第六話 仇討ちの国・後編
第六話 仇討ちの国・後編
仇討ちの日が来た。
朝から街が騒がしかった。
広場には仮設の観覧席まで用意されている。
屋台まで出ていた。
「……祭りかよ。」
俺は呟いた。
仇討ちは、この国では珍しいものではない。
法によって認められた決闘。
不正は許されない。
役人が立ち会い、勝負の一部始終を記録する。
住民も観戦できる。
そのため、いつしか仇討ちは一種の娯楽になっていた。
だが――
今日は違う。
観客の中には、領主の息子を憎んでいる人間が大勢いる。
奴に家族を傷つけられた者。
財産を奪われた者。
理不尽な扱いを受けた者。
そして。
あの男の父親である領主自身も、今日の仇討ちを止めていなかった。
自分の息子がどうしようもない馬鹿だということは、父親自身が一番よく分かっている。
だが――
自分の手で始末するわけにはいかない。
だから、仇討ちの制度に委ねた。
俺は観覧席を見回した。
ソプラノはいない。
卵もない。
二人には宿で待っていてもらった。
「ここに連れてくる必要はない。」
そう思った。
今日の勝負が、どんなものになるのか。
俺自身にも分からない。
「ラルフ。」
呼ぶ。
彼は静かに立っていた。
木製の斧ではない。
今日は本物の斧を持っている。
勝つだけでなく殺す為にか…
こうなれば俺にはどうする事も出来ない。
予想も出来た。
「大丈夫か?」
「……ああ。」
ラルフは笑った。
「妙に落ち着いてる。」
「そうか?」
「もっと震えると思ってた。」
ラルフは自分の手を見る。
「震えてるよ。」
ほんの少しだけ。
「でも、不思議と怖くない。」
「そうか。」
ラルフは広場の向こうを見る。
そこには、完全武装した男がいた。
分厚い金属鎧。
肩。
胸。
腕。
脚。
全身を覆うフルアーマー。
そして腰には長剣。
「……あれが相手か。」
「ああ。」
領主の息子。
にやつきながらこちらへやって来る。
その顔には余裕があった。
「俺のスキルは知っているか?」
男が言う。
「身体強化だ。」
剣を握る。
「自分の力を1.5倍まで引き上げられる。」
観客から声が上がる。
強力な戦闘スキル。
単純だが、それだけに強い。
1.5倍。
筋力も。
腕力も。
踏み込みも。
おそらく速度も。
そして、その身体を覆うフルアーマー。
普通の人間なら、まともに戦える相手ではない。
審判を務めるのは、審判の女神に仕える神官だった。
白い法衣。
その胸には天秤を象った紋章。
神官が二人の間に立つ。
「これより、正式な仇討ちを執行します。」
広場が静かになる。
「両者に不正な助力がないことを確認しました。」
「勝敗は――」
神官が両手を広げる。
「一方が死亡するか、敗北を認めた時点で決するものとします。」
観客がざわめく。
「仇討ちを行う者が敗北を認めた場合、審判の神の加護により、その者の生命を保護します。」
「しかし――」
神官は領主の息子を見る。
「仇討ちされる者が敗北を認めた場合、その者の生命は保証されません。」
つまり。
ラルフは負けを認めれば生きられる。
だが、領主の息子には――
敗北=死。
「両者、よろしいですね。」
ラルフが頷く。
領主の息子も笑った。
「当然だ。」
神官が手を上げる。
「結界を展開します。」
淡い光が二人を囲んだ。
透明な壁。
外部からの干渉を完全に遮断する。
「開始!」
*
最初に動いたのは、領主の息子だった。
速い。
「――っ!」
ラルフが斧を構える。
剣が振り下ろされる。
ガキィン!
金属音。
ラルフが吹き飛ばされた。
「重い……!」
「どうした!」
領主の息子が笑う。
「三ヶ月準備して、この程度か!」
再び踏み込む。
剣。
斬撃。
斬撃。
斬撃。
ラルフは避け続ける。
だが――
少しずつ追い詰められていく。
腕に傷。
脚にも傷。
血が流れる。
それでも倒れない。
「ラルフ!」
俺は思わず声を上げた。
ラルフが一瞬だけこちらを見る。
そして――
笑った。
まだ終わっていない。
俺は拳を握った。
あいつは木を切っていた。
大木を。
何本も。
何百本も。
そして三ヶ月間。
身体を止めずに斧を振る練習をしてきた。
だが。
相手は大木ではない。
戦闘スキルを持った人間。
しかもフルアーマー。
「……厳しいな。」
領主の息子が笑う。
「どうした? もう終わりか?」
ラルフは答えない。
肩で息をしている。
斧を握る手から血が滴る。
「無駄だ。」
領主の息子が剣を構えた。
「その斧では、この鎧は破れない。」
確かに。
胴部は厚い。
肩も胸も、隙間がほとんどない。
ラルフの斧が入る場所など――
ほとんどない。
「俺の勝ちだ。」
領主の息子がゆっくり歩いてくる。
「家族のところへ行きたいんだったな?」
ラルフの目が細くなる。
「なら――」
男が剣を振り上げる。
「送ってやるよ。」
その瞬間。
俺には見えた。
ほんの僅かな隙。
男は勝利を確信した。
だから――
足が止まった。
「ラルフ!」
叫ぶ。
ラルフが動く。
一歩。
二歩。
三歩。
止まらない。
木を切る時と同じ。
身体を移動させながら。
足から。
腰へ。
背中へ。
肩へ。
腕へ。
そして――
斧へ。
「うおおおおおっ!」
領主の息子の剣が振り下ろされる。
同時に。
ラルフの斧が薙いだ。
一瞬。
世界が止まったように見えた。
そして――
グシャァッ!
「ぐぎゃああああああっ!」
凄まじい悲鳴。
領主の息子の胴部。
フルアーマーが――
砕け散った。
金属片が飛び散る。
斧は鎧を破り、その半分ほどが身体へ食い込んでいた。
同時に。
ラルフの肩へ剣が深々と食い込んでいる。
二人とも――
動かなかった。
やがて。
領主の息子が膝をついた。
ラルフも、ゆっくりと崩れる。
「勝負――」
神官が叫ぶ。
だが。
もう決着はついていた。
領主の息子は動かない。
ラルフもまた――
動かなかった。
「……。」
俺は立ち尽くしていた。
勝った。
ラルフは勝った。
だが。
生きて帰ってくることはなかった。
「……ラルフ。」
結界が消える。
神官が駆け寄る。
だが、俺には分かっていた。
もう助からない。
ラルフは――
笑っていた。
ほんの少しだけ。
満足そうに。
穏やかに。
俺は思う。
きっと。
見えたんだ。
ずっと会いたかった家族が。
父親。
母親。
そして弟。
長い間、憎しみに囚われていた男が。
最後には、ただの息子に戻ったのかもしれない。
父親に抱きしめられて。
母親に頭を撫でられて。
弟に笑いかけられて。
「よく頑張ったね。」
「もういいんだよ。」
そんな声が聞こえていたのかもしれない。
俺は目を閉じた。
「……よかったな。」
それだけ言った。
*
宿へ戻った。
ソプラノが入口まで走ってくる。
「お兄さん!」
「ただいま。」
「どうだった?」
「勝ったよ。」
「本当?」
「ああ。」
ソプラノが笑った。
「良かった。」
俺も笑う。
「うん。」
ラルフが死んだことは言わなかった。
今は。
言えなかった。
「蜂蜜菓子、残ってるよ。」
「そうか。」
「食べる?」
「ああ。」
ソプラノが皿を持ってくる。
その膝元には――
あの卵。
相変わらず、何も変わらない。
俺は椅子に座った。
「……。」
ラルフ。
俺は、ずっと考えていた。
殺したくなかった。
ラルフにも、殺させたくなかった。
もっと上手くできたんじゃないか。
相手を殺さずに勝つ方法があったんじゃないか。
そう思う。
でも――
それは甘かったのかもしれない。
俺には今、守らなければならないものがある。
ソプラノ。
そして、この卵。
もし次に。
ソプラノを守るために、誰かと戦うことになったら。
相手を殺さないように手加減している間に――
ソプラノが殺されたら?
卵を奪われたら?
俺はその時、どうする?
分からない。
この世界で生きていくには。
俺はもっと冷たくならなければならないのかもしれない。
「お兄さん?」
「ん?」
「どうしたの?」
「……なんでもない。」
俺はソプラノの頭に手を置いた。
「ちゃんと食べろよ。」
「うん。」
「明日は町を出る。」
「どこへ行くの?」
「まだ決めてない。」
「じゃあ、決めながら行こう。」
「ああ。」
俺は笑った。
そして――
卵を見る。
まだ孵らない。
だが。
いつかこの卵から何かが生まれる。
その時。
俺はそいつも守るのだろう。
自分でも不思議なくらい自然に。
俺はそう思っていた。
窓の外。
夕暮れの街では、まだ今日の仇討ちの話がされている。
人々は勝者の名を口にする。
ラルフ。
その名前は、この国の記録に残るだろう。
家族の仇を討った男として。
俺は静かに目を閉じた。
――よく頑張った。
そう心の中で呟く。
そして願う。
向こう側で。
今度こそ。
家族と一緒に笑っていられるように。




