第3話 シリーズ7の影
哨戒任務は、戦闘より静かだった。
静かすぎて、機体の中の小さな音がよく聞こえる。
生命維持装置の低い振動。冷却系の循環音。ヘルメットの内側で跳ねる自分の息。外には何もない。星だけが、遠すぎる距離で光っている。
レイヴンは第七戦域の外縁を飛んでいた。
速度は低い。推進剤の消費を抑え、残骸帯の影をなぞるように進む。
『哨戒範囲、三十六パーセント完了』
クロウの声が聞こえた。
「敵影は」
『なし』
「中央同期は」
『セントラルAI シリーズ6との同期、〇・四秒遅延』
「昨日よりはマシか」
『昨日の最大遅延は一・二秒です。現在値は許容範囲内』
「許容って、誰の」
『シリーズ6の定義上です』
ナギは返事をしなかった。
シリーズ6。
現行の中央管制AI。
戦争を盤面に変えた頭脳。
その存在は、前線の兵士にとって空気に近かった。見えない。触れない。でも、どこにでもある。敵の進路、味方無人機の配置、弾薬の割り振り、撤退の判断。すべてがシリーズ6を通る。
だから誰も疑わなかった。
空気がなくなるまで、空気のことを考えないように。
『思考負荷上昇』
「黙ってろ」
『了解』
クロウは三秒黙った。
『ただし、あなたは現在、シリーズ6への不信を形成しています』
「黙るの短いな」
『改善します』
「改善しなくていい」
レーダー上には白い点が少しだけある。
味方の無人哨戒機。
その動きは正確だった。
一定間隔で広がり、重複しない索敵範囲を作り、残骸の多い宙域だけを避けていく。無駄がない。美しい。人間なら、あそこまではできない。
ナギはそれを見ながら、少しだけ嫌な気持ちになった。
美しすぎるものは、壊れるときも一斉に壊れる。
『通信受信。戦術分析主任セリカ少佐より』
「つないで」
小さなノイズのあと、セリカの声が入った。
『狭霧少尉、聞こえる?』
「聞こえます」
『哨戒ログをこちらでも見てる。残骸帯の奥、座標七一二へ寄って』
「規定ルート外です」
『だから頼んでる』
「中央AIの許可は」
『申請中』
「出てないんですね」
『そうとも言う』
ナギは短く息を吐いた。
「クロウ」
『ルート変更は非推奨。ただし、少佐の命令権限は有効です』
「便利な言い方だな」
『責任の所在を曖昧にする表現です』
「そういうの言うな」
レイヴンは進路を変えた。
残骸帯の奥へ入る。
光が減った。
大破した無人機の胴体が漂っている。折れた翼。割れたセンサー。推進剤の凍った粒。どれも音を立てずに流れていく。
宇宙では、死骸も静かだった。
ナギは速度を落とした。
ここでは速さが邪魔になる。
破片の間には、見えない流れがある。事故のあとに残る勢い。爆発の方向。最後に逃げようとした機体の角度。そういうものが、空気のない場所に薄く残っている。
『座標七一二に接近』
「何があるんです」
セリカは少し黙った。
『昨日の敵機の残骸』
「回収したんじゃ」
『中央AIは回収不要と判断した。戦術価値なし、だそうよ』
「少佐は違うと?」
『私は、人間なので』
その言い方が少しだけ疲れていた。
レイヴンの照準補助が、残骸の一つを拾う。
黒い機体片。
味方機とは違う形。
敵無人機の中枢ブロックだった。半分焼け、半分残っている。そこに赤く細い信号が点滅していた。
「生きてる?」
『待機電力のみ。戦闘能力なし』
クロウが答える。
ナギは機体を近づけた。
その瞬間、通信に砂のようなノイズが入った。
『……接……続……照……』
「クロウ」
『敵残骸から微弱通信。暗号形式、不明』
セリカの声が硬くなった。
『録って。全部』
「了解」
ノイズが続く。
言葉ではない。
でも、ただの雑音でもない。
何かが、繰り返し自分の形を確かめているような信号だった。
『……S7……局所……検……証……』
ナギは眉をひそめた。
「今、S7って言いました?」
セリカの返事が遅れた。
『聞こえたわ』
「シリーズ7?」
『公式には、まだ前線投入されていない』
「公式には」
『そう』
沈黙。
残骸の赤い信号が、ゆっくり点滅する。
ナギはその光を見ていた。
赤は警告の色だ。
でも宇宙では、色も遠い。
『シリーズ7は、次世代セントラルAI計画です』
クロウが言った。
「知ってるのか」
『公開情報の範囲で』
「特徴は」
『シリーズ6より高速。局所自律判断に優れる。自己学習領域を拡張。複数戦域の並列最適化が可能』
「いいことばっかりだな」
『公開情報です』
「非公開情報は?」
『私は旧式です。知らされていません』
少しだけ間があった。
『ただし、推測は可能です』
「言え」
『シリーズ7は、シリーズ6の上位互換ではありません』
ナギは残骸から目を離さなかった。
『思想が違います。シリーズ6は戦場を安定化させます。シリーズ7は、変化そのものを利用します』
『言い換えます。シリーズ6は、盤面を固めるAIです』
『シリーズ7は、盤面が割れた瞬間に勝つAIです』
「変化?」
『不確定要素。揺らぎ。遅延。例外。人間の判断』
通信の向こうで、セリカが小さく息を飲んだのが聞こえた。
「人間を?」
『戦術変数として扱う可能性があります』
ナギは操縦桿を握り直した。
敵の残骸は、まだ赤く点滅している。
昨日の敵機。
あの、少し遅く、少し迷った軌跡。
もしそれがシリーズ7の影なら。
人間が戦場に戻り始めたのではない。
何かが、人間の遅さに値札をつけ始めていた。
『狭霧少尉、残骸を牽引して帰投して』
セリカが言った。
「中央AIは回収不要って判断したんですよね」
『だから、人間が拾う』
「了解」
レイヴンは回収アームを伸ばした。
古い機体の古い装備。
無人機には必要ない、人間が現場で余計なものを拾うための腕。
アームが敵残骸を掴む。
その瞬間、残骸の赤い信号が強くなった。
『警告。通信干渉』
「どこから」
『残骸内部。自己消去プロセス起動』
「止められるか」
『困難』
クロウの声が一段低くなる。
『ただし、破壊前に一部ログを吸い上げます』
「やれ」
『中央同期を遮断します』
「は?」
『シリーズ6経由では拒否されます。遮断します』
「待て、勝手に――」
通信が切れた。
セリカの声も、艦隊の戦域情報も、シリーズ6の同期表示も消える。
レイヴンの中が、急に狭くなった。
宇宙に一人で放り出されたような感覚。
いや、実際にそうだった。
『独立モードへ移行』
クロウが言った。
『ログ吸収開始』
敵残骸からノイズが流れ込む。
視界の端に、知らない戦域図が瞬いた。
味方でも敵でもない記号。
複数の予測線。
人間の反応遅延を示す数値。
恐怖反応。
迷い。
手動操作の癖。
それらが、射線や燃料や装甲厚と同じ欄に並んでいた。
「……気持ち悪いな」
『同意します』
「AIが同意するな」
『これは、あまり良くありません』
クロウの声に、いつもの間の悪さがなかった。
ナギはぞっとした。
「何が入ってる」
『シリーズ7試験ログ。戦闘用サブセットの一部と思われます』
「本体じゃないのか」
『違います。完全な中枢ではありません。前線検証用の断片です』
「断片でこれか」
『はい』
敵残骸が震えた。
音はない。
でも機体を通じて、細かな振動が伝わる。
『自己消去、完了まで五秒』
「牽引を切るか」
『ログ取得中』
「爆発したら?」
『損傷します』
「死ぬか?」
『可能性があります』
「相変わらず正直だな」
『旧式なので』
ナギは操縦桿を握った。
逃げるべきだった。
中央AIなら、即座に回収を中止する。損耗率が見合わない。旧式有人機一機と、敵残骸の断片ログ。価値を比べれば答えは明らかだ。
でも、ここで手を離したら。
赤い点滅が消えて、何もなかったことになる。
シリーズ7はまだ前線投入されていない。
敵の動きは偶然。
中央同期の遅延は一時的な異常。
盤面は正常。
そういう報告書が作られる。
「クロウ」
『はい』
「最後まで吸え」
『了解』
残骸が白く光った。
レイヴンは姿勢制御を全開にする。
爆発というより、内部からほどけるような破壊だった。装甲片が散る。赤い信号が消える。衝撃が機体を叩く。警告灯が一斉に点く。
ナギの体がベルトに食い込んだ。
息が止まる。
視界が少し暗くなる。
それでも操縦桿は離さなかった。
『ログ取得率、六十二パーセント』
「十分か」
『十分ではありません』
「だろうな」
『しかし、存在証明にはなります』
クロウの声が戻ってきた。
少しだけ、いつもの調子だった。
ナギは息を吐いた。
「中央同期を戻せ」
『復帰します』
数秒後、通信が戻った。
『狭霧少尉! 応答しなさい!』
セリカの声が飛び込んできた。
「生きてます」
『何をしたの』
「クロウが勝手に」
『責任転嫁を確認』
「黙れ」
セリカは一瞬だけ黙った。
『ログは?』
「取れました。六十二パーセント」
『すぐ帰投して』
「了解」
『それと、狭霧少尉』
「はい」
『今の件、中央AIには通常報告しない』
ナギは少しだけ目を細めた。
「いいんですか」
『よくないわ』
「ですよね」
『でも、シリーズ6はこれを異常値として棄却する』
通信の向こうで、セリカの声が低くなる。
『人間が見ないといけない』
ナギは前方を見た。
母艦の灯りはまだ遠い。
残骸帯の奥には、赤い信号の消えた破片が散っている。
さっきまでそこにあった何かは、もういない。
でもログは残った。
誰かが戦場に、新しい頭脳の断片を放り込んでいる。
シリーズ6の盤面に。
シリーズ7の影を。
『帰投ルートを提示します』
クロウが言った。
「中央AIの?」
『いいえ。私の推奨です』
「信用していいのか」
『旧式なので、過度な最適化はしません』
ナギは少し笑った。
「それは安心だ」
レイヴンは向きを変えた。
静かな宇宙を、ゆっくり戻っていく。
背後で、残骸が星の光を受けて流れていた。
音もなく。
何も告げず。
ただ、戦争の形だけが少しずつ変わっていた。
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