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臆病者の残すもの  作者: 月見里 朱祢
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二つ目の壁

 次は伊沢さんの話をしよう。


 私が入った時、伊沢さんは五十代後半だった。

 A社の社員として働く彼は、とても気難しい人だった。


 伊沢さんは原料の担当だったので、書類の不備など、原料絡みで何かあれば報告しなければならない。


 私が林さんから言われていたのは

「その日入荷したものは、その日に結果を全て入力する」

である。とは言え、運送するトラックによって時間は左右された。午前中に来るものもあれば、雨のような悪天候の時には届く時間は遅くなる。


 こちらに届いたのが遅ければ、当然報告も遅くなった。

 書類の不備は私のせいではないのに、何で舌打ちされながら話をしなければならないんだろう、と何度思ったことか。

「今日は不機嫌でありませんように」と手を合わせてから報告に行くのが、いつしか当たり前となっていた。


 派遣側で林さん以外に原料で分かる人はいなかったので、林さんに聞くしかない。入って二ヶ月経つ頃には、林さんは質問しても教えてくれなくなっていた。

 嫌いでもいいから、質問くらい答えて欲しいと思うのは、我儘だろうか。


 ちなみに、その林さんだが翌年の三月の終わりで生産ラインの方へ異動となった。


 どうやら私の他にも何かしでかしていたらしい。私は林さんのことを、協力会社の担当に相談していた。すぐ辞める気はなかったものの、辞めると言った時に理由を知っておいてほしいと思ったからだった。

 相談したのは十月の半ばだった。

 口にはしなかったが、辞めそうな気配を察したのだろう。

 担当はこう言った。


「来年の三月まで待てるか」と。


「それなら待てます」


 私はそう答えた。


 何ヶ月も先の話ではあるが、分かっているのなら我慢できた。

 林さんが部署での最後の日には達成感のようなものがあったのを覚えている。


 そして、林さんがいなくなった後、気持ちに少し余裕ができた。


 ある日のこと。伊沢さんが書類を探していた。

一年分は部署の部屋にあるが、過去の分は外の保管庫に段ボールに入っている。伊沢さんが探していたのは、保管庫にあった。

書類は一月の最初の出勤日に整理する。そして段ボールに詰めた分を保管庫に持って行く。


 しかし、段ボールに入れた書類には問題があった。

 それは書類にではない。入れ方だった。


 書類は入れて終わりではない。後で必要になることもある。

 私が段ボールに入れる時は、ホッチキスで纏めた書類を立てて、探しやすいように付箋などで五十音やアルファベットで見出しを付けた。しかし私の前にしていた林さんはホッチキスで纏めはしたものの、不用品のように段ボールの中で積み上げるだけだった。


 伊沢さんも、そうなっているのを知っていた。そのため、保管庫に探しに行かねばならないと知った時、絶望した表情をした。


 私は敢えて聞いてみた。


「夕方保管庫に行く用があります。その時で良ければ探して持ってきますよ」と。


 その日から伊沢さんとは少しずつ話すようになった。

 気難しいのは相変わらずだったので、本当にたまにではあるが。


 伊沢さんは仕事上、絶対に関わらないといけない人だ。

気難しい人ではあるが、恩を売っておけば、不機嫌さは少しは減るだろう。

その後、伊沢さんは何かあった時、すぐ話してくれるようになりました。

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