第十話 歩法
「それは、ちょっと相談させてもらえないか?」
俺がそう言うと、男は笑った。
「相談?」
「そう」
「何をだ?」
「お前たちに渡す金がないってことを」
「……あ?」
男の顔から笑みが消えた。
「ふざけんな!」
剣が振り上げられる。
俺は半歩、外へ逃がした。
刃が鼻先を通り過ぎる。
そのまま相手の横へ回る。
男が振り返る。
俺はもうそこにはいない。
「な……」
一歩。
また一歩。
相手の正面には立たない。
右へ。
左へ。
斜めへ。
相手からは遠く。
自分からは近い。
そんな角度を意識して歩く。
祖父が言っていた。
『足が止まれば、身体も止まる』
歩法。
ただ歩いているように見えて、実際には違う。
相手の力が届かない場所を歩きながら、自分の攻撃だけが届く位置へ入る。
男が剣を振る。
俺は一歩下がる。
剣先が空を切る。
その瞬間、前へ。
男の手首を取り、身体を入れ替える。
「ぐっ!」
男の身体が崩れる。
地面へ落ちる前に肩を押さえる。
ドサッ。
「一人」
「野郎!」
別の男が斧を振り上げた。
大きい。
重い。
力任せ。
だが、分かりやすい。
俺は斧の軌道から身体を外す。
そのまま懐へ。
肩を軽く押す。
男の身体がぐらりと傾く。
足を払う。
ドン!
地面に転がった。
「二人」
「この野郎!」
左右から同時に来る。
俺は一歩前へ出た。
二人の間を抜ける。
片方の腕を取る。
もう片方の肘を押す。
身体が勝手にぶつかる。
「ぐあっ!」
「ぐっ!」
二人まとめて倒れた。
「な、なんだこいつ……」
野盗たちの顔から余裕が消えていく。
俺は自分の足元を見る。
身体が軽い。
昔よりも、少しだけ。
異世界へ来てから、何度か死にかけた。
その度に身体を使った。
祖父から教わったものが、以前より身体に馴染んでいる気がする。
だが――
まだ祖父は遥か遠い。
「囲め!」
残った男たちが一斉に動いた。
俺は自然に息を吐く。
そして歩く。
右。
左。
斜め。
一歩ごとに位置を変える。
「どこだ!」
「後ろだ!」
振り返った男の懐へ入る。
肩を押す。
足を引く。
倒れる。
また一人。
別の男が突っ込んでくる。
俺は身体を捻った。
その勢いを利用して腕を絡める。
相手の身体が浮く。
地面へ。
ドン!
「ぐっ……!」
「次」
男が拳を振る。
俺は頭を僅かにずらす。
拳が頬を掠める。
そのまま相手の顎付近と胸へ手を添える。
スッと推す。
ただ、それだけ。
身体が崩れ落ちる。
「がはっ!」
血を流しそのまま動きが止まる。
俺は手を見る。
「……今のは」
祖父に教わった技。
名前が浮かぶ。
推窓望月。
窓を押し開き、月を眺める。
そんな風流な名前の技だ。
だが。
目の前の男は口から血を流し、地面を転がっている。
「……名前との落差が酷いな」
自分で言っておいて苦笑する。
「残りは……」
最後に残った大男がいた。
他の連中より一回り大きい。
その男が俺を睨む。
「……俺には剛力のスキルがある」
男が拳を握る。
身体が膨れ上がったように見えた。
「お前らとは違う!」
「そうか」
俺は構える。
「なら、試してみるか」
「死ねぇ!」
一直線。
本当に一直線だった。
俺は横へ避ける。
拳が地面を叩く。
ドンッ!
土が跳ねる。
「なるほど」
確かに凄い力だ。
普通の人間なら、まともに受ければ終わる。
だが――
「力が強いだけじゃな」
俺は呟いた。
男が振り返る。
「何だと!」
また突っ込んでくる。
避ける。
入る。
離れる。
また入る。
男は力任せに腕を振り回す。
俺はその外側を歩く。
近づく。
離れる。
相手からは遠く。
自分からは近い。
男の顔に焦りが浮かぶ。
「くそっ!」
「剛力だから、力で押せばいい」
俺は男の攻撃をかわしながら言った。
「そう思ってないか?」
「うるせぇ!」
拳が来る。
俺は潜る。
足を運ぶ。
身体を捻る。
そして――
五行掌。
摔・拍・穿・劈・鑽。
その中で、鑽だけは拳を握る。
空手でいう中高一本拳に近い握り。
俺は男の鳩尾へ拳を突き込んだ。
――鑽。
ドスンッ!
「が……っ!」
男の身体がくの字に折れた。
剛力のスキルで強化された身体が、反作用で大きく後ろへ吹き飛ぶ。
地面を転がり、そのまま動かなくなった。
俺はゆっくりと拳を開いた。
祖父は、基本となる五つの技に対しては厳格だった。
特に、この技。
鑽。
『鑽掌とも言うがこれは拳ではない』
昔、何度もそう言われた。
握り方は拳。
形も拳。
それでも祖父は、決して「拳」ではないと言う。
俺には、その意味がいまひとつ分からなかった。
ただ――
じいちゃんがそう言うなら、そうなのだ。
それだけは分かっていた。
*
静かになった街道。
御者も、旅客たちも、誰も声を出さなかった。
俺は倒れている野盗たちを見る。
殺してはいない。
だが――
このまま放っておけば、また誰かを襲うだろう。
俺はしばらく考えた。
殺すべきか。
殺さないべきか。
答えは出ない。
だから。
別の方法を選んだ。
全員の片手と片足。
戦うために使う部分を、二度とまともに使えないようにした。
これで、少なくとも以前のような野盗稼業はできない。
「……」
俺は立ち上がった。
「真っ当に生きるなら……まあ、大変だろうな」
それでも生きている。
それでいい。
ただ――
この先、魔獣に襲われれば。
助からないかもしれない。
それは俺にはどうしようもない。
「お兄さん」
ソプラノが馬車から顔を出す。
「終わった?」
「ああ」
「怪我は?」
「ない」
ソプラノが安心したように笑う。
俺はその顔を見て、少しだけ肩の力を抜いた。
殺さなかった。
今回は。
それが正しかったのかは分からない。
ただ。
ソプラノのいる場所で、人を殺すことには抵抗があった。
俺は馬車へ戻る。
るうが俺の席へ這ってくる。
「お前も心配してたのか?」
「るう……」
大きな単眼が俺を見る。
俺はその頭を軽く撫でた。
「大丈夫だ」
るうは安心したように目を閉じた。
従魔が再び歩き始める。
玄華国への旅は、まだ始まったばかりだった。




