第13話 非常階段の痕跡
藤田さんを探すことになった俺たちは、三組に分かれて病院内を確認することになった。
俺と美咲が一階。
森川さんと水野さんが三階。
佐伯さんが二階。
昨日のうちに、ある程度は建物の中を見て回っている。
だから、誰がどこを探すかはすぐに決まった。
「見つけたら、すぐみんなに知らせよう」
佐伯さんが言った。
「危ないところには入らないようにな」
俺たちは頷き、それぞれの階へ向かった。
*
一階は、昨日、美咲たちとかなり見て回っている。
俺はスマートフォンを取り出し、メモアプリを開いた。
受付。
待合室。
第一診察室。
第二診察室。
処置室。
薬局跡。
事務室。
昨日確認した場所を、上から順にもう一度見ていく。
「藤田さーん!」
美咲が廊下の先へ呼びかける。
返事はなかった。
「いないね」
「ああ」
「どこ行ったんだろ」
「一人でどっか見に行ったんじゃない?」
「でも、朝ご飯にも来ないで?」
「分からないよ」
そう答えながら、俺も少し気になっていた。
藤田さんは、こういう場所が好きだった。
心霊系の動画をよく見ると言っていたし、このツアーにもかなり興味を持って参加したようだった。
だから一人で病院内を見て回っていたとしても、そこまで不思議ではない。
けれど。
だったら、どこにいる?
俺はメモを見ながら、一つずつ確認していった。
昨日入った部屋。
まだ奥まで確認していない場所。
危険で入れなかった場所は、入口から声だけかける。
「藤田さん!」
返事はない。
「こっちはいないみたいだな」
一階を一通り確認しても、藤田さんの姿はなかった。
「三階にいたりして」
「水野さんたちが見つけるだろ」
「二階かも」
「佐伯さんが探してる」
「じゃあ、どこにもいなかったら?」
「……そのとき考えよう」
俺たちは食堂へ戻った。
少しして、森川さんと水野さんも戻ってくる。
「いませんでした」
森川さんが首を横に振った。
「三階の見られるところは確認したんですけど」
「こっちも一階にはいなかった」
残るのは二階。
けれど、佐伯さんだけが戻ってこない。
「佐伯さんが見つけたのかな」
美咲が言った、そのときだった。
食堂の入口から足音が聞こえた。
佐伯さんだった。
「みんな戻ってるな」
「藤田さん、いました?」
俺が聞く。
「いや」
佐伯さんは首を横に振った。
「本人はいない。ただ、ちょっと見てもらいたいものがある」
「何ですか?」
「二階の非常階段だ」
佐伯さんはそう言って、廊下へ目を向けた。
「全員で来てくれ」
俺たちは顔を見合わせ、そのまま佐伯さんについていった。
*
非常階段の前まで来ると、佐伯さんが足元を指した。
「これ、藤田のじゃないか?」
床に、大きめの懐中電灯が置かれている。
「あ」
水野さんが声を上げた。
「藤田さんが持ってたやつですよね」
「多分な」
昨日、藤田さんが持っていたものに見える。
「落としたんですかね」
森川さんが聞く。
「分からない。ただ、それだけじゃない」
佐伯さんが非常階段の外を指した。
「下、見てみろ」
俺たちは扉の近くまで行き、外を覗いた。
踊り場からして、すでにかなり傷んでいる。
コンクリートの端が大きく欠け、その先の階段も途中で崩れていた。
鉄筋までむき出しになっている。
そのずっと下。
一階側に、黒いものが落ちていた。
「……帽子?」
美咲が言った。
黒いキャップ。
遠目でも見覚えがあった。
「藤田さんのだ」
「ですよね」
昨日、藤田さんがかぶっていた帽子だった。
そのすぐ近くには、もう一つ何かが落ちている。
細長いもの。
「あれ、ロープじゃないですか?」
水野さんが言った。
確かにそう見える。
帽子の近くに、一本のロープが落ちていた。
「多分、あいつここから出たんだ」
佐伯さんが言った。
「ここから?」
俺は壊れた階段を見る。
「正面玄関は外から鍵をかけられてる。ほかの出口も使えないんだろ?」
「はい」
「だったら、ここから降りたんじゃないか」
佐伯さんが一階側を見る。
「朝方、みんなが寝てる間に」
「でも……」
水野さんが下を見つめる。
「あのロープ、短くないですか?」
俺も同じことを思った。
正確な長さまでは分からない。
ただ、とても二階から下まで届くようには見えなかった。
「短いな」
佐伯さんも認めた。
「じゃあ、どうやって降りたんです?」
「別のロープを持ってたのかもしれない」
「別の?」
「あそこに落ちてるやつだけで降りたとは限らないだろ」
佐伯さんが崩れた階段を見る。
「もっと長いロープを使って下まで降りて、それは持っていったのかもしれない。あそこにある短いのは、途中で使っただけかもしれないしな」
「そんなの持ってきてたんですかね」
「分からない」
佐伯さんは少し考える。
「服やベルトを使った可能性だってある。ある程度まで降りて、最後は飛び降りたのかもしれない」
「そんなことします?」
「普通はしない」
佐伯さんは苦笑した。
「でも、じゃあどう説明する?」
誰も答えない。
「一階にもいない。二階にもいない。三階にもいない」
佐伯さんは足元の懐中電灯を見る。
「ここには藤田の懐中電灯。下には帽子とロープだ」
「……逃げたってことですか」
森川さんが言った。
「一番ありそうなのはな」
「でも、朝方だとしても、懐中電灯をここに置いていったら……そのあとどうしたんでしょう」
「スマホがあるだろ」
佐伯さんが答えた。
「藤田の部屋も見た。荷物は残ってたけど、スマホはなかった。あいつ、スマホは持って出てるみたいだ」
「部屋、見たんですか?」
俺は尋ねた。
「二階を探してる途中にな。本人はもちろんいなかった」
佐伯さんは、自分を納得させるように続けた。
「スマホがあればライトくらい使える。それに、少し明るくなってから出たのかもしれない」
「じゃあ、これは何で置いていったんです?」
森川さんが懐中電灯を見る。
「でかいからじゃないか? ロープで降りるなら両手も使いたいだろうし」
佐伯さんは少し考えてから続けた。
「それか、単純に忘れたか」
一応、説明はつく。
全部。
一応は。
藤田さんは、朝方に一人でここを出た。
壊れた非常階段を、何か道具を使って降りた。
大きな懐中電灯は邪魔になるから二階に置いていき、下へ降りる途中か、降りたあとに帽子を落とした。
その後はスマートフォンのライトでも使って山を下りた。
そう考えればいい。
「でも」
水野さんが非常階段の扉を見る。
「ここ、こんなに危ないなら、扉を開かないようにしておけばよくないですか?」
「ああ」
俺も昨日から少し気になっていた。
「南京錠とか掛けとけばいいですよね」
「外側からは無理だろ」
佐伯さんが言った。
「外側?」
「見れば分かる」
扉の先へ懐中電灯を向ける。
「踊り場からあの状態だ。外側に回って、この扉に南京錠を掛けたり外したりできるような場所じゃない」
「ああ……」
確かにそうだ。
扉の外へ出た時点で、足元そのものが危ない。
「じゃあ内側から掛ければ?」
美咲が聞く。
「内側なら、壊そうと思えば壊せるだろ」
「南京錠でも?」
「時間掛ければな。何か道具を持ち込む奴だっているかもしれないし」
佐伯さんが扉の近くを見る。
扉の脇には、「非常階段使用禁止」と書かれた注意書きが貼られている。
「それに、こういうツアーに来る連中だぞ」
「どういう意味?」
「鍵が掛かってたら、逆に開けようとする奴がいるんじゃないか?」
「……ああ」
美咲が納得したように声を上げた。
「この先に何かあるんじゃないかって?」
「そういうこと」
佐伯さんが頷いた。
「だから警告を出して、実際に外を見せてるんじゃないか。扉を開ければ、踊り場も階段も壊れてるのがすぐ分かる」
俺も改めて外を見る。
崩れた踊り場。
途中で欠けた階段。
むき出しの鉄筋。
「普通は、これ見たら降りようとは思わないな」
「ロープでもなきゃ無理ですよね」
水野さんが言う。
「ああ。少なくとも安全に降りるのは無理だ」
佐伯さんが答えた。
「しかも、下まで届くような長いロープなんて、この建物の中には見当たらない」
「じゃあ……」
森川さんが下を見る。
「藤田さん、本当にここから出たんですか?」
「自分で何か持ってきてたならな」
佐伯さんが言う。
「でも、普通の参加者がこんな長いロープまで用意してくるかって言われると……」
そこで佐伯さんが少し黙った。
「何です?」
俺が聞く。
「いや」
佐伯さんがもう一度、藤田さんの懐中電灯を見る。
「もう一つ考えられるなと思って」
「もう一つ?」
「藤田が、最初から運営側の人間だった可能性だ」
「……運営側?」
「仕込みだよ」
佐伯さんが言った。
「参加者のふりをして俺たちと一緒に泊まる。二日目になったら突然姿を消す」
「ああ……」
美咲が少し目を見開いた。
「そういう演出?」
「こういう心霊イベントなら、ありそうだろ」
佐伯さんは下を指した。
「帽子も、懐中電灯も、あそこに落ちてるロープも、俺たちに『藤田はここから逃げた』と思わせるための小道具かもしれない」
「でも藤田さんは、どうやって外に出るんです?」
水野さんが聞いた。
「運営側なら方法くらい知ってるだろ」
「方法?」
「最初から長いロープを用意してたのかもしれないし、俺たちの知らない出入り方法があるのかもしれない」
「秘密の入口みたいな?」
美咲が少し楽しそうに聞く。
「そこまでは知らない」
佐伯さんが苦笑する。
「でもイベント会社がこの建物を使ってるなら、客には教えてない出入りの方法があってもおかしくないだろ」
確かに。
俺たちが確認できなかった場所はいくつもある。
イベント会社なら、俺たちよりこの建物について知っているはずだ。
「じゃあ、もう外にいるかもしれないってこと?」
美咲が聞いた。
「仕込みならな」
佐伯さんが少し笑った。
「最終日、俺たちが帰る頃になったら、イベント会社の連中と一緒に出口で待ってるんじゃないか?」
「出口で?」
「ああ」
佐伯さんも少し笑う。
「俺たちが出てきたら、笑顔で『お疲れさまでした』とか言ってな」
「ああ!」
美咲が笑った。
「ありそう!」
「『実は僕、運営側でした』って?」
水野さんも言う。
「そういうネタばらしだよ」
「それだったら完全に騙されてますね」
森川さんも、さっきまでより表情が柔らかくなった。
「でも、ちょっと安心かも」
「何かあったわけじゃないってことだもんね」
美咲が言う。
「日曜日になったら、普通に笑いながら待ってたりして」
「それだったら腹立つな」
佐伯さんが言った。
「俺は一言文句言うぞ」
「安全管理のこと?」
俺が聞く。
「それもあるし、こんなやり方で参加者を不安にさせるなら、やりすぎだろ」
「でも、先に教えたら仕込みにならないじゃん」
美咲が言う。
「程度の問題だ」
佐伯さんは真面目な顔で答えた。
「まあ、本当に怖くなって逃げたのか、運営側の仕込みなのか。今のところはどっちとも言えないけどな」
それでも。
さっきよりはずっとましだった。
藤田さんは逃げた。
あるいは。
最初から運営側だった。
どちらにしても、本人は無事なのかもしれない。
「まあ、無事ならそのうち連絡くらい来るだろ」
佐伯さんが言った。
すると水野さんが首を傾げた。
「……誰か藤田さんの電話番号、知ってます?」
「え?」
佐伯さんが止まる。
俺も考えた。
知らない。
美咲を見る。
美咲も首を横に振った。
森川さんも知らない。
水野さんも、もちろん聞いたからには知らないのだろう。
「誰も知らないのか」
佐伯さんが苦笑する。
「昨日会ったばっかりですからね」
水野さんが言った。
「じゃあ、私たちだけでも交換しておきません?」
「連絡先?」
「はい。また何かあったとき、連絡できないと困りますし」
「それがいいかも」
森川さんも頷いた。
結局、残った五人で連絡先を交換することになった。
美咲の番号は当然、前から知っている。
俺が新しく教えてもらったのは、
佐伯直樹。
森川奈緒。
水野沙耶。
三人分だった。
それぞれ名前と番号をスマートフォンに登録する。
ほかの四人も、お互いに連絡先を交換していた。
「これなら、誰かいなくなっても連絡できますね」
水野さんが言った。
「いや、もう誰もいなくならないでくれよ」
佐伯さんが返した。
少しだけ笑いが起きた。
けれど。
昨日より一人少ない。
六人で始まったツアーは、まだ二日目の朝なのに五人になってしまった。
「本当に仕込みだったらいいですね」
森川さんが、もう一度非常階段の下を見る。
「最終日に藤田さんが出てきたら、私も文句言います」
「俺より先に言ってくれ」
佐伯さんが答える。
「私、たぶん笑っちゃうかも」
美咲が言った。
「何で?」
「だって、こんなにみんなで探したのに、最後に笑顔で『実は仕込みでした』って出てきたらさ」
「俺は笑えないな」
「悠希はこういうの嫌いだもんね」
「ああ」
俺も、そうであってほしいと思った。
最終日。
正面玄関が開いて。
迎えの車が来て。
その横に藤田さんが立っている。
イベント会社の人たちと一緒に。
昨日と同じような軽い笑顔で。
『驚きました?』
そんなことを言って。
俺たちが呆れて。
佐伯さんが怒って。
美咲たちが笑う。
それで終わる。
ただのイベントだったと分かる。
このときの俺たちは。
まだ本気で、そんな最終日が来るかもしれないと思っていた。




