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万器一身 〜無名の武術家、異世界を往く〜  作者: タダ ユキ


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第二話 廃研究所と最後の卵

王国を出て、三日が経った。


幸いなことに、食べ物と水には困らなかった。


森には食べられる木の実があり、小さな川もあった。


祖父に教えられた野外での過ごし方が、こんなところで役に立つとは思わなかった。


「……じいちゃん、何でも教えとくもんだな。」


独り言を呟きながら、街道を歩く。


目指しているのは隣国だった。


理由はない。


強いて言えば――


「一つの国に留まる理由もないしな。」


異世界に来た。


帰れない。


勇者にもなれなかった。


ならば、せっかく知らない世界に来たのだ。


しばらく見て回るのも悪くない。


そんな程度の気持ちだった。


街道を外れ、森を抜ける。


やがて遠くに城壁が見えてきた。


だが、近付くにつれて違和感を覚える。


城壁がない。


いや。


正確には、崩れている。


街道沿いには朽ちた建物が並び、草に覆われた道路には何か大きなものを引きずった跡が残っていた。


「……ここ、本当に国か?」


人の気配がない。


鳥の声すら少ない。


ただ、遠くから金属が擦れるような音が聞こえてくる。


ギィ……。


ギィィ……。


「嫌な場所だな。」


引き返そうかと思った。


だが、その時。


崩れた建物の壁に、見慣れない文字が残っているのが目に入った。


――魔法化学研究所。


その下には、さらに大きな文字。


――遺伝子研究部門。


「……遺伝子?」


思わず足を止めた。


魔法のある世界で遺伝子研究。


どういうことだ。


興味が湧いた。


建物の中へ入る。


内部は荒れていた。


壁は崩れ、床には割れたガラスが散乱している。


しかし、完全に廃墟というわけではなかった。


ところどころに小さな魔石のようなものが埋め込まれている。


そして――


それらの一部が、まだ淡く光っていた。


「電気……なのか?」


いや。


魔力なのかもしれない。


見たことのない配線。


金属製の管。


ガラス製の容器。


魔法陣のようなもの。


科学と魔法。


二つを無理やり組み合わせたような設備だった。


その時。


奥から音がした。


ガシャッ。


俺は短剣を抜く。


先日の暗殺者から奪ったものだ。


使える武器があるなら使う。


それだけだ。


暗闇から何かが飛び出した。


「っ!」


人間ではない。


四本の腕。


歪んだ頭部。


皮膚には黒い斑点。


口からは粘液が垂れている。


「化け物かよ。」


飛び掛かってくる。


俺は半歩退く。


短剣を握った右手を引き、相手の腕をかわす。


懐へ入る。


一閃。


首元を切り裂く。


化け物が倒れる。


だが――


一体ではなかった。


「まだいるのか。」


奥から次々と現れる。


二体。


三体。


さらに奥。


数は多くない。


だが、どれも普通の生き物とは思えない姿をしていた。


俺は短剣を構える。


「まあ……襲ってくるなら、仕方ない。」


一体目。


踏み込む。


二体目。


かわす。


三体目。


短剣を突き込む。


狭い廊下では、長い武器より短い刃の方が扱いやすい。


祖父に教えられた通りだった。


戦いが終わる。


静寂が戻った。


俺は短剣の血を布で拭った。


「……何だったんだ、こいつら。」


周囲を見渡す。


そして気付いた。


廊下の奥。


他の扉は腐食している。


壁も崩れている。


なのに――


一つだけ。


妙に綺麗な扉があった。


「……これだけ新しい?」


近付く。


扉の横に小さな文字。


――第七隔離研究室。


扉に触れる。


カチッ。


まだ動く。


「マジか。」


ゆっくり開く。


中は暗かった。


だが、扉が開いた瞬間。


部屋の奥でいくつものランプが点灯した。


カチ。


カチ。


カチ。


「……生きてる。」


研究室だった。


壁一面に並ぶ機械。


透明な容器。


見たことのない器具。


中央には、一際大きな装置が置かれていた。


円筒形の透明な容器。


内部は淡い青色の液体で満たされている。


そして、その中央。


白いものが浮かんでいた。


「……卵?」


大きさはダチョウの卵ほど。


しかし、普通の卵とは明らかに違う。


表面には薄い模様が走っている。


血管のようにも。


魔法陣のようにも見えた。


俺が近付く。


その瞬間。


部屋に声が響いた。


『――生体反応を確認。』


「……誰だ?」


『警戒する必要はありません。』


「いや、誰だって聞いてる。」


『私は、第七隔離研究室管理用人工知能――』


そこで一度、音声が途切れる。


『……名称は、不要でしょう。』


「そうかよ。」


人工知能。


魔法の世界で?


俺は装置を見ながら首を傾げた。


『あなたは、研究員ではありませんね。』


「見れば分かるだろ。」


『はい。』


間髪入れず返ってきた。


「……。」


妙に腹が立つ。


『ですが、あなたにはこの個体を託す必要があります。』


「この卵を?」


『はい。』


機械音声が続く。


『本施設は、魔王軍の侵攻を受けました。』


部屋の壁に、古い映像が映し出された。


逃げ惑う人々。


炎。


崩壊する建物。


そして――


異形の兵士たち。


『我々は魔王軍に対抗するため、魔法と科学を融合した技術――魔法化学の研究を行っていました。』


映像が切り替わる。


研究員たち。


培養槽。


魔法陣。


遺伝子情報らしきものが表示された画面。


『肉体の強化。』


『生命力の増幅。』


『魔力適性の改変。』


『そして、魔族に対抗し得る生物の創造。』


主人公は卵を見る。


「……これが?」


『最後の研究成果です。』


「何が生まれる?」


しばらく沈黙があった。


『……不明です。』


「おい。」


『研究は完成していません。』


『我々が完成させる前に、施設は制圧されました。』


映像が途切れる。


研究室が静かになる。


『研究員は全員死亡。』


『施設の防衛機能も、まもなく停止します。』


「じゃあ、俺にどうしろって?」


『この個体を、ここから連れ出してください。』


「俺が?」


『はい。』


「理由は?」


少しだけ間があった。


『あなたが、この部屋まで生きて到達したからです。』


「……それだけ?」


『それで十分です。』


機械音声の声が、ほんの少しだけ弱くなった。


『この個体は、我々が残せる最後の希望です。』


「希望、ねぇ……。」


俺は卵を見る。


別に世界を救いたいわけじゃない。


魔王を倒したいわけでもない。


勇者になりたいわけでもない。


ただ――


目の前に置かれたものを見捨てるのが、なんとなく嫌だった。


「分かった。」


卵を見上げる。


「持っていく。」


『……ありがとうございます。』


その言葉を最後に、機械音声が途切れた。


同時に、研究室の照明が一つずつ消えていく。


「おい。」


返事はない。


「……壊れたか。」


中央の装置だけが、まだ動いている。


俺は装置を調べる。


どうやら卵を取り出せるらしい。


ロックを解除する。


プシュッ――。


白い蒸気が噴き出した。


「うわ。」


卵を抱える。


思ったより重い。


「……これ、持って歩くのか?」


返事はない。


俺はため息をついた。


卵を布で包み、旅袋へ入れる。


完全には入らない。


仕方なく袋の口から半分ほど出したまま背負う。


「目立つな、これ。」


研究室を出る。


廃墟となった施設を歩く。


外へ出ると、夕暮れが近付いていた。


「さて……。」


これからどうするか。


魔王軍。


勇者。


神器。


魔法化学。


そして、この卵。


知らないことだらけだ。


俺は歩き出す。


「まあ、急ぐ必要もないか。」


背中の卵が、ほんのわずかに震えた。


――コツ。


「……?」


振り返る。


何もない。


俺は気のせいだと思い、そのまま歩き続けた。


背中の中で。


白い卵に走る模様が、一瞬だけ淡く光った

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