第六十八話 =最悪の中の、最高の結末=
第六十八話です。よろしくお願いいたします。
玲奈が、自分の腕の中でバタバタと暴れている。まるで子供の様に、離せ離せと服を引っ張る。
「ハナセ ! サワルナ ! 」
耳元で聞こえて来るのは、自分を拒絶する言葉。だが、不思議と気にならない。先ほどまで、あれだけ心を突き刺していた言葉だと言うのに。
理由はきっと、玲奈の本当の声を聞いたから。見せかけだけのハリボテの言葉では、もう瞳を止める事など出来やしないのだ。
「ごめんなさい……」
そして、瞳は。
「ごめん……本当に、ごめんね……」
ただ、素直な気持ちを口にした。ぎゅうと抱きしめる腕に、力がこもる。
「私がバカだったの……私が子供だったの……私が……」
「ヤメロ イウナ ‼ 」
玲奈も、より一層暴れまわった。聞きたくないと言うように。
「アナタは、ただ一途に水瀬先生を好いていただけだったのに……私を信じて、伝えてくれただけだったのに……私は、それを拒絶した」
視界がぼやけるのが分かる。瞳の目から、頬をつたい、玲奈の躯が濡れていく。
それと同じように口をつたって出てくるのは、瞳がずっと逃げていた、ずっと見て見ぬふりをしていた、彼女の本心だった。
「私が……私が、悪かったの……全部、アナタの言った通り……私だけは……玲奈の、味方に……なって、あげなきゃ、いけなかったのに、ね」
そして。
「私も……私も、水瀬先生が……『お兄ちゃん』が大好き。今でもずっと」
優次郎は――――――表情を変えない。
他の者がちらりと彼を見るが、優次郎は笑顔そのままで、二人の会話を見届けるのみだった。
それを確認し、四人もまた、視線を戻す。
「玲奈が、私に、お兄ちゃんが好きだって……隣にいたいって、言った時……焦りもあったし、ショックもあったけど……でも、違うの。一番最初は……『うらやましいな』って、そう思った」
「ッ……」
玲奈の力が、少し弱まった気がした。
初めて聞く、あの時の瞳が思っていた事。それをしっかり聞き届けようとしている様だと、その場にいる全員が感じていた。
「ああやって、素直に言葉に出来るアナタが羨ましかった……嫉妬もした……だから、怖かったの……アナタに……玲奈に、お兄ちゃんを取られるって……そう、思ったから……それで……酷い事、言っちゃったの……」
優次郎が好き。優次郎と一緒が良い。でも、彼の前では素直になれない。
それが、瞳が抱えていたジレンマ。そして、それは魔術学院に入った後も、今の今まで変わらなかった。
雪菜に対して、酷く醜い言葉を放った時もそうだ。芽衣に対しても、本音を言えば嫉妬していた。
そして、大好きな優次郎の隣にいつも立っていた叶にも、きっと。
「だから、これは全部、人の愛し方を間違えて、自分から逃げて、目を背けてばかりいた、私のせい……アナタがお兄ちゃんの愛し方を間違えてしまった事も……禁忌の道へ外れてしまった事も……全部……全部……ッ、全部全部全部……私のせい……私が……私が……っ!
―――――――私が玲奈を殺したの‼︎」
あの頃に戻った様に、瞳は泣き叫んだ。
七年越しに本音を聞いた玲奈の動きが、完全に止まる。声も出さず、何も――――――呼吸も、当然しないまま。
玲奈は次の言葉を待った。
「だから、ごめん……許してくれなくても、良い……もう、全部遅いから……玲奈は、もう、死んじゃったんだから……私の……私の、せいで……」
それが、現実。
謝った所で、許されるわけがない。自分の罪は消えないし、玲奈が還って来る事も無い。
遅すぎたのだ。自覚も、謝罪も、何もかも。
だが、瞳は言葉を止めなかった。それが、ただの自己満足だと分かっていても。
「本当に……ごめんね……ずっと、謝りたかったの……でも、出来なかった……そこでも、私は逃げてたの……ずっと……自分の心からも……ごめん……ごめんなさい……」
謝罪の言葉を口にすればするほど、腕に力が込められ、強く強く、玲奈を抱きしめる。視界は水滴によって完全にぼやけ、玲奈の顔も、身体も、何も見えなくなっていた。
だが、横から見ていた五人には見えていた。
白く染まっていた玲奈の目に、変化が訪れた所を。
「―――――――ずるいよ」
瞳にだけ聞こえるような、小さくか細い声だった。だが、それで良い。自分たちには、聞こえなくてもいい。
玲奈の緑色の目に溜まった涙を見て、四人はそう思った。
「なんで……何で、今更そんな事言うの?」
「うん……」
「あのままでも、良かったのに……ケンカしたままでも……謝ったりなんて、しなくても……別に良かったじゃん……」
「ごめん。でも…………私は、嫌だったから」
「だから、ずるいんだよ。瞳ちゃんは……いつも……」
「うん……」
「こんなの……こんなの、辛いだけじゃん……」
「…………うん」
玲奈が再び、躯を活動させる。ゆっくりと両腕を伸ばし―――――瞳を、抱きしめ返した。
「謝ったって……ただ……ただ、離れるのが嫌になるだけだよ‼‼」
思えば、瞳から謝罪を口にしたのは、これが最初の様な気がする。いつも、先に謝るのは玲奈の方だった。自分からではなく、優次郎や叶達に促される形ではあったが。
だが、今は違う。瞳が、誰に言われる事もなく謝った。
最初で最後の、心の底からの謝罪を、口にしたのだ。
「レイちゃんだって、嫌だったよ! 瞳ちゃんと、また仲良く話したいって思ってたよ! でも、瞳ちゃんは、あれから殆ど話してくれないし! 声をかけても、無視する事が増えちゃったし! ホントにホントに嫌だった! また、瞳ちゃんとお話したかった! 友達でいたかった!」
「うん……ごめん」
「瞳ちゃんも、優ちゃんが好きなんだって、気付いてた! 知ってて、本当の事を言った! 瞳ちゃんに隠し事なんて、したくなかったから!」
「うん……」
「レイ、ちゃんは……瞳ちゃんの事も、優ちゃんと同じくらい大好きだから! だから嫌だったんだよ! 疎遠になるのも、隠し事するのも! だって! 大好きな瞳ちゃんの事、嫌いに、なん、て……なりたく、なかったからぁ……っ!」
なんて滑稽な結末だろう。
お互いが、まだ想いあっていた。友人に戻りたいと、仲直りしたいと、そう思っていた。
だが、出来なかった。瞳は素直になれず。玲奈は間違った道を選択した。
なんて哀れで、滑稽で、馬鹿馬鹿しい結末だろうか。
結局、二人とも寂しかったのだ。
ただ、それだけの、たった一言で解決できる様な関係だったのだ。
それが、遠回りを重ねた結果こうなった。本当に―――――――酷い末路だ。
「ごめん、瞳ちゃん……ごめんなさい」
玲奈の口から漏れるのは、瞳と同じ言葉。同じ想い。
同じ、透明で綺麗な雫だった。
「瞳ちゃんの、言う通りだよ。レイちゃんも……ずっと、瞳ちゃんから、逃げてた……優ちゃんの隣に立つんだって、そのためなら、何でもするって……そう決意したのに……瞳ちゃんに会うと……壊れちゃいそうで……怖かった」
あの日。あの場所で。雪菜の前に立ち、自分を睨みつけた瞳の姿。
ずっと想っていた相手との、数年ぶりの再会。数年ぶりの会話。その時確かに玲奈は感じていた。
瞳に会えた喜び。
そして、それ以上に。
『敵』として視線を送られた事への痛み。
「だから、レイちゃんは逃げたの。瞳ちゃんから逃げたの。自分から逃げたの。現実から逃げたの。レイちゃんも、瞳ちゃんと同じなんだ」
「玲奈が謝る事なんて、何も無いわ……そうさせたのは、私だもの。だから、アナタが謝る必要なんて―――――」
「それがずるいって言ってるんだよ‼」
突如、玲奈が叫んだ。無理やり身体を引きはがし、ぽかんとした表情をしっかりと捉えた。
「自分で全部抱え込もうとしないでよ! 自分だけ罪人になろうとしないでよ! レイちゃんにも分けてよ! 最期ぐらい…………レイちゃんも一緒に背負わせて欲しいんだよ‼」
「玲……奈……」
「もう、レイちゃんには今しかないんだよ! レイちゃん達がバカな子供だったせいで、今しかなくなっちゃったんだよ! 最期まで、レイちゃんを惨めな逃げ続ける子供にしないで! 最期……最、期……くらい……」
あぁ、久しぶりに見た。いつ見ても、綺麗な目だ。宝石みたいに美しい。
こちらに怒鳴る玲奈を見て、瞳は場違いにもそんな事を想っていた。
「最期くらい……大人に、ならせてよ……」
「…………うん」
玲奈の言葉にたった一言そう返す。親友の、最期の願いだ。叶えられるのは、自分しかいない。
だから此処に来た。それは変わらない。玲奈と向き合い、人間として、親友として送る。
そして―――――――
玲奈を、救いたかったから。
瞳は、溢れる涙を必死に拭いた。この想いだけは、泣きながらなんて言いたくなかったから。あの頃の様に、笑って伝えたかったから。
「ありがとう、玲奈――――――『大好き』よ」
「ッ! うん…………うん! ……レイちゃんも、瞳ちゃんが大好き!」
終わった。
七年続いたケンカが、呆気なく、終わった。
最悪の結末だったかもしれない。何も知らない第三者からは、滑稽に映る事だろう。実際、そうなのだから仕方がない。
だが、それでも二人は笑顔だった。
瞳も玲奈も、純粋に、狂気なんて微塵もなく、ただただ、親友と笑いあっていた。
最期にまた、この笑顔を取り戻す事が出来た。最悪で滑稽な結末でも、その中で考えられる最善の形で終えられたのだから、それで良いのかもしれない。いや、きっとそうだ。
きっと、玲奈の心は救われた。
学院に蔓延していた死が、負が、浄化されていく。それが、その証明だ。
闇が消えていく。星が再び顔を出していく。二人の夜が終わり、雨がやみ、晴れ間が現れる。そして地獄は―――――――元の場所へと還ろうとしていた。
「あ……」
どちらともなく、短く小さな声を上げた。
玲奈の身体が、存在が、少しずつ薄らいでいく。
当然だ。瞳がそうであるように、玲奈にも還る場所がある。然るべき場所がある。もう―――――現世には、何の未練もないのだから。
「……お別れ、だね」
「えぇ……そうみたいね」
別れはいつだって悲しいものだ。だが、涙を流すわけにはいかない。
いつもの様に、笑って別れようと。二人の想いは、それで一致していた。
「玲奈」
「なに?」
「ほら―――――」
「え? あっ……」
瞳が優しく玲奈の手を引き、、身体を立ち上がらせた。そして、瞳が玲奈の肩に手を添え、躯を向けさせた先に居たのは、いつもの人たち。
いつも二人の傍にいてくれた。いつも見守ってくれていた。そんな、四人の兄姉の姿。
「玲奈ちゃん。私は立場上、アナタに何も言う事は出来ないけれど、姉としてこれだけは伝えてさせて欲しい。
瞳の……妹の親友になってくれて、ありがとう」
一人は、親友の姉。厳しくも優しい、母の様な姉の様な人。
「これに懲りたら、向こうじゃ大人しくしてろよ。そうすりゃ、たまに飯ぐらいは供えてやる」
一人は、魔術学院の料理長。不器用ながらも優しい、温かい料理を作ってくれた人。
「こんなこと言うのも、何だかちょっと変かもしれないけどさ。向こうでも、元気でね」
一人は、親友の姉の同級生。いつも優しく、やんちゃな自分たちを癒してくれた人。
そして。
「玲奈」
そうやって名前を呼んでくれたのは、自分が、そして瞳が、初めて心の底から隣にいたいと望んだ、大好きな人。
その人が今――――――ずっと見たかった優しい笑顔で、玲奈を見つめていた。
「優、ちゃん……」
その人の名を呼ぶ。すると、優次郎は笑った。
あの頃の様な、控えめな笑顔ではなく―――――――優しく眩しい、純粋な笑顔で。
「やっぱり玲奈には、瞳ちゃんの隣が一番似合うね!」
言われて、思い出す。
狂人になって、初めて優次郎に会いに行った日。そして、初めて彼から拒絶された日。
その日、彼が言った言葉はこうだった。
『玲奈は、ボクの隣にいるべきじゃないよ。似合わないから、早く帰りな』
優次郎は、知っていたのかもしれない。聞いても答えないだろうから、その事を追及するつもりも無いが。
それに、時間だってもう無い。
「…………あの」
だから、簡潔に。手短に。一番伝えたい言葉だけを選んだ。
「皆、ごめんなさい……それと……ありがとう」
叶は、寂しそうに。
椎名は、呆れながら。
玲央は、優しく。
優次郎は、ニコリと嬉しそうに。
そうやって、笑った。
自分は、きっと赦されない。当たり前だ。天ヶ崎玲奈という子供の我がままに、様々な人を巻き込んだのだから。
此処を去れば、地獄へ還れば、時間は余る程出来る。そこで、ゆっくりと償っていこう。何十年でも、何百年でも、何千年でも。
玲奈は、そう決心していた。
だがら、その前に伝えたい事は全て伝えなければ。
「ねぇ、お姉さん」
玲奈が呼んだのは、美沙子だった。
四人から離れ、生前の玲奈と面識もない自分が呼ばれるなど思っていなかった美沙子は、驚いた様にその少女を見た。
「……何だ?」
問えば、玲奈はニコリと笑った。
「頑張ってね! お姉さんは――――――――間違えちゃダメだよ!」
「っ! …………あぁ。ありがとう」
その言葉の意味を、何となく理解する事が出来た美沙子は、素直に礼を述べた。その答えに満足した様で、玲奈は頷き、そして躯を前へと戻す。
自分で分かる。もう限界だ。還らなければいけない。死霊が還り、闇が還り、地獄も既に還ってしまったのだから。だから、自分も。
「もう、逝かなきゃ」
「えぇ」
最期に見つめるのは、やはり親友。あの日、ケンカ別れしてしまって言えなかった言葉。
それを伝えるのは、今しかない。一部分だけがいつもと違う、その言葉を。
「――――――『さよなら』、瞳ちゃん」
「――――――『さよなら』、レイちゃん」
そして玲奈は――――――還っていった。
雲が晴れ、星が輝く。闇が晴れ、さわやかな夜風が瞳を包み込む。
空を見上げれば、不格好な月が懸命に輝いていた。瞳の目に、それはどんな満月よりも美しく映った。
(ありがとう。もう、間違えないから。今の親友は、必ず支え切って見せるから。だから――――――どうか、アナタも元気でいてね)
彼女が還ったのは、天か地か。おそらく地だ。天はまだ、彼女の罪を受け入れないだろう。
だが、自分が老婆となり、彼女のいる場所へ向かう時は、その場所は、きっと―――――――。
こうして、親友同士の間で起こった七年に渡るケンカは、静かに呆気なく、終わりを迎えた。
今回もありがとうございました!
これにて、第四章のメインは終了となります! 後は義信たちの所や、後日談等を書いて四章は完全に終了となります。
今までで一番文字数も話数も多くなりました。でも、自分なりに満足したものが書けたので、とりあえずは良かったかなと思います。
そんな感じの六十八話です。
ケンカした時って、自分が悪いと思っても、何で「ごめん」の一言ってああも出て来ないんですかね。たった一言で解決するのに、変に先延ばししちゃうんですよね。いやはや、人間って面倒臭い……でも、そこが面白いのかも知れませんね。
では今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願いします!




