第六十話 =そして、彼らは古巣へ戻る=
第六十話です。よろしくお願いいたします。
死霊には感情が無い。そう言われる事が多いが、厳密には違う。たった一つだけ、備わった感情がある。
それは「欲」だ。地獄に堕とされる様な死霊達は、未練を遺して死んでいる。だから魂が浄化しきれず、清浄な空気が漂う世界へ行けないのだ。
そして、その欲の中で最も強いものは「食欲」。彼らは飢えている。肉に飢え、血に飢えている。そしてそれは決して満たされる事が無い。何を食べても、体内で蒸発してしまい、結局何も腹に溜まらないのだ。睡眠欲がそぎ落とされた結果と言えるだろう。
そんな連中だ。自分の世界にのこのことやって来る人間を放っておく訳がない。自分のものだと、我先に飛び掛かるのだ。
だが―――――相手が悪い。
冥界の門をくぐり、こちらへやって来た人間に飛び掛かった死霊達は、瞬く間にその姿を消していった。たった二人の人間によって、だ。
一瞬、シンと静まり返った校庭に佇むのは、三つの影。
「ホント、節操の無い死霊だね」
「今は消滅しても、また時間が経てば蘇るんだから、質も悪いわ」
優次郎は呆れる様に、叶は吐き捨てる様にそう言った。そして彼女の言葉通り、再び地は揺れ、死霊達がわらわらとあふれ出て来る。
「これが全部食べ物だったらいいのになぁ」
「軽口を言っている場合じゃないでしょう? 全く、ユー君は本当に緊張感が無いわね」
優次郎を咎めながらも、叶は湧き出る死霊達を次々と無に還していった。そして、優次郎も然り。
それをすぐ後ろで見ているのは、瞳だった。死霊を見るのは初めてでは無いが、校門をくぐってすぐにこんな光景を見せつけられれば、嫌でもここが地獄である事を思い知らされる。
負の感情を全身で受け止める。その数は無限に近い。当然だ、ここはもう瞳の知っている魔術学院ではない。姿だけが同じの、全く別の場所。
正直に言えば、気分が悪くなる。逃げ出したい気持ちも当然ある。
(だけど、私は―――――)
「;@:@;:@:@@:「@「@@ーー^「ー「‼‼‼」
直後、瞳の後ろからコエが轟いた。振り返れば、瞳を喰らおうと無数の死霊が飛び掛かって来る。
瞳はソレ等を睨みつけ、右手をかざした。
(私は、逃げない。絶対に)
瞳の右手が発光し、無数の稲妻が死霊を貫く。叶や優次郎の相手と同じく、死霊達はどろどろと地へ還って逝った。
「はは‼ やっぱり瞳ちゃんは、そんじょそこらの学生とは訳が違うみたいで安心したよ! 流石は叶さんの妹だね‼」
「最後の言葉には同意し兼ねるけれど、瞳も成長しているのは確かな様で、私も鼻が高いわ…………この先も気を抜かないでね」
「えぇ」
再びこちらへ向けて咆哮する死霊に目をやる。死霊自体の力も確かに強いが、優次郎や叶ならば問題はない。瞳もそこそこの死霊相手ならば苦戦こそするだろうが、油断さえしなければ大丈夫だろう。
だが、叶も言ったように質が悪い。何度倒そうと、すぐに再生してしまう。以前、玲奈と対峙した時に叶が行使した『冥界へ還す魔術』も、この魔術学院自体が冥界と同化した今、使用しても意味がない。した所で、再びこの地へ蘇るだけだ。
「叶さんの先天性魔術を行使するって手段もあるけど……叶さん、やらないですよね?」
「当然よ。こんな所で使用すれば、どれだけ甚大な被害が出ると思っているの? それこそ、死霊より大惨事になってしまうわ」
叶の先天性魔術。それは叶自身が世界の意思と同化する事。強力だが、場所を選ぶ魔術だ。特に魔術学院そのものが人質の様な状況になっている今、行使する事は躊躇われる。
ならば、手段は一つ。玲奈を直接倒すしかない。
「玲奈ちゃんは今、死霊そのものになっているわ。再生能力も当然備わっているだろうし、どう倒したものかしらね」
叶が言えば、優次郎も同意見であった様で考え込む仕草を取った。
死霊魔術の対処法は、叶の様な例外を除けば一つ。術者を倒すしかない。だが、今回は術者である玲奈自身が死霊となっている。果たして、倒す事など出来るのだろうか。そう思案しながらも、襲い来る死霊への対処に抜かりが無いのは、流石と言った所か。
「でも、大丈夫じゃないですか? きっと、打つ手はありますよ! ね? 瞳ちゃん!」
優次郎はニコリと笑い、瞳へ目を向けた。瞳も、その目をしっかり見つめて答える。
「はい。きっと何とかなります。いえ、何とかします」
その答えを聞けば、やはり彼女の決意は本物だと、優次郎も叶も満足そうに笑った。
「なら、まずはこの死霊を何とかしないとね!」
「えぇ。すぐに再生するけれど、確実に進めてはいる。校内がどんな状況になっているかは分からないけれど、きっと向こうも問題ない。私はそう信じているわ」
「……福原先生としーちゃんですね?」
優次郎の言葉を、叶が首肯する。
「さっきから、馴染みのある魔力を感じるの。福原先生と椎名さんのね。二人とも腕は確かよ。それに、福原先生は約束を違える人じゃない。だから、先生に私の不在を任せたんだもの」
叶は知っている。義信も椎名も、この程度の事件で死ぬような人間では無い。
義信は謙遜していたが、魔術師としての腕は一流だ。そして精神面においては、自分よりよっぽど優れている。年季が違うのだ。だからこそ、叶も彼に学院を任せたのだから。
そして、椎名。彼女も戦いは不得手と言っているが、そんな事は無い。楠木隆盛の起こした事件でも、咄嗟にあんな芸当が出来る人間はそういない。十年弱もの間、魔術から離れた生活をしていた人間なら尚更だ。
そんな彼らがいるなら大丈夫。そう確信している。
そしてそれは、優次郎も同じだった。
「福原先生もしーちゃんも、死霊如きに遅れは取りませんしね!」
「えぇ。だから、こっちはこっちで、ちゃんと解決しないとね。あまり長く時間をかけてしまえば、二人に申し訳ないわ」
死霊との戦いは体力勝負だ。
術を解除させるのが先か。こちらの力が切れるのが先か。だからこそ、こんな校庭で呑気にやっている場合ではない。
「瞳ちゃん、あまり張り切って魔力切れを起こさない様にね?」
「はい、分かって――――――っ!」
言いかけて、瞳は反射的に振り返る。そちらを見れば、死霊の群れがすぐそばまで迫っていた。咄嗟に手を上げ、対応しようとする。
(っ! 間に合って!)
大きく口を開け、瞳を飲み込もうとする死霊。瞳も即座に魔術を行使するが、間に合いそうにない。
そんな時だった―――――――。
「未成年魔術師にしては大した腕だが、まだまだ甘いな」
瞳にとっては久方ぶりの声。そして同時に、瞳の目の前まで迫っていた死霊は止まった。
否。より正確に言えば―――――凍った。
瞳が声の方向に目を移せば、そこに二つの影が見えた。
一つは、自分も会ったことがある人物。
「藤原さん……」
「久しいな、綾瀬川妹」
自身が目指す取締委員会。そのトップに君臨する男が、瞳を見てそう言った。
藤原雄清。会うのは、叶が優次郎を捕縛した時以来だろうか。
その隣にいる女性は見たことが無い。白衣を着用している事から、おそらく医師だろうとは思う。
「やぁ、雄清君。まさかキミが直々に来るなんてね!」
「お疲れ様です、会長」
ひらひらと手を振る優次郎と、会釈する叶。雄清もそちらに目を向けた。
「水瀬優次郎。私は取締委員会の頂点に立つ者だ。部下の誰よりも死地へ赴き、背中を見せる義務がある」
「誰よりも死んじゃいけないって義務もあるけどね!」
「当然だ。貴様に言われるまでもない」
吐き捨てる様に言えば、やはり協定による一時的な停戦というだけで、関係が改善した訳では無いと思い知らされる。まぁ、二人にとって大した事でも無いのだが。
「ところで会長、そちらの方は?」
「この方は治癒魔術師連盟から派遣された、澄田美沙子女史だ。今回、天ヶ崎玲奈の監察と志望診断を行って頂いた。彼女の希望もあり、万が一のための保険として来てくださった」
「初めまして、澄田美沙子と申します」
「綾瀬川叶です。ご助力感謝します。そしてこっちは私の妹である瞳と、この魔術学院の講師、水瀬優次郎です」
「どーもー!」
「初めまして」
各々挨拶を交わす二人に、美沙子も軽く会釈をし、そして優次郎をじっと見つめた。
「? ボクに何か?」
首を傾げる優次郎。彼女も当然、水瀬優次郎の名は知っている。大犯罪者だ、知らない方がおかしい。この学院の講師として釈放された事も、耳にしていた。
「……いえ、何でもありません。失礼しました」
美沙子はそう言い、視線を彼から外す。
少し気になる所だが、今は良いかと優次郎も興味をひっこめた。
「それにしても、雄清君は相変わらず良い腕してるね! 氷雪魔術、またクオリティ上がったんじゃない?」
「当然だ。どんな肩書が付こうと、精進を怠った事は無い」
今、校庭にいる死霊は一つ残らず氷漬けにされている。雄清が放った氷雪魔術によるものだ。
昔に対峙した時も、素晴らしい魔術だと感心したものだが、また腕を上げている。
「だが、長くはもたんぞ。もう数秒も経てば、コイツらは再び活動を再開するだろう。その前に―――――早く行け」
「よろしいのですか?」
叶が問えば、雄清は首肯した。
「貴様らと天ヶ崎玲奈の会話は聞いた。ヤツが待っているのは貴様らだろう。我々の目的は事件の早期解決だ。日本全土を巻き込んだ事態にならない様にな。直に、ノーランドも有志数名を連れてこの地に来る。貴様らは余計な事は考えず、天ヶ崎玲奈の元を目指せ」
「…………ありがとうございます」
頭を下げ礼を言えば、雄清はそっぽを向いてしまう。
「構わない。それより早くしろ。時間が無い」
ぐらぐらと音を立て始める氷山を睨みつけ、雄清が三人を急かした。
叶と瞳は会釈をし、優次郎は「ありがとねー!」と能天気な声を上げ、校舎を目指した。
「………綾瀬川妹」
「? はい……」
急に呼び止められ、瞳は振り返る。
雄清は、その未成熟な魔術師をじっと見つめ、やがて口を開いた。
「本当に、来年から取締委員会に入りたいと思うのなら―――――――その前に、過去をしっかりと清算して来い。でなければ、入会は認めんぞ」
「っ! …………はい!」
力強い返答の後、瞳は二人の後を追う。
三人の姿が見えなくなるまで、雄清が視線を外す事は無かった。
「…………澄田女史」
「何でしょう?」
まさに今、氷を食い破り餌を飛びつこうとする死霊へ、雄清は身体を向け直す。
「おそらく、校内はこの場以上の死地になります。澄田女史には、そちらの助力をお願いしたい。よろしいですか?」
「構いませんが、藤原会長は?」
「心配いりません」
バキィィィ‼
氷が砕ける音を聞きながら、雄清は魔力を放出した。その質は、叶にも劣らない程、強大だった。
「死霊に後れを取る様では、取締委員会の会長など務まりませんよ」
「……分かりました」
短く答え、美沙子は三人の後を追うように校舎へと走っていく。そちらを見る事もなく、雄清は地を這う死霊を睨みつけた。
「すまないが、貴様らには私が相手になろう。久々の実戦なものでな――――――加減は出来んぞ」
「「「「;@:@;;;@@@「@@ーーー^「「¥「@「「‼‼‼‼‼‼」」」」
取締委員会の頂点に君臨する男の戦いが始まろうとしていた。
魔術学院から少し離れた場所。月明りに照らされた人物が一人、だいぶ大きく見え始めた校舎を見上げていた。
「あーあ、全く……玲奈ちゃんて、本当にやる事が過激だったりしちゃうね」
その男、黒岩玲央は乱雑に頭を掻いた。面倒だ、とでも言うように。
「今日の午後から明日まで予定無いし、やっと夏休みも満喫できると思ってたのに、こんな事しちゃったりしてさ。はぁ……そろそろカナエちゃんに、臨時ボーナスでも催促しちゃおうかな?」
叶や優次郎には、過去に何度も面倒事を起こされ、その度に尻ぬぐいをしてきた。その度に二人から学食を奢ってもらったものだ。最初は「自分の飯は自分で払え」と椎名に言われたものだが、何度も何度も事件を起こす優次郎を見ていれば、自然と彼女も何も言わなくなったものだ。
「まぁでも、これは流石に見過ごせないかな。それに―――――――この魔力、ミサコちゃんも来ちゃったりしちゃってるみたいだね」
美沙子。澄田美沙子。
もう会う事も無いと思っていた。もう会いたくないと思っていた。彼女の顔を見ていれば、嫌でも『あの頃』が蘇ってしまうから。
そして美沙子も、また戦場へ戻る事はしないと思っていたが……。
「やっぱり君も、本能で戻っちゃうんだね」
悲しそうに、悔しそうに、玲央は言葉を零した。
彼女にだけは、もう戦場になんて戻って欲しく無かった。命を賭けなければいけない状況に、自分を堕として欲しく無かった。
だが――――彼女は戻った。あの地獄に。
「僕も行かない訳には行かなかったりしちゃうよね……医者として」
玲央は歩き出す。
地獄へと、自ら足を進める。
講師として。医師として――――――本能の赴くままに。
今回もありがとうございました!
様々な勢力が入り乱れ、想いが交わり、戦いが始まりましたね。今回の戦闘パートでは、今後に繋がる重大な事も書いていければ、と思っています。
そんな感じの六十話です。
気付けば六十話。ここまで続ける事が出来たのも、読んでくださり、中には有難いご感想を頂ける皆さまのお陰です。これからも、拙作をよろしくお願いします!
では今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願いします!