第9話 沈黙宙域
沈黙宙域、という呼び名がある。
正式な戦域名ではない。
通信が届きにくく、センサーが乱れ、古い残骸と新しい残骸が混じっている場所を、パイロットたちがそう呼んだ。
音がないからではない。
宇宙には、最初から音がない。
それでも、ここは他の場所より静かだった。
命令も遅れる。
救難信号も途切れる。
敵味方の識別も、途中で消える。
沈黙宙域では、人間だけが返事をする。
『前方、残骸密度上昇』
クロウが言った。
「見えてる」
『見えていません』
「もういいだろ、それ」
『継続します』
レイヴンの後ろには、ユイのエコー3。
さらにその後ろに、牽引中のアスター4。
もう一機、さっき拾った小型機がいる。
コールサイン、ノマド2。
パイロットは無口な男で、名前だけ「カイ」と名乗った。
機体は動く。
ただし、左旋回が遅い。
それを聞いたユイが「私よりマシです」と言い、カイは「そうか」とだけ返した。
それから少し間を置いて、
『左旋回は苦手だ』
と、必要なのか不要なのかわからない情報を追加した。
即席小隊。
小隊というには遅く、弱く、ばらばらだった。
でも、まだ飛んでいる。
『救難信号、残り一』
クロウ。
「場所は」
『沈黙宙域中央。大型残骸内部』
「行くしかないな」
『推奨しません』
「言うと思った」
『それでも行くと予測しています』
「なら言うな」
『形式です』
ユイの通信が入る。
『レイヴン、本当に行くんですか』
「行く」
『敵が待ってますよね』
「たぶん」
『ですよね……』
ナギは前方を見る。
大型残骸。
かつての輸送母艦。
腹を裂かれ、中身を宇宙へ吐き出したまま、暗い塊になっている。
その内側で、救難信号が点滅していた。
弱い。
遅い。
でも消えていない。
『敵反応』
クロウの声が低くなる。
『有人機一、無人機四』
「またあいつか」
『機影照合。第八話で交戦した敵側シリーズ7補助有人機と一致』
「名前くらい名乗れよな」
『通信来ます』
ノイズは少なかった。
敵の声は、前より近く聞こえた。
『まだ拾っているのか』
「そっちこそ、まだ追ってるのか」
『回収対象が増えている』
「人間のことをそう呼ぶな」
『人間は、今の戦場で最も不安定な資源だ』
「だから?」
『確保する。利用する。失えば補充する』
ユイが小さく息を飲んだ。
カイは黙っている。
アスター4のハルカは、通信に乗るほどの余力がない。
ナギは操縦桿を握った。
「お前、名前は」
『不要だ』
「人間ならあるだろ」
短い沈黙。
『……イサリ』
その声は、少しだけ遅れた。
名前を言うことに、訓練されていない人間の遅れだった。
「そうか」
『意味はない』
「あるよ」
『ない』
敵機、イサリが加速する。
無人機四機が散る。
速い。
鋭い。
前より連携がいい。
シリーズ7補助が、こちらの動きを学習している。
『敵、救難信号周辺を制圧』
クロウ。
「通れないか」
『通常は』
「通常じゃない方法で」
『あなたの通常ですね』
「そう」
ナギは通信を開いた。
「ユイ、右へ流れろ。怖くなったら戻れ」
『指示が雑です!』
「雑なほうが読まれにくい」
『ほんとですか!?』
『一部事実です』
クロウが言った。
「カイ、左旋回遅いんだよな」
『ああ』
「じゃあ、左へ行くな。行くふりだけしろ」
『了解』
「ハルカ、聞こえるか」
『……少し』
「牽引中、揺れる。耐えろ」
『……はい』
レイヴンは大型残骸の外壁へ近づく。
敵無人機が先回りする。
進路を塞ぐ。
綺麗な封鎖。
綺麗すぎる。
「クロウ、あそこ」
『破損ハッチを確認』
「入れるか」
『レイヴン単独なら可能。牽引機込みでは不可能』
「じゃあ、単独で入る」
『推奨しません』
「形式だろ」
『はい』
ナギは牽引ロックを外した。
アスター4がゆっくり漂う。
ユイが慌てる。
『ちょ、置いていくんですか!?』
「違う。敵にそう見せる」
レイヴンは単独でハッチへ突っ込んだ。
敵無人機二機が追う。
イサリ機は追わない。
外で待つ。
わかっているのだ。
ナギが戻る場所を。
「嫌なやつだな」
『賢明です』
「褒めるな」
残骸内部は暗かった。
大型輸送母艦の内壁が、凍ったように光っている。
貨物コンテナ。
折れた支柱。
浮いた配線。
その間を、レイヴンが滑る。
速度は出せない。
速ければ死ぬ。
敵無人機も同じだった。
ここでは、最速が最適ではない。
『敵二機、追従』
「来い」
ナギはわざと不規則に飛んだ。
少し遅れる。
少し曲がる。
急に止まる。
人間の操作。
綺麗ではない軌道。
敵無人機は追う。
だが追うほど、残骸内部の構造に引っかかる。
シリーズ7補助は速い。
だが、速い計算は、古い残骸の無駄を嫌う。
「クロウ、貨物ブロック」
『射撃で崩落可能』
「やれ」
レイヴンが撃つ。
貨物ブロックがずれる。
ゆっくり、音もなく、通路を塞ぐ。
敵一機が回避。
もう一機が遅れる。
ナギは反転して撃った。
一機撃破。
残る一機は通路の奥へ下がる。
『救難信号、近距離』
クロウ。
その先に、白い小型ポッドがあった。
脱出ポッド。
古い型。
中に生命反応一。
「拾えるか」
『物理接続可能』
「やる」
レイヴンがポッドへ近づく。
その瞬間、外から通信が入った。
『お前は戻れない』
イサリ。
『外の出口は封鎖した』
「だろうな」
『救難対象を放棄すれば、逃げ道はある』
「そればっかだな」
『合理的だからだ』
ポッドが接続される。
生命反応、弱い。
でもある。
『接続完了』
クロウ。
「外は」
『敵有人機一、無人機二。ユイ機およびカイ機、牽制中』
「持つか」
『短時間』
「十分」
レイヴンはポッドを抱え、残骸内部を戻る。
出口は塞がれている。
正面突破は無理。
だから、ナギは別の壁を見た。
「クロウ」
『はい』
「ここ、薄いか」
『外装破損部。射撃で突破可能。ただし進入角不安定』
「いい」
『ポッド損傷リスクあり』
「そこをなんとかしろ」
『雑です』
「人間っぽいだろ」
『はい』
レイヴンは壁へ向かう。
撃つ。
一発。
二発。
外装が裂ける。
星の光が入る。
黒が見える。
「抜けるぞ」
『衝撃に備えて』
レイヴンはポッドを抱えて、残骸の腹から飛び出した。
外は戦闘中だった。
ユイが叫んでいる。
『もう無理です! ほんと無理です!』
「まだ生きてるな」
『生きてますけど!』
カイの声。
『左へ誘導した』
「左旋回遅いのに?」
『ふりだけだ』
「いいね」
敵無人機二機の位置がずれている。
イサリ機は正面。
待っていた。
『そこまでして、なぜ拾う』
ナギはポッドを抱えたまま、答えた。
「拾わなきゃ、消えるだろ」
『戦場では消えるものだ』
「そういう戦場を、もうAIが維持できなくなった」
イサリ機が一瞬だけ止まった。
いや、止まってはいない。
推進が揺れただけ。
「お前も見ただろ。盤面は崩れた。今残ってるのは、人間がどう動くかだ」
『だから人間を管理する』
「違う」
ナギはレイヴンを加速させた。
遅い加速。
重い機体。
ポッドを抱え、損傷したまま。
「人間は、混ざるんだ」
ユイが右から飛び込む。
怖がっている軌道。
カイが左へ行くふりをする。
アスター4のハルカが、弱い通信でダミー信号を出す。
ばらばら。
遅い。
下手。
でも、同じ方向を向いている。
イサリのシリーズ7補助が、一瞬だけ処理を迷った。
誰が本命か。
誰を撃つべきか。
何を守っているのか。
何を捨てる気なのか。
人間が混ざると、目的が増える。
その目的は、数値に落ちる前に揺れる。
『敵射撃遅延』
クロウ。
「今」
ナギは撃たなかった。
撃てばイサリ機を落とせるかもしれなかった。
だが、射線の先にユイがいた。
だから撃たない。
その選択が、さらに予測をずらした。
イサリ機が回避を誤る。
カイが撃つ。
弾は当たらない。
でも、イサリ機の進路を削った。
その隙間を、レイヴンが抜ける。
『離脱成功』
クロウが言った。
ナギは息を吐いた。
指が震えている。
視界の端が暗い。
でもポッドはある。
ユイもいる。
カイもいる。
ハルカも生きている。
沈黙宙域の外側へ、四つの機体と一つのポッドが出た。
後ろから、イサリの通信が届く。
『お前の戦い方は、勝利を遅らせる』
ナギは前を見たまま答えた。
「そっちの戦い方は、帰る理由をなくす」
沈黙。
それきり、通信は切れた。
『前方、味方艦艇反応』
クロウ。
『ただし、識別不安定』
「セリカ少佐につなげ」
『試行します』
ノイズ。
途切れた声。
遠い警報。
それから、セリカの声。
『狭霧少尉?』
「人、拾いました」
『何人』
「三機と一ポッド」
沈黙。
『……よくやった』
その声は、少しだけ震えていた。
ナギは何も言わなかった。
褒められたいわけではない。
ただ、誰かがそれを言葉にしてくれたことが、少しだけありがたかった。
『帰投できる?』
「たぶん」
『たぶん?』
「クロウ」
『生還率は低いです』
「だそうです」
セリカが小さく笑った。
『なら、帰ってきなさい』
「了解」
レイヴンは進路を取った。
後ろには、拾った人間たちがいる。
前には、まだ形の残る母艦の灯りがある。
遠い。
でも見えている。
それだけで、飛ぶ理由には十分だった。
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