第五十四話 =姉として 妹として=
第五十四話です。よろしくお願いします。
時刻は十二時に差し掛かろうとしており、日曜日とあってファミリーレストランの店内は人で溢れかえっていた。客層は家族、友人同士、カップルと様々だが、皆一様に楽しそうに笑っていた。
椎名が『飯食いに来た連中が全員笑顔で帰れねぇと、店開いてる意味がない』と言っているが、おそらくこう言う事なのだろうな、と。店の隅で、会話の束を聞きながら瞳は思う。同席者はいない。ただ一人、頬杖をつきながら、ぼんやりと店内を眺めていた。
不意に、一組の女性客が目に入る。幼い少女と、自分と大差ないであろう年齢の女性の二人組だ。少女ががっついて食べるものだから、姉と思われる女性は呆れ気味に口元を拭いてあげていた。少女も恥ずかしそうにそれを受けるが、どちらも笑顔を見せている。姉妹の幸せなひと時だ。
『こら瞳、また口にソース付けてるわよ? もう少しゆっくり食べなさい』
遠い昔、姉に言われた言葉を思い出す。あの時の姉も、彼女の様に笑っていたように記憶している。
どんな気持ちだったのだろうか。困った妹だと呆れていたのか。それとも可愛いものだと温かい気持ちになっていたのか。
姉は。叶は。いつだって瞳の隣にいてくれた。見守ってくれたし、護ってもくれた。優しく、強く、温かい姉が大好きだった。今だって、きっとそうだ。
いつか自分も、あの時の姉の気持ちを理解できるのだろうか。
答えなど帰って来る筈がない。それは理解しているので、言葉にはしなかった。
「いらっしゃいませー!」
元気な店員の声を聞き、じっと見つめていた事に気付く。流石に失礼だと思い、テーブルへ視線を落とす。
「お一人様ですか?」
「あーいえ、待ち合わせです。先に来てると思うんですけど」
「あ、はい! どうぞ、お探しください!」
店員と話していたのは、聞きなれた声。そして、自分が待っていた声でもある。
そちらを見れば、予想通り。待ち人がきょろきょろと首を動かし、自分を探していた。それも束の間、すぐに目が合うと待ち人はすたすたとこちらへ歩いてきた。
瞳の視線も気にせず、彼女の対面に座ると、その人物は付けていた遺物を耳から離す。
「ごめん、待たせちゃったね」
「大丈夫よ。こちらこそ、急に呼び出してごめんなさい、古谷さん」
謝罪すれば、待ち人である少女、古谷境子は「構わないよ」と返した。
「弟さん達、大丈夫だったかしら?」
「昼食も作って来たし、問題ないよ」
「安心したわ。学食でのバイト、夏休みもしてるんでしょう? 毎日大変ね」
「もう慣れたよ」
そんな会話をしていれば、店員が水を持って二人の元へ訪れる。
「ありがとうございます。注文いいですか?」
「はい、どうぞ!」
「和風ハンバーグと、あとライス下さい。サイズ普通で」
「かしこまりました!」
境子からオーダーを受ければ、今度は瞳へと向きなおる。
「そちらのお客様は、どうなさいますか?」
「シーフードグラタンでお願いします」
「かしこまりました! 少々お待ちください!」
二人分のオーダーを聞けば、厨房へと戻っていく。店員を見送ると、境子が瞳へと向き直った。
「先、頼んでても良かったのに。待ち合わせから三十分も遅れちゃった訳だしさ」
「そう言う訳にはいかないでしょう? 無理して来てもらっているのに、先に食べていたら失礼だわ。アナタもお腹が空いているでしょうしね」
「律儀な人だね」
出してもらった水を飲みながら、境子は呆れた様に言った。
「それにしても、弟さん達の面倒をみてると言っていたけれど、御両親はどうしているの? 不快な質問だったら謝るわ」
「別に大丈夫。父親はカメラマン、母親は画家でね。毎日世界中飛び回ってるよ」
「あまり家に帰らないのね」
「年に三回、帰ってくりゃ多い方だよ」
「そう……寂しくないの?」
「それも慣れたね。下の弟は、たまに寂しそうにする時あるけど、上の子は最近慣れて来てるかな。でも、結構家族仲は良好なんだよ? 帰ってくれば私達とずっと一緒にいてくれるし、知らない世界の話も聞けるしね」
「海外は行った事ないわね。私も聞いてみたいものだわ」
「今度教えてあげるよ」
そう言って、境子は笑った。つい二か月程前までは名前と顔しか知らなかったと思えば、こうして何気ない世間話をしているのも不思議なものだ。
「じゃあ、今も海外に?」
「うん。最後に帰って来たのは、新年度が始まる前だったよ。二日ほど日本にいたかな? お土産も買って来てくれてね、それ食べながら皆で話してたのを覚えてるよ」
「その時は、どこに行っていたの?」
「ヨーロッパ周ってたんじゃなかったかな。今は中東辺りにいるって、こないだ手紙届いた」
本当に、世界各地を回っているのだと思えば、自分もいつか世界に繰り出してみたいと心から思った。まだ自分は日本しか知らない。もっと視野を広げ、世界の広さを実感したいものだ。
「ヨーロッパのお土産って言ってたけど、何買ってきてくれたの?」
「八つ橋」
「は?」
思わず、そんな声が漏れた。
「ごめんなさい、聞き間違いかしら? お土産、何だったって?」
「だから八つ橋だよ」
「えーっと、確認なのだけど……ご両親、ヨーロッパに行っていたのよね?」
「そうだよ」
「そのお土産が?」
「八つ橋」
「あの日本発祥の和菓子?」
「うん」
何でそうなったのだろうか。
瞳には理解不能だったが、境子はさも当たり前の様に言ってのけた。
「まぁ、いつもの事だからね。その前は南米に行ってたんだけど、お土産がマトリョーシカだったし」
「そ、そう……」
やはり世界は広い。色んな人がいるものだ。瞳は初めての衝撃に、思わず顔をひきつらせた。
境子は涼しい顔で水を飲み干すと、備え付けのピッチャーで再び満タンまで注ぎ始める。
「それで、今日はどうしたのさ。会長さんや水瀬先生じゃなくて私を呼び出すなんて、どういう風の吹き回し? 急に『お話したいから、お昼に時間をちょうだい』なんて言われたもんだから、ビックリしたよ」
境子の言う通り、本当に突然だった。瞳から連絡を受けたのは、今日の朝。受けた時は驚いたものだ。
何故、自分なのか。親友の芽衣でも、心を許す優次郎でも無く、姉である叶でも無い彼女を、何故頼ったのか。
境子の疑問に、瞳は少し俯きながら答え始める。
「明確な理由は、自分でも分からないわ。ただ、『古谷さんとお話したいな』と思っただけ」
「へぇ。知らないうちに、随分と心を許してもらえてるみたいだね」
嬉しいよ、といつもの調子で軽く言ってのけるが、その微笑みは言葉に嘘が無いと教えてくれている。
「ねぇ、古谷さん」
「何?」
「古谷さんは……将来、どうするの?」
「……はい?」
突然の質問に、思わずそんな声が漏れた。前のめりになり、瞳の顔を覗き込む。
「どしたの? なんか悩んでるん?」
「そういう訳でも無いのだけど、ただ聞いてみたくなっただけ」
「ふーん」
そうつぶやくと、身体を起こし窓の外を見つめた。
「まーでも、妹さん達は卒業近いしね。そろそろ考えなきゃいけない時期か」
その言葉を最後に沈黙が訪れるが、気まずさは無かった。境子が真剣に考えてくれているからだと分かれば、瞳も有難く思う。
「……就職かな」
やがて、境子の口から答えが出た。瞳も顔をあげ、彼女の横顔を見つめる。
「意外ね。三木さんに料理を習っていると聞いていたから、てっきり調理の道に行くのかと思っていたわ」
「料理は自分がもっと上手くなりたいって思ったから教えてもらってるだけだよ。興味はあるし、目指してみたいとも正直思ったけどさ、もし料理人になるなら調理師学校も通わなきゃだし」
「弟さん達の為?」
「その理由も強いかな。親から仕送りは貰ってるし、今の生活は困ってないけど、調理師学校に通うってなれば話は別だよ。うち、一般家庭だし。そこまで金銭面で余裕があるわけじゃないからさ」
「そう」
「うん。妹さんは、取締委員会に入るんでしょ?」
「そのつもりよ。まだ分からないけれど」
「……そっか」
これは、また何か悩んでるな。
境子は直感的に感じる。自分では悩んでるわけでは無いと言いつつも、やっぱり不器用なのも相変わらずかと、思わず笑った。
それを訝しむ瞳を見れば、ごめんごめんと軽く謝罪する。
「古谷さんは強いわね」
「ん?」
突然そんな事を言われれば、境子も首を傾げた。
「そのままの意味よ。調理師に興味があるのに、弟さん達の為にって、他者を優先出来るなんて凄いと思うもの。後輩だけど、私よりずっとしっかりしてて、ハッキリ物事を決められて、それを素直に言葉にする事が出来て……本当に、強いわ」
最後の方は、ほんの少し声が震えていた様に思う。
境子は返答をせず、静かに次を待った。
「私は、そんなに強くなれない。アナタよりも、ずっと弱いの。水瀬先生を理解したいって、あの人を支えてあげたいって、あの時、決めた筈なのにね。でも、今もまだ、私は弱いまま。想っていても、口に出せないし、迷ってしまう。古谷さんの様に……強くなれない……」
(水瀬先生、また妙な事に首突っ込んだな)
本当に、罪作りな人だ。色んな意味で。
二人に対するため息を、境子が盛大に漏らす。それを呆れられたと捉えたのか、瞳の身体が少し震えた。
そして、境子は言葉を口にする。いつもの様に、素直な言葉を。
「――――――私だって、弱いよ」
瞳が勢いよく顔を上げた。目が潤んでいるのを見れば、今にも泣きそうになっていると分かる。
本当に、まだまだ手のかかる先輩だなと、境子は少し笑った。
「妹さんが言う程、私は強くない。私だって迷うし、怖い。決断するのも、言葉にするのも、怖くて怖くて仕方ないんだ」
でもさ、と境子は続けた。
「そんな事、言ってられないんだよ。強くなきゃいけないんだよ。弱い自分を必死に押し殺して、形だけでも強く見せなきゃいけないんだよ」
「どう、して?」
瞳の疑問に、境子は少しだけ目を細め、やはり素直に答えた。
「『姉』だから」
その言葉に、瞳は目を見開く。
「『姉』だから、強くならなきゃいけないの。私の家は、両親が仕事でいないからさ。私が弱気になった所を見られたら、弟たちも不安にさせちゃうじゃん? そしたらもう、あの子達を支えられる人がいなくなる。学校にいるかも知れないけど、そうじゃない。一番あの子達が安らげる空間が、家じゃないと。家族の前じゃないとダメなんだ。だから、一番上である私の弱い所なんて見せてる暇ないんだよ。姉って言うのは、そういう生き物なんだ。
きっと―――――――学院長もそうなんじゃないかな」
学院長。綾瀬川叶。自分の姉。
いつも傍にいてくれたし、いつも味方になってくれた。自分が感情の言いなりになって雪菜を罵倒した時も、見捨てずに叱ってくれた。いつもいつも、自分の事を想ってくれていた。
「姉さんも……不安だったのかしら……」
「今は分からないけどね。でも、きっとそうだったんじゃない? 綾瀬川家の家庭事情はよく知らないけど、今二人暮らしなんでしょ? あ、水瀬先生もいるんだっけ」
「えぇ……物心ついた時から、親はいなかったから。顔も知らないわ」
「じゃあ、学院長がずっと姉兼親代わりだったん?」
「そう、だった……わね……」
思い出した。いや、忘れてなどいなかった。
小学校の時、家に帰れば、手を傷だらけにしながらも料理を作ってくれた。自分が友達と喧嘩をして怪我させてしまった時は、相手方の家まで一緒に謝りに行ってくれた。自分が魔術学院に入るまでは、何があっても自分より先に帰っていて「おかえり」と言ってくれた。
全て、覚えている。忘れる筈がない。ただ、様々な出来事が覆い被さって、見えなくなっていただけ。見なくなっていただけ。ただ、それだけだったのだ。
きっと叶も不安だったのに、それを見せずに笑顔でいてくれていた事を。
ふと、先ほど浮かんだ疑問が、再び顔を出した。
「私も……」
「ん?」
「私も……姉さんの気持ちを……理解できる時が来るかしら……?」
何とも難しい質問を投げつけて来たものだ。どう答えればいいものか。
境子は少し考えたが、やはり考えるのは性に合わないと、これも素直に言葉を返す。
「正直に言うけど、多分無理だよ」
瞳には残酷かもしれないが、他の言葉が見当たらず、はっきりとそう言った。
「姉の気持ちなんて、妹や弟を持った人にしか分かんないさ。不安で不安で仕方なくて、それでも弟達を心配させたくないって気持ちは、他にゃ変えられないね」
「そう……」
「でも、逆に私は弟の気持ちが分からないんだよね」
え? と言葉を漏らす。
境子は気にする事なく続けた。
「三木さんが言ってたんだ。『時代が変わる様に、お前の弟達もいずれ変わる』って。『お前を支えられる程に大きくなる』って、そう言ったんだよ。でも、私には想像も出来なかったし、三木さんにもそう答えたよ。だから、私には分からないんだ。弟達が、私をどう想ってくれてるか、なんてね。でもさ」
一息つき、境子は笑った。とても綺麗に、いずれ来る未来を楽しみにしている様に。
「もし、弟達がそんなに大きくなってくれたなら、姉としてこんなに心強い存在は無いよ。だから、いつかそんな日が来ればいいなって、思うんだ」
瞳は考える。姉を、あの綾瀬川叶を、自分が支えられる時が来るのだろうかと。それまでに、姉が倒れてしまう様な事にはならないかと。
自信が無い。しかし、それでも――――――。
「私は、姉さんを支えたい。今までずっと支えてもらった。だから、私も姉さんを支えたい」
「そっか。そんな風に思えるんなら、妹さんも十分立派だよ」
「でも、私が強くなるまでに、姉さんが倒れてしまったりしないかしら……」
「あらら、まーだ不安なんだね。まぁ、妹や弟ってそんなもんなのかもね」
自分の弟達も、こんな風に自分を想って葛藤してくれているのだろうか。
考えてみたが、やはり答えは出ないので、当然かと開き直った。
「大丈夫なんじゃないの?」
「え?」
「私が三木さんに料理ならってるのは、上手くなりたいからだって言ったじゃん? もちろん嘘じゃないけどさ、多分それだけじゃないんだ。三木さんは、私の弱い部分をさらけ出しても、ちゃんと受け止めてくれるから安心できるんだと思うんだよね。だから、あの人の傍にいたくて、それで料理習ってるんだろうなって」
だからさ。
「学院長にも、そういう人がきっといるんじゃない? じゃないと、とっくの昔に倒れてたと思うよ、多分。妹さんなら、心当たりあるんじゃないの? 学院長を支えられる、助けられる、弱い部分も受け止められる、そんな人をさ」
脳裏に、一つ笑顔が浮かんだ。いつかの姉の笑顔。そして、言葉も。
『面白い後輩が出来たの! 水瀬君って子でね? まだ会って一週間くらいだけど、もう可愛くて可愛くて! 今度家に遊びに来てって言ったけど、良いかしら? 瞳も、きっと気に入ると思うわ! とっても優しくて良い子だから!』
あの時は、いつもどこか無理をしていた姉が、久しぶりに心の底から笑っている姿を見て、綺麗だなぁなんて思ったものだ。そして、頬を赤らめるその姿は、天才でも姉でもない普通の少女としての綾瀬川叶だった様に思い、自然と嬉しくもなっていた。
思わず、瞳も笑った。
「そうね。あの時の姉さん、とても嬉しそうだったわ」
「お、やっと笑ったね。ちょっとは楽になったん?」
「えぇ、お陰様で。まだハッキリとは分からないけれど、切欠はつかめた様な気がするの……古谷さん」
「何?」
「やっぱり、アナタとお話出来て良かったわ。ありがとう」
「……素直にどういたしまして、と言っとくよ」
二人して笑い合っていれば、「お待たせしました!」と店員が食事を運んできた。
「んじゃ、後は食べながら話そうかね。あったかい食事はあったかいうちに食べろって、三木さんに言われてるしさ」
「あら、じゃあ怒られない様に、さっそく頂こうかしら」
ギロリと睨みをきかせながら怒りをあらわにする椎名の姿が目に浮かべば、二人もまた笑った。
「なら、さっそく」
「えぇ」
「「いただきます」」
その後は、食事をしながら他愛もない話をした。旅行の事や、バイト中の事。そして、叶の事や、境子の弟達の事について。
その日は珍しく、瞳から優次郎の名は出ても、話題になる事は無かった。
「ねぇ、古谷さん」
「んー?」
「さっき言ってた八つ橋だけれど、製造元の所―――――――――」
「妹さん、口にしない方がいい現実もあるんだよ」
「…………ごめんなさい」
今回もありがとうございました!
前回までの激動の展開が一旦終わり、今回は何でもない日常の一幕です。僕は末っ子長男なので姉の気持ちは分かりませんが、姉が弱音を吐く所を見たことがありませんでした。きっと不安も葛藤も、僕に対する不満もあったんだろうなーと思います。そんな中、僕の前では、「姉」をまっとうしてくれた事に、改めて感謝したいですね。今度どっか連れてってあげよ。
そんな感じの五十四話です。
境子と話をしたことで、瞳もまた一つ成長しましたね。今後、瞳と叶の姉妹関係も変化していくかもしれません。そちらもお楽しみ頂ければと思います。
では今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願いします!




