ACT.29 転進
俺が堰から要塞に戻ることができたのは、もう夜明けが近い時間だった。
俺は要塞から火矢が打ち上げられたのを確認して、堰を崩し濁流を下流に流した。それだけだ。疲れた。俺がやったことの結果については想像したくなかった。
要塞に戻ると手足顔を洗った後、パソコンにソーラーチャージャーを繋いで、そのまま寝た。食欲もなかった。
目が覚めたのは昼近くだった。食い物の匂いがした。さすがに腹が減っていた。革命軍兵士たちと一緒に飯を食べ始めた。
ふと気づくとアコが目の前に立っていた。食べ終わった食器を手にしているところらからすると、彼女も食事をとっていたのだろう。
「メシがすんだら作戦室にこい」
一方的に告げられた。
少しして、俺が作戦室に入ると、アコに加えて、チョーハと何人かの兵士がいた。机の上には、地図が広げられている。地図には、ツィックマの町、逃げ出した山中のワンダラの拠点、この要塞に加え、山、尾根、谷、川、それに我々とエルフ軍の軌跡が書き込まれており、アコが兵士から話を聞きながら書き込みをしている。よく見ると、これまでの行動の範囲にはないものもいくつか描かれている。
アコが俺を見て言う。
「カネを呼べ。今後の行動を決めるぞ」
カネを呼びだした。今日のカネは山小屋のような一室でバッファロー柄(太い赤と黒の格子模様)のワークシャツを着て、木製のテーブルを前にして座っている。
「やあ、皆さん。おそろいのようですね」
カネはすでに起こったことはデータとして取り扱うだけで、それで感情が動くことはないのだろう。まったく何事もなかったような顔をしている。
アコが話始めた。
「まず、現状の分析をしたい。それを踏まえて今後の計画をすぐに決めたい」
カネがうなずきながら答える。
「アコ、いいですね。とても合理的です。話がしやすい」
アコが小さくうなずいて続ける。
「まず我々自身分析だ。驚いたことにあれほどの戦闘行為をしたのに、それで傷を負ったものは皆無だ。ただ、皆、疲れている。体の疲れもあるが、精神的な疲労が蓄積している。ずっと追われ続けてきたのだから当然だが、すぐに新たな戦いとなると耐えられないかもしれない」
カネが画面の中で腕組をする。
「そうでしょうね。とてつもない敵を退けないと自分が死ぬという状態を二か月以上続けてますからね」
「食料も尽きかけている。今後の敵は飢えになる可能性が出てきた」
「なるほど」
「我々の現状把握の一環として、こんなものを用意した。おいタケ、カネに見えるようにしてやれ」
俺はパソコンを持ち上げて地図がカメラに写り込むようにした。全体をスキャンする。
パソコンを置くとカネが大きくうなずいている。
「いいですねえ。二次元図にすると全容の把握が素早くできます。この地図を描いた時点でアコはどうすべきかだいたい見当がついているんじゃないですか?」
「そうだな。少なくとも、冬までは、ここにはとどまれない。食料と安全で温かいねぐらを求めて転進するしかなさそうだ」
「それが正解です」
「そこで、どう転進するかだが、カネ、お前の現状のエルフ軍についての分析を教えろ」
カネが片側の口角と眉を上げた。
「了解です。結論から言うと、少なくとも三か月以上は、エルフ軍の大攻勢を恐れる必要はありませんよ」
俺は驚いた。チョーハも驚いて目を見開いている。
「説明しましょう。チョーハさん、ツィックマの町に駐屯していたオーク兵は何人くらいでしたか?」
「五十人くらいだったかな」
「そうですね。我々は、それを全滅させた」
俺はうなずいた。そうだ、俺が合図を送って岩の雪崩を起こさせてオーク兵たちを圧殺した。
「駐屯部隊壊滅を知って、ツィックマの奪還と我々の殲滅を狙ってやってきたエルフ軍が、約二百人。これを用意するのに彼らが要した時間は五日間でした。ところが、その後、さらに二百人を召集してこの要塞に乗り込むまで三十日を要しています。タケ、どういうことがこれからわかりますか?」
「すぐに動かせる部隊は二百人で、それ以上の人数を動かす準備は不十分……?」
「まあ、そんなところです。部隊を召集して攻撃軍を編成するのは大作業であり資源が必要です。エルフたちは革命軍を一気に殲滅するつもりで、集められるだけの兵と装備を持たせて送り込んできたのです。それが、ボロボロになって戻って来た。ということは、彼らには手持ちのカードはありません」
カネが淡々と続ける。
「今回力攻めで大変な目に遭いましたから、彼らの次の攻め手は包囲戦です。少なくとも、今回と同じ規模の兵団に食料を持たせて送り込もうとするでしょう。二百人を動員するの三十日を要した連中が、新たに四百人を動員したうえで兵站まで整えるとなるとゆうに三か月はかかります」
「そうかぁ……」
隣でチョーハが椅子にへたり込んだ。
「ただ我々の当面の敵はエルフ軍ではありません。アコのいう通り飢えと寒さです。ここを放棄して飢えと寒さをしのげるところへ向かいましょう」
「そんなところはどこにあるんだ!?」
カネの気楽そうな話ぶりが気にくわなくて俺は言葉を荒げた。
「タケ地図を見てください。ツィックマ周囲には、もはやエルフ軍はいません。山の中のワンダラの村に戻りましょう。あの村に迫って来た連中は谷で食い止めましたから村はほぼ無傷のはずです。村に戻るまでの補給にツィックマの町に寄りましょう」
「あそこは。まずいんじゃないのか……」
チョーハが心配顔で言った。
「あそこの住人たちは、俺たちがエルフの怒りを招いたために、ひどい目に遭わされたと思っているだろうからなあ」
画面の中のカネがにやついて言う。
「それはどうでしょうねえ。人の心はなかなか変わらない面もあれば簡単に変わる面もありますよ」
「どういうことだ?」
「今回、この要塞戦からエルフ軍は、まずはツィックマに戻ったと考えるのが妥当でしょう。革命軍を一ひねりにしようと意気込んで出かけていった軍が、ボロボロになって戻って来た。しかも指揮官は重体だ。隠しようもないでしょう」
「つまり……町の連中の心の中に、『この連中の支配を終わらせることができるかもしれない』という気持ちが膨らんできている……」
「そういうことです。不安なら、少し町から離れたところから町に偵察隊を送ってから乗り込むかどうか決めればいいんです」
アコが話を引き取った。
「じゃあ、ツィックマ経由で里に戻ろう。里に戻って温かい鍋を腹いっぱい食おうじゃないか」
俺は心の中で呟いた。
(たしかに冬は越せる。ただ、これからの三か月だけをやり過ごしても、その後どうなるんだろう?)




