第九話 東への旅
「玄華国?」
俺が聞き返すと、おかみは頷いた。
サビ猫の昼寝亭。
昼下がりの食堂で、俺とソプラノは向かい合って昼食を取っていた。
俺の足元では、るうが肉を食べている。
長い胴体に短い手足。
大きな単眼。
その周囲には小さな複眼。
そして、まだ身体に対して妙に小さな翼。
見れば見るほど変な生き物だ。
だが、動いているところを見ると妙に可愛い。
「東の方にある国だよ」
おかみが皿を拭きながら言う。
「魔素を使って身体能力を高める技術を研究している国らしい」
「魔素で?」
俺の手が止まった。
「身体を強くする?」
「そうさ。魔法そのものを使うんじゃない。身体に魔素を巡らせて、力や速さを高めるんだそうだ」
「……」
祖父の顔が浮かんだ。
俺にはどうしても出来なかった動き。
一瞬で間合いを詰める。
まるで身体から重さが消えたように跳ぶ。
高い場所から落ちても、何事もなかったように着地する。
俺はそれを何度も真似した。
だが、出来なかった。
祖父は魔素なんて知らない。
地球にそんなものは存在しないのだから。
それでも――。
「ちょっと、興味あるな」
「行ってみる?」
ソプラノが聞いた。
「いや……」
俺は少し迷った。
「俺が行きたいだけかもしれない」
「私は行きたい」
即答だった。
「観光もしたいし」
「お前らしいな」
その時。
「るう!」
足元から声がした。
るうが小さな翼をパタパタさせながら、俺の足に身体を擦りつけてくる。
「お前も行くのか?」
「るう!」
「……分かった」
ソプラノが笑う。
「三人で行こう」
「そうだな」
俺も笑った。
*
問題は旅費だった。
王からもらった銀貨は、もうない。
このところ俺は、街で出来る仕事を探していた。
荷物運び。
護衛。
魔物退治。
時には、人に言えないような仕事もした。
あまり褒められた稼ぎ方ではない。
だが、旅を続けるには金がいる。
そして今回は、ソプラノが一緒だ。
俺一人なら野宿でもいい。
食事だって粗末なもので構わない。
だが――。
「乗合の従魔馬車なら、どうにかなりそうだな」
貯めた金を数える。
おかみの話では、普通の馬車なら玄華国まで一ヶ月ほど。
従魔を使った馬車なら、もっと早い。
しかも魔法で車体の揺れを抑えるため、普通の馬車よりずっと快適らしい。
ただし貸切ともなれば話は別。
とても手が届かない。
「乗合でいい」
ソプラノが言った。
「そうか?」
「みんなと一緒の方が楽しそう」
「まあ……そうだな」
俺は頷いた。
「じゃあ、それで行こう」
*
出発の日。
玄華国行きの従魔馬車は、街の外れにある停留所から出る。
大型の馬車だった。
従魔は馬によく似た姿をしているが、普通の馬より一回り大きい。
車内にはすでに数人の旅客がいた。
商人らしい男。
老夫婦。
若い女性。
そして俺たち。
御者が確認を終える。
「では出発します!」
従魔が歩き始める。
ガタン。
……と、なるはずだった。
しかし。
「……」
「揺れないね」
ソプラノが驚く。
「魔法だろうな」
車体そのものに魔法がかかっているらしい。
揺れも少なく、速度も普通の馬車よりかなり速い。
俺は窓の外を見る。
街並みが少しずつ遠ざかっていく。
サビ猫の昼寝亭も見えなくなった。
「玄華国か……」
未知の国。
そして。
自分が知らない何かを学べるかもしれない場所。
少しだけ胸が躍った。
*
二日目の昼。
街道沿いの景色が変わってきた。
山が増えている。
車内では旅客同士が、それぞれ思い思いに過ごしていた。
ソプラノは窓の外を眺めている。
るうは俺の膝の上で丸くなっていた。
大きな単眼を閉じ、時折小さな翼をピクッと動かしている。
「こいつ、どこでも寝るな」
「赤ちゃんだからね」
「竜って、こんなに寝るのか?」
「知らないよ」
俺たちは、るうの正体を知らない。
俺が勝手に、
「たぶん竜みたいな生き物なんだろう」
と思っているだけだ。
少なくとも、普通の動物ではない。
その程度だった。
その時。
馬車が急に減速した。
「……?」
御者の声が聞こえる。
「止まれ!」
外から男の怒鳴り声。
従魔が足を止める。
車内の空気が変わった。
「何だ?」
商人風の男が立ち上がる。
俺も窓から外を見る。
街道の先。
十人ほどの男たちが道を塞いでいた。
武器を持っている。
「野盗……?」
誰かが呟いた。
先頭の男が馬車に近づいてくる。
「全員降りろ!」
「金と荷物を置いていけ!」
車内に緊張が走る。
老夫婦が身を寄せ合う。
若い女性が震えている。
御者が何か言おうとするが、男の一人が剣を見せた。
俺は無意識にソプラノを見る。
彼女は不安そうな顔をしている。
俺は立ち上がった。
「大丈夫だ」
小さな声で言う。
「俺がいる」
ソプラノが俺を見る。
その瞬間。
自分でも少し驚いた。
いつからだろう。
彼女を守らなければ、と思うようになったのは。
城を追い出された時には、ただ一人で生きることしか考えていなかった。
今は違う。
守るものがある。
俺は腰に手を伸ばした。
短剣。
暗殺者から奪ったものだ。
柄に指をかける。
その時。
るうが目を覚ました。
「るう……?」
「大丈夫だ」
俺はるうの頭を撫でる。
そして立ち上がった。
「俺が話してみる」
「お兄さん……」
「ここで待ってろ」
ソプラノが頷く。
俺は馬車を降りた。
野盗たちがこちらを見る。
「なんだ、お前?」
俺は周囲を見渡す。
十人。
全員が武器を持っている。
こちらには御者と旅客。
戦える人間は、ほとんどいない。
俺はため息をついた。
「……面倒なことになったな」
男たちが笑う。
その中の一人が、剣を抜いた。
「大人しく金を出せ」
俺は短剣の柄から手を離さない。
「それは、ちょっと相談させてもらえないか?」
男が一歩近づいてくる。
俺も一歩だけ前へ出た。
――さて。
どうするか。
東への旅は。
どうやら、平穏には始まってくれないらしい。




