↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
万器一身 〜無名の武術家、異世界を往く〜  作者: タダ ユキ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/16

第八話 孵化

サビ猫の昼寝亭に帰ってきてから、数日が経った。


「……暇だな」


昼下がり。


俺は窓際の席で頬杖をついていた。


向かいではソプラノが菓子を食べている。


そして、その隣には――卵。


「暇だね」


「お前は楽しそうだけどな」


「うん」


即答だった。


俺は苦笑する。


窓の外では商人が荷車を引き、子供たちが走り回っている。


露店からは焼いた肉の匂いが漂い、通りの向こうからは威勢のいい商人の声が聞こえてくる。


笑い声。


怒鳴り声。


値段交渉。


酒場から聞こえてくる歌。


平和だった。


あまりにも平和だった。


世界では魔王軍が勢力を広げている。


国が滅び、人が殺されている。


それなのに、この街にはそんな緊張感がほとんどない。


「この国って、本当に魔王と戦ってるの?」


ソプラノが窓の外を見ながら言った。


「一応な」


「そうは見えないけど」


「俺もそう思う」


ここはマルシェ商業国。


魔王領から遠く離れた商業国家だ。


ベスが外交に訪れていた最果ての国とは、ちょうど反対側。


魔王軍の侵攻を受けた国々からも距離があり、今のところ戦火とは縁がない。


そして、この国には他の国とは大きく違うところがある。


王がいない。


マルシェ商業国を治めているのは、三人の大商人。


三商議会。


物流と交易。


金融と資産。


そして生産と産業。


それぞれを代表する三人の商人が国政を担っている。


一人の人間に権力を集中させない。


それが、この国の仕組みだった。


そのため、他国の王族より金を持っている商人すら珍しくない。


法律や戒律も比較的緩い。


商売の自由も大きい。


この国では、


「他人に迷惑をかけなければ、好きに生きろ」


が、半ば国民性になっている。


「王様がいないって、変な国だよね」


ソプラノが言った。


「そうだな」


「じゃあ誰が偉いの?」


「三人の商人じゃないか?」


「商人が国を治めるの?」


「そういう国なんだろ」


俺は地図を広げた。


「まあ、俺は嫌いじゃないけどな」


「私も好き」


「そうか」


「だって自由だもん」


ソプラノは笑った。


俺も少し笑う。


こういう何気ない会話をしていると――


ここに来たばかりの頃が嘘みたいだった。


勇者に選ばれず。


城を追い出され。


暗殺者に襲われ。


気がつけば少女と二人で旅をしている。


そして今は――


卵までいる。


「次はどこへ行く?」


俺が聞く。


ソプラノが地図を覗き込む。


「ここ!」


「……遠いな」


「じゃあここ!」


「さっきより遠い」


「じゃあ……」


ソプラノが悩む。


その横で。


カタッ。


「ん?」


俺とソプラノが卵を見る。


カタ。


「……今、動いた?」


「うん」


カタカタ。


卵が小さく震えていた。


「お兄さん」


「……ああ」


「生まれるの?」


「たぶんな」


二人で卵を見つめる。


ピシッ。


小さな亀裂が入った。


ソプラノが息を呑む。


「頑張れ……」


ピシッ。


ピシッ。


亀裂が広がる。


俺も無意識に立ち上がっていた。


「もう少しだ」


卵の中から何かが殻を叩いている。


そして――


ピシィッ!


殻が大きく割れた。


中から、小さな頭が現れる。


「……」


俺は言葉を失った。


竜。


それが第一印象だった。


長い胴体。


小さな四肢。


長い尾。


そして――


異様に大きな、一つの目。


その周囲には無数の小さな複眼。


口元にはクチバシのような器官。


地球で想像されるような竜とは、まるで違う。


けれど。


間違いなく竜だった。


「……可愛いな」


ソプラノが呟いた。


俺も同感だった。


生まれたばかりの身体は小さく、まだ殻から出ることさえままならない。


そんな竜が。


大きな目で俺を見つめている。


「おい」


俺は手を差し出した。


竜が俺を見る。


じっと。


じっと。


俺を見つめる。


その目には――


明らかな知性があった。


「お前は、なんだ?」


俺が問いかける。


当然、答えなど返ってこないと思っていた。


だが。


竜は口を開いた。


「るうー」


「……」


俺とソプラノが顔を見合わせる。


「今……喋った?」


「うん」


竜はもう一度。


「るうー」


ソプラノの顔がぱっと明るくなった。


「この子、るうって言うのね!」


「いや、たぶん……」


「るう!」


「まだ『りゅう』って発音できないだけだと思うぞ」


「でも、るうって言ってる!」


「まあ……そうだな」


「じゃあ、名前はるう!」


ソプラノが勝手に決めた。


「るう!」


竜も嬉しそうに鳴いた。


「ほら!」


「……気に入ったらしいな」


こうして。


その日。


竜には名前がついた。


――るう。



俺はまだ知らなかった。


竜という生き物が、この世界でどういう存在なのか。


伝説。


それが最も近い言葉だった。


確認されている個体は、世界に数匹。


それ以上いるのか。


それとも、本当にそれだけなのか。


誰にも分からない。


ただ、一つだけ確かなことがある。


竜は強い。


強すぎる。


一度のブレスで、一つの国を滅ぼす。


そんな力を持つ。


だから人間は竜を恐れる。


だが――


竜は、人間に興味を持たない。


魔王にも興味を持たない。


人間と魔王が戦っている?


どちらが勝つ?


どちらが滅びる?


そんなことは、竜にとってどうでもいい。


人間にとっては世界を揺るがす戦争でも。


竜からすれば。


蟻と蟻が争っている。


その程度のこと。


踏み潰すか。


放っておくか。


気分次第。


それが、世界の頂点に立つ生物だった。


ただし――


一つだけ。


絶対的な例外がある。


家族。


竜は家族との絆だけを、何よりも重んじる。


そして生まれたばかりのるうにとって。


最初に見た存在は――


俺だった。


「……」


るうが俺の指に頭を擦りつけてくる。


「おい」


離れない。


「どうした?」


「お兄さんのこと、お父さんだと思ってるんじゃない?」


ソプラノが笑う。


「父親か……」


俺は困った。


その時。


るうがソプラノを見る。


「るう」


「私?」


ソプラノが自分を指差す。


るうが小さな身体を動かして近づいていく。


そして。


ソプラノの足に身体を擦りつけた。


「……」


「お姉ちゃんだと思ってるのかな?」


「たぶん」


「じゃあ、私がお姉ちゃん!」


ソプラノが嬉しそうにるうを抱き上げる。


「るうー!」


「るう!」


二人が顔を見合わせる。


「可愛い……」


ソプラノが完全に夢中になっている。


俺は二人を眺めながら、ふと思った。


異世界に来て。


何者でもないと言われた。


勇者ではない。


神器にも選ばれなかった。


だから城を追い出された。


それなのに。


今は。


少女が一人。


そして――


竜が一匹。


俺を家族だと思っている。


「……変な旅だな」


「そう?」


ソプラノが笑う。


「うん」


るうも鳴く。


「るうー!」


俺は手を伸ばす。


るうが俺の腕をよじ登ってくる。


そして胸元に丸くなった。


「……」


小さい。


柔らかい。


温かい。


これが将来、一国を滅ぼす力を持つ竜になる。


そう言われても。


今の俺には、とても信じられなかった。


「まあ……」


俺は頭を撫でる。


「よろしくな、るう」


「るう」


小さな声が返ってくる。


ソプラノが笑う。


「家族が増えたね」


「……そうだな」


窓の外を見る。


今日もマルシェの街は賑やかだ。


三人の商人が治める、王のいない王国。


魔王の脅威から遠く離れ。


人々は今日も商売をしている。


笑って。


食べて。


眠って。


明日のことを考える。


その平穏な街の片隅で。


世界の頂点に立つ生物が、一人の人間と少女に懐いていた。


まだ。


誰も知らない。


この小さな竜が。


やがてどれほどの存在になるのか。


そして――


るう自身もまだ知らない。


自分がなぜ。


この二人だけを、これほど大切に感じるのか。


ただ。


家族。


その言葉だけは。


生まれたばかりの竜にも、本能として理解できていた。


「るうー!」


「はいはい」


「お兄さん、嬉しそう」


「……そうか?」


「うん」


俺は否定しなかった。


こうして。


俺たちの旅は――


三人になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。