第三十五話 =二人の姉の悩みと決意=
第三十五話です。よろしくお願いします。
優次郎達が学食で談笑している頃、綾瀬川叶は学院長室にて一人思案していた。憂いを帯びた眼差しが見つめる先が何処なのかは分からないが、簡単なものではない事は見て取れる。
そんな時だ。
コンコン、と無機質な音が室内に響いた。来客を知らせる音だ。
どうぞ、と一言答えると、ガチャリと音を立てて扉が開かれ、見知った講師が顔をのぞかせた。
「失礼します……おっと、お取込み中でしたか」
「大丈夫ですよ、少し考え事をしていただけですので。お疲れ様です、福原先生」
叶が答えれば、来客である福原義信は室内へと歩を進めた。
「不躾ですが、何を考えていらしたのです?」
「少し……取締委員会の事で」
「あぁ、なるほど」
せわしないものだな、と義信は一人思う。
学院長として様々な課題をこなしつつ、学会にも顔を出し、果てはこうして取締委員会の事でも頭を悩ませなければならないとは。
まだ二十五歳だというのに、些か彼女に色々背負いこませ過ぎなのではないかとすら思えて来た。
「学院長としての業務が一区切りしたばかりだと言うのに」
「仕方ありません。私も、すべて覚悟した上で行っている事ですから、文句を言うつもりはありませんよ」
相変わらず真面目な事だ。思い返せば、叶は学生の頃からこうだった。『現代最高の天才』と謳われ、多方面からの期待を一心に背負い、それを全て自分で飲み込んできた。それが彼女の美点でもあるが、危うさでもある事は、当時一講師として彼女を見ていた義信にも痛い程分かる。
だからこそ、今声をかけなければ、取り返しのつかない事になりかねない。
「これは一講師として、お前自身に伝えたい言葉だが……」
思うが先か、義信は無意識に口を開いていた。学院長ではなく、教え子の一人である綾瀬川叶に。
「綾瀬川、昔から散々言ってきたし、今更と思うかもしれないが言わせてもらうぞ。
無理はするな。お前は確かに優秀だ。俺が今まで見てきた生徒の中でも、間違いなく最上位の魔術師……いわゆる『天才』の部類だ。
だが、天才だろうが何だろうが、人間が持てるものには限度ってもんがある。あまり自分を過信し、物事を抱え込み過ぎれば、いつか大事なものまで取りこぼしてしまう事になりかねないぞ。
俺はお前程の魔術の才は持ち合わせちゃいないが、これでも長年講師をしてきた身だ。多少の問題なら、相談に乗るくらいの事は出来る。
学院長が一人で全てを決めなけれならないなんてルールは、どこにも無いんだ。もっと周りを頼れ。それとも、お前の周りにいる連中は、そんなに頼りないか?」
久方ぶりに聞いた恩師の言葉を、叶は目を見開いたまま黙って聞いていた。
そして、やがてふわりと笑う。優しく、安心しきった様に。
「いいえ、先生を含め、皆頼りになる人たちばかりです。また、私の悪い癖が出ていたみたいですね……ありがとうございます、先生」
彼女のそんな顔を見れば、義信も自然と笑みをこぼした。そして、叶はおもむろに机の引き出しに手を伸ばし、一枚の紙を義信へ見せる。
「良いんですか?」
「別に見せてはいけない様な内容では無いので。どうぞ、ご覧ください」
了承を得た義信は、紙に書かれた内容に目を通す。差出人は、違法魔術師取締委員会。なるほど彼女が頭を悩ませていたのは、ここに書かれた内容である事は理解できた。
そして、読んでいくうちに義信の表情は――――次第に険しくなっていった。
「これは……連中は本気ですか?」
「えぇ、その様です」
「なるほど……」
すべての文字に目を通し、叶へと返しつつ義信は答える。
これは確かに、叶が一人で抱え込むには大きすぎる問題だ。いや、叶だからこそ、というべきか。
「極論じみた計画ばかり行う連中だとは思っていましたが、まさかここまでとは。それで、どうするつもりです? 見たところ、計画実行は学院長の返答次第の様ですが」
「まだ何とも……私としては、まだここまで過激な手に出る様な段階では無いと思っていますが……」
返答を聞き、義信は察する。
叶はおそらく、この計画を止めたいと思っているのだろう。いや、少し違うか。言うなれば叶の目的は、この計画の妥協点を作る事だ。
真向から反対してしまえば、たとえ綾瀬川叶と言えど取締委員会から追放か、最悪の場合は敵に回す様な事になってしまう可能性すらある。取締委員会は優次郎の一件で、叶に対して良い感情は抱いていないはずだし、ここでそれに追い打ちをかけるわけにもいかない。
しかし、この計画はさすがに行き過ぎている。だからこその妥協点。そして、その為にやるべき事、返すべき回答も頭の中には浮かんでいるのだろう。
だが――――その答えを返す事が出来ないでいる。そんな所だろうか。と義信は思考した。
「…………行けば良いではないですか」
思いがけない言葉に、叶は反射的に彼を見た。
「分かっているんでしょう? この計画に対する妥協点を作るには、それが一番手っ取り早い事だと。計画には賛同しつつ、アナタが同伴し事に当たれば、万が一の時は手を出せばいい」
「しかし! 夏休みの期間中でも、自主学習等で校舎を利用する生徒もたくさんいます! それに学食だって、土日祝日以外は開けると椎名さんも言っていました! 私のサインが必要な書類も送られてくるし、私が……学院長が判断しなければならない事だってある!
なのに私が学院を空けるわけには……っ!」
あぁ、まただ。
義信はため息を漏らした。
「また悪い癖が出てるぞ、綾瀬川」
「え?」
「さっきも言った筈だ。もっと周りを頼れってな」
「あっ……」
やれやれと言う風に、義信は笑った。そして、続ける。
「言えばいいだろう。ここにいる講師全員……とはさすがに言えんが、少なくとも俺は、学院長の味方だ。お前は先の事件で、一時的に学院を俺に任せた事に負い目を感じて謝罪してきたが、その必要はなかったと俺は思っている。俺も此処の講師であり、お前は今、俺の上司だ。だから言えばいい。命じればいい。簡単な話だろう? サインが必要な書類が来ても、学院長の判断が必要な状況になっても、通信魔術でお前に指示を仰げばいいだけだ。
お前は―――――もっと我儘になって良いんだ」
義信の言葉に、叶は俯いた。落ち込んでいる様子はなく、何かを思案している様だ。
抱え過ぎれば取りこぼしてしまうかもしれない、と彼は言ったが、どうやら長年しみついた癖というのは、そう簡単に離れてはくれないらしい。
「……私は来週から、一週間ほど此処を空ける事になります」
義信にだけ聞こえる様な小さな声で言った後、叶は顔を上げ彼を見据える。何かを決意した様な、意思のこもった眼差しで。
「福原先生、私が留守の間、代理として学院の事を守ってください。お願いします」
なんだ、出来るじゃないか。それだけ強い言葉と目を持っているんだから、最初から使えばいいんだ。我儘だって言えばいいんだ。
そんな事を思いながら、義信は笑顔で答える。彼の答えは、言われる前から決まっていたのだから。
「…………ダメだね」
夕暮れに染まった学食でそんな言葉を漏らすのは、手伝いを終えた境子だった。
目の前には、二つの野菜炒めが置かれている。一つは境子が、もう一つは椎名が作ったものだ。一般家庭でも作られる有り触れた料理だが、椎名が作った味の奥深さに、思わずそんな言葉が出てきてしまった。
「野菜炒めは結構作って来たし自信あったけど、やっぱ椎名さんが作る料理には敵わないや。食材も調味料もおんなじの使ってるって言うのにさ」
「当たり前だ」
そんな言葉を漏らすのは、離れた場所で煙草をくわえる椎名だった。彼女もまた片づけを終え、一服している最中だった。
「こちとら十何年と作り続けて来たんだ。まだまだ負ける気はないね。それにその野菜炒め、調味料の量、加えるタイミング、火加減その他もろもろ調節するのに何か月かけたと思ってんだ? 年季が違うんだよ、年季が」
今日の業務を終えた後、約束通り境子に料理を教える事となったのだが、まずは境子が作る味を見てみたいと椎名が提案したため、得意料理である野菜炒めを作って見せた。
それを一口食べた後、ちょっと待ってろと言い、今度は椎名が同じ食材と調味料を使い、野菜炒めを作った。そして結果は、ご覧の通りだ。
「古谷、確かにお前の料理は不味くはないが、味が安定してねぇ。この前の話だと、お前の弟達は料理を急かしてくるらしいし、お前もそれに応えて早く作ろうとしてる内に、調味料やら火の加減が大雑把になっちまってたんだろうな。そんな時間に追われながら作った料理じゃ、お前の味とは言えねぇよ。
まずは夏休み使って、毎回同じ味で作れる様になってみろ。話はそれからだな」
「……手厳しいね」
「料理には一切妥協しないっつったろ?」
にやりと笑う椎名に、思わず境子は苦笑いを浮かべた。どうやら料理の道は、彼女が想像していた以上に険しい様だと、改めて思い知らされた。
「でもまぁ、その方が燃えてくるしね。絶対もっと美味しいの作ってみせるよ」
「おぅ、期待してるぞ」
椎名は煙草の火を消し、境子の前の椅子へと腰かけた。
「話は変わるが、水瀬たち来週から旅行いくみたいじゃねぇか。お前は行かないのか?」
「行かないよ。妹さんから誘われたけどね」
「へぇ、お前ら結構仲良いんだな」
「話すようになったのは、最近になってだけどね」
まぁ、あんな事件があったんだ。関わりも生まれたし、多少は話もするようになるかと、椎名は一人思う。
「なら尚更、断ってよかったのか?」
「良いんだよ。弟達の面倒もあるし、それに海は苦手だしね」
「何だお前、もしかして泳げないのか?」
「……泳げないわけじゃないよ。浮き輪があればの話だけど」
顔を背けて答える境子に、椎名は大笑いをして見せた。
「そりゃあ悪かったな! 余計な事聞いちまったみたいだ!」
「別に……」
未だ顔をそむけたままの境子に、悪い悪いと声をかけるが、まだこちらを向いてはくれないらしい。
そんな彼女に、コイツもまだまだ子供だな、なんて思いながら、椎名は頬杖をつく。
「しっかし、お前も大変だな。面倒見がいいのは結構だが、あんまり閉じこもってるとストレスたまるぞ?」
「良いんだよ、別に。それに、まだまだ手のかかるガキ共だからね。旅行に行っても心配で眠れやしないよ」
そんな会話をしていれば、椎名の脳裏に数年前の記憶が蘇り、思わず笑ってしまった。
「姉ってのは、どいつもコイツもそんなもんなのかね」
「そうなんじゃないの? 知らないけど」
「数年前、お前と同じ様な事言ってるやつがいたよ。そいつの場合は妹だったけどな」
「へぇ、そうなんだ」
「あぁ、今やその妹も『十年に一度の天才』なんて言われだして、元講師に拉致られた生徒を助けに行けるくらいには成長したみたいだけどな」
そんな言葉を聞けば、境子は思わず目線を椎名へ戻した。
「マジで?」
「大マジだ。アイツ今はあんなだけど、昔は叶にベッタリだったんだぞ? 水瀬と知り合ってからは、アイツにも甘えてたけどな」
「……それは何か想像つくね」
そんな事を言えば、二人して笑ってしまった。瞳がこの場にいれば怪訝そうに睨んできたことだろう。
「まぁ、なんだ。アイツだって昔はそんなだったが、今や立派になったもんだ。まぁ、まだまだ青臭いガキには変わりないがな。お前の弟達だって、いずれお前を支えられるくらいには大きくなるんじゃないか?」
「そうかな……そうだと嬉しいけど、想像出来ないね」
今はそんなもんだ、と答えつつ、椎名は自身が作った野菜炒めに視線を落とした。
「その野菜炒め、味の調節に何か月もかけたって言ったよな」
「え? うん……言ってたね」
突然何を言い出すのかと、境子は首を傾げた。
「実はな、今の味付けにするまで、何度も味変えてんだ。
野菜炒めだけじゃない。学食の調理師になって、味付け任されるようになってから、まだそんなに年数経ってるわけじゃねぇが、それでも五回は変えてるだろうな、どの料理も全て、だ」
「なんで?」
「生徒の好みが変わるからだ。時代の中の流行り廃りでな」
椎名は再び視線を境子へと戻した。
「今はこの味を、生徒達は喜んで食べてくれる。だが、いつかまた味を変えなきゃなんねぇ時は来る。時代によって変わるんだ、大衆の好みってのはな。だから料理に完成は無い。一度完成しても、また崩さなきゃならねぇ時が必ず来る。生きてる限り、終わりがねぇんだよ。そんでそれは、料理だけじゃない。科学が魔術になった様に、『誰かさん』が滅茶苦茶しちまったせいで、この学院で教える内容が変わったように、な。
お前の弟達も、いずれ変わる。時代の中で生きるってのはそんなもんだ」
「……そっか。そうかもね」
自然と、境子は笑った。
いつか弟達が、今からは想像も出来ない様な立派な男になってくれれば、姉としてこれほど嬉しい事はない。そしてそれは、境子が弟達に臨む唯一の事だ。
自分を守れなんて思わない。自分を敬えとも、当然思わない。ただ、大切な人を護れる様な、強い人間になって欲しいと、ずっと願っている。
椎名の話を聞いていれば、そんな日が訪れるのも遠くないのかも知れない。
その日が来るまで、自分は姉として彼らを護っていきたい。いつか自分の手を離れ、大切な人を護れる様に。
「だったら、尚更料理うまくなんないとね」
「まぁそれだけじゃない、とは思うがね。でも、良いんじゃないか? まだ初日で料理の腕もまだまだだけど、お前根気あるみたいだし」
「……ホント手厳しいね。でもまぁ、期待して見ててよ」
「あぁ」
そんな会話をしながら、二人は笑いあった。落ちかけた夕日が、二人を優しく見守っていた。
今回もありがとうございました!
叶さんと境子ちゃんの話を書かせてもらいましたが、姉って言うのは本当に大変そうですよね。僕は二人姉がいて末っ子ですが、昔はよくケンカもしたし、今も姉には「アンタは本当に手のかかる弟だった」と笑われます。今では仲良く三人で出かけたり出来ているので、本当に姉には頭が上がりません……(´・ω・`)。
ちなみに余談ですが、今回のタイトルは過去一番すんなり決められました。現場からは以上です。
では今回はこの辺で。
まだ次回もよろしくお願いします!




