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万器一身 〜無名の武術家、異世界を往く〜  作者: タダ ユキ


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第四話 旅の途中

街に入ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。


門をくぐると、久しぶりに人の声が聞こえた。


露店。


荷車。


行き交う人々。


パンを焼く香り。


「……人がいる。」


隣を歩くソプラノが呟いた。


「そりゃ街だからな。」


「ずっと森だったから。」


「そうだな。」


俺たちは、三日ぶりにまともな街へ入った。


街の名前は――ローディア。


特に大きな街ではないらしい。


城壁に囲まれた、ごく普通の地方都市。


少なくとも俺にはそう見えた。


「まず宿を探すか。」


「お金は?」


「ある。」


旅袋から銀貨を取り出して見せる。


王国を追い出された時に渡された、わずかな路銀。


それと、研究所で見つけた小さな金属片を換金した金が少し。


「でも、あまり使えない。」


「じゃあ安いところ。」


「そういうこと。」


宿屋を探して歩く。


しばらくして、小さな看板を見つけた。


《サビ猫の昼寝亭》


「……ここでいいか。」


「猫?」


「看板に書いてある。」


「猫、いるかな。」


「知らん。」


扉を開ける。


「いらっしゃい!」


元気な女将が出迎えた。


「二人かい?」


「ああ。」


「親子?」


「違う。」


即答した。


隣でソプラノが少しむっとした顔をする。


「じゃあ兄妹?」


「それも違う。」


「じゃあ何なんだい?」


「……旅の途中で拾った。」


「拾った?」


女将がソプラノを見る。


ソプラノも女将を見る。


「……捨て猫じゃない。」


「そうだな。」


「ちゃんと人間。」


「それは見れば分かる。」


女将が笑った。


「まあいいよ。二人なら銀貨一枚で部屋を貸すよ。」


「助かる。」


部屋は狭かった。


ベッドが二つ。


小さな机。


窓が一つ。


それだけ。


だが、屋根がある。


「十分だな。」


「うん。」


ソプラノは窓から外を眺めていた。


街を歩く人々。


露店。


子供たち。


笑い声。


「……なんか、安心する。」


「そうか?」


「うん。」


俺には、その感覚がよく分からなかった。


でも、悪いことではないらしい。


俺は旅袋を下ろす。


「飯にするか。」


「する。」


即答だった。


「お前、食べることになると返事が早いな。」


「お腹は空くから。」


「それもそうか。」


宿の食堂で、二人で食事をした。


硬いパン。


豆のスープ。


焼いた肉。


ソプラノは夢中になって食べている。


「そんなに美味いか?」


「うん。」


「森で食べた干し肉より?」


「……それは比べちゃダメ。」


「そうか。」


少し笑った。


食事が終わると、ソプラノが言った。


「ねえ。」


「なんだ?」


「お兄さんって、料理できる?」


「最低限。」


「じゃあ、明日から私が作る。」


「……急だな。」


「女将さんに聞いた。」


「何を?」


「料理を教えてもらえるって。」


俺は思わず女将を見る。


女将は笑っていた。


「暇な時なら教えてやるよ。」


「だそうだ。」


「よろしくお願いします。」


ソプラノが頭を下げる。


妙にしっかりしている。


「……お前、本当に記憶ないのか?」


ソプラノは少し考えた。


「うん。」


「じゃあ、料理は覚えてるんだな。」


「たぶん。」


「便利な記憶だな。」


「お兄さんよりは役に立つ。」


「……そうかよ。」


翌朝。


目を覚ますと、部屋の外から物音がしていた。


「何してるんだ?」


食堂へ行くと、ソプラノが女将の横でパンを捏ねていた。


白い髪を後ろでまとめている。


「おはよう。」


「おはよう。」


「朝飯は?」


「今作ってる。」


「……。」


俺は椅子に座った。


しばらく待つ。


焼きたてのパンが出てきた。


「食べて。」


パンをグリグリ頬に押しつけてくる。


「…いただきます。」


一口。


「……美味い。」


ソプラノが嬉しそうに笑った。


「でしょ?」


「お前が作ったのか?」


「ほとんど女将さん。」


「なるほど。」


「次は一人で作る。」


「頑張れ。」


そんな生活が、数日続いた。


昼間は街を歩いた。


武器屋を見たり。


市場を覗いたり。


服を買ったり。


ソプラノは小さな髪飾りを欲しがった。


「これ。」


「欲しいのか?」


「……ちょっと。」


値段を見る。


安い。


「買えばいい。」


「いいの?」


「そのくらいなら。」


ソプラノは嬉しそうに髪飾りを受け取った。


白い髪に、小さな青い飾り。


「似合う?」


「ああ。」


「本当に?」


「嘘ついてどうする。」


ソプラノは鏡の前で何度も自分を見た。


その横顔は、普通の少女だった。


聖女でも。


特別な存在でもない。


ただ、記憶を失った一人の少女。


俺はその時、初めてそう思った。


夕方。


宿へ戻る途中。


ソプラノが突然立ち止まった。


「どうした?」


「……あれ。」


指差した先に、小さな店があった。


看板には、


《古道具・魔道具》


と書かれている。


「入りたいのか?」


「うん。」


「金は使わないぞ。」


「見るだけ。」


店の中には、古い道具が並んでいた。


魔石。


古びた時計。


用途の分からない金属器具。


小さな箱。


「面白いな。」


俺がそう言うと、ソプラノが笑った。


「お兄さんも楽しそう。」


「こういうの嫌いじゃない。」


店の奥。


一つの古いペンダントに目が止まった。


白い石。


その周囲を細い金属が囲んでいる。


「これ……。」


ソプラノが近付く。


ペンダントに触れようとした瞬間。


店の奥から店主が声を上げた。


「お嬢ちゃん、それには触らない方がいい。」


ソプラノが手を止める。


「どうして?」


「昔の神殿から出てきたものなんだ。魔力を込めても反応しない。何のための物かも分からん。」


俺はペンダントを見る。


「じゃあ、売り物じゃない?」


「いや、売ってるよ。」


「売るのかよ。」


「古道具屋だからね。」


ソプラノが笑った。


「面白いお店だね。」


「そうだな。」


店を出る。


夕暮れの街を歩く。


ソプラノが髪飾りを指で触る。


「ねえ。」


「なんだ?」


「私たちって、いつまで一緒なのかな。」


俺は少し考えた。


「さあな。」


「……。」


「記憶が戻ったら、家に帰るんじゃないか?」


「帰る場所があるのかな。」


「あるかもしれない。」


「お兄さんは?」


「俺はない。」


ソプラノが俺を見る。


「じゃあ、一緒だね。」


「……そうだな。」


その夜。


宿の部屋。


俺は窓の外を眺めていた。


ソプラノはベッドで眠っている。


白い髪が枕に広がっている。


旅袋は、壁際に置いてある。


その中には――


あの卵。


コツ。


小さな音がした。


俺は振り返る。


「……まだ孵らないのか。」


卵は静かだった。


もう一度。


コツ。


「まあ、急かしても仕方ないか。」


俺は窓を閉める。


そして灯りを消した。


その夜。


ソプラノは夢を見た。


白い部屋。


大勢の人。


誰かが泣いている。


そして――


自分を守るように立つ、何人もの騎士。


その中の一人が叫んでいた。


『ソプラノ様! お逃げください!』


少女は夢の中で振り返る。


誰かが自分の名を呼んでいる。


だが、その顔だけが思い出せない。


「……誰?」


目を覚ます。


暗い部屋。


隣のベッドでは、主人公が眠っている。


ソプラノは胸元に手を当てた。


「……怖い夢だった。」


そして、再び目を閉じる。


まだ彼女は知らない。


自分を守って死んだ者たちがいることを。


そして、自分を探している者たちがいることを。


ただ今は――


この小さな宿の中だけが、彼女にとっての「帰る場所」だった。

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