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灰色の世界  作者: ken
第五章
83/140

第八十二話 =黒岩玲央=

第八十二話です。よろしくお願いいたします。


 かつて、こんなにも時間の早さを実感した事はあっただろうか。自分が生きてきた中で、最も濃密な、それでいて最悪な一日も、気付けば終わろうとしていた。

 突如起こった戦争の結果は、リックさんの統率とラウラさんの治療の甲斐もあり、奇跡的に死傷者はいなかった。二人が加わった事で混乱も収まり、兵の士気も上がった。徐々に敵軍を押し返し、最終的には向こうから逃げていったそうだ。

 遠くでは今、祝勝会の真っただ中。国民も兵士も一緒になって無事を祝い、楽しそうな声がとめどなく聞こえて来る。

 俺も誘われたし、是非参加したいところだけど、生憎気分じゃないとお断りした。

 それに、今俺たちがいる部屋の空気は真逆だ。薄暗い部屋に、静かに横になっている美沙子さんの前に俺は座っていた。


「……二人とも行かなくていいの? みんな待ってるんじゃない?」


 両隣にいるのは、今日の主役とも言うべき功労者二人、リックさんとラウラさんがいる。二人とも神妙な顔で、じっと美沙子さんを見つめていた。

 

「…………すまない」


 やがて、リックさんがおもむろに口を開く。飛び出して来た言葉は、俺への返答とは到底思えない、暗く重いものだった。


「結果論になるが、やはり澄田先生にお前の居場所を伝えるべきでは無かった」


「美沙子さんも頑固な人だからね。仕方ないよ。それにあのまま戦場に行ったところで、生き延びた確証があった訳でも無いし」


 努めて明るく笑ってみる。上手く出来てるかは、自身無いけど。


「それでも、俺は俺を許せそうにないよ。玲央の想いにも応えられず、澄田先生の気迫に押し敗け、挙句の果てに死の原因を作った……償い切れないよ、澄田先生にも、お前にも」


 本当に真面目な人だ。それでいて、優しい人だ。立場を持つと謝れなくなる人間も多い中、稀有な存在だなと思う。

 そんな彼だからこそ、皆ついていくんだろうな。


「俺は償いなんて求めてないし、きっと美沙子さんもそうだよ。むしろ、美沙子さんは自分の意思と覚悟を尊重してくれたリックさんに感謝してるくらいだろうね。こう見えても長い付き合いだから、信じてくれて良いと思うよ?」

 

 これは、紛れもなく俺の本心だ。会って間もない俺や美沙子さんの為の意思を優先してくれて、しかもその結果招かれた事実に対して、こんなにも心を痛めてくれている。それに、俺は感謝している。美沙子さんも、きっとそうだと思う。

 でも、未だにリックさんの表情は冴えないままだった。唇を噛み、拳もわなわなと震えている。

 はぁ……本当に真面目な人だな。この先、その性格が凶と出なければ良いんだけど。

 まぁでも―――――。


「それに……俺がこの国にいるのは今日までだから、償いの機会なんて無いさ」


 きっと俺は、未来のリックさんやラウラさんを見る事も無いだろうけど。

 リックさんの視線が、こちらに向いたのが分かった。彼だけじゃない。ラウラさんも俺の顔を見つめているだろう。

 リックさんの方へ顔を向ければ、想像通りの表情で俺を見つめていた。


「何故だ……? 人を、殺したからか?」


「それもあるよ。殺人は医師として……いや、兵士でもない一魔術師としての最大の禁忌だ。どんな凶悪な魔術を行使する事以上の重罪に値するさ」


「その事なら心配はいらない。俺やラウラ、それに国民や兵士達もお前には感謝している。国王にもお前の行った事……今日の出来事を含めて全て伝えたが、お前には感謝していた。

 殺人の件は、この国だけにとどめ日本の治癒魔術師連盟には通達しないと言っていた。だから、お前の禁忌が明るみに出る事は無い」


 そこまでしてくれなくても良いのに。本当、義理堅い国だ事。


「有難い限りだね。でも、俺が此処を出ていく事には変わりはない。例の大橋真衣にも会って来たよ。アイツから直接聞いた訳じゃ無いけど、もう『星の下僕』はこの国から手を引くさ。皆が望んでいた平穏が手に入るんだ。だったら、戦場専門の治癒魔術師なんてお役御免になるよ」


 俺みたいな人間に、平穏は似合わない。血が飛び交い、魔術が乱発される戦場の匂いが染みついた俺には。

 戦争が終わった今、もうこの国だって俺に用は無いはずだ。

 あくまで雇われただけ。国に殉ずる覚悟なんてもの、俺は持ち合わせていない。

 戦争の間は味方する。そういう契約だった事は、リックさんだって知っている筈だ。


「…………本当に、それだけか?」


 そしてリックさんはと言えば、表情を変えた。

 

「お前、まさか……」


 あぁ、やっぱり。こういう事には目ざとい人だったのか。

 リックさんの言いたい事は分かる。そして――――――それはきっと当たっている。

 でも、その先を言葉にする事は無かった。去り行く人への手向け、とでも言うのかね。何にせよ、嬉しい事だけど。


「さぁ、行った行った! 今日の英雄に、こんな場所は似合わないよ? 元気な顔を見せて。兵士達を安心させてあげな!」


 肩を軽くたたき、彼を送り出す。リックさんはまだ何か言いたげだったが、やがてゆっくりと愛しい喧騒へ向かって歩を進めた。

 

「…………玲央」


 だが、出口の一歩手前。扉に手をかけた途端に一度立ち止まり、顔だけをこちらへ向けた。


「たった数日の付き合いしか無いが……俺はお前を親友だと思っているし、お前の未来を応援している。それはお前がどんな選択をしたとしても変わらない。お前が、そう思っていなかったとしても。

 ……これだけは、伝えておこうと思う」


「っ……はは」


 思わず笑いが漏れてしまった。でも―――――――温かい。

 一つ息をつき、リックさんの目をしっかりと見つめ、俺は言った。

 俺が最後に彼に伝える事は、たった一つだ。


「さようなら、リックさん」


 リックさんもまた、一瞬目を見開いた後で笑った。


「あぁ……またな(・・・)、玲央」


 その時の俺の表情は、リックさんの目にどう映っただろうか。既に姿を消したリックさんには、もう確認する術も無い事だけど。

 しかし、嬉しい誤算だ。俺の考えを、覚悟を察した上で、まだそんな事を言ってくれるなんてな。

 リックさんが居なくなった後、しばらく扉を見つめ、俺は反対方向へ身体を向けた。

 もう一人、この部屋に似つかわしくない医師ひとへと。


「ラウラさん、アナタも早く――――――――」


 そこで、俺の言葉は止まってしまった。理由は今の状況を見れば一目で分かるだろう。

 俺は今、ラウラさんに抱きしめられている。力強いが、それでいてどこか温かく、優しい。母親特有の抱擁ってやつなのかね。


「どうしました? ラウラさん」


「レオ先生……どういうつもりですか?」


 質問に答えない人間の集まりなのかねぇ、この国は。

 俺の胸に顔をうずめたまま、そんな事を考えてしまった。


「本当に、ここを出ていくつもりですか?」


「そうですよ。聞いていたでしょう? 俺はあくまで戦場医師だし、もう此処に――――――」




「そういう事じゃありません!」




 突然耳元で叫ばれた為、思わず肩が震えてしまった。

 勢いよく離れたラウラさんの目が、涙をためたまま俺をしっかり見つめている。腕は未だ、俺の身体を離そうとしないけど。


「私は精神科医です! レオ先生の考えなんて手に取る様に分かります! アナタの嘘は、私には通用しませんよ!?」


 心外だな。俺は嘘つけないタイプだって言うのに。

 それにそれって、精神科医じゃなくて心理学者の領分だと思うけどなぁ。


「長く精神科医をして、心に闇を抱えた患者を何人も見てきました! 来る日も来る日も! アナタは、その患者達と同じ目をしています!

 苦しくて、藻掻いて、そして自分の手で全部終わらせようとしている、そんな目を!」


「そうですか」


「リック隊長は許したかもしれませんけど、私はそんなの許しません! 人として、そして同じ医師としてです! 

 レオ先生…………アナタは、再び『禁忌』を犯そうとしている! それも医師にとって、最低最悪の禁忌、『人体蘇生魔術』をです!」


 流石だな、と素直に思う。

 当然だけど、医師としての経験年数は俺よりラウラさんの方が圧倒的に長い。精神科が専門とはいっても、あの奇襲の中で生き延び、しかも死傷者を出さなかったと聞けば、その実力も容易に想像できる。

 そんな彼女が、俺のやろうとする事に気付かない筈もなければ、それを許すなんて絶対に無いだろうって事も分かっていたけど。


「ダメです! 絶対に! そんな事をしても、アナタもミサコ先生も幸せになんてなれない!

 仮に成功してミサコ先生が生き返ったとしても、レオ先生が大きな代償を背負う事になるんですよ!?」


「……まぁ、最悪俺の命を代償とする事になるでしょうね。そうじゃなくても、牢獄行は免れませんね、奇跡でも起きない限り」


「もし、アナタがそんな事になれば、ミサコ先生はどう思うかって、考えた事ありますか?

 きっと、彼女は自分を責めます! 自分のせいで、レオ先生の未来を奪ってしまったと! 自分が弱いせいで、レオ先生が犠牲になってしまったと! ミサコ先生は、そんな優しい人間だって、アナタも知っているでしょう!?」


 知ってるさ。当然ね。


「レオ先生、アナタは優しい人です。私は、それを知っています。今日の往診で、私に伝えてくれたミサコ先生への想いを聞いて確信しました」


 思わず溜息が出そうになった。そして、思い出されるのは今日、ラウラさんとの会話だ。













『レオ先生、どうしてミサコ先生に対してあんな態度をとっているんですか?』


『そりゃ楽しいからですよ。美沙子さんの反応、面白いでしょ?』


『フフッ。私には、もっと違う理由があるように思えます』


『……精神科医の職業病ってやつですか?』


『努力の結晶と言って下さい』


『…………美沙子さんは優秀で強い人です。精神的な面で言えば、きっと俺よりもずっと。

 それに底なしに優しい。優しすぎる。だからこそ、危うい』


『え?』


『優しさは美徳です。でも、戦場においてはそれが命取りになる事だってある。戦場医師にとって、本当は雇われた国に必要以上に干渉するのはタブーなんです。でも、美沙子さんは優しいから、ついつい親身になって接してしまう。もし、いずれこの国と敵対するものに雇われた時、美沙子さんにはラウラさんやリックさんと敵対する事に迷いが生じてしまうでしょう』


『…………』


『俺は、美沙子さんには生きて欲しいんです。あの人は、いずれ大物になる。俺には救えない多くの人間を救える、そんな人間になる。俺はそう確信しています。

 だから俺は、俺だけは、美沙子さんの味方でいるわけにはいかないんです。咎めないといけないんです。あの人が、戦場で命を散らすなんて事は、あってはならないんです』


『……先生にとって、ミサコ先生は大切な人なんですね』


『………………そうかもしれませんね』












 あんな事、やっぱり言わなければよかったかもな。

 

「アナタの願いは、ミサコ先生に生きてもらう事。それは分かります。でも! だからと言って亡くなった人間を蘇生させて良い事にはなりません!」


 ラウラさんの目に溜まった涙が、容量を超えて流れていく。この人も、人の事言えないな。


「先生……お願いです。アナタの優しさを、もっと自分にも向けて下さい。そして……アナタがミサコ先生を大切に想っているのと同じくらい、ミサコ先生もアナタを大切に想っている事を知ってください」


 はぁ……全く、耳が痛いな。

 美沙子さんといいラウラさんといい、女性ってのはどうも苦手だ……正論を叩き込んでくる所とかね。


 でも、ごめんねラウラさん。




「俺は……それでも止まりません。いえ、止まれません」




 ラウラさんの目が見開かれる。

 どうして? と言うように。少し胸が痛くなるのを感じた。


「ラウラさんの言う事は、正論ですよ。正しいのはアナタで、間違っているのは俺。誰が聞いても、そう思うでしょうね」


「なら……ッ!」


「それでも、俺は変わりません。美沙子さんには―――――――生きていて欲しいんです」


 ラウラさんの手が、離れた。

 きっと、まだまだ言いたい事なんて山ほどあるだろう。納得なんて、一切していないだろう。


「……最低です、レオ先生は」


 ごもっとも。


「自分勝手すぎます」


 自分でもそう思いますよ。


「…………可哀そうな人ですね」


 ……………そう、なのかもしれませんね。


「もう、良いです」


 ラウラさんもまた、リックさんと同じように歩を進めた。


「レオ先生が暗く淀んだ道を選ぶなら、もう止めません……精々、後で後悔してください」


 そして彼女もまた、扉を開けて外へでる瞬間、こちらを振り向いた。

 思わず笑いそうになる。本当に―――――――――怒った顔の似合わない人だ。




「――――――――さようなら、先生」




 パタン、と乾いた音が木霊した。

 静かだな。

 真っ先に浮かんだ感想はそれだった。


「この部屋とも、もうお別れだな……」


 この国へ来た最初の夜。ここで美沙子さんと話したんだっけ。カルテと睨めっこしてた美沙子さんの顔を見て、何故だか愛しくなったものだと思えば、笑ってしまった。

 

「さて、と……」


 美沙子さんの顔を覗き込む。

 きっと、俺がこの顔を見るのはこれで最後だ。もし、この先の人生でもう一度美沙子さんに会えたとしても、きっと今までの様に接してはくれないだろう。

 

 でも。


 それでも。


 俺は―――――――――この我がままを貫き通す。


「俺の事も戦場の事も全部忘れて……一人の女性として、医師として、幸せに生きてね」


 そのためなら、俺は何にでも――――――狂人にだって、なってやる。


「お前の言った通り、俺たちは似ているのかも知れないね」


 ゆっくりと、彼女の体へ右手を伸ばした。そして、止まる。それを強引に動かし、彼女の体に手を翳した。




「――――――――――――――――さようなら、美沙子さん」




 見慣れない光に包まれる美沙子さんの奥で、アイツが―――――――――――水瀬が、を見て笑った気がした。

今回もありがとうございました!

過去編はもう少し続きますが、次回で終了となる予定です。


そんな感じの八十二話です。

既に第六章の構想も出来かけておりますので、五章が終了した後もそこまでお待たせせずに投稿できるかと思います。

第六章より新たな物語となり、ずっと存在だけ仄めかされてきた『アイツ』が本格的に活躍するかも……ッ!? どうぞお楽しみに!


では今回はこの辺で

また次回もよろしくお願いします!

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