第八十四話 =再び、二人は出会う=
第八十四話です。よろしくお願いいたします。
どんな感情を抱こうと、夜は一日の終わりを告げるべく訪れる。どんな世界でも、平等に。
「戦場医師時代みてた夜空は、どんなだったっけなぁ」
自宅の窓から見える景色を見て、玲央は回顧する。昔話なんてしたからだろうか。戦場にいた時の濃密な記憶が沸々と内側からあふれ出て来た。
来る日も来る日も地獄へ赴き、死の眼前に立つ兵士達と向き合い、その運命に抗おうと治療を続けていた。
その時、自分は今の様に夜空を見上げていただろうか。数多の輝きに、きっちりと目を向けていただろうか。
ちゃんと、上を向いて歩けていただろうか。
滞在した国や戦場の記憶は焼き付いているのに、その時の空を全く覚えていない事に、思わず笑いそうになる。
「結局、僕も若かったんだよなぁ、あの頃は……」
一人、感傷に浸っている時だ。
「その年で何を言ってるんだか。今でも十分若いだろう」
自分しかいない筈の空間に、突如聞きなれた場違いな声が介入した事で、ため息が出そうになるのを何とか堪える。
ゆっくりと振り向けば、そこにあったのは美沙子の姿だった。それも、如何せん刺激が強い姿のだ。
「ミサコちゃん、ちょっと無防備すぎない? 仮にも、ここ男の家なんだけど」
「玲央が私に手を出す事は無いだろう? 今日の話を聞いて、それを確信したからな」
今度こそ、盛大なため息が玲央の口から漏れだした。
今の美沙子は、バスローブ姿でこちらを見つめている。艶やかな黒髪は濡れており、今まさにバスタオルで拭いている所だ。
彼女が動くたびにローブの隙間から垣間見える胸元や太ももが、何とも言えない扇情を醸し出している。
「まぁ確かに、僕もミサコちゃんに手を出す程落ちぶれてないけどさ」
「聞き捨てならんな、それは。自分で言うのも恥ずかしいが、スタイルには自信があるつもりだ」
「内側を知っちゃったりしちゃってるからね」
「なるほど、ケンカを売っているのか」
こんな何気ないやり取りが、何とも懐かしい。
再会してから、こんな下らない事で言い争いをした事は無かったと思う。いつも会うのは連盟の理事会だったし、それ以外では玲奈の一件しか無いのだから、当然と言えばそうだが。
何故こんな事になってしまったのか。
夕食後、優次郎達三人と別れた後の事を思い出し、呆れ気味に美沙子を見つめる。
「て言うかさ、ホントに泊まるの? ミサコちゃん自分の家あるでしょ?」
「お前から目を離すと、何をしでかすか分からないからな。何度も言うが、安心はしていない」
「はぁ……僕も信用されなかったりしちゃうもんだね」
ズキリ。美沙子の心にチクリと針が刺さる。改めてあの頃は違うのだと思い知らされ表情も歪むが、何とか平静を保つ。
「逆に今までの貴様の言動で、私が安心するとでも思ったのか? そう思うなら、今後は慎んで行動するんだな」
「はいはい、善処するよ」
玲央はまた、窓の外に目をやってしまった。こういう所は変わらないなと感じながら、美沙子は使用許可を貰ったベッドに腰掛ける。
本当に、あの頃の関係では無くなってしまったんだなと、美沙子は目を細めた。
帰国後に真衣に出会ってから落ち込んでいた日々を思い出す。流石に医療ミスはしなかったが、他の事は何も手に付かず、ふとした瞬間に虚無感が自分を襲い、同僚や看護師はおろか、患者にまで心配をかけてしまっていた。
それで解雇にならず、患者からの信頼を失う事にもならなかったのは幸運と言う他ない。しかも口々に自分を励ましてくれた事への感謝の念は、今でも忘れる事は無いし、きっとこの先一生そうだろう。
悩んでいる場合じゃない。玲央は、必ず医療の世界へ連れ戻す。そして、数多の医者の上で胡坐をかいている連中に、彼を認めさせる。
その想いを現実にするために、ひたすら治癒魔術に向き合った。弱い自分を捨て、心身を鍛え、それは言葉遣いにも表れ、いつだったか知り合いから「別人みたいだ」と言われた時は、思わず笑ってしまったものだ。
そんな昔話を遡っていけば、突き当たるのはあの国の、あの言葉。
「…………『ごめんなさい』」
「え?」
思わず、玲央は美沙子へ目を向けた。その悲しくも強い瞳は、確かに彼を捉えて離さない。
「あの日、目を覚ました私にラウラさんが言ってくれた言葉だ」
ラウラ。玲央にとって最後の戦場となった国にいた治癒魔術師。
絶縁に近い別れ方をした事を今でも鮮明に覚えているし、あの人の優しさを拒絶した事も忘れられない。後悔は無いけれど。
「名前こそ出さなかったが……ラウラさんのあの言葉は、お前にも言っていた様に、私は思う」
「……ラウラさん、最後は俺を軽蔑していたよ」
その時の会話までは話していないので、美沙子は知る由も無いだろう。だが、彼女にも想像は出来る。
「ラウラさんの性格は、私も理解している。あの人の性格上、人体蘇生魔術なんて禁忌に手を染めたお前を認める事は、確かに無いだろう。だが……それでも私は確信しているよ。あれはきっと、お前に対しても言っていた言葉だと」
おそらく。
ラウラさんも目を覚ました美沙子と話して、彼女から玲央や、死の記憶が失われている事に気づいたのだろう。美沙子も、あの時ラウラは玲央の名を出さなかったと言っていた。
だからこそ、彼女は謝った。
玲央と美沙子が、お互いを大切に想っていた事を知っていたのに、その二人が意に添わない決別をしようとしているのを、止める事が出来なかった事を。
美沙子の推察でしか無いが、きっとそうだと思う。そう、思いたいだけかもしれないけれど。
「……まぁ、ラウラさんは優しい人だったけどね」
玲央の答えは、肯定とは言えないが、否定でも無いものだった。
そんな彼の背中を見つめていると、不意にそれが振り返る。
「さて、明日から新学期だ。僕も仕事始まるし、そろそろ寝ようかな」
「私には経験が無いが、保健医も大変だな」
「まぁね。僕以外誰もいないし、今の生徒はやんちゃな子が多くてさ。困ったもんだよ」
「誰かさんと同じだな」
正に因果応報だと美沙子が笑えば、玲央は思わず眉をひそめた。だが、すぐに戻す。また言い争いが始まっては、同じことを繰り返す羽目になる。
自分からそう思えるほどには成長したのかなと、何となく思った。
「じゃあ、美沙子さんも明日仕事でしょ? 僕の方が早いみたいだし、鍵はさっき言った場所にあるから戸締りお願いね。明日はちゃんと帰るんだよ」
そう言って、玲央は寝室を後にする。
「……どこへ行く? ベッドは此処しか無いだろう?」
――――――つもりだったのだが、美沙子が突然訳の分からない事を言ってきたため、思わず立ち止まる。
「いや、それはミサコちゃんが使えばいいって言ったでしょ? 僕はリビングのソファで寝るよ」
「そんな所で寝ては、明日背中痛くなるだろう。お前もまだ医者を名乗ってるのなら、自分の体も気を遣え」
「そう言われちゃったりしてもねぇ。うち一人暮らしだから、ベッドそれしか無いし」
「だったら、一緒に寝ればいいだろう」
玲央は思わず目を見開き、さも当然と言った様に涼し気な表情を凝視した。
この人は、今なんと言った? 一緒に寝る? 自分と美沙子が? 決して広くないシングルベッドで?
「何言ってんの? ダメでしょ、普通に考えて」
「何がダメなんだ? 知らん仲でも無いだろう」
「いやいやいや。恋人でも夫婦でも無い男女二人が同じベッドって在り得ないから」
「問題無い。さっきも言ったが、お前が私に何かする事は無いだろうと確信している」
「だからって……」
玲央にしては珍しく狼狽えていると、美沙子が再度口を開いた。
「それとも――――――私と一緒は嫌か?」
思わずドキッとしてしまう。
美沙子のどこか哀し気で、それでいて恥ずかしそうな……頬を染めた表情を見て、思わず見とれてしまったからだ。
「この際だから正直に言うが……私は、玲央とまたこうしていられる事が嬉しい。二度と会えないと思っていたし、玲央の想いを考えれば会う訳にはいかないと思っていた。もし会えても、あの頃の様にはいかないと覚悟もしていた。玲央が戦場で私にしていた様に、今度は私が玲央を認めない立場でいなければいけないと、もうあの頃の様になれ合ってはいられないと、そう思っていた」
あの時隠していた気持ちを吐露する。美沙子にとって今この瞬間は、ずっと待ち望んでいたものだ。
他愛ない会話、あの頃と同じ軽口のたたき合い、そして――――――――戦火に怯える必要のない場所で、彼と共にいる事が。
家に泊まると言ったり、風呂上がりに扇情的な格好で現れたのは、だからこそなのだろうと玲央は推測する。多少極端すぎる気もするが。
「だから、私は玲央との時間は一秒でも長くしたい。自分でもこんな素直に感情を伝えられている事に驚いているが、紛れも無い私の本心だ」
今がその時だと、美沙子は一人確信する。
あの時、死を覚悟してでも言いたかった言葉。
死の直前に、確信した自分の想い。
言え、澄田美沙子。今を逃せば、次またいつチャンスが来るか分からない。
あの頃の様に、後悔しない様に、今、その想いを玲央に伝えろ。
「私は、玲央の隣にいたい……」
『お姉さんは、間違えちゃダメだよ』
「……玲央の事が、好き」
「っ!」
玲央の目が、くっきりと見開かれた。彼女の目に嘘は無い。彼女が言った事は、本当の想いだ。
美沙子は玲央を愛し、玲央の隣を望み、玲央を支えたいと心から願っている。今も、ずっと。
そして、その想いを真正面から受けた玲央は――――――返答に悩んでいた。
嫌われていると思っていた。ずっと、戦場にいた頃から。まさかこんなにも好いてもらえているなんて思わなかった。
そして、想いを告げられたからには答えなければいけない。
玲央個人としても、しっかりと答えてあげたいと思ってる。それが、勇気を出して告白してくれた美沙子への礼儀だ。
だが……。
「――――――分かってる」
「え……」
美沙子の声に、玲央はいつの間にか俯いていた顔を上げた。
そこにあるのは、憂いを帯びながらも美しい微笑。
「玲央、お前は優しい。私は、それを知っている。玲央が私をどう想っているかは分からないが……もし私の想いに応えれば、再び大橋真衣が私に殺意を向けるかもしれない。もし断れば、私を傷つける事になってしまうかもしれない。
玲央の想いがどちらだったにせよ、私を危険に晒すか、傷つける事に繋がってしまう……だから、答えられない。大方そんな所だろう?」
美沙子の推測は、結論を言えば当たっている。
玲央の想いは決まっている。だが、答えられない。理由は、正に今美沙子が言ったそれだ。
「だから、答えは今じゃなくてもいい。ヘタレだとも思わないから安心しろ。
だが、いつか答えを聞かせて欲しい。それまで……私は、待つよ」
「…………ごめん」
思わず謝れば、今度は呆れた様に笑っていた。
「だから良いと言っているだろう? だが、本当にそう思うのなら、一つだけお願いを聞いてもらいたい………」
美沙子が、玲央に手を伸ばした。
「一緒に、寝てくれるか?」
しばし躊躇った後、玲央は――――――――笑って彼女の手を取った。
本当に……この人には敵わない。
「明日、合鍵作っておかなきゃね」
玲央の答えに、美沙子も笑った。
昨日までの快晴は何だったんだろうか。
せっかくの新たな日々の幕開けだと言うのに、天は自分たちに何か恨みでもあるのだろうか。
夜明け前、早朝。
ざぁざぁと降りしきる雨の中、まだ誰もいない校舎の入口で、優次郎は一人ボーっと空を眺めていた。
お気に入りの屋上へ行きたかったのだが、こうなっては仕方ない。手を伸ばしてみると、降りしきる雨が彼の手に落ちては、すぐに流れ地に還っていく。
「『星の下僕』、か……」
昨日、玲央と美沙子から聞いた話を思い出し、何となく呟いた。
自分が対峙している存在に、彼が何を思うのか。その表情からは、読み取る事は出来なかったが。
「………そろそろって事なのかもなぁ」
何が、とは言わない。そもそも伝える相手なんてこの場にはいないのだから。手をひっこめ、再び天へ目を向ける。止む気配はない。今日はきっと、一日中雨だ。
そんな事を考えている時だった。
ふと、人の気配を感じて視線を下げた。
向こうから、誰かが歩いてくる。傘を差し、顔は見えない。
優次郎は表情を変えることなく、じっとこちらへ来るのを待った。
雨の中でぼやけ、ハッキリとした容姿は分からないが、傘からつま先に至るまで、彼と真逆の色で形成されているという事は分かる。
そして、その人物は雨の中を潜り抜け、優次郎の前に留まった。
黒いスニーカー。
黒いスウェットパンツ。
黒いパーカー。
黒い傘。
見る限り一面の黒、黒、黒――――――。
傘が不要になったと判断し、右手をゆっくりとおろした先には、やはり『黒』。その髪は後ろで短く結ばれている。
見事なまでに、優次郎とは真逆だった。共通していることと言えば、ボサボサで手入れされていない髪と、不気味なまでに白い肌ぐらいのものだろう。
優次郎が見つめる中、その人物はしばし髪を乱雑にかきむしった後、顔を上げた。
何の感情も見えない、冷たい印象を受ける完璧なまでの無表情。
鋭く切れた空白の中で、まるでこちらを突き刺そうとしている様に光る攻撃的な蒼い瞳。
その男は、声を発する事なく優次郎を見つめている。
水瀬優次郎と言う、かつての親友の姿を。
その男を見て、優次郎は――――――
「―――――――はは」
――――――――――――――嗤った。
今回もありがとうございました!
これにて第五章は終了となります。次回からは新章に入っていきたいと思います。次からの優次郎の相手となるのは『個人』ではなく『集団』となります。文字通りの『新しい物語』となっていきますが、根本は同じですので、どうぞお楽しみください。
そんな感じの八十四話です。
やっと優次郎の親友を出せました。一章から存在を仄めかされていて、出て来るまでに気付けば八十話超えてましたね……何とか出す事も出来、私も嬉しいです。
そして、美沙子さんも自分の想いを玲央先輩に伝える事が出来ましたね。色々障がいも多そうな二人ですが、頑張って欲しいなぁ……。
では今回はこの辺で
また次回もよろしくお願いします




