第五十六話 =決意 覚悟 異変=
第五十六話です。よろしくお願いいたします。
「ただいま……」
蚊の鳴くような声と共に、瞳は静かに扉を開けた。だが、返って来る声は無い。恐る恐る中に入ってみるが、玄関に靴も無く、まだ二人は帰って来ていない様だ。
時刻は現在、14時を回ったばかり。境子との昼食は、彼女にとって有意義なものとなった。そのお礼と、急に呼び出してしまったお詫びを兼ねて食事代は出そうとしたのだが、境子にものすごい勢いで止められた。何でも「自分で食べた分は出さないと、三木さんに何されるか……」とか何とか言っていた。
そういえば昔、姉と椎名を含めた今の講師陣たちと食事に行った時、そんな事を誰かに言っていた事を思い出し、あっさりと引き下がった。
その後は境子は明日からの買い出しをするからとスーパーへ向かった為、その場で解散となり、今に至る。
長々と掛かるものでもないと優次郎も言っていたので、てっきり先に帰って来ているものだと思っていたので、少し拍子抜けだ。どこかで食事でもとっているのか、なんて考えながら、ソファへ腰かける。
何故、自宅に入るのに此処までビクビクしていたのか。それは叶の存在が原因だ。厳密に言えば、叶が何かしたわけでは無く、瞳が叶に伝えたい事があったから。
まだ、自分は弱い。それは自覚している。だが、覚悟だけは伝えたい。そう思っていたので、少し身構えていたのだろうと思う。
(古谷さんには、いつも大切な事を教わってばかりね。私の方が先輩なのに、情けないわ)
姉は強し、という事だろうか。どんな形であれ、いつか恩返しをしたいものだ。食事代以外でだが。
ため息交じりに視線を落とせば、とあるものが目に入った。昨日、夜遅くまで優次郎が睨めっこをしていたレポートの束だ。山は一つにまとめられており、雑多に置かれた隙間からは、何やら赤ペンで書きこまれているのが分かる。どうやら、本当に終わったみたいだ。
自分が見るものでは無い、と思いすぐに目線を逸らそうとしたのだが……。
「ん?」
完全に逸れる直前。上から二番目に積まれていたそれが目に留まった。見えているのはタイトルだけだが、そこに刻まれていた文字が彼女の視線を釘付けにする。
一体誰が書いたものなのか。何故、こんなタイトルをつけたのか。そして、内容はどういったものなのか。
「これって……」
少しずらせば、その答えの一部が分かる。
罪悪感と好奇心がせめぎ合い、結局後者が勝ってしまう。件のレポートを手に取り、ゆっくりと身体に寄せていく。
すぐに著者の名前が見えてきた。そして手は止まる。再び止まる。
「えっ……」
思わず声に出してしまった時だった。
「ただいまー!」
いつもの、いや、いつもより幾分か明るい声が、瞳へ届いた。その声に好奇心は引っ込んでしまい、慌てた様子でレポートを元に戻すと、パタパタと玄関へ出迎えにいく。
リビングの扉を開ければ、底には思い描いた通りの人物が立っていた。
「あ、瞳ちゃん! 先に帰ってたんだね、ただいま!」
「お、おかえりなさい。水瀬先生」
瞳の返答を受け、声の主である優次郎は首を傾げた。
「大丈夫? 何か慌ててない? もしかして、なーんかイケない事でもしてたのかな?」
「し、してませんよ! それより、随分と遅かったですね? すぐに終わると言っていたので、先に帰っていると思っていたんですが」
「あぁ、それは……」
瞳の問いに答えようとした時だった。
「ごめんなさいね。お昼を済ませていたら、こんな時間になってしまったの」
彼とは別の声、柔らかなソプラノが割り込んできた。この声も、聞き馴染みがある。自分が今、一番望んでいた声だ。
「全く、ユー君が食べすぎるからよ? こんなに遅くなっちゃったじゃない」
「えー? あれでも、普段の半分くらいに抑えてたんですよ?」
「ユー君の半分は、一般人の三倍よ。覚えておきなさい」
ぶーぶー言っている優次郎の後ろ。そこに立っていたのは、叶だった。やれやれと言った様子で、優次郎を見つめている。
だが、その視線はすぐに瞳へと移される、
「ただいま、瞳。遅くなって悪かったわね」
「……お帰りなさい、姉さん。大丈夫よ、私も今帰って来た所だから」
瞳が答えれば、「そう」と一言だけ答え、微笑む。いつもの姉だ。何度も見てきた、姉の笑顔だ。だが、何故か今日はとても新鮮に、それでいて懐かしく感じる。矛盾しているが、実際そうなのだから不思議なものだ。
「古谷さんとの食事はどうだった?」
「えぇ、とても有意義な時間だったわ」
「それは良かったわね。アナタにも、大橋さん以外の友人が出来て嬉しいわ」
その笑顔に嘘は無いのだろう。心の底から、自分に友人が出来た事を喜んでくれているのが分かる。
やはり、と瞳は確信する。姉は何も変わっていない。学院長になろうと、取締委員会で出世しようと、世界の期待を一身に背負う立場になろうと、自分にとって姉は姉だと。
自身の横を通り過ぎ、リビングに入っていく叶の後ろ姿を、そんな事を考えながら見つめていると。
「おーい、瞳ちゃーん」
「っ!?」
不意に、優次郎から声を掛けられ、そちらを向く。優次郎は自分の目の前で軽く手を振っている。
「あ、やっと反応した」
「す、すみません。少しボーっとしてしまって」
「別にいいけど、どうしたの? 叶さんと何かあった?」
「いえ、別に……」
「ふーん」
優次郎は何やら考え込む。と言っても、視線は自分から外さないが。
「な、何ですか?」
必死に普段通りを装おうとするが、きっと無駄だろうとも思う。優次郎はこういう心中にはすこぶる鋭いのだから。
「うーん……よし!」
やがて、笑顔でそんな事を呟くと、瞳をすり抜け、リビングの扉を開けた。
「叶さーん! ボク、ちょっと用事あるんで部屋にいますねー!?」
「えぇ、分かったわ。後、それは持って行かないとダメよ? 大事なものでしょう?」
「ん? あ、レポート置きっぱなしだった!」
アハハ、と困った様に笑いながら、優次郎はレポートの束を手に取り、再びリビングを出ようとすれば、必然的に玄関で立ったままの瞳と目が合った。
「もしかして……瞳ちゃん、みた?」
「いえ、見てませんが」
我ながら、よくすぐに返答できたものだと褒めてあげたい。チクリと心が痛むのを感じながら、瞳は優次郎から目をそらさずにいた。
「……そっか! なら良いけどさ! こういうのは自分で答えを選んでいかなきゃいけないから、他の人のなんて見ちゃダメだよ? 参考にするなら、直接誰かに聞きな!」
「分かっていますよ、見る気もありません」
「安心したよ! じゃあ二人とも、また後で!」
言うが早いか、優次郎はそそくさと階段を上っていく。すれ違う直前、自分を見て微笑み、かすかに口だけが動いていた。
それを見ていた瞳には分かる。「がんばれ」。彼は確かに、そう口を動かしていた。
やはり見抜かれていたかと諦めに近い感情を抱きながら、リビングへ入っていく。叶はコートを脱ぎ、何を飲もうかと吟味していた。
よくある休日の光景だが、瞳にはそれが酷く久方ぶりに思えた。
「……瞳?」
「え?」
「いえ、そんなにジロジロみられると、飲みづらいのだけど……」
「あ、ごめんなさい」
失礼だったなと思い謝罪すると、叶も「いいけど、他の人にはしない様にね」と微笑んでくれた。そして、数ある飲み物の中からコーヒーを手に取り、グラスに注ぎ始める。
「あの、姉さん」
「ん? 何?」
手を止める事無く、叶が答える。トクトクとコーヒーが注がれる音が心地よく響いた。
「もう、取締委員会の方は大丈夫なの?」
「えぇ。早急な案件は解決したし、しばらく行く事は無いと思うわ」
「だったら、しばらくは家にいる? どこも行かない?」
「え? えぇ……」
不意に、音が止まった。
何事かといった表情で、叶は瞳を凝視している。今までも家を空ける事はあったが、家にいるか、どこにも行かないか等と言われたのは、瞳が魔術学院に入ってからは無かった様に思う。
「なら、その……」
言いよどむ瞳。これもまた珍しい。そして、視線が泳いでいる事も。
一体どうしたと言うのか。叶の疑問は膨らむばかりだが、瞳はそんな姉の様子を気に掛ける余裕もなく、次の言葉を口にした。
「今日の夕食……私が作ってもいいかしら?」
今度こそ、叶は大きく目を見開いた。瞼も落ち着きなく動き、驚きを表現する。
当然、食材はある。あるにはあるが、瞳が自分から食事を作ると言った事は無かった。大抵は叶が作るか、彼女が不在の時はコンビニ弁当か、椎名から差し入れを貰って済ませていた。
簡単に言えば、瞳は料理に関して言えばド素人も同然だ。少なくともキッチンに立って調理をしている所を、叶は見たことが無い。
「どうしたの? 急に」
そのため、叶の口からは思わずそんな言葉が漏れた。そして瞳も、自分が料理をしない事は自覚しているので、その言葉も素直に飲み込む。
「いえ、どうって事では無いのだけど……ただ、作ってみようかと思っただけ。姉さんも水瀬先生も、色々あって疲れているでしょう?」
「確かに此の所立て込んでいたから、多少は疲れているけど……」
「だから、その……昔から食事は、姉さんに任せきりだったから、少しは自分でもやらなくちゃいけないと思ったの。それにもうじき卒業だし、いつまでも姉さんに頼ってばかりじゃまずい気がして。だから……良いかしら?」
無言が二人の間を、気まずそうにすり抜けていく。瞳は拒否される事が怖いのか、こういった事に慣れていないのか、視線を泳がせ目を合わせない。
叶はしばし、そんな妹の姿を愛おし気に見つめた後、微笑んだ。
「……ダメよ」
そして、瞳の提案を拒否する。
「瞳、料理なんてした事ないでしょう? もし怪我でもしたら大変よ」
その言葉は、予想以上に瞳へ重くのしかかった。確かに姉の言う通りだ。過去、姉がそうであったように、自分も怪我をしてしまい兼ねない。
だが、今しかない。ここを逃せば、いつまたチャンスが来るか分からない。せっかく優次郎が気を聞かせてくれたのだ。活かさないわけにはいかない。
そう思い、再び勇気を振り絞って声を出そうとしたのだが。
「だから、私も一緒に作るわ」
その前に、叶から言葉が放たれた。
そこでやっと、瞳も視線を姉へと向ける。優しく美しい、慈愛に満ちた微笑みへと。
「椎名さんほど上手くは作れないけど、これでも昔から食事は作って来たから。基本的なものなら教えてあげられるわ。それでも良いなら――――――――今日、お願いしようかしら?」
「……えぇ」
思わず、瞳も笑ってしまった。やはり姉は優しい。そう思いながら。
「それと、もう一つ言いたい事があるのだけど」
「? 何かしら?」
首を傾げる叶。彼女に言いたい事はただ一つ。自分の覚悟。姉の支えになりたい、まだ弱い自分だけど、必ず姉を護れるくらい強くなってみせる。その思いだけ。
先ほどまで言い淀んでいたのが、まるで数年前の様に感じる。今なら、すんなりと伝えられそうだと、瞳は口を開いた。
「姉さん、私は――――――――」
だが、それを阻むものが現れた。
瞳が口を開いた直後、リビングの隅に置いてある水晶玉が、光を放ち始めたのだ。
これは、通信魔術に使用する魔術アイテム。個人ではなく家庭へと連絡するためのもの。つまり、電話が鳴ったという事と相違ない。
叶はちらりと水晶を見れば、申し訳なさそうに瞳へ視線を戻す。
「ごめんなさい、ちょっと良いかしら?」
「えぇ」
流石に、相手方を待たせてまで伝えるわけにもいかないと、瞳は何のためらいも無く答える。ごめんね、と一言伝え、叶は水晶の前まで歩みより、通信を取った。
「はい、綾瀬川です……あら、シエルちゃん」
相手は、取締委員会の役員でもあるシエルの様だ。瞳も面識がある、姉によく懐いていた少女。最近会っていないが、昔は会う度に睨まれていたなと回想した。当時は怖かったが、今思えば、妹というポジションにいる自分を羨ましがっていただけなんだろう。
そんな記憶巡りの最中、二人の会話は進んでいく。と言っても、シエルの声は瞳に聞こえない様になっているが。
「どうしたの………………え?」
突然、叶が妙な声を上げた。困惑と驚愕。それらが一緒になった様な声に、瞳も何事かとそちらを見た。叶は一瞬表情を歪ませると、すぐに精悍なものへと変わる。
「えぇ、えぇ……そう……ユー君には? …………シエルちゃんから連絡してくれるの? なら、お願いするわね」
連絡ありがとう、と最後に付けたし、叶は通信を切った。しばし水晶を睨みつけたかと思えば、そのままの表情で瞳に向き直る。
「シエルさんから? 何かあったの?」
「えぇ。想定外の事態が起きたみたいなの」
「今から行くの?」
「いえ、報告だけよ。ただ……」
瞬間、叶が視線を落とす。何やら考え込んでいる様だ。何かは分からないが、よくない事が起きている事は確かだろう。
そして、チラチラと自分の方を見て来る叶を見れば、それはきっと自分にも関係のある事なのかもしれない。
ならば、答えは自ずと出て来る。
今シエルが連絡した事、それは―――――――
「天ヶ崎玲奈の事、かしら?」
叶が、驚いた様に顔を上げた。
「薄々だけど、気付いていたわ。姉さん、私とあの人を会わせない様にしてくれていたのよね? あの事件の時も、姉さんは私に忠告する時、あの人の名前を伏せた。後で水瀬先生が教えてくれたから、たまたま分かったけど。
でも、大丈夫よ。私は、ちゃんと聞ける。向き合える。もう―――――――弱いままは嫌だから」
やはり自分の妹だ。あの頃の自分と、同じような事を考えている。
それを知り、叶も決心した様に頷いた。妹が覚悟を決めたのだ。だったら、姉である自分が、その成長の足枷になってはいけない。
「えぇ、そうよ。今の連絡は、天ヶ崎玲奈に関する事だったわ……良いのね?」
「……えぇ」
強くうなずく瞳に、叶は眩しそうに眼を細めた。そして、告げる。真実を。
「実はね――――――――」
叶と優次郎。二人への連絡を終え、シエルは思わず息をついた。目の前で光を失った水晶を見つめながら、何のためらいもなく舌打ちが漏れる。表情も、みるみる歪んでいった。
ここは、玲奈が収監される牢獄の前。此処に来るのは、本日二度目だ。
だが先ほどと違い、今は大勢の取締委員会メンバーで溢れている。皆一様に、似通った表情を浮かべていた。
驚愕、困惑、そして――――――――恐怖。
「ご苦労、ノーランド」
そんな中、そのどれにも当てはまらない、完全な無表情を携えた男性がシエルをねぎらった。
そちらを見れば、自分たちのトップに君臨する雄清が立っている。言葉は告げず、会釈のみ返した。
「綾瀬川は、何か言っていたか?」
「了解。以上。感情。困惑」
「そうか……水瀬優次郎はどうだ?」
「…………」
「…………分かった」
シエルの無言。その意味を悟り、ただ一言そう返した。
そして、二人とも同じ方向へ視線を向ける。そこは、牢獄の中、目の前には、数多くの蝋燭が灯されている。つい先ほど、急遽つけられたものだ。
そして、その中央。そこに玲奈はいる。否、正確には「いた」が正しい。
玲奈はいない。牢獄の中に倒れてはいるが、決してそこにはいないのだ。
「天ヶ崎玲奈。貴様は…………一体何を考えていた?」
喉元から流れた血。それによって作られたレッドカーペットの上に横たわりながら、全ての生命活動を停止させた玲奈の『遺体』に向けて、雄清は思わず吐き捨てた。
今回もありがとうございました!
瞳の成長と決意表明を軸に話を進めていたら、最後こうなりました。何故だ()。
そんな感じの五十六話です。
第四章も、ここからシリアス展開に転じていきます。日常回はしばらくお休みします。こんな終わり方して、また日常に戻れるのか……どうぞ、この先もお楽しみください。
では今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願いします!




