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灰色の世界  作者: ken
第四章
56/140

第五十五話 =再び、彼女は動き出す=

第五十五話です。よろしくお願いいたします。

 まだ午前中だと言うのに、優次郎にとっては懐かしい再会や嬉しい成果を堪能出来る濃密な時間となった。彼自身も輪にかけて上機嫌になっており、鼻歌を歌いながら帰路についている。あの狂気の魔術師が鼻歌交じりに歩いている姿は、街の人間達には、さぞ奇異な光景として焼き付いたことだろう。

 訝し気な視線も、今の彼には心地いい。というより、気にならない。それほどまでに、この数時間で優次郎の気分は上昇していた。

 その数歩後ろを、やれやれと言った様子で微笑み付いていく叶の姿も、おそらく不可思議な光景だったに違いない。その二人の姿は、とても殺し合いを行った因縁の関係には見えず、まるで本当に姉弟の様だった。


「ユー君、嬉しそうね」


 叶が小さく問えば、優次郎も振り返る。街を照り付ける太陽にも負けない程まぶしい笑顔が、叶の眼を温かく刺激した


「はい! とーっても嬉しいです! 今まで頑張って来た甲斐があったなぁ! 玲奈は凄く良い顔見せてくれるし、取締委員会とも、とりあえず争わなくて良くなったし! もう最高ですよ!」


「取締委員会から『水瀬優次郎を連れて来い』なんて通知が来た時は、どうなる事かと心配したけれど、私も安心したわ」


 その表情は、憑き物が取れた様に安らかな笑顔を浮かべている。優次郎と取締委員会。あの頃まだ新米だった叶は、優次郎が殺害予告を突きつける度にピリピリとし始める先輩方に何も言えず、心労がたまる一方だったなと懐古する。

 会う度に殺し合いをしていた、あの時からは考えられない現状に、叶も自然と嬉しくなっていった。勿論、この協力関係が終わった後どうなるのか、などの心配はあるが、今はとりあえず置いておく事とする。そして、素直に喜びをかみしめるのだった。


「まぁ、あの人たち昔から過激派でしたもんね! 心配するのも分かりますよ!」


「ユー君も人の事言えないでしょう?」


「そうですか? ボク、売られた喧嘩しか買ってないと思うんだけどなぁ」


「それでもよ。まぁ、今となっては昔の話だけれど」


 それと、と話題を変える言葉を吐き出せば、叶の表情に影が差した。優次郎もそれを察し、歩幅をせばめる。


「ユー君。天ヶ崎玲奈の事だけれど……本当に、殺す気は無いのよね?」


「はい、ありませんよ! 玲奈にも言いましたけど、演技でしたから」


「でもアナタ、彼女がいない所でも『殺してしまう』なんて言っていたわよね?」


「万が一のぞき見でもされてたらって思ってただけですよ! 念には念を、敵を欺くにはまず味方からって言うでしょ?」


「なら良いのだけど」


「ホント、叶さんは心配性だなぁ」


 おかしそうに、優次郎は笑った。叶の表情は、未だ対称にある。

 本当に、殺す気など最初から無かったのだろうか。自分と玲央の前で見せたあの狂気かおも、シエルと再会した時の顔も、全て演技だったのだろうか。

 答えは分からない。優次郎がそうだと言ったのだから、そうなのだろうと思うしかない。それは分かっている。

 しかし叶には、どうしてもあの優次郎の表情が演技だとは思えなかった。あの顔も、にじみ出る魔力も、あの時――――――――自分と対峙していた時と同じだった。


(本当に、殺そうと思ってたんじゃないの?)


 だとしたら、何故あんな事を言ったのか? 今は分からない。聞いた所で、優次郎の事だ。どうせ答えないだろう。


「そ! れ! よ! り!」


 わざとらしく、一語一語丁寧に強めながら、優次郎は言った。思考していた脳を一度リセットし彼に向き直れば、赤く染めた頬で可愛らしく睨みつけている。

 全く迫力が無く、思わず笑いそうになるが、やめておいた。


「叶さん、何であんな事したんですか?」


 あんな事。

 それが何を指すのか、叶は瞬時に理解する。玲奈の目の前で、恋人同士の様な深い口づけを交わした時の事だ。いや、交わしたというのは語弊がある。何故ならあれは、叶が優次郎に同意を得ることなく、無理やり及んだ行為だったのだから。


「ごめんなさい。もう恋人同士でも無いのに、嫌だったわよね」


「別に嫌ってわけじゃ……とにかく! いきなりあんな事されて、すっごく恥ずかしかったんですからね! もういきなりは嫌ですよ?」


 最初の方は小声だったが、かすかに聞き取る事が出来た。叶も、思わずニヤリと笑い、優次郎の顔を覗き込んだ。


「あら? いきなりは嫌という事は、事前に伝えれば良いと言う事かしら?」


「えっ、あっ、そ、そういう訳じゃ……いや、無いって事でも無い、けど、その、あの……」


 狼狽える優次郎。顔は更に熟れたリンゴの様に赤くなり、目もきょろきょろと泳ぎだす。手も落ち着かない様で、こまねいているのが見えた。

 これは、叶だけが知っている優次郎の弱点だ。得意分野に関しては、全く物怖じせず、こちらが心配になるほど大胆だと言うのに、相変わらずこういった事にはすこぶる弱い。その反応が可愛く、昔はよくこうやって揶揄っていたなと、懐かしい気持ちに包まれた。

 心からの笑顔を浮かべ、叶も優次郎から顔を離す。


「ごめんなさいね、からかってしまって。ユー君が昔と変わらず可愛いものだから」


「も、もう! 和也君みたいな事しないで下さい!」


「あら、それは心外ね。あの子ほどサディスティックでは無かったでしょう?」


(和也君、今の聞いたらどう思うんだろ)


 自分が通う学校のトップから、それも綾瀬川叶から直々にサディスティックだの心外だの言われた人間の気持ちなんて、分かりっこ無いのだが。


「それより叶さんの方こそ! またボクとキスしたいんですか? もしかして、よりを戻したいとか?」


 軽い反撃のつもりで、優次郎が言った。顔は前に戻し、赤い顔を冷まそうと手で仰ぐ。



「……もし、そうだと言ったら?」



 しかし、叶から返って来たのは予想外の言葉だった。

 思わず足を止め、叶へ振り返る。先ほどより少し離れた距離に、彼女は立っていた。じっと、優次郎の顔を見つめながら。


「私は、まだユー君が好き。愛してる。恋人に戻りたい。キスもしたいし、身体も重ねたい。あの頃の様に。

 もし、私がそう言ったら…………ユー君は受け入れてくれるの?」


 叶の表情も、視線も、真剣そのものだ。少し視線を下げれば、両手で拳を作っているのも見えた。優次郎は言葉を返す事も出来ず、ただじっと、その精悍な、それでいて美しい彼女の顔を見つめていた。先ほどまで気にならなかった人々の喧騒が、足音が、風に揺れる葉の音色が、やけに大きく聞こえる。

 やがて、優次郎は言葉を紡ごうと口を開きかける。


「―――――冗談よ」


 優次郎が口を開くより先に、叶がそう口にした。ハッとしてそちらを見れば、彼女は先ほどと同じ意地の悪い笑顔を浮かべている。


「本当にユー君は、この手の話に慣れてないわね。からかい甲斐があるわ」


「も、もぉー‼ ホンット叶さんはこういう時、性格悪くなりますよね!」


「ふふふ、それはごめんなさいね。さぁ、帰りましょう? もうからかったりしないから」


「……ホントですか?」


「えぇ、嘘はつかないわ」


「分かりました……」


 上品に笑いながら、自身の横を通り過ぎていく叶の背中を、今度は優次郎が追っていく。話題は過ぎ去った。だが、優次郎の脳裏には、彼女がいった言葉がこびり付いて離れてくれない。そしてそれは、叶も同じだった。

 優次郎への問いは、彼女の本心なのか。それとも、本当にからかっただけなのか。それは分からない。

 だが、いずれにせよ。叶の背中しか見えなくなってしまった優次郎には、今の彼女がどんな顔をしているのかなど知る由もない。

 目に涙を溜め、流すまいと必死に堪えている事など、分かる筈がないのだ。


(ボクだって……)


 そして、叶も優次郎の本心など、分かる筈が無かった。


(ボクだって、本当は―――――――)


 それから二人は、会話をする事なく帰路についた。






 優次郎と叶が帰路についた頃、玲奈の収監されている牢獄には、痛々しい音が響き渡っていた。


「いい加減吐け! 楠木隆盛と猪丸健二! あの二人をけしかけたのはお前だろ!」


 取締委員会の内部にあるとはいえ、拘置所などという名がついている施設だ。当然刑務官が存在する。

 玲奈は今、二人の刑務官に挟まれていたが、その姿はあまりに惨いものだった。両手首は鎖でつるされ、壁に貼り付けにされ、何度も何度も鞭で体を痛めつけられる。役員クラスでも無ければ、この場所で魔術など行使出来ない。自身の拳か、得物を使う他に手を下す方法など無い。

 だから、これは日常だ。玲奈が収監されてから、もう何度もこんな事が行われている。

 一日に何度? 何時間おきに? どれだけの時間? 

 そんなもの、もう覚えていない。おそらく目の前の刑務官すらも。

 

「おいおい……さっさと吐けよ小娘。それとも、まだ痛めつけられてぇのか? お前も相当なマゾヒストだな」


 その光景を、牢獄の外から見物している男が一人。椅子に座り、ニヤニヤと笑いながら、まるで映画でも楽しんでいるかの様に、言葉をかけた。取締委員会の役員の一人だ。


「うちの『尋問』が、そんなに気持ちいいのか? だったら止めはしねぇから、存分に味わえばいいけどよ。あんまり言わねぇと、俺が会長から言われるんだぜ」


 困ったもんだ、なんて言いながらも、やはり笑顔は消えない。

 『尋問』。そう彼は言った。だが、傍から見ればこれは『拷問』だ。そして、役員自身もそれは分かっている。こんなものを、尋問だとは言えない事を。

 この役員は、ただ楽しみたいだけだ。法を犯し、裁きを加えるべき犯罪者にんげんが痛めつけられ、泣き叫び、やがて心身ともに疲弊し、壊れていく様を。

 当然、『拷問』など認められていない。例え違法魔術師相手であっても、だ。それも分かっている。

 だからこそ彼は『尋問』だと言い張る。そう言わなければ、楽しみを奪われてしまう。

 そして、もう一つ分かっている事がある。


「停止。推奨」


 そんな時だった。後ろから、熟語の羅列が聞こえてくる。こんな奇妙な言葉遣いをする女性・・は、一人しか心当たりがない。拘置所ここに入ってこられる人間となれば、尚更だ。

 軽く舌打ちをし、ゆっくり振り返れば、やはりそこにいたのは、見知った黒い少女。壁と同化してしまいそうだが、彼女が灯す炎が、かろうじてそれを防いでいた。


「んだよ、シエル=ノーランド。今は大人おれの時間だ、邪魔すんじゃねぇよ。ガキは黙って飯食って、昼寝でもしてな」


「天ヶ崎。玲奈。返答。不可能。意思。および。力。無」


 役員を止めた少女、シエルがいう事は最もだ。今日の朝までは涙を流し叫んでいた玲奈だったが、今回はそれが無い。始めた時からだ。それに、目も力を失い、全く輝きを発していないのも見えた。原因は、彼もシエルも分かっている。だからこそ、役員は再び舌打ちをした。


「水瀬優次郎が此処に入ったって、綾瀬川叶が言ってたな。ちっ、あのサイコ野郎が……人の楽しみ奪いやがってよ」


「貴方。同類。指摘。資格。無」


「んだテメェ、俺もあのサイコ野郎と同類だってのか?」


 怒りを露わにし、シエルに言葉を差し込めば、彼女はいとも簡単に首を縦に振った。


「クソ野郎共が……おい、もう止めていいぞ。鎖も外せ」


 役員が指示を出せば、刑務官二人も即座に手を止めた。指示通り鎖を外せば、玲奈の身体は重力に逆らうことなく地に伏せる。


「ゴミ人間が、ただのゴミに成り下がりやがってよぉ」


 不機嫌を隠す事無く吐き捨て、役員は牢獄の中へと入っていった。動く気配のない玲奈の身体の前に立てば、かすかに体が上下しているのが、何とか認識できる。まだ生きてはいる様だが、彼にとっては関係ない事だ。


「心臓が動いていようが、息をしていようが、こんだけ痛めつけてやっても声一つあげねぇ様なゴミ、死んでんのと同じだな」


 しゃがみ込んで乱雑に髪を掴み、上へと押し上げる。至近距離で玲奈と目が合うが、生気の無いそれを見れば、更に機嫌を悪くしてしまった。


「おい、聞こえてっか? 死霊魔術なんてクソみてぇな禁忌に足突っ込まねぇと人を甚振れねぇ、軟弱な小娘」


 玲奈からの反応はない。だが、かまわず続ける。


「テメェみたいな社会不適合者にゃ、これぐらいの尋問がおあつらえ向きだろ? 俺に言わせりゃ、まだまだ甘ぇぐらいだが、俺はお前と違って大人なんでね。社会のルールってヤツの範囲内で済ませてやってんだぜ? 礼の一つでも言ってみろよ」


 やはり反応は無し。まるで人形に話しかけている様だと、シエルは怪訝にそれを見つめる。

 

「これじゃ、どっちが死霊か分からねぇなぁ? 今のお前は、死霊と変わらねぇ。意思も感覚も何もねぇ、ゴミ以下だ。まだ死霊の方が甚振り甲斐があるってもんだぜ。そうは思わねぇか? なぁ?」


 罵詈雑言の嵐を、玲奈はまるで感じていない様だった。

 もう無駄だ。そう判断した役員は再び舌打ちを漏らし、玲奈の顔を床へと雑に落とした。


「いっその事、死んじまった方がまだマシなんじゃねぇの。社会のゴミに成り下がった挙句、俺に楽しみすら供給できねぇんじゃ、生きる価値もねぇ。さっさと死ねよ、クソガキが」


 本当に、何故この男は取締委員会に入れたのだろうか。会長である雄清も、何故こんな男が所属する事を許しているのだろうか。シエルには、全く答えが分からないでいた。


「おい、尋問は終わりだ。さっさと鍵かけろ」


 刑務官へ指示すると、牢獄を出た役員は煙草を取り出し、火をつける。


「所内。禁煙」


 シエルを無視して通り過ぎようとする役員を咎めると、彼は足を止め、シエルへ顔を向けた。そして、ゆっくりと顔を近づけてきたかと思えば、勢いよく煙をシエルへと吹きかけた。

 ニヤニヤと気持ち悪く笑う役員に、シエルは目を細め、素直な感情を吐露する。


「最低」


 それも全く意に介していない様で、役員は笑顔のまま去っていった。刑務官二人も、そそくさと鍵をかけるとシエルへ敬礼し、去っていく。

 残されたシエルは、ちらりと玲奈の姿を見つめてみる。だが、やはり全く動いていない。彼女の枕元でゆらゆら揺れる蝋燭の灯りだけが、唯一活動していた。

 

「…………」


 何も言葉を発す事無く、シエルはその場を後にする。

 あの男性役員の事は大嫌いだ。行っている事も許さない。だが、だからと言って玲奈に同情などしている訳がない。彼女が行った事は、紛れもなく犯罪なのだから、同情する必要もないのだ。

 シエルも去り、残されたのは玲奈のみとなった。

 玲奈の脳はかすかに動いており、先ほど男性役員から言われた言葉が跳ね回っていた。


『死霊の方がまだマシ』


『いっそ死んじまえ』


 ゆっくりと、何とか力を振り絞り、顔を上げる。目の前の蝋燭の炎が、まるで自分をあざ笑っている様に思えた。

 優次郎に拒絶され、罵詈雑言を浴びせられ――――――こんな日々が、ずっと続くのだろうか。ただただ取締委員会の玩具として生き、優次郎に喜びを供給するだけの存在として、生き続けなければならないのだろうか。


 ―――――――刹那。玲奈の身体は、何の前触れもなく蘇った。

 

「もう……いいや……」


 それは、全てを諦めたものが発した、心からの言葉だった。

 もういい。疲れた。こんな日々は、もううんざりだ。だったら、いっそ―――――――。

 だが、その前に。


「綾瀬……川……叶……」


 一人の女性が、脳裏に浮かぶ。綾瀬川叶の姿だ。

 自分にとって最大の害虫・・だった。優次郎を除けば、一番殺してやりたい相手だった。一番憎悪を向ける相手だった。

 自分を倒し、こんな場所へ投げ込み、そして今日は、まざまざと現実を見せつけられた。

 

「お前……だけ……は……許…さ……ない……」


 許さない。あの女だけは、絶対に許さない。自分がこの手で、なぶり殺してやる。

 震える手を蝋燭へ伸ばしながら、玲奈は―――――――――――――――――――



 嗤った。




今回もありがとうございました!

瞳と境子の傍らで、優次郎と叶の方も動きがありますね。そして、玲奈は叶への憎悪が増し増しに……ここから、第四章も本格的に動いていきます。


そんな感じの五十五話です。

第四章も、中盤に差し掛かりました。お世辞にも違法者を取り締まる立場にいちゃいけない様なヤツ出てきましたね。書いてて自分でイライラしてしまいました……(笑)。


では今回はこの辺で。

また次回もよろしくお願いします!

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