き、持参した飲み物や菓子を長机の上へ並べる。
俺はペットボトルのお茶。
美咲は紅茶。
藤田はコーヒー。
佐伯さんはなぜか小さな紙パックの野菜ジュースを持ってきていた。
「せっかくだし、もう一回ちゃんと自己紹介しません?」
美咲が言った。
「バスの中じゃ名前しか言ってないようなものでしたし」
「賛成」
水野沙耶が頷いた。
「二泊一緒にいるんだもんね」
「じゃあ、言い出した美咲から」
「え、私?」
「当然だろ」
「じゃあ……」
美咲が少し考えてから話し始めた。
「小野寺美咲です。大学二年です。怖い話とか都市伝説が好きで、こういう心霊スポットには前から一度来てみたいと思ってました」
「やっぱりそうなんだ」
藤田が笑う。
「彼氏と一緒なら怖くない?」
「うーん」
美咲が俺を見る。
「悠希がいるから、まあ大丈夫かな」
「任せとけ」
反射的に言ってしまった。
言ったあとで、少し後悔する。
何をどう任せろというのか、自分でも分からない。
「次、悠希」
「俺かよ」
「彼氏なんだから」
「関係ないだろ」
そう言いながらも、仕方なく口を開いた。
「西岡悠希。大学三年です。こういうのは……別に好きじゃないです」
「嫌いなのに来たんですか?」
森川奈緒が不思議そうに聞く。
「友達に誘われたんですよ。本当はそいつも来る予定だったんですけど、家の事情で急に来られなくなって」
「それで彼女さんと二人で?」
「そういう感じです」
「いいなあ」
藤田が笑う。
「心霊スポットで彼女を守る彼氏」
「やめてくださいよ」
美咲だけが楽しそうに笑っていた。
続いて佐伯直樹。
三十四歳。
会社員。
休みの日には廃墟や古い建物を撮影するのが趣味らしい。
「別に幽霊を信じてるわけじゃないんですけどね」
佐伯さんは野菜ジュースを飲みながら言った。
「昔の建物って好きなんですよ。廃墟になると、そこに人がいた痕跡だけ残ってるじゃないですか。そういうのを見るのが好きで」
「怖くないんですか?」
美咲が聞く。
「一人じゃなければ」
「一人では行かないんだ」
「危ないですからね。幽霊より床が抜けるほうが怖い」
それには同感だった。
森川奈緒は二十七歳。
事務職。
心霊ものはそこまで好きではないが、友人にこのツアーを教えてもらい、無料なら面白そうだと思って申し込んだらしい。
藤田翔太は二十四歳。
社会人二年目。
動画サイトで心霊系の配信を見るのが好きで、今回は自分でも何か撮れればと思って参加したという。
最後は水野沙耶。
二十二歳の大学生。
美咲と同じように怪談が好きで、宿泊型の心霊イベントという言葉に惹かれたらしい。
「こうしてみると、好きな人多いんですね」
俺が言うと、
「悠希だけ場違いじゃない?」
美咲が笑った。
「だから最初から来たくなかったんだって」
「でも来てくれたじゃん」
「まあ……」
美咲が嬉しそうなので、それ以上は言わなかった。
自己紹介が終わるころには、最初のぎこちなさもだいぶなくなっていた。
二泊三日。
最初は長いと思っていたが、このメンバーなら案外普通に過ごせるかもしれない。
そんなことを思い始めていた。
「それにしてもさ」
佐伯さんが空になった紙パックを潰した。
「あの会社、結構ふざけてるよな」
「何がです?」
藤田が聞く。
「コンダクターだよ」
「あの人?」
「そう」
佐伯さんが苦笑する。
「第一回のモニターツアーなんだろ? それなのに、あんな子供に案内役やらせるか普通」
誰も答えなかった。
俺は佐伯さんを見る。
何を言っているのか分からなかった。
「……子供?」
最初に声を出したのは美咲だった。
「うん」
佐伯さんは何でもないように頷く。
「中学生くらいだっただろ?」
食堂が静かになった。
さっきまで笑っていた藤田も黙っている。
「いや……」
俺は思わず口を開いた。
「何言ってるんですか?」
「何が?」
「あのコンダクター、女の人でしたよ」
「だから女の子だっただろ?」
「女の子じゃないですよ」
俺は笑おうとした。
佐伯さんが冗談を言っている。
そう思った。
「あの人、六十歳くらいの女性だったじゃないですか」
佐伯さんの顔から笑みが消えた。
「……は?」
「白髪の混じった髪を後ろでまとめてた、年配の女性ですよ」
「いやいや」
佐伯さんが首を振る。
「何言ってんの?」
今度は俺が黙る番だった。
「十二、三歳くらいの女の子だっただろ。黒いパーカー着た」
「そんなわけない」
美咲が小さく言った。
「私が見た人、もっと若かったよ」
全員の視線が美咲へ向いた。
「若いって?」
「二十代くらいの女の人。髪が長くて、ベージュのスーツ着てた」
「……スーツ?」
俺が聞く。
「うん」
「紺色のジャケットじゃなくて?」
「違うよ」
美咲は不安そうに俺を見た。
「悠希、本当にお婆さんに見えてたの?」
「見えてたっていうか……そうだっただろ」
「ちょっと待って」
森川さんが口を挟んだ。
顔が強張っている。
「あの人、男じゃなかった?」
「え?」
「四十歳くらいの男の人だったよね?」
誰も答えない。
「眼鏡をかけてて……白いTシャツを着てた」
「俺も違います」
藤田が言った。
さっきまでの明るい声ではなかった。
「俺には、もっと年寄りの男に見えました。七十くらいの」
「私は……」
水野さんが言いかけて止まる。
「水野さんは?」
美咲が尋ねた。
「高校生くらいの女の子」
俺は何も言えなかった。
六人が黙り込む。
佐伯さんがゆっくりと全員を見回した。
「……ちょっと待ってくれ」
さすがに佐伯さんも冗談だとは思えなくなったらしい。
「じゃあ、みんな違う人間を見てたってこと?」
「そんなわけ……」
俺は言いかけた。
ない。
そう言いたかった。
だって俺たちは同じマイクロバスに乗ってきた。
同じ人間から説明を受けた。
同じ人間に病院を案内してもらった。
同じ玄関から、その人が出ていくところを見ていた。
なのに。
「しかもさ」
佐伯さんが言った。
「最後、あいつふざけてたよな」
「……何が?」
「扉を閉める前」
佐伯さんが右手を上げた。
人差し指と中指を立てる。
ピースサイン。
「こんなことしてたじゃん」
俺の背中に、冷たいものが走った。
「……してない」
「したよ」
「してないって」
「いや、俺は見た」
佐伯さんがピースサインを出したまま、困惑した顔をする。
「あの子、最後にこっち向いて、こうやってた」
「俺が見た人は違います」
「違う?」
「あの人は……」
扉が閉まる直前。
俺が見た年配の女性も、確かにこちらを振り返った。
そして右手を上げた。
ただし、
ピースサインなんかじゃない。
開いた手のひらをこちらへ向けて、軽く左右に振っただけだ。
別れ際の、ごく普通の挨拶。
「俺が見た人は、普通に手を振ってました」
「手を振ってた?」
「はい」
佐伯さんがゆっくりとピースサインを下ろした。
「じゃあ……最後にしてたことまで違ったってことか?」
誰も答えられなかった。
俺たちは同じ場所にいた。
同じ相手を見ていた。
そのはずだった。
なのに、
誰一人として、
同じ人間を見ていなかった。




