第九十四話 =休戦=
第九十四話です。よろしくお願いいたします。
「神……?」
幸成の口から零れおちた言葉を、叶が反芻する。
神。それは人知の及ばない絶対的な存在を意味する言葉だ。
目の前の男は、自分こそがそういった高位の存在であると言っているのか?
その答えを、幸成は表情で示した。
「あぁそうだ……『神』は決して倒れず、破れず、人間如きに後れを取る存在じゃねぇよ」
「アナタがそんな崇高な存在だとは思えないけれど」
「今の内に何とでも言っとけよ。数分後には、お前のそのウザってぇ澄まし顔も拝めなくなるんだからな」
余裕。それが今の幸成を構成している事は明白だ。
そしてそれは、今なお収まる事のない強大な負の魔力に裏打ちされたものに他ならない。それを目の前にして立っていられるのは、叶という高位魔術師だからこそだろう。
そう―――――高位魔術師だからこそ、なのだ。
「まぁ……さっきまで生意気こいてたクソガキは、既に呑まれちまってるみてぇだがなぁ?」
幸成が視線を下げれば、そこには瞳の姿が映っていた。
「あ……が……っ……!」
彼の言う通り、先ほどまでの怒りはすっかり無くなってしまい、地に跪き、目から涙を流し、口から唾液を垂れ流しながら餌付いているのが見て取れる。
やはり、と叶は一人納得する。
まだ瞳には、この魔力を耐えるだけの力は無い。想いだけでは、どうあがいても超えられない壁が魔術には存在している。それは叶も理解していた。
だからこそ、この光景は想定内。瞳はまだ若すぎる。
これだけの邪悪で醜い力をその身に受けるには、まだ――――――まだ、足りないのだ。
「お前もすぐにこうなる……愉しみだぜぇ、お前等姉妹が地べたに這いつくばって許しを請う姿がよぉ……ッ!」
ニタニタと、未来を想像し笑う幸成に対し叶は目を細め、
「……呆れた男」
一言、そう口にした。
「アナタが神だったとして、何故もう勝った気でいられるのかしら? そんなだから会長にも見限られて、挙句の果てにはさっきみたいにシエルちゃんにも出し抜かれる事になったのに、分からないのかしら?」
ゴミを見るかのような、とは正にこの事を言うのだろう。そう思えるほど、今の叶の表情は歪んでいた。
当然、幸成がそれを面白く思う筈がない。笑顔は消え去り、怒りにも似た感情があふれ出している。
「些か自意識過剰が過ぎるんじゃねぇのか? 天才様よぉ……言っておくが、神の力は天ヶ崎玲奈みてぇな死霊魔術とはわけが違うぜ。人間のお前が耐えきれるとでも思ってんのか?」
「アナタこそ、自信過剰なんじゃないかしら? 言っておくけど、私は経験則から話をしてあげているの。アナタから感じる力は確かに強大なものだけど……正直私からすれば、玲奈ちゃんのそれとさほど変わらない様に思えるわね」
それに。
言葉を区切り、叶もまた魔力を解き放つ。幸成の強大な魔力と同等か、それ以上の。
「神の力とは戦った事は無いけれど……私は三年前、『悪魔』とは戦った事がある。その時の力に比べれば、今は不思議と恐怖も感じないわね」
果たしてそれは、誰の事を言っているのだろうか。幸成には、その答えが分かっている。叶の言う『悪魔』とは、間違いなくあの世界を震撼させた狂気の魔術師、水瀬優次郎の事だと。
そして、それは幸成のプライドを引き裂くに足る言葉だった。
「俺とあのサイコ野郎を……一緒にすんじゃねぇぞ‼‼」
幸成にとって、それが最大の屈辱なのだ。神である自分が、狂人である優次郎と同等、むしろ劣っていると言われた事が。
既に怒り心頭、沸点を悠々と超えていった幸成の表情は、怒りと憎悪、そして屈辱に塗れ醜く歪んでいる。
そんなのが、神の表情だと言うのか。叶は一人、そんな事を感じていた。その中枢にある感情は、絶望でも恐怖でもなく―――――むしろ、憐みに近いのかもしれない。
「俺があのサイコ野郎に劣る? 死霊以下のクソガキと同レベルだと? ふざけた事抜かしてんじゃねぇぞ……それ以上戯言をほざくようならもういい……せっかく話し合いで穏便に済ませてやろうとしてたのによぉ」
どの口が言っているのだろうか。最初から自分たちを殺す気満々だったと言うのに。
口に出すのも面倒になり、叶は無言で幸成を睨み続けた。
「テメェを此処で殺す。神に逆らった事を後悔しながら死んでいけよ。テメェを殺したら、次はあのサイコ野郎に、そこに転がってる妹だ……その次は」
再び、幸成は気味悪く笑ってみせた。
「魔術学院の生徒共も、皆殺しだ……言っておくが、テメェが悪いんだからな? テメェが俺に逆らったから、大事な大事な生徒も殺される羽目になったんだ……それを忘れてくれるなよ?」
「……何故、私が殺される前提で話が進んでいるのかは分からないけれど……生徒達に手を出すと宣言したのなら、私もこれ以上は会話で済ませられないわね」
この学院に在籍する生徒達は、皆自分の宝の様な存在だ。未来を担っていく、大事な子供たちなのだ。
そんな宝に手をかけると言うのなら……。
「私も、アナタを殺すつもりで行かせてもらうわね」
「はっ! やってみろよ……テメェさえ殺しちまえば、後は簡単だ……未熟なクソガキ共なんざ、俺の相手じゃねぇからなぁ……例えそれが、あの大橋家の人間だったとしても」
その言葉に、彼女が震えた。
「分かってんだぜ? この学院にいるんだろ? まぁ、俺にとっちゃどうでも良いが……確か、大橋芽衣とか言ったか。アイツも……大物になっちまう前に、さっさと殺しちまおうと思ってた所だからなぁ」
その言葉を聞いた時。彼女は―――――――壊れた。
「あ゛あ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛あ゛ア゛嗚呼あ゛あ゛‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼」
それは、声とすら呼べない様なものだった。
雄叫び。慟哭。悲鳴。
そのどれにも当てはまらない様な、無機質で、それでいて―――――――狂った声。
その出所は――――――瞳だった。
「……っ!」
「はっ! やっぱりか……」
体中から、どす黒く赤い禍々しい魔力を放ちながら、ふらふらと立ち上がる瞳の姿に、叶は息をのみ、幸成は笑った。
「さっきの一撃で、片鱗は見えてたんだがなぁ……試しに色々言ってみたが……なるほど、大橋芽衣がトリガーってわけかい」
一人呟く幸成。その彼の姿を、見下す様に、瞳は――――――。
「ユルサナイ……ユルサナイ……」
譫言の様に、そう呟いた。
目は色を失いかけ、あふれ出る魔力が人体に影響を及ぼし、身体中に切り傷が出来ている。そしてそれは、今も宿主である瞳を傷つけ続けている。
瞳の感情を支配するモノ。それは――――――多色の侵入を一切許さない、圧倒的な黒。
玲奈を罵倒され、更に芽衣まで殺そうとしている。
二人の大切な親友。自分にとってのかけがえのない存在を馬鹿にされ、蔑まれ、そして再び奪われようとされた時、瞳は壊れたのだ。
叶は、過去にこういった状態になった魔術師を知っている。そしてこうなってしまえば、早く手を打たなければいけない事も。
もし、対処が遅れれば――――――――魔力が、宿主を食い殺す事になる。
「トガミ、ユキナリ……アナタダケハ……ゼッタイニ……」
瞳の身体から放たれる、巨大な絶望。それを受けてなお、幸成は笑っていた。
まるで、この状況を待ち望んでいたかのように。
「ゼッタイニ……ワタシガ……コ――――――――っ‼」
その先の言葉が、放たれる事は無かった。
糸が切れた様に、瞳は口を止め、目を見開いた。彼女を食い殺そうとしていた魔力が、勢いよく瞳の体内へと逃げていく。
そして、それらが全て成りを潜めた時。
「あ―――――――」
瞳の意識は途切れ、ふらりと地面に倒れようとしていた。だが、それを叶が優しく抱き止める。
(瞳……やっぱりアナタ……)
叶の目が、憂いを帯びて細められた時。
「けっ! 良いところだったのによぉ……」
吐き捨てるように、幸成は言った。既に笑顔はなく、不機嫌を前面に押し出している。
「お前らはいつもそうだ……人の楽しみを邪魔してくれやがってよぉ……」
「それは残念だったな」
突如、割って入る声が聞こえた。叶とっては安心感を、幸成にとっては不快感を覚える男声。二人がそちらを見れば、そこには予想通りの人物と、年配の男性が一人立っていた。
「会長……」
「ご苦労だったな、綾瀬川。それと……もう二度と顔を見せるなと言った筈だ、十神」
「はっ! 俺はもうテメェの部下じゃねぇ……いう事を聞く義務なんざねぇよクソ野郎が」
二人の視線の先には、取締委員会会長である雄清と、そして魔術学院の講師である義信が立っていた。義信の方は、まるで値踏みでもするかのように幸成を睨みつけている。
もし下手に攻撃に出ようとすれば、何か仕掛けてくる。どうやらこの男も戦い慣れている様だと、幸成は一人感じていた。
そして、もう一人。
「学院長、妹さんをその場に寝かせてください」
二人の背後から駆ける美沙子がいた。
幸成には目もくれず、叶によって優しく寝かされた瞳に駆け寄り、すぐに診察を開始する。
「澄田さん、瞳は………」
「……大丈夫です。貧血は見られますが、おそらく無理やり魔力を押し込めた事によるショックが原因でしょう。少し安静にしていれば、すぐに良くなります。魔力の方は、現在落ち着いているようですし」
「よかった……」
心底ほっとした様に、叶がかすかに笑みを零すのを見て、美沙子も優しく笑った。
「玲央君は?」
「此処に来る途中、取締委員会の方がノーランドさんを抱えて私達の前に現れたんです。ノーランドの処置をして欲しいと。玲央は現在、そちらの治療中です」
「そうですか。シエルちゃんは……」
「かなりの重傷でしたが、心配しなくても大丈夫です。治療をしているのは、あの黒岩玲央ですよ?」
少し茶目っ気を含んで言ってみれば、叶も安堵する。玲央が治療するとなれば、万が一の事は無いだろう。
「さて、どうするつもりだ? 十神」
そんなやり取りを横目に、雄清が幸成へ声をかけた。
「まだやるつもりか? 言っておくが、もしそうならばこちらも手加減は出来んぞ。此処にいる全員で、貴様を検挙するつもりだ……それを把握したうえで答えろ」
幸成が答えるより早く――――――今度は、彼が帰って来た。
「それって、ボクも入って良いのかな?」
その中性的な声に、幸成は目を向ける。
そこにいたのは、案の定。スタスタとこちらへ歩み寄る狂人、水瀬優次郎だった。
「やぁ、さっきぶり。あの人たちが言ってた神様って……キミの事で良いんだよね?」
もしそうなら、話は早い。やるならさっさとやろうじゃないか。この男が神ならば、さっきの連中よりは愉しませてくれるだろう。
優次郎の言葉には、その感情が多分に含まれていた。
「ちっ! 相変わらずムカつく面だ……」
舌打ちと悪態をつく幸成だったが、彼にも分かっている。
たとえ自分が神の力を宿していたとしても、流石にこれは分が悪い。
「まぁ良い、ちょうど興がそがれた所だ……だが、覚えておけよ」
言うと、幸成はニタァ…と嗤った。
「次会った時は、テメェ等も取締委員会も魔術学院の生徒共も――――――まとめて皆殺しだ」
その言葉を最後に、幸成の姿は消えていった。
「……追うのか?」
義信の言葉に、雄清は首を横に振って帰す。
「こちらにも負傷者がいますし、今は回復を優先します。それに……水瀬、お前に伝えた事がある。それと篠田にも」
「? なぁに?」
首を傾げる優次郎。雄清は一瞬叶へ視線を向け、すぐに優次郎へ向き直った。
「とりあえず、綾瀬川妹を運んでからだ。綾瀬川、黒岩には許可を取ったが、学院の医務室を使わせてもらいたい。構わないか?」
「はい、大丈夫です」
「助かる。ノーランドもこちらへ搬送される予定だ」
そんな会話の最中だった。
ピチャリ……。
液体が滴る様な音が、こちらへ向かって来ていた。
大方の人間は、それで察する。おそらく、あの人物が近づいてきていると。
ただ一人、美沙子を除いては。
「…………ッ‼」
そして、その人物の姿を見た美沙子は、瞠目する。
姿を見れば、知っている人物に間違いない。だが――――――異様だ。
『黒』でおおわれた彼の服に、赤い液体が付着している。服だけじゃない、髪にも、手に持った見知らぬナニカにも、そしてその白い肌にも。
至る所に流れ、染みつこうとする赤。それが何かは、言われなくても分かる。
美沙子が過去、戦場にいたころ、幾度となく眼にして来たモノ―――――人間の血だ。
他の人間は、予測がついていたのだろうか。あるものは呆れ、あるものは悲しく目を伏せ、そしてあるものは笑っていた。
「おかえり! 一応聞いておくけど、殺してないよね?」
「お前がそれを聞いて来るのは違和感しか無いな……まぁ、殺しちゃいない。殺したら、次の実験に支障が出るからな」
「生憎だが、お前が相手した連中はこちらで摘発させてもらうぞ」
「…………藤原さんか、相変わらず老けませんね。しかし、残念だ。せっかく良い実験対象が手に入ったと思ったんですが……一人くらい譲ってもらえませんか?」
「ダメに決まっているだろう」
間髪入れない雄清の返答に、彼は不機嫌そうに頭を掻いた。
優次郎は笑い、雄清は無表情を張り付け、叶と義信は悲しそうに目を伏せる。
そして、美沙子はあの言葉を思い出していた。
『あの子はそんじょそこらの魔術師に後れを取る様な子じゃないよ』
『この程度でどうにか出来る連中じゃない』
その言葉の意味を、今美沙子は身をもって体感していた。
だからこそ、聞かずにはいられなかった。そして、口を開く。
「篠田先生、アナタは一体……何者なんですか?」
「どうも、澄田さん。前も言いましたけど、普通に『科学者』ですよ」
今回もありがとうございました!
まだまだ冷え込みますね……私も年始から思い切り風邪を引いてしまいました(汗)。コロナでは無かったので一安心ですが、油断禁物ですね! あ、既に治っているので大丈夫です!
そんな感じで、九十四話です。
また色々と謎が増えていますね……辰正は一体どうやって戦ったのでしょうか? そして瞳の身体になにが起こっているのでしょうか?
これからも、お楽しみいただければと思います。
では今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願いします!




