第三十三話 =それぞれの夜=
第三十三話です。三章のプロローグ的な話なので、いつもより短くなっています。
では、よろしくお願いします。
楠木隆盛が起こした事件から、一週間が経過した。
季節はすっかりセミの声が似合う景色に様変わりし、それに伴って生徒達は笑顔が増えていく。学生にのみ与えられる特権、夏休みが近づいているからだ。
つい先日までレポートに追われ、目の下に隈を作りながら用紙と対峙する者が多かったというのに、終わってからの変わりように、やはりまだまだ子供なんだな、と微笑ましく思った事もまだ記憶に新しい。
自分も昔はそうだったなぁ、なんて懐古しながら、優次郎は新たな自室で、提出された大量のレポート用紙を一瞥して苦笑いを浮かべる。
生徒だった頃は、提出さえすれば後は講師に添削を任せるだけだったが、今や自分も講師という立場になった。
ならば当然、自身の授業を受けている生徒四十人分のレポート全てに目を通し、生徒達の理解度を判断しなければならない。これが彼に課せられた、夏休みの宿題だ。
「講師って大変なんだなぁ……」
ぼそりと呟いたストレートな言葉を拾うものは、誰一人いない。
生徒達は明日の終業式を終えれば長期休暇だと言うのに、どうも自分はそうはいかないらしい。当然だが。
優次郎の講義は二日前に終了し、その後はレポートとの睨めっこを続けてきたが、何せ生徒一人ひとりが大量に自身の考えをまとめて来たものだから、一つに半日から一日を費やす事となってしまった。
「必須枚数は十枚あれば良いって言ったのに、皆して卒論かってくらい書いてきちゃって……。真面目な生徒が多いのは、嬉しい事なんだろうけどさ」
合計五つめの紙束に手を伸ばしながら、優次郎は再び呟く。今日はどうも独り言が多くなりそうだなと、どこか他人事の様に感じた。
「えーっと次は……あぁ、毎回質問くれる子か」
思えば、自分がまだ生徒から受け入れられていなかった頃から質問してくれていたな、と何故か少し嬉しく思えた。
「えーっとタイトルは……『魔術では再現不可能な自然的脅威とは』……ふーん、面白い事考えるんだな」
魔術が台頭してからというもの、人間が自然に対して抱いていた畏敬の念が薄れていくのを感じていたが、まだこんな事を考える学生がいるのか、と感心する。
先に添削した四人のレポートも、どちからと言えば自然的な力を魔術で再現する方法や、魔術がどのようにそれを再現しているかの理論的解釈などだった為、この思想を持っている生徒がいる事が意外にも思える。
ノートを添削した際も、この子はどうも魔術師というより学者肌なのかなと考えたけど、間違ってないみたいだな、なんて考えながら、優次郎は一文字一文字丁寧に目を通していた。
「お疲れ様、ユー君」
ちょうどその時だ。聞きなれた家主の声と共に、カタンと無機質な音が聞こえてきたのは。
何事かとそちらを見れば、そこにはいつもの慈母の様な笑みを携えた叶と、彼女が用意してくれたであろうカップが目に入った。
中にはコーヒーが入れられており、湯気がふわりと舞っている。
「ごめんなさいね、ノックしても返事が無かったものだから、勝手に入らせてもらったわ」
「大丈夫ですよ! すみません、ちょっと集中しちゃってて……コーヒーありがとうございます」
申し訳なさそうに笑いながら、優次郎はカップに口をつける。ブラックコーヒーに角砂糖二つ。ほのかな甘みが口の中に広がった。
「嬉しいなぁ……まだ僕の好み覚えててくれたんですね」
「何度も作ってきたから。忘れたくて忘れられないわよ」
「ははっ、そっか」
心の底からの笑顔を見れば、叶も自然と笑みが深まった。
「まだ夏休みにも入ってないのに、精が出るわね」
「この量ですからね。ボクもやりたい事あるし、今のうちに少しでも終わらせとかないとって思ったんですよ」
「そう……学院長として真面目な講師は有難いけれど、無理はしないようにね」
「肝に銘じておきますね。瞳ちゃんはもう寝ました?」
「えぇ。ついさっきね。あの子、さっきまで部屋で練習していたみたいよ?」
「練習?」
何のことかと考えていると、叶がくすりと笑った。
「あの子たちは学生だからね、大橋さん達と何処か遊びに行こうとしてるみたいなの。そこから先は……分かるわね?」
覚悟しておいた方がいいわよ、とウインクを零す叶に見とれながら、優次郎は小さく笑う。
「わざわざ練習なんてしなくても、普通に誘ってくれればいいのになぁ」
「ユー君が赴任してから今の今まで、散々あんな態度とってたのよ? 無理やり感情を抑えつけていた反動でしょうね」
「不器用ですよねぇ、ホント……昔の叶さんにそっくり」
「そう? 私あんな感じだったかしら」
必死に思い出をめくる叶を、優次郎はおかしそうに見ていた。本当に似た者姉妹だな、なんて思いながら。
「まぁでも、それなら尚更今の内に進めておかないといけませんね」
「さっきも言ったけど、無理しちゃだめよ?」
「分かってますよ! 今日はこの子で終わりにします」
返答に満足したのか、叶は笑みを浮かべて身体をドアの方へと向けた。
「じゃあ、私ももう寝るわね。おやすみなさい」
「えぇ、おやすみなさい」
叶が退出した事で再び一人きりになった優次郎は、おもむろにコーヒーを口にする。
「今年の夏は、色々と忙しくなりそうだなぁ」
そんな事を漏らせば、カップを優しく置き、再びペンに持ち替えてレポートと対峙する。
何故だか、さっきまでより集中できそうな気がした。
同刻。
綾瀬川家から少し離れたマンションの一室で、優次郎同様に紙と対峙する男性が一人。
彼の名は、黒岩玲央。魔術学院の保健医を務める青年だ。その眼付は優次郎のそれとは違い、険しく歪んでいた。
彼に睨まれていたのは、一枚の通知。文末には、差出人の名前が刻まれている。
「全く……ホントに一々口うるさかったりしちゃうなぁ」
天井へ視線を移し、深いため息をつく。
「そんなに心配しなくても良いのに……まぁ、僕がどれだけ言った所で、連中には信用されないか」
どうやら差出人は、玲央に対し良い感情を抱いていない相手の様だという事を、言動の節々から察する事が出来る。
改めて言うが、玲央は優秀だ。世界的にも著名な治癒魔術師だ。数々の奇跡を起こし、数々の命を救ってきた―――――――戦場において。
それは戦争の激化、長期化に貢献した、ともとる事が出来る。だとすれば、彼に恩を感じる者と同様に、彼に不信感や恨みを持つものも多い。
もしかすると、恩を感じる者以上に。
「無視しちゃったりすると後々面倒だろうしなぁ……仕方ないか」
通知を乱雑にしまうと、ゆっくりと窓の方へ歩む。既にほとんどの者は眠りについており、町は日中の喧騒など忘れたかの様に静まり返っていた。遠くに見える魔術学院のシルエットも、何とか認識できる程度だ。
昔々、科学の時代には、夜は光の海になっており、それはそれで綺麗な風景だったそうだと、誰かに聞いたことがある。その時代を生きていた人間たちが今のこの景色を見ればどう感じるんだろうかと、玲央は一人、答えのない思いを巡らせた。
「お互い、苦労が絶えなかったりしちゃうね……ミナセ君」
可愛い後輩の名を呼ぶ。
学生時代から知り合い、もう六、七年の付き合いになるだろうか。と言っても、拘置所に入れられていた三年間は手紙のやり取りのみ行った程度だが。
今学期の初め、お久しぶりですと満面の笑顔で医務室に入ってきた時は、変わらないなと微笑ましく思ったものだ。
「ミナセ君、僕はきっと……」
魔術の世になってから、安心したかの様に顔を出し始めた星たちを見つめながら、玲央はぽそりと呟いた。
今夜はなんだか、独り言が多くなりそうだな、なんて考えながら。
お読みいただきありがとうございました。今回より第三章開始となります。
時期でいえば夏休み。この小説で初めて学院周辺から離れたお話になりますので、今から僕も書くのが楽しみです。
また近いうちに、随時更新していきますので、よろしくお願いします。




