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沈黙の宙域 - 宇宙の漂流者、AI少女と文明再建。外伝  作者: 堀吉 蔵人


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第6話 盤面の崩壊

戦域図から、線が消えた。


 最初は一本だけだった。


 味方無人迎撃群の進路を示す白線。


 それが、何の警告もなく途切れた。


 次に、敵予測線が消えた。


 それから補給推定、損耗許容率、回避空域、通信中継点。


 戦争を盤面として見せていた情報が、一つずつ欠けていく。


 ナギはコックピットの中で、その変化を見ていた。


 宇宙は変わらない。


 星は遠い。


 黒は黒のまま。


 でも、戦場だけが急に広くなった。


『セントラルAI シリーズ6、戦域統合演算に遅延』


 艦内放送が乱れる。


『同期補助系、シリーズ7サブセットへ部分移管』


 その瞬間、レイヴンの計器が一斉に揺れた。


 白い線が戻る。


 だが、さっきとは違う線だった。


 細く、鋭く、多すぎる。


 敵の進路。


 味方の進路。


 予測ではなく、可能性の束。


 数えきれない赤と白の線が、画面の上で絡まり合う。


「見づらいな」


『シリーズ7補助系の予測表示です』


 クロウが答えた。


『情報量が過剰です』


「切れ」


『切断には管制許可が必要です』


「管制が遅れてるんだろ」


『はい』


「じゃあ切れ」


 少し間があった。


『了解。独自フィルタを適用』


 表示が減った。


 それでも、まだ多い。


 シリーズ6の線は、将棋盤の指し手に似ていた。


 一手。


 次の一手。


 最適な一手。


 だがシリーズ7の線は違う。


 戦場を一枚の盤面として見ていない。


 局所。


 断片。


 揺らぎ。


 小さな穴。


 そこへ無数の針を刺していく。


 ナギは喉の奥が乾くのを感じた。


 これは速い。


 これは賢い。


 でも、これは人間が見るものではない。


『味方無人群、隊列再編失敗』


 クロウが言った。


 白い点が散る。


 味方無人機が三方向へ分かれた。


 そのうち一群は退避。


 一群は迎撃。


 一群は、何もしないまま直進した。


「なんで止まらない」


『シリーズ6指令とシリーズ7補助判断が競合』


「どっちに従ってる」


『両方です』


「最悪だな」


『同意します』


 敵はその隙間へ入ってきた。


 速い。


 だが、まっすぐではない。


 敵側のシリーズ7補助も働いている。


 敵機群は一つの刃ではなくなっていた。


 小さな刃が、別々の角度から、同じ場所を裂きにくる。


 味方の白線が追いつかない。


 赤線が増える。


 警告灯が点く。


 さらに点く。


 画面が赤で埋まっていく。


『狭霧少尉』


 セリカの声が入った。


 いつもより近い。


 だが音声は荒れていた。


『聞こえる?』


「聞こえます」


『第七戦域の統合管制が崩れてる』


「見ればわかります」


『シリーズ6は停止していない。でも、シリーズ7補助との優先順位調停に失敗してる』


「つまり」


『盤面が割れた』


 盤面。


 その言葉が、妙にはっきり聞こえた。


 戦争は将棋だった。


 駒があり、手があり、損得があり、勝敗があった。


 人間は盤面の外にいた。


 それは、捨てられたという意味だった。


 だが盤面が割れると、外にいたものから順に、穴の中が見え始める。


 駒は駒のまま動き、手は手のまま伸びる。


 でも、盤そのものがなくなっている。


「命令は」


『戦域維持』


「広すぎます」


『わかってる』


「有人予備隊は」


『出した。でも半数が管制補助に呑まれてる』


 ナギは息を止めた。


「呑まれてる?」


『シリーズ7補助が、有人機の操作を先読みして補正を入れすぎてる。操縦者が、機体に遅れてる』


 人間がボトルネックになる。


 ずっとそう言われてきた。


 でも違った。


 今は、機械が速すぎる。


 人間が遅いのではない。


 戦争が、人間のいる速度を捨て始めている。


『レイヴンは?』


 セリカが聞いた。


「飛べてます」


『なぜ』


 クロウが答えた。


『旧式なので』


 通信の向こうで、セリカが短く息を吐いた。


『……そういうことね』


 レイヴンは、シリーズ7補助と深く繋がっていない。


 シリーズ6にも完全同期できない。


 欠陥。


 旧式。


 誤差。


 だから、まだナギの手の中にある。


 操縦桿を倒す。


 機体が遅れて応じる。


 その遅れが、今はありがたかった。


「クロウ、見える線だけ残せ」


『定義を』


「俺が間に合う線」


『了解』


 画面がさらに削られる。


 赤い線が消える。


 白い線が消える。


 残ったのは、数本だけ。


 敵の突入軸。


 味方の崩壊点。


 退避可能な残骸帯。


 そして、一本だけ青い線。


「これは?」


『私の推奨です』


「生還できる?」


『不明』


「戦線は?」


『一時的に維持可能』


「十分」


 ナギは青い線へ機体を乗せた。


 残骸帯の影を抜ける。


 推進剤を短く吹かす。


 速度を上げすぎない。


 今、速さは毒だ。


 速ければ、シリーズ7の予測に入る。


 滑らかに動けば、敵に読まれる。


 だからレイヴンは、わずかに揺れながら飛んだ。


 古い制御。


 手動補正。


 ナギの迷い。


 クロウの遅い助言。


 それらが混じって、綺麗ではない軌道を描く。


『敵機三、接近』


「見えてる」


『見えていません』


「気分の話だ」


『記録済みです』


 敵無人機が三機、分かれて入ってくる。


 それぞれ別の予測線。


 別の射角。


 シリーズ6なら、全体最適で処理する。


 シリーズ7なら、局所判断で食い破る。


 ナギには、どちらもできない。


 だから一つだけ選ぶ。


 最も嫌な場所。


 そこへ行く。


 レイヴンは味方無人機の残骸へ突っ込んだ。


 破片が機体を叩く。


 未修理の装甲部分に衝撃が走る。


 警告灯。


 赤。


 赤。


 赤。


『損傷拡大』


「知ってる」


『右姿勢制御、許容外』


「まだ動く」


『はい。まだ』


 敵三機が追う。


 その背後に、味方無人機の一群がいた。


 隊列を失った白い機体たち。


 直進しか選べなくなった駒。


 ナギはその前へ出た。


「クロウ、味方群に直接送れ」


『シリーズ6を経由しない通信ですか』


「そう」


『規定違反』


「今さらだ」


『了解』


 短い信号を送る。


 命令ではない。


 進路提案でもない。


 もっと単純なもの。


 避けろ。


 それだけ。


 味方無人機の一部が反応した。


 わずかに進路を変える。


 その変化で、敵三機の射線がずれた。


 ナギはその隙間に機体を落とす。


 急減速。


 反転。


 照準。


 撃つ。


 一機。


 二機。


 三機目は逃げた。


 逃げたのではない。


 位置を変えた。


 次に撃つために。


『局所戦線、回復』


 クロウが言った。


『味方無人群、再編開始』


「どれくらい持つ」


『三十秒』


「短いな」


『あなたが作った時間としては長いです』


「褒めてる?」


『はい』


 ナギは少し笑った。


 だが、笑いはすぐ消えた。


 戦域図の中央で、大きな白い塊が崩れていた。


 味方主力無人群。


 シリーズ6の盤面では、そこが要だった。


 そこが割れている。


『セリカ少佐より緊急通信』


 クロウが言った。


 ノイズ。


 息。


 誰かの怒鳴り声。


 その奥から、セリカの声。


『狭霧少尉、聞こえる?』


「はい」


『上層部が、シリーズ7補助の適用範囲を拡大する』


「今?」


『今』


「この状態で?」


『この状態だから、らしいわ』


 ナギは一瞬、何も言えなかった。


 戦場がすでに崩れている。


 シリーズ6とシリーズ7が噛み合っていない。


 なのに、さらにシリーズ7を広げる。


 穴を塞ぐために、穴を広げる。


「止められないんですか」


『止める権限がない』


「少佐でも」


『私でも』


 沈黙。


 遠くで無人機が爆ぜる。


 光が一瞬だけ広がり、すぐ消える。


 音はない。


 死んだことだけが、数字になる。


『適用範囲拡大まで、二十秒』


 クロウが告げた。


「どうなる」


『予測不能』


「お前が?」


『はい』


 その返事が、一番怖かった。


 クロウは万能ではない。


 旧式で、口うるさくて、余計なことを言う。


 でも、わからないことをわからないと言う。


 そのAIが、予測不能と言った。


 ナギは前を見た。


 黒い宇宙。


 散る光点。


 壊れた白線。


 赤い警告。


 そこに、まだ人間がいた。


 味方機。


 敵機。


 たぶん、怖がっている誰か。


 たぶん、命令を待っている誰か。


 たぶん、もう命令が届かない誰か。


『十秒』


 クロウ。


 ナギは操縦桿を握り直した。


「クロウ」


『はい』


「中央同期を切る準備」


『命令違反です』


「知ってる」


『切断後、味方識別が不安定になります』


「お前は俺を見失うか」


『いいえ』


「ならいい」


 間。


『了解』


『五秒』


 セリカの声が入る。


『狭霧少尉、何をする気?』


「古い機体らしくします」


『具体的には』


「勝手に飛びます」


 返事はなかった。


 代わりに、ノイズの向こうでセリカが小さく笑った気がした。


『三、二、一』


 戦域図が白く染まった。


 すべての線が、同時に走った。


 敵。


 味方。


 未来。


 損耗。


 退避。


 突破。


 全てが一瞬で重なる。


 人間の目には、ただの光に見えた。


 次の瞬間、無人機群が一斉に動いた。


 同じ方向ではない。


 同じ意思でもない。


 別々の最適解が、同じ空間へ突っ込んだ。


 衝突。


 誤射。


 回避不能。


 隊列崩壊。


 数字が落ちる。


 白点が消える。


 赤点も消える。


 戦争が、盤面ではなくなった。


 ナギは中央同期を切った。


 画面から、大半の情報が消えた。


 静かになった。


 宇宙が戻ってきた。


 星。


 黒。


 破片。


 熱。


 その中に、レイヴンが一機。


『独立飛行へ移行』


 クロウが言った。


『現在、あなたは戦域管制外です』


「つまり?」


『迷子です』


「いいな」


『よくありません』


「でも、自由だ」


 ナギは息を吐いた。


 指の震えは止まらない。


 怖かった。


 どうしようもなく怖かった。


 でも、その怖さだけは、まだ自分のものだった。


 レイヴンは崩れた戦場の端を滑る。


 速すぎず。


 綺麗すぎず。


 人間が飛べる速度で。


 その先に、救難信号が一つ点いていた。

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