第三十四話 =夏休みの始まりに=
第三十四話です。よろしくお願いします。
七月中旬。金曜日。
今日は生徒達にとって、待望の一日。夏の長期休暇、つまり夏休みの始まりの日であり、一学期終了を告げる一日だ。
終業式を終え、生徒達は何処に隠していたのかと思う程の眩い笑顔を咲かせ、夏休みの予定を立てている。そんな光景が、この学食に広がっていた。
「皆、幸せそうだなぁ……生徒達のああいう顔を見れるのは、嬉しいもんですよねぇ。良いなぁ、若いって」
「そんな顔で言われちゃったりしちゃっても、説得力のかけらも無いけどねー。ていうか、今の台詞シーナちゃんに聞かれなくて良かったね」
多分もっと赤黒い顔にさせられてたと思うよ、なんて言葉を玲央が投げつける。満面の笑みを咲かせる彼に対し、受け手である優次郎はふてくされた様にむくれるだけだった。ただでさえ濃い隈を悪化させたまま。
全く正反対の二人は、傍からみると中々に滑稽だった。玲央の目の前に、まだ湯気が元気に動いているAランチが鎮座しており、優次郎の前には何もおかれていないという光景も含めてだ。
「おいしいですか? 玲央先輩」
未だにむくれ顔を隠さない優次郎の問いに、玲央は箸を進ませたまま答える。
「うん、美味しい! 後輩のお金で食べるシーナちゃんの料理は、一味違ったりしちゃうね!」
「玲央先輩って、良い性格してますよね」
まぁ、約束だったし文句は無いんだけど、と付け足した言葉も説得力は皆無だった。
先日の一件で優次郎の計画に多大な貢献をした玲央は、確かにあの時口にしていた。
――学食のAランチで手を打ってあげるよ――
検討すると言っていた優次郎だったが、終業式を終えた後に見せた玲央の笑顔に逆らえず、今こうして学食を奢っている次第だ。
おかげで財布はすこぶる寂しいものとなってしまったが。
「一つ言っとくけど、寝不足は僕の責任じゃなかったりするからね。どしたの? それ」
ひどい隈を指さし、玲央は笑顔で問う。全く心配している様子はなく、ただただ楽しそうに笑う彼の顔をしばし睨みつけた後、優次郎は欠伸を漏らした。
「昨日、生徒のレポート読んでたら、止まんなくなっちゃったんですよ」
「ふーん、真面目だったりしちゃうねぇ。何時ごろまでやってたの?」
「朝五時頃まで」
玲央は思わず優次郎を凝視した。
「そんな時間まで? なんで?」
「本当は、一時には終わらせて寝ようと思ってたんですよ? でも、中々面白い事書いてくれてる生徒だったんで、止まらなくなっちゃって」
「それで、気付けば太陽が昇っちゃったりしちゃってたわけか」
玲央の言葉を、優次郎は首肯する。
「終業式は九時からだし、今は綾瀬川家に居候させてもらえてるから、ぎりぎりまで寝ても大丈夫かなーって思ってたんですけど……」
「ヒトミちゃんに叩き起こされた、と」
玲央の推察を聞くや否や、深いため息をついて机に突っ伏した。肯定したと取って良さそうだな、と玲央は笑みを漏らす。
「『そんな不摂生ではいけません』なんて、お母さんみたいな事言われちゃって。それで七時に起こされて朝ごはん食べたんです。その後しばらく寝ようと思ったんですけど、また瞳ちゃんに止められたんです。叶さんに助けを求めたんですけど、『ユー君、無理はしない様にって、私言ったわよね?』って」
「……どんな顔で言ったか想像つくよ」
見た者を凍りつかせるような、さぞどす黒い笑顔だった事だろう。思い出してしまったのか、普段の彼からは想像もつかない憂い顔で頬杖をつく。
そんな優次郎の口元に、何かが差し出された。何かと思いそちらを見れば、玲央は優しい笑顔でこちらを見つめている。自身のご飯を、彼の口元へ突きつけながら。
「まぁ、七割ほどは自業自得だと思うけど、元気出しなよ。ほら、美味しいもの食べれば、笑顔も自然と顔を出しちゃったりしちゃうって」
ニコリと笑う玲央の表情からは、慈愛を感じる事が出来る。何だかんだ言って、彼にとって優次郎は可愛い後輩なのだろう。
だが―――――優次郎に笑顔はなかった。
「玲央先輩、ボクの嫌いな食べ物覚えてます?」
「確か、ピーマンだったかな?」
「覚えててくれたんですね、嬉しいなぁ」
「ははは、可愛い後輩の事だからね」
「ならなんで、可愛い後輩の口元にピーマンの肉詰めを押し付けてるんですか?」
「んー……なんでだろうね?」
今度の笑顔に、慈愛は無かった。ただ後輩をからかって面白がっている先輩の悪魔のような笑顔に、優次郎はため息を漏らした。
「全く、玲央先輩ってホント――――
「いい性格してるね」」
今度は二人して目を丸くした。
「人聞きの悪い事言わないでもらえる!? っていうか、辻上君の方がその言葉当てはまると思うんだけど!」
「失礼だな、俺はいつでも聖母の様に優しく会長を見守ってるつもりだけど」
「嘘だ‼」
「どっかで聞いたことあるなぁその台詞」
「大体! 頼んだのはほぼ同時だったでしょ! どうして何食わぬ顔で自分のものにしようとしてるのさ! 『レディーファースト』って言葉を聞いたことないの!?」
「辻上家では『最後の一個は意地でも取れ』ってのが信条でね。生憎だけど、そんな言葉は習って来なかったよ」
何事かと見てみれば顔なじみの生徒が二人、注文口の前で子供のような言い争いをしていた。注文を受けている職員は困った様な表情を浮かべ、後ろに並んでいる少数の生徒達は、二人――主に芽衣――の迫力に気圧され、止めることが出来ないでいる。
「何あれ?」
思わず、優次郎は言葉を漏らした。
「よくわかんないけど、多分オーハシちゃんとツジウエ君の頼んだメニューがかぶっちゃったりしちゃったんじゃない? そんで不幸なことに売り切れ寸前で、一人分しか作れない。そんなとこかな?」
そんな事であそこまで争えるのかと思えば、優次郎は乾いた笑みを浮かべた。
「仲いいなぁ」
「ホントにねぇ」
呆れた様に呟く二人の声は、当然本人たちに聞こえる筈もない。どっちが身を引くのかと興味本位で見ていると、
「全く、二人とも静かにしなさい」
第三者の声が聞こえて来た。和也と芽衣がそちらを見れば、見知った顔がそこにはあった。
「瞳っち! ちょっと聞いてよ! 辻上君ったら本当に性格悪くてさぁ!」
「だから失礼だって言ってるでしょ。そんな事大声で言わないでよ。みっともないな」
「あぁーまた言った‼ ほんっと君って人は!」
再び始まる争いに、瞳はため息を漏らす。
そんな中、二人が争っている横。何食わぬ顔で注文を受けていた職員が「次の方どうぞー」と気の抜けた言葉をかけて来た。
「とにかく、二人ともいい加減にしなさい。三木さんから出入り禁止にされても知らないわよ」
面倒だと言わんばかりにそちらへ向かい、自分の昼食を注文しようとする瞳だったが、職員の顔を見るなり、何とも言えない表情で立ちすくむ。
「…………いらっしゃい」
そんな事気にしない、とでも言いたげな表情でその相手、古谷境子は全く心の感じられない歓迎の言葉を口にした。
「……何してるの? 古谷さん」
「何って、バイトだけど」
「バイト? 学食で?」
「そうだよ。学院長には許可とってるし」
生徒が学食でアルバイトするなんて聞いたことがない。しばし何も言えないでいた瞳だったが
「バイトじゃねぇよ。手伝わせてくれっつうから、お言葉に甘えて手伝ってもらってるだけだ」
そんな言葉を発しながら厨房の奥から顔を出したのは、この学食の長である三木椎名だった。
「ったく、ちょっと休憩して来てみりゃ、大橋も辻上もみっともねぇぞ。お前ら二人とも、それ以外のメニューから選べ」
「「えぇー」」
「えぇじゃねぇよ。後ろ見てみろ。何人の生徒に迷惑かけたと思ってんだ」
二人して後ろを見れば、何人かの生徒が思い思いの表情でこちらを見ている。その中には、当然迷惑そうに顔をしかめる者もいた。
「迷惑料だと思えば安いもんだろうが。それとも、本当に出禁くらいたいのか?」
椎名に言われれば、二人は渋々と言った表情で争いをやめ、別のメニューを注文した。流石は学食の長というべきか。そして二人とも、このまま椎名に逆らって今後学食を利用できなくなる事がどれだけの損害なのかは理解しているらしい。
「綾瀬川、お前もさっさと注文しな。まぁ、多分ミートスパだろうけど」
「はい、お願いします」
「あいよ。古谷、お代受け取りな」
「了解」
こうして、終業式後に起きた小さないざこざは終止符を打ったのだった。
「全く、二人とも懲りないねぇホント」
その後、優次郎と玲央の姿を見つけた瞳たち三人は、彼らと相席して食事をとっていた。
各々の食事を受け取った後から今の今まで、いまだにらみ合いをやめない芽衣と和也に、優次郎も呆れ気味だ。
「仲がいいのは結構だけどさ」
「「だから仲良くない(ってば!)」」
優次郎の指摘を、二人して否定する。そういう所が仲がいいと思われる原因だと、二人は分かっていない様だ。
微笑ましそうな三人に対し、当事者二人はそうもいかないらしい。再び怪訝そうに睨み合った。
「さっきから思ってたんだけど、会長なんで俺の真似すんの? 何? 俺のこと好きなの?」
「なっ! バカな事言わないでよ‼ 君と付き合うくらいなら玲央ちゃんと付き合った方がマシってレベルだよ‼」
「それは心外だな。俺は確かにゲーム大好き人間だけど、黒岩先生の治癒魔術バカほどじゃないと思ってるんだけど」
「えっ、何で僕貶されちゃったりしちゃってるの?」
思わぬ飛び火に口を出す玲央だったが、二人は何食わぬ顔で続ける。
「そんな事ばっか言ってるなら、来週からの旅行連れてかないよ‼」
「はぁ? それは会長がどうしても来いだの、生徒会長命令だの言ってきたんでしょ? 俺に最初から決定権なんて無かったじゃん。会長が来るなっていうなら、俺は行かないけど」
和也の返答に、しまった、と言う顔で芽衣は俯いた。横で傍観していた瞳がため息をつく。
「瞳ちゃん、これどういう状況? なんか良くわかんないんだけど」
「実は前々から芽衣と、夏休みを使って海にでも旅行に行こうという話をしていたんです。それで、芽衣が辻上君を誘ったそうなのですが、誘い方が今みたいな感じだったみたいで。私もその場にいなかったので、後日辻上君から言われたんですが」
瞳の返答を聞き、優次郎は納得する。芽衣は瞳を不器用な子だと言っていたらしいが、人の事を言えないなと思えば、思わず苦笑した。
「芽衣。売り言葉に買い言葉だとは分かってるけど、流石にそれは辻上君に失礼よ」
瞳に指摘され、芽衣は肩をびくりと動かし顔を上げた。
「うっ、分かってるよ……ごめんなさい、辻上君。今のは言い過ぎたよ。それに、無理やり誘っちゃった事も。だから、その……辻上君が良ければだけど、来週からの旅行、一緒に来て欲しいんだ。ただ……私となんて行きたくないなら、無理強いはしないよ」
先ほどまでの勢いはどこへやら、しおらしい態度の芽衣を和也はしばし見つめた後、ため息を漏らす。
「どうせ家にいたってゲームくらいしかやる事無いし、俺で良ければ行かせてもらうよ。それと、別に会長と行きたくないなんて言ってないでしょ」
和也の返答に、芽衣はかすかに笑顔を浮かべた。そんな彼女を見れば、和也もまた微笑んだ――――ー意地の悪い、良い笑顔で。
「俺はただ、会長の水着には興味ないんだけどなぁって思ってただけだし」
「なぁ!? ほんっっっとに君ってやつはぁぁぁぁぁぁ‼‼」
和也の返答に、再び芽衣が噛みついた。
そんな二人を見れば、瞳は頭を抱え、優次郎はケタケタと愉快に笑い、玲央は優しく笑う。
全く、本当に似た者同士の二人だな、なんて思いながら。
「はいはい二人とも、それくらいにしておきなよ。ていうか良いねぇ、生徒達で旅行かぁ。青春しちゃったりしちゃってるね」
「本当ですねぇ。ボク等も昔は、長期休暇のたびに色んなとこ行ったっけ」
「はは、懐かしいね」
「……あの、水瀬先生」
講師二人が懐古している中、瞳が声をかける。名を呼ばれた優次郎がそちらを見れば、あの時の屋上と同じ、何かを決意した瞳の眼が彼を射抜いていた。
「何? 瞳ちゃん」
優次郎が首を傾げれば、しばしの沈黙の後、瞳が口を開く。
「あの……もし良ければ、先生も一緒に行きませんか?」
顔を真っ赤にしてそんな提案をしてくる瞳の顔を見れば、昨日の叶との一幕を思い出した。
「うーん、そうだな……是非行きたいけど、二人はいいの? 生徒だけの旅行にボクが付いていっちゃって。それにボクといたら……皆も変な目で見られることになるよ?」
同伴予定の二人に目を向け、優次郎は問う。瞳も少し不安そうにそちらを見た。
芽衣はと言えば、そんな顔するなとでも言うように笑いかける。和也も、まんざらでもない顔で優次郎たち二人を見つめていた。
「私はいいよー! 優ちゃん先生いたら面白そうだし!」
「俺も誘われた側だけど、良いと思う。第一先生来なかったら男俺だけだし。来てくれた方が俺も助かるかな」
二人の返答に、瞳は胸をなでおろした。
「そっか。だったら、お言葉に甘えてボクも参加させてもらおうかな‼」
優次郎が承諾してくれたのを受け、瞳も笑みを浮かべる。そんな彼女を、優次郎も微笑ましく見ていた。
「そうだ! 玲央ちゃんも行こうよ! 大勢の方が楽しいし!」
「んー? そうだなぁ」
芽衣に話を振られた玲央はしばし考え込んだが、やがて申し訳なさそうに笑った。
「せっかくのお誘いで有難いんだけど、来週は予定が入っててね。今回は四人で楽しんできなよ」
「そうなの? 残念だなぁ」
しょぼんとする芽衣に、玲央も申し訳なさそうに笑う。優次郎はそんな彼の表情を、じっと見つめていた。
そんな視線を知ってか知らずか、玲央は再度口を開いた。
「それに、せっかくのダブルデートを邪魔する様な事は出来なかったりしちゃうしね」
「「デッ!?」」
玲央の口から投下された爆弾に、芽衣と瞳は顔を赤くした。
「デ、デートじゃないし! ただの旅行だし‼ 何言ってんのさ玲央ちゃん‼‼」
「そ、そうですよ黒岩先生。私はただ、部屋に引きこもってばかりの先生に少しでも外に出てもらいたいと思っただけです」
まくしたてる芽衣に、コホンと咳払いをする瞳。面白そうに笑う優次郎に、我関せずを貫く和也。
そんな四人を見ていれば、玲央も楽しそうに笑った。
「まぁとりあえず、今回僕はパスさせてもらうよ。四人とも楽しんできてね」
「はい、ありがとうございます」
「玲央ちゃんも大変だねー」
「誰かさんと違ってね」
「どういう意味さ!」
この二人はいつまで争えば気が済むのか。本当に、呆れを通り越して笑えてくるなと、玲央も瞳も諦めた様な表情を浮かべた。
そんな中、優次郎だけは玲央を一心に見つめていた。何か言いたそうなその表情に気付き、玲央は彼を一瞥する。
しばし無言で見つめあった後、玲央はニコリと笑った。
「何? ミナセ君」
「玲央先輩、ボクが気にする事じゃないっていうのは百も承知ですけど……用事って?」
「んー……」
優次郎の質問に、しばし天井と見つめあう玲央だったが、やがて笑った。優次郎の奥に見える、自身への感情を理解しながら、自分の心からの言葉をかけて。
「内緒」
人差し指を唇にあて、意地の悪い笑みを浮かべる玲央を見て、優次郎もやがて諦めた様に笑った。
今回もお読み頂き、ありがとうございました!
個人的に、こういう日常の一幕を描くのめちゃくちゃ楽しかったりします。特に芽衣と和也の言い争い書いてると、にやけてきちゃったりしますね。多分傍から見たら、かなり不気味に映ってるんだろうなぁ……。
では、今回はこのへんで。
次回もよろしくお願いします。




