第11話 ベスの受難
読み辛くなるので、
今回から話数を漢数字から数字へ変更しました。
順次一話〜十話も、1話〜10話に変更します。
馬車が街道を走っていた。
外交を終え、ベスと聖護騎士団は本国へ戻る途中だった。
窓の外を流れる景色は穏やかだった。
遠くに山が見える。
草原を風が撫でている。
「……つまらない」
ベスは頬杖をついた。
「外交なんて、もう二度とやりたくない」
「お嬢、さっきまで散々文句言ってただろ」
向かいに座る男が苦笑する。
聖護騎士団団長。
ガイル。
二十代後半。
騎士団を率いる立場でありながら、ベスに対してはどこか兄のように接している。
「だって、あたしは聖女よ?」
「知ってる」
「なのに、なんで大使みたいなことをしなきゃいけないのよ」
「国同士の付き合いだからな」
「政治なんて爺さんたちに任せればいいのよ」
「そう言うなって」
「うるさい」
ベスはそっぽを向いた。
ガイルは苦笑する。
いつもの光景だった。
だが。
その時だった。
馬車が急停止した。
「――!」
身体が前へ投げ出される。
「何だ!」
ガイルが立ち上がった。
外から怒号が響く。
「魔王軍だ!」
その言葉を聞いた瞬間。
車内の空気が凍った。
ガイルは即座に剣を抜いた。
「全員、戦闘配置!」
聖護騎士団が一斉に動く。
馬車の外へ飛び出す。
街道の先。
黒い影がいくつも見えた。
魔族。
数は多くない。
「斥候部隊か……」
ガイルが呟く。
魔王軍の本隊ではない。
こちらの戦力や進路を探るための部隊。
しかし――
「こんな所にまで……」
ベスが馬車から降りる。
その顔から、さっきまでの不満げな表情が消えていた。
魔王領から遠く離れた場所。
ここまで魔王軍が入り込んでいる。
それだけで十分な意味を持つ。
「お嬢!」
ガイルが叫ぶ。
「下がって!」
「分かってる!」
聖護騎士たちが前へ出る。
剣と剣がぶつかる。
金属音が響く。
魔族の身体能力は高い。
聖護騎士も精鋭だ。
互いに一歩も引かない。
だが。
決定打がない。
一体を倒しても、別の魔族が襲いかかる。
「くそっ……!」
ガイルが剣を受け流す。
「硬い!」
斬撃が通らない。
魔族もまた、聖護騎士を仕留めきれない。
膠着状態。
長引けば不利になる。
ガイルはちらりと後ろを見る。
ベス。
彼女は立っている。
静かに戦況を見ていた。
「……やっぱり」
ガイルは歯を食いしばる。
「ベスがやるしかないか」
「団長!」
部下が叫ぶ。
「俺たちだけでは押し切れません!」
「分かっている!」
ガイルは剣を振りながら叫んだ。
そして――
「ベス!」
ベスが振り向く。
「みんなお願い!」
ベスは一瞬だけ目を見開いた。
それから。
「……分かった」
彼女は胸の前で両手を合わせた。
祈るように。
目を閉じる。
そして。
動かなくなった。
「……」
完全な直立。
微動だにしない。
ガイルは魔族の攻撃を受け止めながら叫ぶ。
「全員、ベスを守れ!」
「了解!」
聖護騎士たちが一斉に動く。
ベスを中心に円陣を組む。
前。
後ろ。
左右。
全方向。
彼女を守るための壁が出来上がる。
その理由は単純だった。
ベスは今――
完全に無防備なのだ。
剣を握ることもない。
身体を動かすこともない。
目すら開けない。
ただ、立っている。
そして。
低い小さな声が聞こえ始めた。
「……」
最初は、人間にも理解できる言葉だった。
祈り?。
いや。
詠唱。
一つ一つの言葉を異様な速度で紡いでゆく。
「――――」
徐々に速くなる。
さらに。
もっと速く。
「――――――」
もはや言葉として聞き取れない。
口から発せられているのは、意味を持つ文章のはずなのに。
人間の耳には。
音にしか聞こえなくなっていく。
低く。
深く。
それでいて不思議なほど心地よい。
ハーモニー。
そんな言葉が似合う音だった。
ガイルは剣を構えながら、ベスを見る。
彼女はまだ動かない。
「……始まったか」
これが。
聖女。
四人の聖女だけが使える、古の魔術。
魔法とは違う。
魔王の魔力とぶつかり合い、相殺される通常の魔法とは異なる理。
各国が魔王軍への対抗策を研究する中。
この国が辿り着いた一つの答え。
古の魔術。
ただし。
あまりにも使い勝手が悪い。
莫大な時間。
莫大なコスト。
そして。
術式を構築している間、術者は完全に無防備になる。
切り札としては、あまりにも頼りない。
それでも。
威力だけは絶大だった。
ガイルはベスを見る。
人間。
そう呼んでも間違いではない。
血も流す。
傷も負う。
殺すことだって出来る。
だが。
その中身は、普通の人間とは違う。
魔術を使うために。
最初から。
そういう存在として作られている。
人間の遺伝子を基礎に。
長い年月と、莫大な資源。
そして多くの研究者たちの犠牲によって生み出された存在。
例えるなら――
ホムンクルス。
詠唱を行う為に創造した生き物。
それが近いのかもしれない。
普通の人間だと脳の許容範囲を遥かに超えて、
良くて廃人、悪ければ死ぬ。
聖女四人。
ソプラノ。
アルト。
テナ。
そしてベス。
一人でも強大な力を持つ。
だが。
本来の力を発揮するには、四人全員が必要だった。
四人で一つ。
それが聖女。
そのために――
ソプラノが欠けていることは、国にとって大きな問題だった。
「……ソプラノ」
ガイルは小さく呟いた。
生きているのか。
それとも――
考えるな。
今はベスを守る。
「右!」
部下の声。
ガイルは振り返りざまに剣を振る。
魔族の腕を弾き飛ばす。
「ベスに近づけるな!」
「おう!」
聖護騎士たちが必死に耐える。
その時。
ベスの詠唱が止まった。
いや。
正確には――
完成した。
空気が変わる。
鳥の声が消えた。
風すら止まったように感じる。
ガイルが息を呑む。
「……来る」
ベスが目を開いた。
その瞳に。
いつもの感情はなかった。
ただ。
無機質な光だけが宿っている。
「――起動術式、完了」
静かな声。
次の瞬間。
世界が白く染まった。
轟音すらなかった。
ただ。
そこにいた魔王軍が――
消えた。
跡形もなく。
まるで最初から存在していなかったかのように。
街道に静寂が戻る。
ガイルは剣を下ろした。
「……」
額から冷たい汗が流れる。
恐ろしい。
これが。
聖女の力。
これほどの力を持ちながら。
本人たちは、自分を守る術をほとんど持たない。
だから。
聖護が必要なのだ。
ガイルがベスを見る。
ベスはしばらく立っていた。
そして。
「……ふぅ」
肩の力が抜ける。
先ほどまでの無機質な表情が消えた。
「終わった?」
いつものベスだった。
ガイルは何も言えない。
そんな彼を見て、ベスが首を傾げる。
「何よ、その顔」
「……いや」
「怖かった?」
「まあな」
正直に答える。
ベスは少しだけ笑った。
「まあ、あんまり考えなさんな」
そして。
いつものように、少しぶっきらぼうに言う。
「なるようになる!」
ガイルが黙っている。
ベスは空を見上げた。
「魔王軍は倒す」
そして。
少しだけ声を落とす。
「ソプラノも見つかる」
まるで。
自分自身に言い聞かせるように。
「きっと、どこかで生きてるわよ」
ガイルはベスを見る。
その横顔は。
いつもの強気な聖女ではなかった。
仲間を心配する。
ただの十八歳の少女だった。
「……そうだな」
ガイルは笑った。
「俺もそう思うよ。お嬢」
「でしょ?」
ベスも笑う。
「だったら、さっさと帰りましょ」
「了解」
聖護騎士団は再び馬車へ乗り込む。
その先に待つものを。
まだ誰も知らない。
そして。
行方不明のソプラノもまた。
遠い場所で。
一匹の小さな生き物と共に旅をしていることを――
ベスはまだ知らなかった。




