第七十七話 =医師として=
第七十七話です。よろしくお願いいたします。
初めて彼に会ったのは、正に生死の瀬戸際での出来事だった。
『おい! しっかりしろ!』
それはきっと、他人にとっては一瞬で。それでも私にとっては、遠い遠い昔にあった様に思える、そんな記憶。
轟く爆音。逃げ惑う人々。つい数時間前まで、その人たちが住んでいたであろう建物が瓦解していく様。
全てが非現実的で、それでいて―――――――これ以上ないほどの、戦場のリアル。日常茶飯事。街は炎に包まれ、瓦礫がすぐ真横に落ちていく。一秒でも迷いが生じれば、足を止めてしまえば、集中を欠いてしまえば。現実は遠慮なく、自分たちの命を奪っていく。
戦場医師になって、何度目かの依頼。そんな地獄絵図の中で私はあの子と出会ったんだ。
『ふざけるな! まだ死んでる場合じゃないだろ!? アンタが死んだら、アンタの家族を誰が護るんだ! 一家の大黒柱が無責任な事してんじゃないよ!』
今にも崩れそうな瓦礫の中で、彼は懸命に治療を続けていた。
倒れていた虫の息だった男性に目を向けたのは、彼だけ。他の人達は見向きもせず、我先にと戦火から遠のいていく。
私の様な医師という立場の人間だって、男声を見ようとしていなかった程だ。一人でも多くの命を助けるために、まだ助かりそうな患者を優先的に逃がしていたのだから。
だが、彼は違った。
数分前にこと切れたであろう命を、現実へ戻そうと必死になっていた。
その時の私には、理解できなかった。
既に他の患者は無事に避難が完了している。私達医師も、患者達の治療のために一刻も早くこの場を後にしなくてはいけない。じゃないと、せっかく助かった命が無意味に消えてしまう。
頭では分かっていた。分かっていたけど、動けなかった。
私と彼と、そして彼が治療している男性しかいなくなったその場所に、ただ立ち尽くしていた。
『アンタにとっちゃ名誉の死かも知れないけど、あの人達にとって父親はアンタしかいないんだ! アンタが死ねば、アンタの家族にとっての日常が終わるんだよ!』
はた目から見て、傷はもう完治している。男性を蝕んでいたものも、既に体内には欠片も残っていない。
だが、身体は衰弱しきっている。心臓も、もしかしたら既に止まっているかもしれない。目が覚める確率は、限りなくゼロに近いだろうと、自分でも驚くほど冷静に観察していた。
ああやって声をかけたところで、何が変わると言うのか。何も変わらない。あんなものは治療の領分ではない。医師が――――――治癒魔術師がやる事じゃない。
『名誉だとか戦争だとか、そんな事は関係ない! そんなもんを逃げ道に使うなよ! アンタの家族はアンタが護れよ! もし、まだ護りたいと思うんなら―――――――さっさと帰ってこい‼』
瓦礫が、彼らの真横に落ちる。彼の白衣の端々が焦げついている。顔も煤だらけだ。きっと、私が来る前からずっとああやっているんだろう。
一体、何のために? 分からない。自分より若く見えるあの青年が、あそこまで消え入りそうな患者に入れ込む理由が、私にはさっぱり分からない。
その時の私の目は、ものすごく冷めたものだったんだろう。助からない命に全力を注ぐなんて馬鹿げてる。家族がいるのは、何もあの男性だけじゃない。皆にいるんだ。あの人だけが特別じゃないんだ。
それなのに、その数百と言う命を無視して、たった一人の瀕死の命に向き合う事が、一体何になると言うんだろうか。
それに、あの男性はもう助からない。出来る限りの治療は終えているんだろうし、助かるわけがない。
そう、思っていた。だけど――――――。
『う……っ』
その声を聞いた時、私はどんな顔をしてたんだろう。
人は、自分の中にある絶対的な自信が偽りだったと知った時、どんな顔をするんだろう。
『っ! そうだ、戻ってこい! アンタの家族は、もう避難してる! 後はアンタだけだ! 早く――――――――アンタの家族に、笑顔を見せてやってよ! それが戦場に生きる家族にとって、一番の治療なんだよ!』
彼と私は、治癒魔術師としての思想が根本的に違ったんだ。だから彼を理解できなかったし、出来なくて当然なのかもしれない。
でも、きっとあの時から、私は彼を―――――――――。
「ん……」
じんわりと、視界が白けていく。瞼が重い。数秒経ってから脳が動き出し、直前の記憶が思い返された。
(そっか。確か私、あの女の人が居なくなった後で玲央に会って……)
何かされた事までは覚えている。でも、一体何をされたんだろう? 催眠魔術、じゃ無かった様な気がするけど……ダメだ、そこまでは思い出せない。
それに、何か懐かしい夢を見ていた様な…………。
「目が覚めましたか?」
おそらく私に言ったであろう言葉が耳に入り、やっと風景を認識し始めた視界をそちらへ向ける。
見慣れた場所だ。ここに来てから毎日いるんだから当たり前なんだけど、でも自分が眠っている側になったのは初めてだな。なんだかむず痒い。
そして、目の前で私に笑いかけている女性にも、見覚えがある。確か、この国所属の治癒魔術師の方だ。今日の朝も、玲央と一緒に街の往診へ行っていたっけ。
「ラウラさん……」
「こんにちは、ミサコ先生」
ラウラさんには、こちらも同じ言葉で返す。
とりあえず、聞きたい事は山ほどあるんだけど、いきなり彼是言ったところでラウラさんが困るだろうから、頑張って抑え込む。
「レオ先生が、突然アナタを抱いて帰って来た時は心配したんですよ? でも、何事も無さそうで良かったです。顔色も良いみたいですし」
「……心配かけてすみません」
「いえいえ。今は仲間なんですから、当たり前の事ですよ」
相変わらず、穏やかで包容力に溢れた人だ。外見は可愛らしく、とても子供を産んだ人妻とは思えない程若々しい。ちょっと羨ま――――――――――やめておこう。今は関係ないし。
「あの……玲央は?」
「ミサコ先生を連れて来て、しばらく先生の横に付いてたんですけど、異常が無いのを確認して先ほど出かけられました」
「ずっと横に? 玲央が……?」
「えぇ。レオ先生にとって、ミサコ先生は大切な人なんですね」
ふふふ、と笑うラウラさんの言葉に、思わず目を丸くした。
「大切な人……」
どこをどう見たら、あの子が私を大切に想ってるって解釈が出来るんだろう……。
いつも馬鹿にしてくるし、ああ言えばこう言うし、くだらない事ばっか言って肝心な事は何も言ってくれないし……正直、からかって遊ばれてる様にしか思えない。
でも、ラウラさんの笑顔に嘘は無かった。
「そうは思えないですけど……」
「そうでしょうか? 私には、レオ先生はアナタを失う事を恐れている様に見えます。彼がミサコ先生を見る表情に、心配で心配で仕方ないと書いてありましたから」
ラウラさん、確か専門は精神科だったっけ? 心理学なんかにも精通しているわけだし、そんな彼女が言うんなら本当なのかも知れないけど、どうしても普段の行いが思い出されてしまう。
私の戸惑いを察したのか、ラウラさんはもう一度笑った。
「ミサコ先生には見せないかもしれませんが、レオ先生は優しい人ですよ。こちらが心配になってしまう位に」
「私には優しさの欠片も見せてくれないんですけど……」
「それはきっと、ミサコ先生だからですよ。レオ先生のアナタへの思い、聞いたことありますか?」
ラウラさんの言葉に、今度こそ首を傾げた。苦手だとは何度も言われたけど、それ以上の事は聞いてない。どうせ碌な評価じゃないだろうなと思ってたけど、ラウラさんの言葉を聞いていると違うみたいだ。
「その様子だと、聞いていない様ですね」
「玲央は、何て言っていたんですか?」
「すみませんが、それはお答えし兼ねます。レオ先生が伝えていないなら、私からお伝えするのも憚られますから。いつかレオ先生に直接聞いてみて下さい」
果たしてあの子が、私の問いに答えるだろうか。
そんな疑問が脳裏をよぎるが、今はとりあえずスルーした。
「今日のレオ先生の往診、私も同行させていただいたんですが……その時、思ったんです。『この人は優しすぎる』と。そして『背負いこみ過ぎる』と」
そして、ラウラさんは今日の往診時の出来事を話してくれた。
それは、とある一家の診察を行っていた時の事。その家は母親と一人娘の二人暮らしで、父親は戦地に赴いてまだ帰って来ていないらしい。
『――――――はい、もう大丈夫です。二人とも健康ですよ』
『ありがとうございます、先生』
『ありがとう! お兄さん!』
二人の笑顔に、玲央もニコリと笑った。
そして、次の家に行こうと腰を上げた時だ。リビングに飾ってあった、一枚の写真が目に留まった。
『あちらは……』
それは、何の変哲もない家族写真。母と娘、そして戦地に行っているという父親の姿が映っている。三人とも笑顔だ。平凡だが、それでいて幸せな、彼女たちが望む日常の姿がそこにはある。
『あぁ、これですか? 戦争が始まる一年ほど前に撮った写真です』
『では、あちらに映っているのはご主人ですね?』
『えぇ……戦地に行くと言って、もう二か月程たちます。まだ帰って来ませんが……きっと帰って来てくれると信じていますよ』
そう言って笑う母親の顔は、明らかに無理をしている。玲央はしばしその顔を見つめた後、ぽつりと言葉を漏らした。
『すみませんが……ご主人のお部屋はどちらですか?』
『え? 主人の部屋ですか?』
『えぇ。差し支えなければ、案内していただきたいのですが』
『構いませんが……どうぞ』
一体どうしたのだろう。母親は戸惑いながらも、玲央とラウラを案内し始める。娘もその後ろを付いて行った。
ラウラも、母親と同様の疑問を抱いていた。一体何をしようと言うのか。反応を見るに、どうやら玲央は父親の事を知っている様だが……。
案内された部屋に着いた後も、まだ疑問は晴れなかった。玲央は入室の許可を貰い、一直線にベッドの方へと歩いていく。
そして、おもむろに掛布団をはぎ、両手をベッドへかざし始めた。ぽぅ、と優しい光がベッドを包み込む。何らかの魔術を行使しているのだろう。
そこでもまだ首を傾げる三人だったが、やがて――――――母娘の顔が青ざめていく。
光の中から現れたのは、一人の男性だった。眼は閉じられており、眠っている様に見える。
だが、三人は感づいていた。その男性が、呼吸をしていない事に。そして、先ほどリビングで見た男性と同一人物だという事に。
『……お、父さん……』
娘が、力なく彼を呼んだ。答える声は無い。母親は顔面蒼白のまま、ゆっくりと玲央を見つめる。玲央もまた、苦悶の表情で母親を見つめた。
『私が此処に着く前……戦場に倒れた無数の遺体を目にしたんです。この方は……アナタの御主人は、その内のお一人でした』
それが、父親がもう二度と目を覚まさない事への証明となった。
二人分の慟哭が響く。娘も、母親も、遺体に縋り付いて泣いていた。父の名を、夫の名を、声の限り叫び続ける。
その光景を見たラウラは、一つ違和感を感じていた。
玲央は、この遺体が戦場に倒れていたと言っていたが、それにしては身体が綺麗すぎる。傷一つ無いし、表情も穏やかそのものだ。
それを見れば分かる。玲央は、この遺体を『治療』したのだと。
『奥さん』
玲央が、二人の名を呼べば、未だ涙を流し続ける母親が玲央を見つめた。未だ父親にすがり泣きじゃくる娘に手を添えながら。
母親の視線を確認した玲央はその場に膝をつき、そして――――――――――。
『申し訳ありませんでした』
両手を、額を、床へ伏した。
『私がもっと早く到着していれば、御主人は、お父様は、命を失う事は無かったかもしれません。発見時、確かに重傷でしたが、それでもすぐに処置を施していれば、助かったかも知れない程度でした。
この方が亡くなったのは、私の不徳の致すところです』
本当に―――――申し訳ありませんでした。
最後にそう言った後も、玲央は顔を上げなかった。信じられない。それが、ラウラの率直な意見だった。今まで、こんな医師には会ったことが無い。一体何を経験すれば、こんな事を言える様に、こんな行動をとれる様になるのだろうか。
そして、しばしの沈黙の後で母親が口を開いた。
『先生……顔を上げて下さい』
許しを受け、玲央がゆっくると顔を上げる。
母親は未だ涙が止まらずにいたが、その顔は穏やかで優しく、そして――――――笑っていた。
『先ほどお伝えした通り、私は娘と共に主人の帰りを待ち続けていました……きっと、きっと帰って来てくれると、そう信じていました……でも、こうも思っていたんです。
主人は、帰ってこないかもしれない。
もしかしたら、遺体となった彼にすら会えないかもしれないと。
私も、兵士の妻です。覚悟は出来ていました』
でも――――。
『こうして、先生のお陰で主人は帰って来てくれました……それもこんなに綺麗に、穏やかな表情で……』
母親は、玲央の肩に両手を添えた。
『だから、謝らないで下さい。むしろ、主人をこうして連れて帰ってくださった事が、私は嬉しいんです…………先生……』
ありがとうございます。
母親の言葉を聞き、玲央はしばし唇をかみしめた後、もう一度頭を下げる。
ラウラはその光景を、ただじっと見つめるしか出来なかった。
「そんなの……」
ラウラさんの話を聞き終える、思わずそんな言葉が漏れた。
そんなの、どうしようもないじゃないか。たらればを言っていても、きりが無いじゃないか。
医師は、治癒魔術師は、神様じゃない。人間なんだ。死者を生き返らせる事なんて出来る筈がない。
その人は、運が悪かっただけ。戦争とは、そういうものなんだから。
「ミサコ先生が考えている事には、私も同意見です」
私の心情を察し、ラウラさんがそんな事を口にした。
「でも、レオ先生にとってはそうじゃないんだと思います。救えたはずの命を救えなかった。間に合わなかった。それは、彼にとっては医師の落ち度なんでしょう。
それに……きっと、レオ先生の目的は謝罪だけじゃなかったんです」
一度言葉を切り、ラウラさんは一つ息をついた。
「レオ先生にとっては、患者は怪我人だけじゃない。きっと……その人を含めた家族全員が、レオ先生にとっての『患者』なんです。もし、愛する人が戦場で息絶え、その亡骸すら見られないとなれば、あの母娘はずっと、前を向く事が出来なかったでしょう。
でも、あの人たちの父親は帰って来た。遺体になってしまったとしても、それでも帰って来たんです。それだけで、遺された家族にとっては大きな違いなんです。
ちゃんと――――――――送ってあげられるんですから」
『それが戦場で生きる家族にとって、一番の『治療』なんだよ‼』
初めて玲央を見た時、そんな事を言ってたっけ。
今、ラウラさんの話を聞いて、不意に思い出した。そして、なるほどと納得する。
玲央は確かに、全てを背負い込みすぎる。彼の言う『患者』の哀しみも、絶望も、その原因を全て自分で背負い込む。
私は、玲央の事を何も分かっちゃいなかったんだな。
ラウラさんの言う通りだ。あの子は―――――――――――――――優しすぎる。
「……私は、他の方々の診察に行きますね。ミサコ先生は、もう少し休んでいてください」
そう言い残し、ラウラさんは部屋を出ていった。一人になって、少し玲央について考えてみる。
生意気な後輩。ずっとそう思っていたし、それも間違いじゃない。今でも彼の言動を思い返せば腹が立って来る。
でも、それだけが玲央じゃなかった。私が知らない、見せてもらえない黒岩玲央は、とても優しく、医師としての確固たる信念を持った――――――――――とても、危うい人。
「きっと、玲央は……」
ラウラさんは言っていた。玲央は、私を大切に想ってくれていると。だとしたら、玲央はきっと私を救おうとしてくれたんだろう。
『そのまま眠ってな。じゃないと、美沙子さん――――――――死ぬよ』
そうだ。思い出した。玲央は確かにあの時そう言った。
あの女の人が何者なのかは分からないけど、私に『何か』をしたのは間違いない。そしてそれは、私を死に至らしめる何かだったんだろう。
何で初対面の私にそんな事を? それは分からないけど。
「もし、ラウラさんの言う通りなら……」
玲央が、本当に私を想ってくれているなら。
今、彼は――――――――。
気が付くと、身体が勝手に動いていた。当てなんてない。でも、玲央の魔力は何度も感じてきた。きっと、大丈夫だ。
「もう、無茶なんてさせない……」
ラウラさん、ごめんなさい。言いつけ、守れそうにないです。
今回もありがとうございました!
玲央の医師としての考え方が判明しましたね。ちなみに、モデルはいません。黒岩玲央という医師は、きっとこんな感じだろうなと思ったら、すらすら書けたって感じです。
そんな感じの七十七話です。
ラッキーセブン! しかし内容はラッキーからは程遠い重いものですが……舞台が戦場なので、まぁ致し方ないかなと……。
玲央先輩の過去はもう少し続きますが、前回ほど長くはならないと思います。
では今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願いします!




