第12話 藤田が来ない
最初のうちは、誰もそこまで気にしていなかった。
「まだ寝てるんじゃない?」
美咲がパンを食べながら言った。
「昨日、結構歩いてたしね」
森川さんもそう言っていた。
俺も、昨日歩き疲れていた。
だから、たぶんそうだろうと思った。
それに、朝食の時間が決まっているわけでもない。
昨日は一日中、病院の中を歩き回っていたのだろう。
それなら少しくらい寝坊していても、おかしくはない。
だから、そのまま待った。
食堂で話をしながら。
残っていた食料を食べながら。
何度か入口へ目を向けながら。
けれど。
八時半を過ぎても、藤田さんは来なかった。
九時が近くなっても、姿を見せない。
「さすがに遅くないかな?」
美咲がスマートフォンを見ながら言った。
「もう九時前だよ」
「そうだな」
俺も少し気になっていた。
佐伯さんが腕時計を見る。
「一回、部屋を見てきたほうがいいかもしれないな」
「俺たち行ってきます」
俺が言うと、美咲も立ち上がった。
「私も行く」
「じゃあ頼む」
俺と美咲は食堂を出た。
*
藤田さんが使っている部屋は、俺たちの部屋からそれほど離れていない。
廊下を歩きながら、美咲が言った。
「ほんとに寝てたりして」
「だったら起こせばいいだろ」
「すごい寝起き悪かったらどうする?」
「知らないよ」
「悠希が起こしたことにしよう」
「何でだよ」
そんなことを話しながら、藤田さんの部屋の前まで来た。
扉は閉まっている。
俺は軽くノックした。
コン、コン。
「藤田さん?」
返事はない。
少し待つ。
何も聞こえない。
今度は少し強めに叩いた。
「藤田さん。起きてます?」
やはり返事はなかった。
「寝てるのかな」
美咲が扉を見る。
「これだけ呼んだら起きるだろ」
「じゃあ、いない?」
「分からない」
俺はドアノブに手をかけた。
一瞬ためらう。
勝手に入るのは気が引けた。
けれど、もう九時近い。
何度呼んでも返事がない。
「開ける?」
美咲が聞く。
「仕方ないだろ」
ノブを回す。
鍵はかかっていなかった。
「……失礼します」
「誰に言ってるの?」
「うるさいな」
扉をゆっくり開けた。
部屋の中は静かだった。
カーテンは閉じられている。
ベッドには誰もいない。
「藤田さん?」
もう一度呼ぶ。
返事はなかった。
美咲が部屋の中を覗き込む。
「いないね」
「ああ」
ベッドの脇。
窓際。
部屋の隅。
人が隠れられるような場所でもない。
ただ、藤田さんのものらしい荷物は残っていた。
バッグ。
着替え。
細かい持ち物もいくつか見える。
少なくとも、全部まとめて持って出たようには見えなかった。
「荷物、あるよね」
美咲が言った。
「あるな」
「じゃあ、どこ行ったんだろ」
「トイレとかじゃない?」
「それなら、とっくに戻ってると思うけど」
「……そうだな」
少しだけ、嫌な感じがした。
昨日までなら。
一人でどこかを見に行っただけだと思えたかもしれない。
藤田さんは、こういう場所が好きだった。
心霊系の動画をよく見ると言っていたし、このツアーにも楽しそうに参加していた。
だから、朝早くから一人で病院の中を歩き回っている可能性はある。
けれど。
朝食にも来ない。
何も言わず。
荷物を残したまま。
「……一回、戻ろう」
俺が言った。
「うん」
この時点では、荷物を詳しく調べようとは思わなかった。
財布があるのか。
スマートフォンがあるのか。
ほかに何を持ち出しているのか。
そこまでは確認しなかった。
本人が少し出歩いているだけなら、勝手に荷物を漁るのも嫌だった。
俺たちは部屋を出て、食堂へ戻った。
*
「いませんでした」
食堂へ戻るなり、俺はそう言った。
「部屋にも?」
森川さんが聞く。
「はい」
「寝てなかった?」
水野さんが言う。
「誰もいませんでした」
「荷物は?」
佐伯さんが聞いた。
「残ってました。バッグとか着替えとか」
「スマホは?」
「そこまでは見てません」
「財布は?」
「それも」
佐伯さんが腕を組んだ。
「ふむ……」
「おかしくないですか?」
水野さんが言った。
「何が?」
「荷物を置いたまま、朝からどこか行くって」
「病院の中を見て回ってるだけかもしれない」
森川さんが言う。
「藤田さん、こういうところ好きそうでしたし」
「それはありそう」
美咲も頷いた。
「昨日も何か出ないかなってずっと言ってたし」
「でも何も言わずに?」
水野さんはまだ気になるようだった。
「まあ、ちょっと見てくるくらいなら言わないかもしれないけど」
俺もそう答えながら、考えた。
昨日確認した場所。
一階。
二階。
三階。
俺はスマートフォンを取り出した。
メモアプリを開く。
昨日歩いた場所を、上から見直した。
受付。
待合室。
診察室。
処置室。
事務室。
食堂。
病室。
倉庫。
入れなかった場所も含めて、それなりに記録してある。
「探すなら、昨日見たところから順番に確認できます」
俺が言うと、佐伯さんが画面を覗いた。
「それがいいな」
「まだ見てない場所も少しありますけど」
「危ないところには入るなよ」
「はい」
佐伯さんは少し考えたあと、立ち上がった。
「一回、全員で探そう」
さっきまでの軽い空気が、少しだけ変わった。
「そこまでします?」
森川さんが聞く。
「念のためだ」
佐伯さんが答える。
「一人でうろついてるだけなら、それで終わりだ。見つけて食堂に戻ればいい」
「見つからなかったら?」
美咲が聞いた。
佐伯さんは少し黙った。
「そのとき考える」
俺はスマートフォンを握った。
まだ、何かあったとは思っていなかった。
藤田さんは、ただ一人で病院の中を歩いているだけ。
そう思っていた。
そうであってほしかった。
「三組に分かれよう」
佐伯さんが言った。
「西岡君と小野寺さんが一階。森川さんと水野さんが三階。俺が二階を見る」
「一人で大丈夫ですか?」
水野さんが聞く。
「二階ならさっきまでいたし、問題ない」
「見つけたら?」
「すぐ食堂に戻る。誰かと会ったら、その人にも伝える」
俺たちは頷いた。
「危ないところには入らないようにな」
佐伯さんが念を押す。
俺はもう一度、メモアプリを開いた。
昨日確認した一階の部屋を、上から順に見ていく。
藤田さんが、どこかで普通に笑っている。
そのときはまだ。
本当に、それくらいにしか考えていなかった。




